絶体絶命
人間の身体能力退化しすぎ。
「はっ……はっ……」
テトラは茂みの中にじっと身をひそめて恐怖が過ぎ去るのを願った。
しかしその恐怖の足音は着実に彼女の元へと向かってきている。
狩りを楽しんでいるのか小娘程度余裕で食い殺せると思っているのかずいぶんとゆっくりだ。
「おぇぇ……」
恐怖と急な疾走で吐き気がぶり返したテトラはまた口からスライムを吐き出した。
ここまで来るともはや哀れである。
だが彼女はまだあきらめていなかった。
(やらなきゃ……やられる……!)
震える腕を押さえつけ怖いという気持ちを鎮めると今しがた吐いた生暖かくて中途半端に溶けてぬめりのあるスライムを握る。
暗闇と言うのは恐怖を何倍にも増加させる。
杆体細胞の少ない人間の目ではそこに何がいるかわからないからだ。
恐怖から居ないものを見ることもあるほどである。
幽霊の正体見たり枯れ尾花とはよく言ったものだ。
(来たっ……!)
しかしテトラには暗闇の奥で動く大きな魔獣の姿が見えていた。
それはスライムを食べた影響の一つだった。
野生動物の多くは夜目が効く物が多い。
吸収した個体の中から運よくその特性を取り入れられていたのだ。
能動的な能力であったためか無意識の内にテトラは展開していた理論を実行できていた。
「グルル……」
だが夜目が効くのは野生に暮らす熊の魔獣にとっても同じだ。
しかもその視力に加え嗅覚、聴覚でもテトラの動向を察知可能であり死角はないに等しかった。
魔獣はテトラの姿をまだ視認していなかったが恐怖から吐いたのであろう胃液の臭いで場所はバレバレだった。
「グルルァ!」
熊の魔獣は今度は油断することなく素早く近づくと中距離から腕を伸ばして獲物がいるだろうその茂みを草木ごと切り裂いた。
切り裂かれた草は芝刈り機で狩ったかのように短く刈り取られ、宙に舞う。
並大抵の生き物はその強烈な一閃で真っ二つになるだろう。
手ごたえはなかったがその程度の細く弱い相手だったという事。
これで鬼ごっこは終わりかと魔獣はあっけなさを感じながらそこに転がっているだろう小さな死体を確認する。
「……?」
だがそこには何もいなかった。
いや、いる事にはいた。
一匹の胃液にまみれたスライムが。
「やぁぁぁ!」
獣がどういう事かと固まった一瞬の隙をつき、死角になっている左側から回り込んで近くの茂みから飛び出したテトラは手に握っていたスライムを投げた。
「グァッ!?」
それは先ほど吐いた時に出たスライムのうちの一つ。
こちらの方が臭いが薄くなるように服が汚れるのも気にせずに息を殺して抱き込んでいたのだ。
魔力を帯びたスライムは魔獣の鼻に命中する。
魔獣は苛立ちながら溶けかけでねばつくその臭いスライムを引き剥がした。
しかし僅かだが鼻の粘膜に定着した酸っぱい臭いがする胃液まみれのスライムは魔獣から殆どの嗅覚を奪った。
「グガァ!!」
魔獣の苛立ちは憤怒へと変貌する。
小娘にいいように出し抜かれてもう我慢ならなかった。
「グルルァ!!」
そして魔獣はその場で暴れ始めた。
考えることをやめすべてを壊す勢いでやたらめったらに両腕を振り回す。
「うわっ……ちょっ……!」
テトラは逃げる間もなくその唐突な大暴れに巻き込まれる。
とっさに両手で防御したがそれは彼女の細腕で受け切れる攻撃ではなく鋭利な爪は彼女の右腕を切り裂いた。
「ぁっ……つっぅぅ!」
紙を切るように切り落とされた彼女の右腕は暗闇の中に飛んで行った。
しかしここで大声をあげれば親切に場所を教えるようなものだ。
歯を食いしばって痺れるような痛みを我慢して急いで暗闇の中に逃げる。
「グルル……」
しかしさすがに獣の好物である濃い血の匂いまではごまかせない。
熊の魔獣は振り返ってテトラを探し始める。
着実にテトラは追い詰められていた。
「さすがに、きついな……」
木を背にしてテトラは冷や汗と脂汗の混じった物をぬぐう。
そうしている間にも着々と魔獣は迫りつつある。
もう無理かと、万事休すかと思われたその時だった。
「だい、じょうぶ?」
「ふぇっ!?」
テトラは唐突に話しかけられて素っ頓狂な声を上げた。
その声は彼女の左脇腹から聞こえた。
テトラは嫌な予感がしつつ声の主を確認する。
するとこそこには人型をした子どもほどの大きさのスライムがちょんと立っていた。
今まで見てきた進化系のどのスライムよりも精巧な作りのそのスライムにはちゃんと目と口と髪のような部位が存在している。
色こそスライムのそれで髪は一本一本が太く滑らかなドレッドヘアーのようだったが暗闇の中だったら一見普通の女の子と思いそうな外観だ。
「えぇと……誰?」
「スゥ!」
腹に埋め込んで同化したはずのスライム、スゥは元気よく手を挙げて答えた。
やっと登場人物増えました。




