Film.008 リビルディング
──6時間前 鳳龍の大宮殿、150階層──
その〝礎室〟と呼ばれる場所は高さ15m程度の立方体の白い部屋だった。
礎室の中央部には高さ1メートル、幅50センチくらいの青黒い金属の結晶が部屋の中心、床から少し上のところに浮いている。
「ここに来るの久しぶりだねマスター。いつぶり? 5年くらい?」
「そうね……ミルドと眷属契約した時が最後だし、それくらいかしら」
礎室の入り口に立ち、そう感慨深げに話す【鳳龍】オリンクルシャとリネラ リーバスタビオ。
2人はしばらくの間その空間を懐かしんだ後、金属結晶に向かって歩き出した。
この金属結晶の名称はダンジョンコア。
ダンジョンコアはダンジョンの核で、ダンジョンコアがあるからこそダンジョンは発生し、ダンジョンコアがあるからこそダンジョンマスターが存在する。
ダンジョンコアはダンジョンを造るために必要な機能を備えており、ダンジョンコアが任命したダンジョンマスターに操作されることによってのみダンジョンが改築される仕組みとなっている。
ダンジョンコアが破壊されればダンジョン内に巡っていた魔素は断たれダンジョンが崩壊するし、ダンジョンコアは破壊されない限り礎室の外に持ち運ぶことは出来ない。
2人がダンジョンコアの真正面に立つと、どこからともなく無機質な声が礎室に響いた。
『おはようございます。本日はどの様な御用件でお越し下さったのでしょうか?』
2人は特に驚きもせず返事をした。
「いや〜、それがさ聞いてよコアちゃん! この前マスターに頼まれてアタシとシグレが調べたんだけどさ、最近不可侵協定結んでるダンジョンがどんどん侵攻されてんの! で、そろそろウチのダンジョンにも刺客が来るんじゃないかなーってことでダンジョン改築にやってきたんだよ」
ダンジョンマスターであるオリンクルシャを差し置き要件を述べたリネラに、しかしオリンクルシャはなにも言わず微笑んだだけだった。
『畏まりました。今回の御用件は迷宮改築で宜しいでしょうか?』
再び声が響き要件を確認し、オリンクルシャが同意した。
「ええ、いいわ」
『それでは迷宮改築設定表示を展開します。次いで改築施設一覧表示を展開します』
声が鳴り響いた後、ダンジョンコアから複数のウィンドウが空中に展開された。
ウィンドウには各階層の現在の状況や魔物の種類や数、罠の種類や数、内装の設定などなど、それと現在のDPの残量とDPで変換可能な魔物、罠、階層追加項目などの一覧があった。
DPとは、ダンジョンコアがダンジョン内の魔素を新たな神秘物質エネルギーに変え、数値化したダンジョン限定の通貨のことだ。DPはダンジョンに侵入した敵を撃滅、撃退、滞在した場合に得ることが出来る。
さらに敵の魔力量、正確には源髄の格によって手に入るDPの量が変わる。
源髄の格の高さはそれすなわち強さを表す。
仮に魔法が全く使えない【剣聖】のような剣の達人は、魔力が少なくとも源髄の格だけは高いのだ。
一般的に源髄は魔力を精製、流動させる為の器官だとされているが、魔力と関係のない身体能力に差が出る辺りそれだけではないのかもしれない。
とにかく重要なのは強敵を退けた時ほどDPの収入が増えるということだ。
そしてリネラは現在の鳳龍の大宮殿のDPを見て感嘆の声をあげた。
「へぇ〜、200万以上も貯まってるじゃん。マスターこれって凄いよね?」
「そうね、十分多いと思うわ。少なくとも50階層くらいならまるごと改築出来るんじゃないかしら」
200万以上。それは確かに多かった。
しかしこの程度なら不可侵協定を結ばず、日々冒険者の侵攻を受けているダンジョンならザラに貯まっている量でもあった。
DPは侵入者がいなければ増えないし、ダンジョンマスターの眷属は侵入者に含まれないためリネラやシグレナリア フォー、それにミルド カリリスがいくらダンジョン内で活動しようとDPが増えることはない。
それ故、階層だけで言えば世界トップクラスの深度を誇るこの鳳龍の大宮殿だが、DPに関して言えば中堅程度の量しか貯まっていないのだ。
だがそれでも不可侵協定を結んでいるダンジョンの中でこのDPは多い方だ。
その理由の1つがデイヴィッドにあった。
デイヴィッドはオリンクルシャの眷属でなければ、血の繋がりに関してはオリンクルシャとも無関係。
つまりダンジョンの基準でいえばデイヴィッドの立場は侵入者にあたり、デイヴィッドはほぼ1年間ダンジョン内部で昼夜問わず滞在していたのだ。
またデイヴィッドの源髄の格はかなり高かった。もちろん当の本人はまだ気付いていなかったが。
そういう訳で元々オリンクルシャが不可侵協定を各国政府と結び、侵入者が全く来なくなるまでに稼いだDPとデイヴィッドがいた結果増えたDPとが合わさり、200万以上。
これはオリンクルシャのいった通り50階層をまるごと改築出来る量だ。
当然のことながらあくまでそれは可能だという話であって、1階層ごとにつぎ込むDPの量が変わればその基準も変化するのだが。
ともあれわざわざ全階層を改築する必要はないのでDPが足りなくなるということはないだろうと2人は考えていた。
2人はまず現在のダンジョンの様子を確認するためにダンジョンに配置されている魔物や罠の一覧が表示されたウィンドウを覗き込む。
「ふんふん、今ダンジョンの中にいる魔物は20体未満……って少な! マスター魔物全然いないよ⁈」
「あらあら本当ねぇ。それに罠も古くなってるわ。ダメね〜、侵入者が全くいないっていうのも」
鳳龍の大宮殿が各国と不可侵協定を結び終え、完全に侵入者いなくなってから軽く100年以上。
その間ほったらかしにしていたダンジョンは見るも無惨に荒れ果てていた。魔物はいつの間にか死に絶え、罠は朽ちていた。
これでは不可侵協定が無視された時、オリンクルシャ達の身を守るものは150というデタラメに深い階層と、迷路のような通路だけだ。
リネラはそんなありさまのダンジョンを見てオリンクルシャに言った。
「やっぱりここはいったん元通りにしてから改築したほうがいいよ、DPも沢山あるし」
現在の鳳龍の大宮殿は朽ちた巨大な廃墟のようなものだ。
もしそこに砦を作りたいなら、廃墟を修繕するより1度潰して更地にしたほうが長持ちする。
オリンクルシャもその考えに同意した。
「そうねぇ。それじゃあ、今いる魔物とまだある罠、それに餌は全部消してキレイにしたほうがいいわね」
オリンクルシャはそう言うと、ウィンドウを操作し残っていた諸々を消し去った。
あとには迷路のような通路と150の階層だけとなり、ダンジョンというより地下宮殿というほうがふさわしい状態になった。
オリンクルシャは魔物や罠、侵入者を呼び寄せる餌の役割であるアイテムを全て消したがダンジョンそのものの構造は変えなかった。
鳳龍の大宮殿はダンジョンにしてはやけに凝った荘厳な内装と、迷路のように複雑に通路が入り乱れ枝分かれしていて、それはまるでサンタナの街並みをそっくり城のなかに詰め込んだみたいだ。
しかしいくら複雑な構造のダンジョンでも魔物と罠がなければ意味がない。
この2つ、特に魔物は早急に配置するべき要素だった。
そこでリネラがオリンクルシャに訊いた。
「それじゃあマスター。新しいダンジョンはどんな感じにするの? やっぱりドラゴン関係?」
ダンジョンの魔物は必ずというわけではないが魔物の種族を統一していることが多かった。そういった制約があるわけではないがいつの間にかそういう認識ができていたのだ。
オリンクルシャはリネラの問いかけに首を横にふった。
「いいえ。確かに私は朧龍種だけど、だからと言ってドラゴンにこだわりがある訳じゃないわ。それにドラゴンって大きくて狭いダンジョンじゃ不利じゃないかしら?」
「あ、確かにそうかも。じゃ小回り利いてすばしっこいのかぁ。昆虫系とか」
「良いんじゃないかしら。でももう少し捻りが欲しいわぁ。虫のダンジョンはいっぱいあるから」
2人はダンジョンに美学を求めていた。
200万DPもあれば、実のところ絶対不落に限りなく近いダンジョンを作ることも可能だった。
例えばの話、侵入者を密室に閉じ込めて1年程幽閉することも可能だ。
ダンジョン内部の酸素をなくすことも出来なくはない。
そこまではいかなくとも毒ガスや礎室から侵入者の動向を監視し、相手の実力に見合った魔物を送り込むこともしようと思えば簡単に出来る。
しかしそれはダンジョンではない、と2人は考えていた。
魔物は1階層から徐々に強くなっていくべきだし、ただ単純に侵入者を殺す為の階層はあってはならないし、侵入者を監視して魔物を送り込むべきではないし、知恵と勇気と技術と努力と才能と実力と協力を持ってしても打破出来ないダンジョンは作るべきでないと。
またそれが、ダンジョンマスターとしての義務であり生き甲斐であり楽しみであり、誇りであるから、とそういう意志を持っていた。
だからこそ2人は難攻不落のダンジョンを目指すのではなく、2人が美しと思うダンジョンを目指し話し合うのだった。