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カムイの紙漉き

作者: 風連
掲載日:2015/11/11

開拓の歴史がこの土地では新しい。

北の大地は、人の手が入る事を良しとしないが、自然はどこも同じ。

何千何万の時の流れの中で、受け入れられたものだけが、栄える。

それでも、稀なものはある。

高崎たかさき沙耶さやは、裏山の急な山道を上がっていた。

上りきると、ほっとする。

そして、身が引き締まる。

沙耶には、山がわかるが、初めてこの景色を見たら、一歩も歩けないだろう。

お椀を伏せたような山が、いつまでも続いているのだ。

どこが高いとか、岩が出てるとか、崖がこちらを向いてるとかの、変化の一切ない、山々が連なってる。

沙耶は、なれた道を下って上がる。

なんの目印もいらない。

沙耶の足は、考えなくてもサクサクと進んでいった。

上からはわからないが、暖かい場所に出た。

必要な物を必要なだけ、山から頂くと、沙耶は、くるりと元来た道を引き返した。

人など、ここに居るべきではないのを、よく知っていった。

それでも沙耶は、礼を尽くし、山から降りる。

白い木皮を水場に持っていく。

暖かい水にさらす。

ほんのり、鉱石の匂いがする水だ。

不思議と木皮は、益々白く冴える。

手順は、身についていて、根を擦り広げた、水桶に、丸い紙漉き板を潜らす。

たった一回で、丸い丸い直径1メートルの紙が漉き上がる。

3回、別々の桶で、紙を漉く。

決して墨が滲む事なく、下写りのない、和紙が出来上がる。

水にもう一回通すと、台の上に紙を広げた。

薄く艶のあるのがわかる。

今日の木皮を、目分量で、それぞれの桶にたすと、この水に、半日でとろけていくのだ。

丸い和紙は、かわくとその艶感が、描く者を魅了する。

愛好家の中だけで取引される、貴重な和紙なのだ。

沙耶は、乾いた和紙をクルクルと丸め、筒型の入れ物に、5枚づつ詰める。

この和紙は、シワにもならないので、これで充分なのだ。

筒の口をテープでグルッとひと巻きして止め、宛名を、書く。

それを3本も作れば、今日の仕事は終わり。

多めに漉いた紙に、印を押す。

もうすぐ、個展を開くので。

父の親友だった美術商の北林さんからの誘いだった。

湖に面した温泉街の一角にあるホテルでの、こじんまりした個展。

物好きしか来ないだろう。

一年かけて、漉き貯めた和紙に印を押す。

朱もつけず、軽く押すだけだが、不思議と、シワのつかない紙に陰影が、現れるのだった。

山から伸びた樹々の間を、歩く音がする。

振り向くと、アライグマだ。

実りの秋だというのに、この山の生態系から嫌われ、里をウロウロするしかなく、畑を荒らすので、人にも嫌われていた。

最近は駆除されてしまって、姿を見る事もなかったが、哀れだった。

沙耶に気づくと、尻尾から、後ずさり、草の陰に埋もれていった。

近くの名もない花が揺れる。

リスのエサ台からこぼれた物を、拾っていたのだろう。

枝から吊るしたエサ台は、リスと野鳥にしか手が届かないようにしてあったから。

個展の日が来た。

壁に飾った和紙も好きだが、何枚か丸めて、灯りを仕込んだ和紙の照明も、思ったより、綺麗だ。

圧巻は、天井画の様な、巨大な丸い和紙を使った花だった。

漉く数を変えて、何層にも重ねた和紙が、ほんのり紅く色づい見える。

一番下に貼った色付きの和紙が、3枚4枚と重ねた和紙の中から、色をにじませているのだ。

壁には、沙耶の和紙に書を認めた、森雪もりゆき凌牙りょうがの大胆な字が踊っている。

新進の書道家で、最近人気が出てきて、あちこちで書のイベントを、しているそうだ。

沙耶は、細く長く書かれた「心」という字が、好きだ。

丸い和紙にその字は、水をたっぷり含んだ薄墨の線の流れるままに、和紙の中にとけていってる。

もっと黒々とした作品が多いのかと思っていたら、辰という一字以外、全て薄墨で、淡く書かれていて、女性書道家の個展の様だった。

美術商の北林きたばやしさんが、ニコニコとしながら、どうですか、と、聞いてきた。

沙耶は、うなずいた。

「竹の額縁が、綺麗ですね。」

北林さんが大きく手を広げる。

「ここの額縁、全て森雪先生の手によるものなんですよ。」

和紙より一回り大きな、裏側を丸い透明パネルにして、その上に細竹を組み合わせ、五角形や六角形や丸で、和紙を止めている。

丸い和紙の隅の部分が竹からはみ出し、繊維の絡まり具合で、優しい影の文様を作っていた。

「光に優しくて、私は好きです。」

北林が、優しく笑う。

「もうすぐ、丸和紙が、沙耶さんの手でこの世に出て3年、名前をつけませんか。」

前々からの話を、される。

「そうですね。

森雪先生は、なんて言ってました。」

書をたしなむ人の意見も知りたい。

「今夜のパーティーにいらっしゃいますよ。

沙耶さんにお会いしたいそうですから、お聞きになれますよ、」

北林さんが、嬉しそうだ。

「克己復礼の方ですから、会うと話が合うでしょうね。」

「こっき、ってどんな意味なのでしょう。

復礼は、なんとなくわかりますけど。」

北林さんの頬に、赤味がさす。

「己の欲に勝つ心のことです、こっきは。」

手をパンと鳴らす。

「お二人がお会いして、話されるのが楽しみです。

では、お時間になったら、お部屋にお迎えに伺います。」

克己復礼の四文字熟語を残して、北林さんは、仕事に戻っていった。

沙耶は、しばらく個展会場にいたが、満足して、部屋に引き上げた。

特に世捨て人になったわけでもないが、仕事場が余りに人里離れていたので、疲れて眠りたかった。

ホテルの部屋というのは、なんて寝るのに都合よく出来ている事か。

夕方まで寝ると、気力がよみがえり、スッと起きられた。

伸ばしたままの黒髪以外、全てアイボリーのパンツスーツで、身支度をした。

この辺りの民芸品店では、木彫りが有名で手に入りやすいので、女性の横顔が彫られたやはり生成り色の髪留めで、後ろに邪魔な髪を半分持って行き、サラッとまとめた。

膝まである、長いジレを羽織ると、山で紙漉きをしてたのが、嘘の様だった。

化粧は嫌いだったが、北林さんに言われていたので、薄いピンクのグロスだけをつけた。

無臭な外見が出来上がるが、どこかに、あの鉱泉の匂いがしてる気がする。

ジレは、銀糸がほんの少し織り込まれていたので、照明に映える。

アクセサリー嫌いの沙耶のために、探してきてくれた服だから、ありがたく着させていただく。

北林さんの人柄がなければ、沙耶が個展を書道家と開く事などなかっただろう。

北林さんが、迎えに来た。

「大丈夫ですよ。

皆さん、沙耶さんのファンなんですから。」

沙耶の緊張感が、ゆるむ。

会場は、確かにこのホテルにしてはこじんまりした部屋だったが、沙耶には、目がくらむ様な部屋だった。

北林さんが、厳選してくれたので、出席者は、50人ほど。

それでも、沙耶には多すぎる。

北林さんが挨拶してくれたので、沙耶は頭を下げただけだったのに、もう帰りたい。

北林さんと、くるくると歩きまわり、頭をさげる。

顔を知ってる人もいたので、話をしなければならなかったが、聞かれた事の半分も答えられない。

和紙の材料も作り方を、聞かれても上手く説明出来ない。

「普通のと、同じです。」

やっと出た答えに、後ろにいた女性が、ハイヒールを鳴らした。

「まあ、普通ですの。

じゃ、丸く和紙を漉くのは、奇をてらっての事ですのかしら。」

素敵なドレスと小さなクリスタルのトマト型バックを持った女性だった。

このパーティーの女性達は、変てこな型の小さいバックを持ってる人が多いが、トマトは見た事がない。

猫の顔やトカゲ型が、人気らしい。

返答よりトマトバックに目を奪われてた沙耶だったが、北林さんが困ってるのに気がついた。

その女性は、後で知ったけど、元伯爵柳田やなぎだ老のひ孫の素藤もとふじ法子のりこ嬢だったのだけど、綺麗な人で、余りに素直な方だったので、話した意味が、すぐに浸透しないのだ。

まわりの人達は、固唾を飲んでいるのがわかる。

「法子さん、お久しぶりです。」

1人の青年が、凍った空間にスッと入ってきた。

北林さんが、ホッとしたのがわかるし、法子さんと呼ばれた女性の頬が、ピンクに輝いている。

「凌牙さんも、いらしてらっしゃったの。」

「遅れてしまったので、皆さん帰ってしまったのかと、走ったんですよ。」

「まあ、冗談が過ぎますわ。

凌牙さんが走るなんて。」

法子さんが、笑う。

「法子さんは、秘密を探るのが、お好きですね。

丸い和紙の材料も作り方も、普通なんですよ、沙耶さんには。

法子さんのあのアップルパイ、どう作りますか。」

柔らかい物腰で、さりげなく法子の手から、空になったグラスを受け取って横のテーブルに置いている。

「あら、あれは、普通にこしらえているだけですわ。」

「でも、ハート型ですよね。」

「ハート型が、よろしいじゃありません。」

「でしょう。」

凌牙さんと法子さんが、笑う。

「あら、そうですわね。

好きな事をお知らせするのは、普通に好き、なんですわ。」

沙耶の方を見て、法子がにっこりする。

「あの丸い和紙、素敵ですわ。

ハート型なら、もっと素敵になるかしら。」

沙耶を見てから、凌牙を見てる。

「ハート型は、法子さんの好き、ですよ。

沙耶さんは丸、ですよね。」

北林さんが、ようやく法子さんと森雪凌牙さんを、沙耶に紹介してくれた。

克己復礼の方なのだ。

法子さんは、知ってる方を見つけて、そちらにアッサリと流れていってしまった。

「素直な方なんです。

思ったことを口にされるのが、少し早すぎるんですが。」

北林さんが、苦笑してる。

「ありがとうございます。

あの場をまとめるのは、私の役目なのですなのですが、余りに唐突で、返答を失ってました。」

頭をかきかき、恐縮している。

「良い方なんですよ。

初めての方には、わかってもらえないぐらい、自由なんです。

沙耶さんに、お会いしたかったのです。

僕の書は、どうでしたか。」

「心が好きです。

柔らかくて、伸びやかで。」

沙耶も頬が赤くなってるのがわかる。

「和紙を漉いている工房に、見学に行きたいんですが。

沙耶さんのご都合が良い時に、お邪魔しても良いでしょうか。」

思わず、頷いてしまった。

「何もない山の中ですが。」

北林さんが、安心したらしく、知り合いの人と話している。

森雪凌牙が、声を落として、沙耶の耳に囁いた。

「どうですか。

こっそり、個展会場に行きませんか。

沙耶さんの和紙がどんな風に飾られたか、まだ見てないんです。」

パーティー会場から、2人で抜け出す。

元々、北林さんがいれば良いのだから、アッサリと外に出られた。

個展会場は、シーンとしていて、気持ちが落ち着く。

2人で、飾ってある和紙と書を見て回る。

心の書の前に来た。

「褒めていただいて、嬉しかったです。」

「竹も、素敵ですね。」

「裏が竹林で、もっと青々していたのですが、今日の方が、僕は好きですね。

色が落ち着いてきていて。」

頷く。

「さて、帰りましょう。

北林さんが、気を揉んでたら、わるいですからね。」

個展会場の照明を消すと、白い和紙が、闇に浮かぶ。

しばらくそれを見てから、パーティー会場に、2人で帰ったが、誰も脱け出ことに気づいてもいないようだった。

北林さんは、なにやら商談してるようだし。

あの法子さんは、知り合いに、かこまれて楽しそうだった。

個展は、中々盛況だった。

近くの小学校の子供達も見に来てくれた。

目の前で、森雪の書が、売れていく。

書の描いてない和紙だけの物も、売れていって、きわめつけは天井の和紙の花だった。

法子さんが、買ってくれたのを、北林さんがにっこりしながら、教えてくれた。

外国の方へのプレゼントにするらしい。

最終日には、売約済みの短冊で、個展が成功したことが、わかる。

沙耶もこれで、山に帰られる。

森雪凌牙が、やってくるのは、雪が溶けてからの春になる予定。

雪に埋もれた紙漉き工房の周りには、冬眠をしない北のリスの足跡が、花のように薄く輝いている。

北国の爛漫に花の咲く季節が、巡ってくるのを待ちながら、沙耶は今日も、和紙を漉く。

あの日つけた和紙の名を書にして、森雪凌牙が送ってきてくれていた。

あの竹の額縁で、壁に飾ってある。

和紙には、カムイと書いてあった。

「当て字なんですが、良いですか。」

と、言われた字が素敵だった。

「カムイは、音の中に神が、いますから。」

沙耶の和紙には、可夢居と、描かれていたのだった。

今は、ここまで。

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