Film.006 アグリーメント
ミルド カリリスはデイヴィッドにとってただただ便利キャラだった。
そうデイヴィッドが認識したのは赤子のデイヴィッドに律儀な挨拶をした後、魔法についてミルドが語らい始めてから。
魔法理論の説明が終わるころにはデイヴィッドのミルドに対する評価は変人から便利キャラになっていた。
後半が明らかに子供相手の説明でなかったあたり、子供の扱いが苦手なことがデイヴィッドにもまるわかりだった。
だがそんな、普通ならば理解できないミルドの話をデイヴィッドはある程度理解していた。
なかなか専門用語が多く聞きとりそこねた場所もいくつかあったが源髄について知れたのはデイヴィッドにとって大きな収穫だった。
もしミルドがいなければ、そして魔法についてあれほど懇切丁寧に解説してくれていなければ、デイヴィッドが魔法の原理について知るのは数年は後になっていただろう。
デイヴィッドとしてはなるべく早く魔法を使いたかった。
今までは魔法というかっこうの遊び道具が目の前にあるにも関わらず、お預けをくらっていた状態なのだから。
前世にはなかった遊び道具。使いたい気持ちはやまやまだった。
そしてミルドの登場はまさに暗雲に刺した希望の光だった。
ミルドは今なお得意げに、講義をする教授のように身ぶり手ぶりを加えて話を続けていた。
「魔法といえば、その起源は今は滅びし英知の種族、古代種が世界各地に魔法という概念や使い方を広めたらしいよ。まぁ詳しいことは僕も知らないんだけどね」
ミルドはとうとう魔法の起源について語り出していた。
さすがにそこまでの情報を求めていなかったデイヴィッドは、いい加減あきれ始めていた。
だが一方のミルドは最初のオドオドしてどもりまくっていた頃と大きく変わり今やかなり上機嫌で饒舌になっていた。
だからミルドはデイヴィッドの内心など一切くみとらず話をつづけた。
「古代種は高度な文明と知識を持ってたらしいよ。今でも古代種が造った魔導具は現代魔導具の数十倍の値が付くし、文献に残された彼らの魔法技術は現代魔法の遥か先を行っていた。
あそうそう、僕達が今いるこのダンジョンのシステムを作ったのも古代種なんだって。凄いよねぇ」
若干ミルドの話を聞き流していたデイヴィッドは、ミルドの何気ないひと言に即座に反応し耳を疑った。
デイヴィッドはここがダンジョンだと今まで知らなかった。
普通の家ではないことはある程度わかっていたが詮索することもしなかったし、詮索する必要はないと思っていたからだ。
しかしいざ答えをえると数々の疑問が湧いてきた。
デイヴィッドの認識では、ダンジョンとはRPGやネットノベルに出てくる魔物が湧く迷宮のことで、この世界でもだいたいこの認識であっているだろうと思った。
そこでデイヴィッドはようやく自分が今までずっとダンジョンに住んでたということに気がついた。
デイヴィッドはその結論に冷や汗を流す。
なにせダンジョンはどう考えても危険な場所のはずだ。
今のデイヴィッドではスライムにでさえなぶり殺しにされてしまう。
現在デイヴィッドは自衛手段など魔法は勿論、物理的な手段でさえなにもなかった。
逆に今までよく死ななかったなデイヴィッドは関心さえした。
しかし冷静に考えるとここがダンジョンであるということはなかなかに信じ難かった。
なにせデイヴィッドはこれまで1度たりともモンスターのような生き物どころかリネラ達以外のヒトさえ見たことがないからだ。
ミルドの話が間違っている、もしくはこの世界のダンジョンとはそれほど危険なところではないと考えるべきだ。
それにダンジョン内部とはいえどデイヴィッドはこの部屋から出たことがなく、それだけでは判断の使用が難しかった。
確かに言われてみれば、この部屋もボス部屋のような神秘的な雰囲気はあるのだが。
と、そこまでデイヴィッドが考えた時、ミルドが再び話し出した。
「ダンジョンが一体なんなのか……古代種が作ったらしいけど仕組みも存在理由もほとんど知られてないね。だから僕もあんまり詳しくないし。ダンジョンについてはマスターに教えてもらったら方がいいね。
マスターはこのダンジョンのダンジョンマスターだから」
最初、デイヴィッドはミルドのその言葉が冗談だと思った。
だがミルドの表情は嘘をついているようには見えなかったし、そんな冗談を言う理由も見当たらなかった。
とはいっても、いきなりそんな重大な情報を暴露されれば混乱もするだろう。
デイヴィッドにとってオリンクルシャがダンジョンマスター、つまりダンジョンの最高責任者だという話は素直に信じれなかった。
あまりに突拍子のない話だ。
そんなデイヴィッドの懐疑的な表情でなにかを思ったのか察したのか、ミルドは説明を開始した。
「デイヴィッドくんのお母さんで僕のマスターである【鳳龍】オリンクルシャ様は数百年前からここのダンジョンでダンジョンマスターをやってるんだ。マスターは、当時10階層しかなかったダンジョンを攻略してマスターになったんだって。それからマスターは今僕達がいる全150階層のダンジョン、鳳龍の大宮殿を造りあげたんだよ。さらにダンジョン製作と並行して各国政府に不可侵協定を結んでたらしいよ。
僕がマスターの眷属になったのは5年くらい前だし、今いったことは全部シグレ先輩に聞いた話だから、もしかしたら違うかもだけど。って、僕なんでこんなこと話してるんだろ。どうせ僕の話なんて理解出来てるはずないのにね」
ミルドは一通り話し終えてから、自分が子供相手に小難しい話を熱弁していたことに気付いたらしい。
実際のところデイヴィッドはミルドの話を理解していたし、かなり役に立っていたのだが、勿論ミルドがそのことを知るよしはない。
デイヴィッドにとってミルドの話は知識の宝庫だった。
魔法理論もそうだが、それよりもこの場所がダンジョンだという情報やオリンクルシャの名前を知れたのが大きかった。
デイヴィッドやはりミルドは便利だと再認識した。
それはそうと、ミルドは講義モードから通常モードに変わった途端何も喋らなくなった。
そしてそうなればデイヴィッドもすることはなくなってしまう。
普段は筋トレもどきの運動でハイハイの練習をするのだが、ミルドの目の前だと変に思われるのではと警戒していた。
となると後は寝るくらいしかすることがなくなるのだが特別に眠くもなく。
ただひたすらに退屈でヒマな時間が経過した。
こういう時、デイヴィッドは無性に赤子の身体が憎たらしく思われた。
普通の子供ならそんなことは思わないだろうが、なまじ記憶があり思考が出来る分なにも出来ない自身の身体がひどく鬱陶しく感じていしまうのだ。
デイヴィッドが暇そうに座ってる間ミルドはなにやら考えているらしく、目を閉じウンウン唸ってた。
そしてしばらくした後、意を決したようにデイヴィッドの目を覗き込んでこういった。
「ね、ねぇデイヴィッドくん。本読み聞かせてあげようか? ぼ、僕が持ってるの魔導書しかないけど……」
デイヴィッドはすぐさま魔導書という言葉に興味を惹かれた。
デイヴィッドはミルドに向かって興味津々に目を輝かせ、声にならない声をあげ精一杯の意思表示をおこなった。
魔導書なら文字も覚えられるし魔法についても詳しく知れるという考えから、デイヴィッドは魔導書の読み聞かせをせがんだのだった。
そうしてデイヴィッドは、数時間経ってとうとう睡魔に負けるまで、ミルドに魔導書を読み聞かせてもらっていた。
やはりミルドは便利キャラの鑑のような存在だった。
◆
ミルドはデイヴィッドに魔導書を読み聞かせることで、なんとか気まずい空気をしのごうとした。
その目論見は成功し、デイヴィッドは思いのほか食い付いて3時間は読み聞かせをしていた。その後デイヴィッドは泥のように眠り、その天使のような寝顔にミルドの心は癒された。
魔導書は魔導媒体、つまり鍵の1つだ。
魔導書は魔力を流すと詠唱の代わりを果たす便利なもので、数は少なく値段は高い。オリンクルシャに貰わなければミルドが魔導書を見ることは生涯なかっただろう。
魔導書は本来魔力を流して使うものだが、魔導書のページには魔法の詳しい説明や詠唱の代わりになる詩のような文字列がたくさん書かれている。
デイヴィッドは当然字が読めないのでミルドが読み上げていたがデイヴィッドはまるで文字を覚えるかのように魔導書に釘付けだった。
ミルドは気付けばデイヴィッドに文字を教えていた。
もちろんそれがバカらしいことだということはミルド自身わかっていた。
今も、まだ生後1年に満たない子供に対し得意げに魔法の話をしたことを思い出してミルドは顔が赤くなった。
だがミルドは、デイヴィッドが喜んでいたからいいだろうと気持ちを切り替える。
喜ぶデイヴィッドを見ているとミルドは自分まで楽しくなっていことに気付いた。
だからミルドは、デイヴィッドにもっと喜んでもらおうと文字を教えてたのだ。
そしてミルドはその時に気が付いていた。
ミルドが、デイヴィッドのことを気に入っていたんだということに。
元々オリンクルシャの養子を嫌うことはなかっただろうが、それでもミルドは子供が苦手だ。
だがデイヴィッドのことはいつの間にか苦手意識もなく、まるで普通の人と接するよう話しかけていた。
デイヴィッドはとても落ち着いていて、泣きもしなければ子供特有の意味不明な行動も一切しない。
ホントに手がかからなかった。
それにミルドはデイヴィッドの瞳に、確かな知性が宿っているのを見た。
ミルドからすればデイヴィッドは不思議な子供だった。
だがミルドはそんなデイヴィッドと接するのが楽しかった。
普段のようにオドオドすることもなく、ミルドの話をちゃんと聞いてくれる……ように感じたから。
ともかくミルドは、デイヴィッドに対し友情のようなモノを感じていた。
年の差は大きく、相手はまだほんの子供だったが……ミルドはこれからもデイヴィッドの側で遊びたいと思ったのだった。
◆
──大亜連合、白羅州
大亜連合総合参謀本部──
大陸の端。湿った潮風が海の香りを運ぶ海岸の、赤褐色の瓦屋根と木造の平屋がならぶ穏やかな街。
その郊外に、砦のような分厚く威圧的な壁に囲まれた六芒星型の建物があった。
大亜連合にある全軍のアタマである施設。
シグレナリア フォーはその一室にいた。
シグレナリアとデスクを挟んで向き合い座っていたのは70代の白髪が疎らに見える老人。
老人とは言っても少年のような純粋な蒼眼と、鍛えぬかれた身体から老い朽ちたイメージはチリほども抱かなかった。
シグレナリアは老人に向かって軽く会釈をした後話し出した。
「お久しぶりですジューゾー中将。相変わらずお元気そうですね」
「ハッハッ! 俺も君に会えて嬉しいよ、シグレナリア君。君も相変わらず小っさいね」
「よ、余計なお世話ですよ。それに私はまだ成長期ですから!」
久しぶりの会話でシグレナリアが最も気にしている身長について触れるあたり、このヒトは昔と変わらないのだろうとシグレナリアは思った。
陸軍特殊作戦実行魔導士部隊。通称、陸特魔導隊はシグレナリアの古巣であり、ジューゾーは当時のシグレナリアの上司にあたる人物だ。
陸特魔導隊は大亜連合にある陸軍の特殊部隊だ。
国内外を問わず更には規定の枠をも超えて敵を撃滅する〝死の部隊〟。
「それにしても君が大亜に帰ってくるとは思わなかったよ。あれほど軍を憎み嫌っていたからてっきり俺のことも嫌ってると思ってたし」
「まぁそうですね。軍では良いことも悪いこともありましたし、あの時は連合そのものに失望していましたが……時間は良くも悪くも変化をもたらしますからね。ここに戻って来るのにも別段抵抗もありませんでした。
あ、ジューゾー中将のことは今も昔も嫌いですよ? 尊敬はしてますが」
「えぇっ、ヒドいなぁ」
ジューゾーはオーバーなリアクションで悲しむがセリフが棒読みだった。
シグレナリアはそんなどこまでも彼らしいリアクションに呆れながらも口角が自然とつり上がっていた。
シグレナリアはそんな時間が、少し心地良く感じられた。
しかしその時間は次のジューゾの言葉で終わりを告げた。
「まぁいいや。それでシグレナリア君は、これまたどうして嫌いな俺なんかに会いに来たんだ? 昔話しに来ましたって柄じゃないしね、君は」
ジューゾーが、それこそ柄にもなく真剣な顔でシグレナリアに訊ねた。
ジューゾーの問いにシグレナリアは先程までの緩んだ表情を引き締めてジューゾーに答えた。
「……はい、それでは率直に伺います。
近年、不可侵条約を結んでいるダンジョンに侵攻しているのはあなた方大亜連合ですか?」
シグレナリアの質問に、ジューゾーはしばらくの間沈黙し、やがてどこか悲しげな笑みを浮かべながらこう言った。
「悪いな、機密事項だ」
シグレナリアは当たって欲しくなかった予想通りの答えに落胆の表情を浮かべそうになった。
だがなんとか失意を表に出さずにやり過ごした。
「……そうですか、分かりました。それなら話は以上です。本日はお忙しい中時間をいただきありがとうございました。またいずれお会いする機会があれば……その時はお茶でもしましょう」
「そうだな。また会えることを祈っとくよ」
そうしてシグレナリアは席を立ち部屋を出た。
シグレナリアは建物を出るまで終始うつむき足早に歩いていた。
機密事項……答えたも同然だった。
本当に条約無視の侵攻をしていないのであればしていないと答えるし、何よりシグレナリアはジューゾーの反応で確信していた。
普段ならおちゃらけてふざけるはずのところを、似合わない真顔で答えてきたのだ。
大亜連合は黒。
オリンクルシャの予想通りだった。
この分だとリネラの方も同様だろうとシグレナリアは思った。
しかしシグレナリアはジューゾーの反応から、不可侵条約を結んだダンジョンに対する武力侵攻は不本意と見た。
少なくともジューゾーの指揮下による作戦ではないだろうとも。
となれば侵攻は別の組織の作戦だ。
しかも大亜連合の軍幹部さえ黙って見て見ぬふりをする巨大なバックアップ。
容易に想像がついた。
ダンションを相手にして最も利益があり、かつ世界中でその戦力をのばす武力組織。作戦を画策したのは組織の幹部らだろうから迂闊に軍も手は出せないのだ。
建物を出ると強烈な潮風がシグレナリアの髪の毛を乱した。
絡まる髪をかきあげてシグレナリアは風の吹いた方を見ながら愚痴をこぼす。
「はぁ…………本当に面倒なことをしてくれます、冒険者ギルドというのは」
その呟きは夕暮れの空へと吸い込まれ、誰にも知られることなく消えていった。