Aパート
ピンポーンッ
『8時12分。3番線、東京発、広島行き、まもなく発車致します』
東京駅のアナウンスが鳴る。もうすぐ、新幹線が出発するらしい。
指定席は6席分。
新幹線に乗るのは久しぶり。旅行なんてまーったく行った事がない表原は、ちょっと楽しそうだった。まだ粉雪から受けた傷が完治していないが、それを忘れさせるようなウキウキ感。
役目とはいえ、こんな人数で出かけるというのが楽しみだ。
「わーっ!関西に行くのは初めてです!っていうか、旅行とか学校行事がメインだったし~!」
メンバー唯一、中学生であった表原。
「高校だったら、もっと遠いところに行くもんだけどな」
「私立なら海外とかあるわよ」
ちゃんと通っていたかはともかく、学業は一通り終えている録路と北野川。
「修学旅行ってつまらないわよ」
「それは友達がいないからだったんじゃ?楽しいですよ!」
学業に励んでいる最中の、黛波尋と涙ルル。
対照的な意見を出していて、黛は本人らしい意見を言っていた。
これからこの6名で関西の方に遠征をしに行くのであった。車ではなく、新幹線で行く事になったのは
「あんたなんかに私の車を運転させたくない」
「元々、俺はATだけなんだよ。そもそも、6人も乗れないだろうが」
録路が北野川のスポーツカーを運転できないから……とか色々あるけれど、電車経由で入った方が都合が良い人数だった。やはりというか、録路と北野川を組ませたというのは中々ヤバイ組み合わせ。それに加えて、
「なんであたしも……あたしも何やってんだが」
黛も愚痴愚痴言いながら、参戦!
結局、キッスの条件を承諾し、涙一族が所持していた妖精を借りた上での釈放&協力。
「さっさと妖精を貸しなさい!ルル!」
「ダメです!お姉ちゃんからちゃんと管理するよう!あたしに頼んだんですから!」
黛がその場で借りることを言わなかったのがミスではあるが……。任務をこなすため、まずは現地についてから妖精を貸すという事になった。妖精の管理として、ルルも選ばれたのだ。
そして、もう1人。
「その子の言うとおり、まったくだよ。僕達の力が欲しいなら、すぐに妖精を返してくれ」
録路が説得し、釈放&協力に応じた男。
格好はオタク寄りかつ、中二っぽいダサファッション。とてもひょろい男。
録路以外の四人はこう言った。
「誰、あんた?」
女の子。それも4人同時に、男の子1人にそれを言ったら泣き出すのは必然。協力に応じたのにこの仕打ち。
「うあああぁぁっ!!酷い!!酷すぎるぅっ!!録路ーーーっ!!やっぱり、僕!こいつ等と仲良くできないよ!!小宮山とイムスティニアの2人の方が、つるみやすいよ!!」
「……俺もお前に協力を求めるつもりはなかったんだが?戦力になるか?俺はぶっちゃけ、小宮山、イムスティニア、代勿の誰かがいたら、お前なんか呼ばねぇよ」
「なんだとお前ーーー!!?」
「だって、俺はお前の事は知ってるだけだ。常識ねぇ中二病野郎」
「ふざけるなあぁぁっ!もっと、僕を讃えろ!!僕は"萬"、最強の男だ!!その名は茂原伸!!妖人化は、ユニオン・ドラゴンニクス!!毒蠍を操るんだぞーーー!!」
……あーっ、そんなのいたわ。って感じ。
街中に水道を利用して毒を撒き散らし、パニックを引き起こしていた事件を起こした者。あの時、佐鯨と飛島の活躍によって無事に解決できたが、……この茂原は事実上、蒼山と北野川の2名を倒している。
ドゴオオォォッッ
「思い出した!!あの時のクソ野郎か!」
「い、いきなり殴るな!北野川!!」
「うっせーよ!!よりによって、こんな奴のせいでっ!!あの時、めっちゃ苦しんだのよ!!」
あの時は佐鯨に任せていたが、こうして目の前に現れたのだから。ストレス発散のため、サンドバックの代わりに
「こらあぁっ!」
「ぎゃーーっ」
殴りまくる。暴力反対と掲げたいくらい、北野川の攻撃は激しかった。
北野川が茂原に行なうの暴力に見向きもせず。茂原の妖精、ダイドーを預かっているのは表原。彼も黛と同じく、現地入りしてから妖精を渡されるのであるが……。この場で北野川に殺されそうである。まぁ、
「彼はいるんですか?」
「……表原。俺はいちお、こいつの実力だけは認めている。そこの黛と同じく、足は引っ張らないだろうぜ……妖精のダイドーはな」
「それ僕の事を評価してないよね!?録路ぉぉっ!?」
実際、そうなんだよな。
そんな時。毒蠍やらなんやらの話しがでてきて、黛がルルに訊いてきた。
「そこのキモオタ。そんな能力、持ってんの?」
「は、はい。3ヶ月前かな。食中毒とかの事件があったじゃないですか。それを引き起こしたのはこの人なんです」
「へーっ……それって……」
北野川が暴力を振るっているところに、まさかの黛までも
「あたしもそれ喰らったわよ!!お腹痛かった!!」
「べぼおおぉっ!!」
「テスト中だったし、最悪だったんですけどおおぉっ!!」
そりゃキツイって分かるし。誰も茂原を助けようとは思わない。やはり、やった奴が悪いというのは当然の理論だろう。
茂原をボコボコにしたところで、今回の遠征の目的。その確認をする一同。
最大の責任者として任されたのは録路であった。
「中二病の陰キャを痛めつけるのはその辺にしろ。こいつでも戦力だ」
「…………ちっ」
「偉そうに」
北野川がホントは、この場のリーダーとしていたかったが。キッスが指名したのは録路の方であった。キッス曰く、戦闘は覚悟であり。北野川には必ず生きて欲しいからこそ、現場の指揮や権限、責任を録路に与えた。
録路の戦闘能力は買っているが、その他の面では北野川や表原の方が有能。
前のシットリとの戦いで、いくら高すぎる壁とはいえ、録路はその任に適したような働きはできなかった。これからの激しい戦いで録路の強さが計算にならないならば……。
そーいうキッスの思惑があり、北野川も分かっている。意外とキッスも、冷酷な一面を持っている。妹に激甘だが。
「レイワーズとかいうふざけた奴等かは知らないが、……伊塚院長って、野郎の様子がおかしい。それを見に行くわけだ」
情報を提供してきたのは、革新党のくせにその革新党は粉雪、野花はおろか、……調査員ですら派遣しない。こーいう手口が好きになれない録路。それを鵜呑みにしてるっぽい、キッスも好きになれない。伊塚院長というのは政治家ではないが、政治界隈では有名な人物であり、革新党にも繋がりがあり、大きな事を起こす事ができなかった。
しかし、因心界は政治界からサポートこそあれど、伊塚院長との繋がりはほとんどない。強いて言うなら、古野が管理している因心界の病院の建造やそのサポートをする人間ぐらいにある。
戦闘のような事になれば、因心界に全てを負わせて、革新党はその利を得られる。
因心界もそれを分かった上で、北野川になるべく被害をいかせず、録路に押し付けたいって思惑も分かる。
◇ ◇
「南空を秘密裏に行かせてやってるわ」
因心界の本部。キッスの部屋にて、……。
暢気で穏やかな光景に思えるが、真剣さはお互いに将棋を指すのと同じくらいものだ。
キッスと粉雪は趣味がてら、戦略会議をしながらの将棋を楽しんでいた。
審判役のヒイロがいないから、粉雪が連れて来た野花にやってもらう。ちなみに野花は粉雪とキッスがこうして将棋を指しているのを知っているが、審判役を任されたのは初めてである。
本当に2人で将棋をやるんだーって、顔で野花は見ていて、審判役になっていない。というか
「南空さんを行かせてたの!?いつの間に!?」
「それならそうしてくれてありがたい」
パチッ
「あの人は因心界とつるむつもりがないからな。そして、単独で成果を挙げられる」
その事情は今の今まで、キッスも知らないことであり。当然、野花も知らなくて驚いた。
南空を協力者として派遣するならそのやり方が正しいだろう。ホントに協力する気がない。目的が同じであれど、粉雪の指示にしか耳を貸さないだろう。
そして、優秀だ。
だからこそ、聞きたい。
「粉雪の懐刀を行かせて良かったのか?」
「私には野花がいるから平気よ」
「あははは。それはどーも」
「長いことやりそうだし、プライベートも楽しみたい。敵が"見つからない"間は野花と楽しく過ごすつもりよ」
「私もルルを派遣しなければ良かった……」
何気ない会話だが、粉雪も粉雪で。戦闘体勢を作っているようだ。
伊塚院長の様子については録路達に譲って、自分は他の連中に目星をつけていた。北野川の調査から、レイワーズが狙っている人間が絞られており、その餌に敵が喰らいつくのを待っている。
キッスの言っている通り。計画性のある奴や協力性のある奴を始末したいからこそ、粉雪も罠に掛かるのを待っている。
相手からしたら、敵が来るにしても、粉雪が来るのは最悪だろう。
「でさ。なんで、録路と北野川の2人を同時に出したの?それも新戦力と表原、ルルちゃんまでつけてさ」
敵に対して、抜かりなくいく。それは正しいものだが、
「私と粉雪では目立ち過ぎる。それに解決に至るまで、私か粉雪に頼っているようでは……今後は厳しいだろうな。最低でも8人。奴等がジャネモンを生み出し、なおかつ強力だとすれば、その倍以上の数はいてもおかしくない」
「人数は適正かもね」
「その他の妖人達には、イチマンコやエフエーといった連中の後処理を任せている。命を大事にな」
お互いに後ろ盾が減った以上。戦える妖人は貴重である。
火災の際。救出に向かう消防隊員の命を最優先にするのは、残される人間の価値との釣り合いだ。残酷ではあるが、助けに向かって死ぬことはいけない。
「向こうから騒ぐ分には対処しやすい。何度も言うが」
「ふーん……そうね。ゲリラ的といっても、やる相手が決まっているなら対策はたてやすい」
「録路の腕を少々見積り過ぎたところもあり、北野川を甘く見ていた。私は粉雪ほど、力量を測れないかもな」
「……期待には応えそうだし、過大評価な気もするけれどね」
パチッ
将棋は中盤。
どっちも陣を作っての展開。キッスは矢倉。粉雪も矢倉だ。
攻守共に優れており、上からも横からも戦える。以前は粉雪が降参するほど、堅い守りを見せたキッス。降参のような負け方も、勝敗の付け方もない。
そんな状況。読み違えれば、一瞬で決まる。
「私がここを、……粉雪に任せて、向かえば良かったか?」
「そうね。私って、嫌われてるみたいで。あんたの事をよく知れないのよ」
言葉も将棋も、仕掛けたのはキッスの方から。
シンプルな棒銀戦術だ。
「隠すことはないつもりだが?」
「妖精の国とか…………この因心界で保護していた、"妖精達"はどうしたのかしら?」
「メグさん達が連れ帰ったとしか分からない」
「黛に新たな妖精を与えたじゃない。保護してた妖精の中から選んでたでしょ」
「……まぁな」
棒銀戦術で粉雪の矢倉に突撃するキッス。この攻め方ですよって、教えてくれているようなもの。しかし、対処を誤ればいいと思ってはいない。ただただそのまま。攻めに転じれば、王を獲るまで攻めにいく。銀、桂、角までも突撃させる。
「あの管理はヒイロと飛島がしていた。どちらももういない。管理者が不在だが、……ルルに任せようと思うんだ」
「私にはさせてくれないの?」
「勝手に使う気だろう」
どんな風に使うかは分からないが、革新党の好きに妖精を使われたくはない。
「涙一族の施設で大切に保護している。……どうせ知ってるだろうが」
「そこまで教えていいの?」
「あまり目立つことはするんじゃない。私が許さん」
盗まれない対処をせず、盗まれた後に対処をする考え。これが厄介だって、粉雪には思う。穏便に譲って欲しい、あるいは管理させて欲しいものだ。
「ふむ」
将棋の方は思い切り攻めたが、粉雪もやり返すかのように攻め返してきた。
互いの左側はボロボロだ。
こんな状況になるのは、その後で分かる。そんな時に
「もし、ここで、この盤面で別の勢力が来たらどうする?」
キッスと粉雪の持ち駒は偶然にも同じだった。
おそらく、今の因心界と革新党の……戦力は五分と五分。そう言っているようなもの。
「舐められたものね」
この駒のように信頼以上に、機械的な動きを見せる価値ではない。
手駒は多くても、信頼の差は革新党にあるだろうか。
「私は…………相手に白旗をあげるように勧めるつもりだ」
「じゃあ、私は……その機会を奪ってあげるかな?」
勝ち気満々。どっちもやり方違えど、負ける感じがない。
その未来は大分先だと思っている2人であったが、
「あんまり"妖精の国"を詮索するんじゃない」
「キッスは気にならないの?」
「気に留めないが正しいな」
因心界と革新党の違いは、そこだろう。気に留めないとキッスは言ったが、護りたいところである。争いこそあれど、上手くやっていけていている方だ。キッスの驕りかもしれない。
価値の違いによる対立。
新たな敵との戦い。
粉雪の過剰という心配染みた言葉には、もしかすると。
「録路と北野川に死んで欲しいと思っているか?南空に指示でも出したか?」
キッスのその指摘。審判をしていた野花が思わず、言葉を発した。
「そんなことしないでしょ!!キッス!!」
ピリピリとしていた将棋盤の間であったが、この強者2人を相手に切り裂く一声。
当然。その指令を南空にしたわけではないし、協力は協力だ。
とはいえ、粉雪の口からは辛辣に
「録路と北野川が死んだら、あんたがウチに勝ち目がなくなるでしょ」
「なんだその心配か……」
「粉雪もキッスもそーいう事を思わないで。表原ちゃんやルルちゃんだって、同行してるじゃない!」
「そうだな」
「そうね」
キッスに従っているわけではないが、革新党を気にいっていない、録路と北野川だ。険悪でも同行した任務。キッスの指示で行動するし、革新党には従わない。
味方とはいえないものの、キッスの仲間である事には変わりない。
「心配無用だ。録路は強い。北野川も強い。2人共、この因心界と革新党に牙を向けた連中。それもトップの奴等だ。敵に回したくない相手だ」
「……そうね。あんたと違って、切り替えてくれなさそうで」
◇ ◇
ツーッ
ツーーーッ
相変わらず、聞き慣れない電話の音。頻繁にそう鳴ることのない音を
「またかぁ」
伊塚院長は溜め息をついて、ここの従人に対応をさせるよう首を動かした。
嫌になった。こーいう嫌がらせに、嫌になった。
彼の屋敷に務める執事、家政婦、庭師、調理師、などなど……何十人といて、この嫌がらせの処理をやらせている。臨時収入を与え、対応させるよう工夫。信頼できるのならば、他の連中をも……。
ただ、金だけ積んでも、この嫌がらせを止めるには無理なようだ。
屋敷にかかる電話。出ればすぐに切れる。まだいい。
この屋敷の外壁にスプレーなどで落書きをする。まだいい。
何かを書いた紙を丸め、屋敷の中に放り込む。まだいい。
伊塚院長が運営している(代理運営がいる)サイトに、集中アクセスがある。まだいい。
「気にいらんな」
この伊塚院長。
納得できぬことがある。
【なんで私が乗っていた車が、子供とその母親を轢き殺して、私の罪になる?】
「理解に苦しむ」
自ら起こした、……のではなく、自分の乗っていた車が事故を起こした。
そのことで裁判なり、罪を言われ。あげく、その最中だというのを、自らは納得せぬが。この地域、あるいは全国からやってくる、無能な馬鹿騒ぎを好む連中がやってくる。
警備の者や、その警察等にも対応をさせているが、世に知れ渡っているのも納得できない。
「……マスメディアへの方にはなんと?」
「週刊誌の奴等には、上手い腐った餌を食わせる。政治、スポーツ、芸能。嫌う連中がおればいい。信用を奪い、ただの娯楽誌にすればいい」
伊塚婦人は不安そうに夫に尋ねるも、夫は、夫人と同じく老齢に達していても、意識がハッキリとしていて、自分を曲げることない。さながら鋭い剣。
偽情報を与えて発信させ続け、大衆を踊らせつつ、信頼を奪うこと。誤報という報連相の欠如は、暴走に成り得ること。伊塚院長が起こした事故もまた世間として誤報になればいい。……それが難しいのは、その映像がもうすでに世界に流れている。
伊塚院長は、親子を車で轢き殺した、殺人鬼だと。
その殺人鬼が凡人共を超越し、政界、スポーツ界、芸能界隈……多くの世界の人間達と関わりを持って来た、有名な名医と来た。
凡人は妬むよう罪とやらを訴える。
伊塚院長、これを笑止と、小さく呟いた。
元々、たかが情報1つで踊る連中の行動に意味のないこと。
ここにいる、伊塚院長の屋敷にいる者全て、そんな事故などはない。大地がひっくり返らないくらい、当然としていること。
なぜなら伊塚院長は、人間を超越し、その勲章までも授かるほどだ。
「わけのわからん騒動など、反応なければすぐに止む」
「……………」
「別の騒動があれば、民衆はすぐに喰らいつく。私が事故などを起こしていないように、人は分裂したりする事もない」
時間が忘れ、新たな騒動が意識を変えさせる。
その事をよく分かっている。老人のフリをしているように思えるほど、頭が活発な判断と冷静過ぎるというよりも、冷酷過ぎる行動ができる。イカれているという事を平常にこなせる。
ギイイィィッッ
嫌がらせの有無は関係なく、屋敷の正門が開くとき。この屋敷にも鈍く、地面を引っかいた音が届く。老齢の夫婦はそれに気付けなくなってきたが、従人達はそれに気付き、表の正門を見た。
「!だ、誰かがここに向かってきます!」
「正門が勝手に開いております!」
非常事態。外からは開けられないようにし、警備の者達もいたはずだ。
椅子に座る伊塚院長はそれでも焦っておらず。
「出迎えに行け。それと警察、弁護士」
大方、週刊誌の連中。あるいはそれ以上の馬鹿か。
しかし、それ以上の大物。出迎えに行った従人達は戻って来ないし、入って来た奴と関わった感じも無い。
ガチャアァッ
「失礼する。ここに伊塚ご夫妻はおられるか?」
屋敷に堂々とやってきた者は、少なくとも人間ではなかった。
玄関にやってきて一礼。誰もここにやって来ない……だとするなら、ずかずかと上がりこもう。
「警備!」
伊塚婦人は怖がるように声を発するも、伊塚院長はとても冷淡。表情に何一つの不安がなかった。不思議な事だった。
伊塚婦人の言葉で警備の者達は、侵入者へと向かっていくのだが……戻って来れない。
ゆっくりと近づいてくる足音に、伊塚婦人は怖がるも伊塚院長の隣に……。そんな様子を見てか、手を握ってやった伊塚院長。
ギイイィィッ
「……そこのご老人が、伊塚院長でお間違いないか?」
「……何者だ?貴様……」
人間の形はしているが、肌色と彼から感じるオーラが……ケダモノを感じさせていた。その威圧感に伊塚婦人は床に崩れ落ちるようになってしまうが、伊塚院長は椅子から離れようともせずに、侵入者に尋ねる。
常軌を超えた犯罪者がここに現れてもおかしくない状況でも、何も感じていない狂気に。
「私はメーセーという……あなたと契約をしに来た」
侵入者である、メーセーは……興奮し始めた。
改めて間近で迎いあうと
「マイ・ベスト・パートナー」
「気色悪い奴だ」
とてつもない邪念を抱えた人間。この上なく、最上。天才のなりの果て、老いた神様とでも例えられる傑物。
メーセーの興奮とは裏腹に、伊塚院長は淡々としている。痛烈に一言
「帰れ」
何がなんだか、分からないが。
その言葉だけで十分と思っていた。しかし、メーセーがそれを素直に従うわけもなく、歩み寄る。自分の"宿主"になってもらわなければいけない人物だ。
「うーむ。どうすれば契約をしていただけるか?」
「事情は聞かん」
契約を迫る謎の存在を面倒そうにする伊塚院長。メーセーがタダ者ではないのは分かっているが、人の領域でしか見ていない。
メーセーはそれに気付き、伊塚院長の傍で無様に震えている伊塚婦人に目をやった。
「ひぃっ………」
「……ふふふ、なるほど。気が合うかもな。このご婦人と……」
「手を出すな。私の妻だぞ」
護っているような言葉を発するも、伊塚院長は伊塚夫人に目や態度も向けていない。メーセーに意識を向けている。酷く弱いところを突いて、交渉を始める。
「落ち着いていられるが、権威はどうなのだ?」
「?なにがだ?」
伊塚院長にとっては、その一言だ。自分の成したことは森羅万象、自然の摂理、人間的な理性の一部に等しきと傲慢に思えるほどの思考であるが故。
絶対に揺ぎ無いとしていて、メーセーの質問を質問で返している。それが答えである。
何者か分からない奴の力など借りることなんてない。
その反応をみて、言葉では不可能として……メーセーは右手の人差し指と中指を捻るよう絡ませ。天にあげた。
ギュウウウゥゥゥゥッ
何かを発動させると、メーセーの周囲にある物体が地震にあったかのように震えだす。やがては、引き寄せられていく。
バリイィィンッ
「きゃあぁっ」
伊塚婦人の悲鳴よりも多くの家具や美術品などが倒れていくところに、伊塚院長は意識をやっていた。地震だったら、速報が出てもおかしくはないし。地面や家が揺れていないと分かってもいる。何かをした。……自分の名誉とは違う、不思議なこと。
「……奇術師かなにかか。そーいう連中を、知らんわけではない」
壊される品々に驚きも怒りもない。実証できないが、……伊塚院長は
「このことは高いぞ。不要じゃったら、切り捨てる」
殺されるという不安など感じさせず。あくまでもメーセーを手駒として感じた発言。
メーセーが口にせずとも、この老齢は
「貴様がそこらへんの物を自分の方へ引き寄せたのか?そんなことができる知り合いがいる」
メーセーが行なった事。それを理解している。
特別に欲しいわけでもないが、単純な力には貪欲になっていくものだ。
「……妖精だったか?お前はそんな類いの存在か?」
「あいにく、立場は対極の存在だが……。まぁ、力は超えている。だが、力はより求めるものだろう?その宿主を、私は捜し、お前を見つけた」
「偉そうに」
認めぬ奴には、力を見せよ。
とても単純な手段であるが故、理解しやすい。難解を理解できるよりも、その難解さを簡単に示してみせるのが伝わりやすい。




