洋のオカシ~月のある晩に~
小説家になろう『夏のホラー2018~和ホラーvs.洋ホラー~』企画参加作品。
ラング・ド・シャ。薄く平べったく焼いたクッキー、「猫の舌」と名付けられる。
生地を楕円形に絞って焼いて猫の舌に似ているからという説、生地の表面がザラザラとして感触が猫の舌に似ているからという説がある。
チュイルは、フランスの瓦せんべいといった所で、反りをつけた焼き菓子である。スノーボールは、雪の玉に見立てたアメリカの家庭菓子である。
その形状、見た目からの名付けも多いが、ガトー・ア・ラ・ブロッシュ、直訳すると「串刺しのケーキ」は、どうだろうか。
この菓子は円錐型で、立てると木のように見える。パリではクリスマスツリーに見立てられて売られたりする。バウムクーヘンの祖形とも言われるが、薪を円錐型に整形して棒を通し、生地を細く垂らしつつ暖炉で回しながら焼く。この為、表面に生地を垂らしたあとが細い筋模様として残り、断面に年輪模様は表れていない。バウムクーヘンについては日本に伝えられた当時、ピラミッドケーキと呼ばれていたという。
苺と生クリームとスポンジで出来たケーキの事をショートケーキと言うが、これは日本生まれのケーキである。英米の菓子をベースに生まれた日本式ショートケーキは、フランス菓子の要素を取り入れ、更に進化をし続けていくのである。
話を戻そう、お菓子のラング・ド・シャを知っているであろうか。「猫の舌」という意味である。
西洋、ヨーロッパ地方では、魔女の正体が猫だった――なんて話が数多くあるらしい。
日本なら化け猫、猫娘、妖怪。気ままで自由で、月夜に集会が行われるなどと、俗説は多い。
さて――。
では、オカシなホラーの話をしよう――月のある晩に。
・ ・ ・
玄関を通って、家の中を走って行く。「おやつあるよ」「はーい」友達の家から走って帰って来たばかりで、お腹がペコペコだった。今日のおやつは何かな、お母さんがキッチンで待っている。「アール、手を洗いなさーい」お母さんの高い声が家中に広がる。
アール・グレイ・ラング・ド・シャ。これが僕の名前だ。
紅茶にお菓子。何でこんな並びで名前を付けたのか……僕には解らない。そこで、お祖母ちゃんを頼って調べる事にした。夏休み、宿題である自由研究のテーマに、丁度いいので充てようと思う。
近所に住んでいるお祖母ちゃんの家に次の日、遊びに行って早速と訊ねた。驚いていたけれど、僕を温かく招き入れ、冷えたジュースを淹れてくれた。美味しい、喉を充分に潤してくれる。今日も日差しが強くて暑そうだったから嬉しいな、では――。
これは、僕がお祖母ちゃんから聞いた話。
かつて、同名の伯爵が居たんだって。アール・グレイ・ラング・ド・シャ伯爵。彼には秘密があったらしい。夜に出かけて、朝に帰ってくる日が度々あったんだって。
ある者は、化け猫と会っていたと言い、
ある者は、人魚の歌声に誘われて、と言う。
運転手と夫人は何か知っていたみたいだったけれど、口を閉ざしている。真実とは異なるかもしれないけれど、お祖母ちゃんは楽しそうに話してくれたよ、歌うように。
湖のほとりで泣くシャルル。ご主人の指輪をイタズラで失くしてしまって、こっぴどく叱られて、もうお屋敷に戻れない、戻りたくない。もしかしたらここに落としたんじゃないかって、湖の中へ入って探しているうちにシャルルは溺れてしまい、決して浮かんでは来なかった。それ以来、シャルルの魂は湖でさ迷い、指輪を見つけるまでは何処へも動けなくなってしまったんだって。
美しい声で悲しい歌を歌うシャルル。それに惹かれて伯爵は、森に足を踏み入れた。彼はアール・グレイ・ラング・ド・シャ伯爵。彼はシャルルを愛した。毎夜、人目を忍んで出かけて行く様になり、お互いはとても親しく恋仲になった。ああシャルル、貴女はとても美しい、どうしてそんなに美しいのだ? シャルルは答える、伯爵さま、私は幸せです、こうしてお側に居られるだけで。
いつまでも一緒に、永遠に居たいと思う、でもそれは儚き夢、所詮は夢なのだという事を。
シャルルに惹かれて森の動物達が、可哀想なシャルルを助けたい、手に入れたいと集まってくる……けれどそうやってシャルルに憑りついていって、シャルルは「進化」していったんだ。まさに「同化している」。事態は良くはない方向へと進んでいったんだ。頭が猫、足がサル、長い尻尾があって、背中には黒い羽が……それが実は「悪魔」であろうとは思わなかった。
憑りつかれたシャルルは、もはや、自意識に関係なく暴れ出した。酷く恐ろしい姿で、森の外へ出ようとして――呼びかけても、答えないシャルルを伯爵は激しく無念に思い、でもついには決心して、持っていた銃でシャルルを撃ち抜いてしまったんだ――月のある晩だった。それも好だったのかな、吸い込まれる様にしてシャルルの頭を弾は綺麗に突き抜けて、シャルルは力を失くして湖へ沈んでいった――。
もしここに画家が居たら感動を絵に表すだろう。
そして写真家は瞬間を見逃さない。
シャルルが湖に沈んでいくさまは、まるで豪華客船が静かなる海に沈んでいくよう。主を失った胴体が、暗く冷たく、寂しい水の底へと――。
指輪は、何処へ……?
それは、もう見つからない。奇跡を信じるな。奇跡を起こせ。
「私」の力で……。
伯爵は、自分の指輪を捧げた。これを持ってお行きなさい、と優しい目で訴えた。
いつまでも、しがらみに絡まっていないで、あるべき所へ行きなさい、私を信じて下さい――。
シャルルの魂は解放されて、天国へと旅立って行った――指輪をはめて。
その後、邸宅に戻った伯爵は、酔いの醒めた顔で残りの余生を過ごしましたとさ。
何処かで、紅茶を飲みながら、お菓子を口にしているのかも。
・ ・ ・
「まあ多分、ただの不倫だったのでしょうけど」
お祖母ちゃんはケタケタ笑いながら、クッキーを食べていた。「でもどうしてそれが僕の名前になったの?」と聞くとお祖母ちゃん、今度はニッと笑って、「それはね」とクッキーひとつを手に取って僕の前に見せた。
「お前がいつかここにこうして来る様に、さ」
お祖母ちゃんは魔女みたいに意地悪っぽく言った。
「何それ、訳わかんない」「だろう?」「えーっと、ますます、わかんない」
困り果てた僕を見かねて、お祖母ちゃんはヤレヤレ、と言い出した。
「じゃあヒント。クッキーはクッキーでも、ビスケットじゃない。サブレでもない。同じ焼いた菓子なのに? クッキーにはクッキーの物語。ケーキにはケーキの物語。アール、お前にはお前の、物語」
また楽しそうに笑う。やっぱりわからない。僕は内心、宿題どうしようと焦った。誰か助けて。
悩みながら家に帰ると、お母さんが「ああそれ? お祖母ちゃんがお菓子にハマって、その時、誰かに頂いたお菓子が特段に美味しくって、お菓子の名前にしようとオカシな名前になったのよ」と教えてくれた。
笑いながら。皆、笑ってばかりだ。笑いの絶えないハウスだ。他にも名前に候補があったが「アール・グレイ」が響きでいいんじゃない、お菓子にも合うしと言われ、冗談じゃないよと言い返したくなった、だったらロッキーにしてくれ強そうだからと僕は思った。後の祭りだ、今更変えようとも。
アール・グレイ・ラング・ド・シャ・カーネルサンダー。
これが僕の名前、全部だ。こんな珍妙な姓名、聞いた事がない。ああ、ほんっと進化は自由で、気ままだな。やんなっちゃう、想像を超えるよ。
ああ、末恐ろしい。
<END>
何とか3,000文字以上にしたよっと、ご読了ありがとうございました。
和菓子バージョンあります。
https://ncode.syosetu.com/n9252ex/
はぁ両方とも勉強になりました。乙です。