小さな牧場主
私の前世はエジソンでした。
絶対違いますね。
前世の記憶など存在するのだろうか。
もし存在するのだとしたらそれはきっと輪廻転生において記憶の浄化がされずに生まれ変わったのだろう。
そしてその記憶は生まれたての脳で認識する間もなく膨大な量の新しい記憶で上書きされて行く。
結局ほとんどの人が気づいてないだけでみんな前世の記憶を持っているのかもしれない。
だがそれが何かの拍子に頭の奥底からポンッと表層に飛び出してくることがある。
その時初めて思い出すのだ。
自分の前世と言うものを。
「あ……あぁ……」
金髪碧眼の少女テトラ・グロウリィは今この瞬間、前世の記憶を思い出していた。
まるで間の抜けたコマ撮り映画のように断片的に次々と甦るその記憶は彼女の脳を圧迫する。
「うぅっ……なんで……」
ついには急激な回想によるシナプスの暴走による痛みと死に直面した辛い過去の記憶にさいなまれ、頭を抱えてうずくまった。
なぜ彼女が急に前世の記憶を思い出したのか。
その答えは彼女の目の前にぶら下がっていた。
「なんで勝手に死んじゃうの! お父さん! お母さん!」
涙ながらに訴える彼女の視線の先には天井から下がる荒いロープに吊るされて風に揺れる一組の壮年の男女――彼女の両親の姿があった。
すでに絶命している彼らの足元には弛緩した体中の穴から垂れ流れた汚物が水たまりを作って異臭を放っており、踏み台に使ったのだろうぼろの木椅子がその上に転がっていた。
「いくら家畜が魔物に殺されたからって死なないでよ……私みたいにさ……」
昨日、家族で飼っていた家畜が魔獣に襲われ一夜にして全滅した。
土地はあるが山奥の開拓地なのでほぼ無価値であったため家畜が生命線であったグロウリー一家は一夜にして全財産を失ったのだ。
それを悲観したテトラの父と母は娘を残して自殺と言う道を取った。
そして早朝、両親の姿がないことに気が付いたテトラが納屋のドアを開けて天井から下がる彼らを発見したという次第であった。
なんと愚かな選択だろうか。
かつて彼らと同じ死に方をしたテトラは彼らの姿に自分の過去を重ねてなんて無様な死に様なのだろうかと蔑みの目で苦悶の表情を浮かべる彼らを見上げた。
そして目元を袖で乱暴に拭うと物言わぬ彼らから決別するかのように叫んだ。
「私は生きるからね! 死んで楽になんてなるもんか!」
こんな無様を晒すくらいなら生きよう。
前世で自殺した切っ掛けはまだ思い出せずにいたがもうこんな死に方は絶対しない。
したくない。
だからこの光景をしっかりと脳裏に刻み付けた。
この悔しさと悲しさとぶつけようのない怒りを絶対に忘れずにいようと。
「……よしっ!」
それから目じりにたまっていた最後の涙をぬぐうと踏ん切りをつけて死体の片づけを始めた。
生きているものは生きねばならないのだ。
「くっ……お、重い……」
とりあえずロープを切って死んだ両親を天井から降ろす。
すると予想以上の死んだ人間の重さに腰が抜けそうになる。
いくら牧場で力仕事をしていたとはいえまだ幼さの残る少女には重労働であった。
「よっ……と……んっ……しょっと……」
なんとか2体の肉塊を裏庭まで引きずって行くと今度は数時間かけて庭の木の下に墓穴を掘り、そこに埋めた。
前世では死んだ猫にすら触れなかったのにこちらの世界では大事に育てた家畜を屠殺して肉に加工する作業などを日常的にやっていたので死体に触るという行為にあまり嫌悪感はなかった。
両親の死体は両親ではなく『両親だった物』と言う感覚だ。
こうなってしまっては心を切り替えて無心で作業するだけだった。
「ふぅ……全部終わったけど……どうしようかな……」
テトラは袖で頬についた土を拭くと魔獣の襲撃の痕跡が残る牧場を眺めた。
一人きりになってしまった牧場は閑散としていてわびしい。
「……」
もう薄暗がりになりつつある狭い牧場の囲いには昨日まであった平和な牧畜の光景が思い浮かぶ。
その中を歩く両親の姿は前世の記憶が一部甦ったせいか早くも薄れて来ていた。
死んでしまった以上は戻らないのだから必要以上に悲んで何もしないより前向きに進む方が断然良い。
だから非情にも思える自分も受け入れた。
「ん……ん?」
ふと感傷に浸りながら無残な姿をさらす牧場を眺めていると牧場の端の方にこぶし大の水の塊のような生物がいた。
森の掃除屋、スライムだ。
この世界では割と普通に見かける最弱の魔獣であるスライムは地面に残された家畜の血液を吸い取っているようだった。
その行為が森の掃除屋と言われる所以だ。
彼らは生きている相手には特に何をしてくるでもなく動物の死体や食べ残しを綺麗に吸収して行く。
そして狩ったところでいくら切っても生きているし何かの素材に使おうにもただのぶよぶよとした水の塊のようなもので一銭の価値もないので触れられることさえない無害な魔獣である。
「いやまてよ……」
何時だったか最寄りの村に来た商人から聞いたことがある。
世の中には極まれに特殊なスライムもいてポーションがとれるものもいるらしいと。
ならばうまく育てれば永遠にポーションが手に入るのではないか。
「やってみるか。ほいっと」
おとぎ話のような信憑性の薄い噂話だが物は試しだ。
家畜がいなくなったからすることのなくなってしまったテトラはさっそく飼うことに決めた。
素手でむんずと捕まえると家の中に連れ込む。
大した知能はないので出られる隙間さえなくしてしまえば逃げられる心配はない。
なぜなら森に近い家には大抵スライムに家を齧られない様にするためにクスクスという木の葉から出る汁を外壁に塗布してあるからだ。
だから家の中で放し飼いにすれば十分なのだ。
それに一つやってみたいことがあった。
「動くなよ……セイッ!」
テトラは台所に行き蠢くスライムをまな板の上に乗せると包丁で思い切り真っ二つに切った。
いきなり飼うと決めたスライムを切り刻んで何をとち狂ったのかと思われるかもしれない。
しかし彼女は大真面目であった。
「お、やっぱり」
二つに分断されたスライムだったが両方とも元気にうねうねと動いて生きていたのだ。
「プラナリアみたいなものだ」
いくら切断しても生きているという事から切ったらそれぞれが独立した生物となるプラナリアと言う前世で学んだ生き物と似たものだと判断して切ったところどうやら正解のようだった。
さすがにプラナリア同様、再生出来る大きさに限度はあるだろうがこれならこの個体からいくらでも増やせそうだ。
「という事でここはひとつ」
すると彼女はまた突飛な行動に出た。
「あむ……もぐもぐ……ごっくん」
今度はその半割スライムを口に含んだのだ。
そしてあろうことか咀嚼も適当にそのまま嚥下したではないか。
蠢く水の塊を飲み込むその姿はさながら辺境の地の蛮族のようである。
それから飲み込み終わったテトラは眉を寄せて唸った。
「んー……永遠に増やせれば食べ物に困らないと思ったけど……別にソーダ味でもないし生温くて普通にのど越し気持ち悪いわ」
彼女はしかめっ面でもう片割れのスライムに向けてグルメリポートをした。
ぷるぷると震えるスライムは初めて見る異常な捕食者に怯えているようにも見える。
やはりテトラは両親の死に目を見て前世の記憶がフラッシュバックしたせいでどこか頭のねじが外れてしまっているのかもしれなかった。
のど越しの感触を例えるなら……そう、動く水風船。