Film.004 ファミリー
──セレスナ共和帝国、帝都セレスナ
国家治安維持局本部──
セレスナ共和帝国は元々武力侵攻により18の国を支配した巨大帝国、旧セレスナ帝国を起源とする主権国家だ。
共和と称するその理由は主権国家体制に移行する際、共和議会という18国からそれぞれの代表を選挙で選出する内閣政府を制定したためである。
だからといって民主主義かと問われればはなはだ疑問で、議席のほとんどは諸侯貴族と一部の金持ち商人が握っているし、あらゆる権限をもった国の最高責任者である皇帝は選挙によって選ばれる、とされながらその一方で現皇帝による指名推薦が優先される。
建国から600年。未だ旧セレスナ帝国の皇帝血族以外で皇帝の座に座ったものはいない。
ようするに平民の意見は大抵反映されない政治形態。
そんな身分階級制度が根強く残る体制にあって、貴族家以外の出身から官僚になった者が3人いた。
その3人のうちの1人。
陸軍の出であり、先の戦争で功績を挙げて国家治安維持局局長になったこの男、ハドルド ブラウンは不機嫌に手元の書類を眺めていた。
ハドルドは見ため30代の屈強な体格の持ち主で、いかにも軍人らしい厳しい顔つきに短く切り揃えられた茶髪と鋭いブラウンの瞳。
普段から狼のような鋭さを持つヒトだが、書類とにらめっこするハドルドの姿はより一層近づきがたかった。
ハドルドの持つ書類はどれも、国内で他局が起こした問題の尻拭い報告だった。
中でも第2騎士団がやらかした問題が大半を占めた。
治安維持局のおもな仕事は名のとおり国内の治安維持だ。
そのために各所に支部と駐屯署があり、独自の情報共有網により問題が発生したところへ治安部隊を送り込む。いわゆる警察。
そして第2騎士団は皇族の軍。
騎士団はその大半が貴族家出身で構成されているが、第1騎士団と違い第2騎士団は最悪も最悪だった。
第2騎士団は、親から厄介払い同然に入隊させられたボンボンで頭の悪い、そのクセに妙なプライドと自信の塊で出来た旧貴族のクソガキが集まった部隊だった。
そんな集団だから当然、第1と違い重要な任務は与えられない。そして出世しない。だが欲だけはある連中。能もないのに出世したがり、たりない頭で馬鹿なことを考えては問題を起こす。
ハドルドにしてみればまさに悪夢みたいな集団だった。
しかもその後始末は治安隊で、ハロルドのストレスの大半は第2騎士団から発生していた。
ハドルドはあらためて湧いてくる第2騎士団への殺意をなんとか抑えて考えた。
それにしても何故いまさらそんなことに怒っているのだろうかと。
第2騎士団が問題を起こしたのはなにも今に始まったことじゃない。
前々から、特に平民上がりのハドルドが治安維持局のトップになってからは毎日嫌がらせのように問題が起きた。
だからハロルドはもう慣れたと思っていた。
ハドルドはしばらくそのことについて考えて、やがて答えに行き着いた。
ハドルドは近くを通りかかった局員の1人に質問した。
「おい、なんで今日ミルドはいねーんだ?」
ミルド カリリス──……ハドルドの秘書であり参謀であり右腕。
いつもなら、ハドルドに来る書類のほとんどがミルドによって処理され、わずかに来る書類も要点の確認とサイン。
治安維持局局内でミルドが影の支配者であることは周知の事実だった。
だからこそミルドがいない今日、ハドルドの机はミルドと言う名のフィルターなしで届く第2騎士団の書類であふれていたのだ。
ミルドがいないのは大問題。ハドルドに質問された局員もそのことは重々承知していた。
だから局員は憐れみをふくんだ目でハドルドを見ながら、昨日ミルドに聞いた話を伝えた。
「局長。ミルドさんは……〝母親に頼み事をされたのでしばらく出勤しない〟だそうです。本当にご愁傷様です」
その日、治安維持局にハドルドの悲痛な叫び声が響き渡った。
◆
──鳳龍の大宮殿、140階層──
デイヴィッドがここに来てから8ヶ月が経った。つまりデイヴィッドは生後8ヶ月になったということだ。
拾われてから1度も外に出たことのなかったデイヴィッドには季節の移り変わりなどわからなかったが、心なしか部屋の温度が低くなっているように感じた。
赤子の身体と異世界の生活に慣れはじめてからの日々は思い返すと長いようで短かった。
デイヴィッドの外見は確実に変化していた。成長したのだ。身長がかなりのび、前までのずんぐりとした様子と比べればいくぶんかマシになったし、髪も増えた。
髪はオリンクルシャにソックリなサラサラとしたプラチナブロンドで、瞳は青色に輝く宝石のよう。
そしてこの8ヶ月間でデイヴィッドはとうとうこの世界の言語を覚えていた。
英語が苦手だった割に8ヶ月で全く知らない言語をマスターできたのは実際かなりすごいと思った。
前世の記憶を持ち越したおかげか、はたまた新しい脳ミソが優秀だったからか。おそらく両方あるのだろう。
とにかく言葉が理解できるようになり、わかることが増えた。
リネラ リーバスタビオとシグレナリア フォーの名前や、この世界のことについてもいくつか情報を得ることができた。
ただしデイヴィッドは未だに、義理の母である【鳳龍】オリンクルシャの名前は知らなかった。
しかしそれは仕方ないことだろう。
リネラとシグレナリアはオリンクルシャをマスターと呼ぶうえに、オリンクルシャがデイヴィッドに自身を指す場合はママというのだからオリンクルシャの名を知る機会などなかったのだ。
ちなみにデイヴィッドは既にこの3人を家族だと認識していた。
8ヶ月間側にいて、悪戦苦闘しながらも色々と世話をしてくれたのだ。そういう関係にある以上、デイヴィッドはそれは家族だと思っていたし、だから3人のことを何の違和感もなく家族だと受け入れていた。
ついでにデイヴィッドは自分を捨てた母親の顔をすでに思いだせなくなっていた。
そして自分を育ててくれた3人に比べれれば生みの親のことなどどうでもよくなっていた。
しかしデイヴィッドは家族と認めるその3人についてあまり多くを知っているわけではなかった。
茜色の目、赤茶色の髪とキツネ耳と尻尾を持った少女……リネラについて知っていることといえば、この世界で獣人種と呼ばれる種族であることだ。
確かに顔立ちや雰囲気といったものはどこか狐っぽかった。
リネラは仕事の時はメイド服を着ていたが、普段はTシャツにショートパンツと、かなりラフな恰好をしておりデイヴィッドからすれば完全に目の毒だった。
なにせリネラはデイヴィッドがこれまで見たことがないほどの巨乳だ。
はち切れんばかりに押し出されたソレは性欲がなくとも大変魅力的で、デイヴィッドとしては頼むから自重して欲しかった。
リネラは結局、デイヴィッドの世話役になっていた。
それまでもメイドとしてあくせくしていた上にさらなる仕事。次にリネラがショートケーキを食べれるのはいつのことやら……
それはともかく、リネラはお喋りだった。
デイヴィッドは8ヶ月という短い期間で言葉が覚えられたのはリネラのおかげかもしれないと考えていた。
シグレナリアはリネラからはシグレと呼ばれている青髪の森艶種で外見は幼女。 しかしリネラの談によると、シグレナリアの実年齢は60歳のロリババアらしかった。
森艶種は精霊種の恩恵で1000年近く生きることができる。
流石は長寿のエルフだなぁとデイヴィッドは現世の知識もありとくに疑問に思わず納得していた。
ちなみにシグレナリアはその昔、大亜連合という国の軍人だった。
そしてオリンクルシャ。
デイヴィッドは3人のなかでも殊更オリンクルシャに関して知っていることがなかった。
分かることといえば慈愛と威厳に満ちているが、リネラとシグレナリアがいない時は寂しがり屋の子供みたいだということ。
プラチナブロンドが綺麗な美人だということ。
リネラとシグレナリアからはマスターと呼ばれていることくらいだった。
結局、デイヴィッドは3人の素性なんてよく知らなかったし、このドーム型の部屋がなにかも知らなかった。
もしデイヴィッドが流暢に喋れたのなら色々と訊けたのだろうが、まだ滑舌がよくなかった。
だがデイヴィッドは3人の素性や過去のことをあまり気にしていなかった。
それを知っても知らなくてもデイヴィッドにとって3人は家族なのだ。
知らない世界で死にかけていたところ拾ってもらい、育ててくれた果てしない恩があった。
最後にデイヴィッドはこの世界に魔法があることを知った。何度かシグレナリアが魔法を使っているところを見たからだ。
なにもない空中から水が出たり、指先から突然火がでたりといった、正直ショボい魔法ばかりだったがそれでもやはり感動した。
魔法といえばファンタジーの代名詞的存在といっても過言はなく、そんな摩訶不思議にデイヴィッドはすぐ影響を受けた。
だがなにせ何も知らないデイヴィッドにはどうすれば魔法が使えるのかわからなかった。
恐らく魔力が必要なのだろうと推測したが、そもそも魔力がなんなのかという話だ。
文字通り魔法を使うための力なのだろう。
だがそういった魔力やマナといった超常エネルギーは目に見えないのが常だ。
ならばどうやって感知すればいいのか。
そもそもこの推論も前世のサブカル知識を基にしたものだ。あっている確証もない。
もちろんデイヴィッドも努力はした。
瞑想したり、血流をイメージして魔力を流そうとしたり、丹田に意識を集中させたりしたりと。思いつく限りを試行錯誤したがすべて無駄だった。
結果、デイヴィッドはいい加減見切りをつけ、最近はその無駄な試行錯誤の時間を筋トレの時間にシフトチェンジした。
筋トレといっても腕立て伏せや腹筋ではなかった。
足や腕をバタバタしたりするだけだが、それでも実際やってみると体力を消費する。
デイヴィッドはこうすることでなるべく早く歩けるようになるかなと期待していた。
1ヶ月程前にやっと1人で座れるようになり、今はハイハイの練習中だ。
筋トレの成果があったのかどうかは正直わからないがそこは気持ちの問題だ。
そしてデイヴィッドは筋トレと同時に、早く喋れることができるように口を動かしたり笑ったりを繰り返し顔の筋肉も鍛えていた。
恐らく表情筋やその辺りの筋肉が発音に関係があるだろうという判断からだ。
「デヴィく〜ん。今日はママが遊んであげるね〜」
デイヴィッドが口をパクパク動かして筋肉を刺激していると幼げな口調の声が聞こえ、直後に満面の笑みを浮かべたオリンクルシャの顔が見えた。
部屋にはリネラもシグレナリアもいない。
そういう時のオリンクルシャは決まって幼児退行化した。
言動が幼くなりいつもの威厳とした感じが全くなくなるのだ。
それはデイヴィッドが、実はオリンクルシャが二重人格者なのではないか、と疑うほどの変貌だった。
オリンクルシャはデイヴィッドが口を動かしているのが気になった。
「あれ? お口パクパクさせて……お腹空いたの? でも離乳食はリネラがいないと作れないし……どうしよ……」
オリンクルシャがオロオロしだすがデイヴィッドは別に腹が減っていたわけでもないし、さらにリネラがいなければ本当に家事とかどうするのだろうか、とオリンクルシャの家事スキルの低さに哀れみをおぼえた。
「し、しかたないなぁ。ゴメンねデヴィくん、今はミルクで我慢してね?」
そういって服を脱ぐオリンクルシャ。
ちなみにオリンクルシャはリネラがいなければ自分ひとりで服を脱ぐことも難しい。もはや家事以前の問題だ。
今もパジャマのボタンを外せず若干涙目になっている。
「っふぅ〜。やっと脱げた。はい、ご飯ですよー」
ながらく悪戦苦闘した後、オリンクルシャはそういって露わになった乳にデイヴィッドを近付けた。
デイヴィッドととしては空腹でもないのに授乳を受ける気分にはなれなかったものの、わざわざデイヴィッドの為に苦労してくれたオリンクルシャに対して申し訳ない気持ちもあり、結局甘んじて受けることにした。
まぁ授乳の為に服を脱ぐ必要性はないのだが、そのことを伝える術は当然ない。
仕方なく授乳を受けるデイヴィッド。
8ヶ月も授乳を受け続けただけに手慣れたものだ。
元々そんなに腹が空いてなかったのですぐに腹がふくれ、ついでに全身があったまると同時に眠気が襲ってきた。
毎度授乳の後はこうなるが、子供の身体は食事をするとこうなるのだろうとデイヴィッドは既にそう結論づけていた。
そして満腹になったことで眠りにつこうとしていたその時、突然扉が開き声が聞こえてきた。
「た、ただいまです……ってうわあぁああ! マ、マスターなななななっ、なんで服着てないんですかぁ⁈」
突然部屋に響く騒音。
デイヴィッドは自分の眠りを妨げた存在に不快感を示しながら、犯人を確認するべく顔を横に向けると、なにやら取り乱して叫んでる人間種がいた。
その人間種は20歳くらいの、癖毛で艶やかな黒髪とタレ目気味な緑眼をした見るからに気の弱そうな青年だった。性別が中性的な顔立ちで分かりずく、声の高さも身長もどちらと断言できなかった。
よく見ると細い身体だが意外とガッシリしてるので男だろうとデイヴィッドは判断した。
「あ、おかえりミルド。悪いんだけど服を着せてくれないかしら。自分じゃなかなか着れなくって……」
「ふぅええぇぇええ! ぼ、僕はお、男ですからムリですぅ! そ、それと自分で着れないならなんで服脱いだんですかぁあ‼︎」
大声でわめくミルドという名の人物にデイヴィッドは嫌気がさした。
いちいちの反応が大きく、デイヴィッドからすれば眠りをさまたげるアラームのように感じられた。
それとどうやら男で間違いなかったらしい。
ミルドの反応とは正反対にオリンクルシャは威厳として落ちついた態度で応対していた。
「この子にご飯あげていたの。あ、ミルドは始めましてだったわね。この子はデイヴィッド。私の子供よ」
「マ、マスターのこ、こここ子供ぉお⁈ そ、そんにゃあ〜……」
バタンッ、となにやら倒れる音がして、見るとミルドが泡を吹いて倒れていた。
デイヴィッドは一連の流れの慌しさについていけず、何なんだこいつはと思った。
気絶して床に倒れたミルドと、それを冷めた目で見つめるデイヴィッド。
それが2人の邂逅だった。