Film.001 ショートケーキ
──東海大陸 セレスナ共和帝国
オールディヤ王国、サンタナの街──
それは石造りのアパートと酒場が無秩序に詰めこまれ、階段と坂が縦横無尽に交差する複雑な街並みが特徴の、辺境にしては活気のある街でのこと。
時刻は昼前。サンタナにある数少ないメインストリーの1つをメイド服姿の少女が歩いていた。
少女の名前はリネラ リーバスタビオ。
見た目16〜17歳くらいで、服の上からでもその存在をはっきり主張する胸をもち、丸くぱっちりとした目に瞳は燃えるような茜色。
鮮やかな赤茶色で肩に少しかかるくらいのストレートヘア。
そこからのびるキツネ耳と、メイド服からはみでてゆれるキツネの尻尾が獣人種であることを示している。
サンタナの南方にあるイール大森林、そこで暮らすリネラにとって、文明的で人々が往来するサンタナは何度来ても新鮮な面白みがあった。
リネラは月に2〜3度、サンタナをおとずれていた。それは主に食料の調達のため。代金は物々交換。
しかし今回は私的で特別な用事をかかえてやってきたていた。
本日サンタナに来た目的。
それはちまたで噂の〝ショートケーキ〟なるお菓子を食べるためだ。
リネラははやる気持ちをおさえながらも、お気に入りの喫茶店へと足速に向かった。
メインストリートから外れ、サンタナ特有の複雑な小道を進み、さらに人っ子ひとりいない裏路地に迷いこむとその店はあった。
メインストリートできこえた喧騒はなくなり、静寂が支配する裏路地。
そこにひっそりとたたずむその喫茶店はこじんまりとしており、メニューは少ないく他所より少し高めだが店内の雰囲気や味はよく、リネラは隠れた名店だと思っていた。
リネラは古めかしい木製の扉を押して店に入った。
「いらっしゃいませ」
「ハーイ、オジちゃんひさしぶりー。元気してた?」
「おや、リネラさんでしたか。ええ、かわらず元気ですよ」
リネラはなじみの店主に挨拶をする。
人柄のよさそうな初老の店主はリネラを見やるとうれしそうな驚きを一瞬みせて、しかしすぐにいつもの柔和な笑みを浮かべてリネラに挨拶を返した。
リネラは店内の奥へと移動しながら、店主の答えに満足げにうなづく。
「それはよかった! この街ってお酒はおいしいけどコーヒーはオジちゃんとこ以外ダメダメだからね。そうそう、オーダーはショートケーキ1つ‼︎ あとコーヒー、ミルク入りで!」
店主は静かに微笑むと、かしこまりましたと言って作業を始めた。
リネラは窓際奥のテーブル席に腰掛けた。
窓からはここの店主が趣味で育てている色とりどりの花が鉢植えの中で立派に咲き誇っているのが見えた。
ケーキとコーヒーは5分もせずに出てきた。
乳白色のクリームがたっぷりと乗り、スポンジの間にはイチゴがふんだんに盛りこまれたシンプルだが洗礼されたフォルム。
リネラは目を輝かせながら飛びつくようにその魅惑の食べ物をフォークで刺して口に入れた。
その瞬間、リネラに衝撃が走った。
リネラはこれほどまでに甘くおいしい食べ物を食べたことがなかった。
リネラは脳がトロけるような感覚を噛み締めながら味わって、しばしだらしのない笑顔を浮かべてボーとしていた。
しかしそんな幸福な放心状態も長くは続かなかった。
「1人抜け駆けして美味しそうなもの食べてますね」
「うっひゃア⁉︎」
突然間近からかけられた声に、リネラは驚きのあまりマヌケな悲鳴をだした。
慌てて声の主を探すと、いつの間にかリネラの右側に立っていた幼女に気がついた。
幼女の外見年齢は7歳くらいで白色のワンピースがよく似合っている。
長いまつげとツリ目気味の目、サファイアブルーの瞳、薄藍色のロングヘアの隙間からは尖った耳が見えた。
そして無表情で少し厳格そうな森艶種の幼女はリネラのむかいに座り、自分もショートケーキを注文した。
「あ、シグレも頼むんだ……まぁいいけど」
「ここまで来たんです、もちろん食べます。それはそうと本題です。〝マスター〟にサボりがバレました。すぐに帰ってきてください」
リネラにシグレと呼ばれた森艶種の幼女、シグレナリア フォーはそう告げた。
サボりとはつまり、リネラは彼女のボスに無断で仕事を休み、サンタナにこうして遊びに来ていたということだ。
だからそれを聞いたリネラは苦笑いを浮かべた。
「バレちゃったかー。うまいこと抜け出せたと思ったんだけどなぁ」
リネラは現実逃避とばかりにショートケーキをまたひと口食べた。
リネラはその存在を聞いた時から、どうしてもショートケーキを食べたかったのだ。
もちろん、最初の頃はガマンした。食べ物よりも仕事を優先するべきだし、べつに時間のあるときにでも食べればいいと思ったからだ。
しかしそんなヒマなどなかったのだ。だから仕事をサボってしまった。
リネラの頭の中では言い訳や誤魔化しの言葉が浮かんでは消えていき、最終的に早く帰り素直に謝る、が最善だという結論に至った。
「シグレは?」
「私もケーキを食べたらすぐに帰ります」
「いやいやダメでしょ。なんでアタシは即行帰宅でシグレはのんびりケーキ食べてていいと思ったの?」
「私の仕事はリネラに帰宅を命じることです。その仕事を先ほど終了しました。リネラは仕事を終えていません。だからです」
リネラはシグレナリアの意見に一瞬納得しかけた。
しかしリネラはショートケーキを食べれず、これから仕事に向かい、シグレナリアは優雅にショートケーキを食べてのんびりとするのだと考えればやはり不公平、不平等だと思った。
だからリネラは結局ショートケーキを食べ終えてからマスターの元に帰ることにした。
「怒られても知りませんよ?」
シグレナリアの言葉を無視し極上の味を楽しむリネラ。
どのみち怒られることは決まりなのだ。
ならばこの至福の食べ物を最後まで味わった方が得だとリネラは判断した。
最終的に2人は同時に食べ終わり、この後特に予定もなかったシグレナリアはリネラと共に家へと帰ることにした。
2人がマスターと呼ぶ存在はイール大森林の奥地に住んでいた。
そのうえそこは2人の家でもあった。
イール大森林はサンタナよりも南側に位置する巨大な森の名だ。
サンタナの街並みよりも無秩序に点在する巨大な樹木たちが天を覆い陽の光を遮り、暗く湿っている。
「あ〜おいしかった! そうだ、今度はミーくんも連れてきてあげよっか!」
「誘っても来ないと思いますけど。彼、甘いの苦手ですから」
サンタナからイール大森林へと戻ってきた2人はたわいない会話を交わしながら森の中を歩いていた。
それは異常な光景だった。
規模も大きく複雑な地形のイール大森林は迷路そのもので、さらに森林内部は凶暴な魔物の巣食っている。
つまりは、メイド服の少女とワンピースの幼女が楽しげに会話しながらにハイキングさながらの軽い足取りで歩く場所ではないからだ。
しかし2人は家の庭を散歩するみたく、のほほんとしながら歩みを進めていた。
実際、2人からすればイール大森林など少し大きめの庭と変わらなかった。
そんな異常を気にもしない2人が森林に入って数分後。
2人はとある樹木の前で立ち止まっていた。リネラは何か決意したような表情で、シグレナリアは困ったような表情で。
2人の眼前には、麻布に包まれた赤子が木の根元に置かれていた。
捨て子だ。
浅い場所とはいえ魔物の湧く森林に、ヒトの目につかないところに捨てられていた。
それはつまり、捨てた者が赤子を殺す気だったことを意味していた。
赤子は穏やかに眠っていた。
しかし目元には涙の跡が残っていた。
リネラは赤子をゆっくりと抱きかかえた。
「よし、マスターへのお土産にしよう!」
「バカですかあなたは⁈」
突拍子もないことを言いだしたリネラに思わずシグレナリアの声が荒れた。
「いやいや、バカじゃない。むしろ天才的! マスター前々から子供欲しがってたし。この子をマスターにあげればきっと喜んで、アタシがサボったことも許してくれるはずだよ」
「……まぁこの子をこのまま放置していくのもはばかられますが、ペットを飼うのとは違うんですよ? 育児経験なんてリネラにはないですよね?」
打算的で向こう見ずな考えを話すリネラにシグレナリアは現実的な考えから否定の意見を述べた。
シグレナリアはリネラの向こう見ずさを知っていた。リネラは突発的な思いつきだけで行動をするのだ。
だからリネラがこの赤子を拾ったところで親代わりを務められるわけがない。
無責任な発言だとシグレナリアは思った。
「そこはほら、マスターの養子になるんだし、マスターが育てるって!」
「絶対に世話役を任せられると思います」
シグレナリアは2人のマスターの欠点も知っていた。
マスターは絶望的に家事が出来なかった。
それこそ家政婦が必要なくらいに。そんなマスターが、赤子の世話など出来るはずがない。
「んん〜、でも多分大丈夫でしょ。それにシグレだってこのままこの子見捨てておけないでしょ?」
「そ、それはそうですけど…………はぁ、仕方ないですね。連れて帰りましょう」
シグレナリアはリネラの目に確固たる意志があるのをよみとった。
リネラはマスターに許してもらうためなどと言っているが最初から見捨てる気などなかったのだ。
リネラはそういう正義感あふれるヒト柄なのだ。シグレナリアもそれを知っていた。
だからシグレナリアは赤子を連れて帰ることに同意した。
元々シグレナリア自身、赤子を見捨てたかったわけではないのだから、頑固に拒む必要もない。
育児に関しては……これから考えようとシグレナリアは思った。
こうしてリネラが赤子を抱え、2人は再び森林の中を歩き出した。
2人の家でありマスターが支配するイール大森林奥地、カルカ峰に存在するダンジョン。凰龍の大宮殿へと向かって。
◆
──鳳龍の大宮殿、140階層──
「はぁ〜、2人とも遅いなぁ……シグレはちゃんとリネラ見つけたかなぁ? リネラは帰ってきたらお仕置き決定……」
ダンジョン深部の巨大な部屋。
ドーム型の天井は直径20メートル程度あり部屋全体を照らす巨大なシャンデリアが吊り下げられている。
そして等間隔に並んだ支柱は豪華絢爛な装飾が施され、その間の壁には全て棚がはめ込まれて神秘的なモノや怪しげなモノがズラリと並べられている。
床は黒と白の大理石が幾何学的に敷き詰められている。
おそらくこの部屋を見るものが見ればその芸術性の高さと価値に気付き卒倒するだろう。
その部屋の端。
部屋へ入るための巨大な扉の対面に置かれた、アンティーク調の天蓋付きベット。
その上で子供趣味満載のぬいぐるみに囲まれ、毛布にくるまった少女こそがこのダンジョン全てを支配するダンジョンマスター、【鳳龍】オリンクルシャだった。
オリンクルシャはドラゴンだ。
巨大で強靭な体躯をもち、全身を覆うウロコはこの世のなにより硬く、はく息で有象無象を圧死させ、膨大無尽な魔力と数多くの魔法を使いこなすこの世界における絶対的存在。それがドラゴン。
しかし、現在のオリンクルシャの姿は傍若無人なドラゴンとは程遠かった。
オリンクルシャはどうみても17〜18歳の華奢な少女だった。
輝くプラチナブロンドは腰下まで伸び、キレイな黄金色の瞳にアーモンド型の目。胸は平均的だがモデルのような完璧なスタイルを持っていたし、ルックスは神々しいまでに美しかった。
しかし牙と爪を持ち大空を駆けるドラゴンの姿には似ても似つかなかった。
ドラゴンといってもその力はピンキリだ。
下級の亜竜と呼ばれるドラゴンもどきのような種族な手練の冒険者が数人いれば討伐できるし、逆に上級以上は1個軍隊が最低限必要である。
下級上級の階級分けはヒトが勝手な基準で規定したものだが、オリンクルシャの階級は最上級に位置する破滅級。
2000年前から生きつづける正真正銘伝説の化物で、数百年前外の世界に飽きたオリンクルシャはここ、イール大森林に当時から存在したダンジョンに引きこもった。
そんな2000年の歳月を歯牙にもかけないオリンクルシャは、その膨大な知識と魔力によって外見をいのままに変化させることができた。
当時のダンジョンはオリンクルシャの元の姿ではあまりにせまく、拡張を繰り返した現在でさえ人間種の姿のほうが効率よくダンジョン内部を移動できた。
そんなワケで人間種の姿になれきり、日々ヒトの姿で生活するオリンクルシャは途方にくれていた。
いつもならばリネラが朝食やら洗濯やらの家事をしてくれるのだが、今朝は起きてもリネラの姿がどこにもなかった。
しかたなくシグレナリアに頼み探してきてもらうことにしたのだが、それが予想以上に遅い。
オリンクルシャは不意に、この巨大な空間に1人取り残された寂しさに襲われた。
「もう……リネラのバカ……」
オリンクルシャは毛布にくるまって愚痴をこぼした。
その様子は留守番で心細くなっている子供のようで、ドラゴンの威厳など全くなかった。
しかしそんな子供のような姿も、扉が勢いよく開いた瞬間に消え去った。
オリンクルシャはすぐさま威厳のあふれた姿勢を取り繕って弱気になっていた様子など微塵も感じさせなかった。
「マスター、ただいま戻りました」
「ゴメンねマスター! ど〜してもショートケーキが食べたかったのっ!」
シグレナリアとリネラ、2人の声が部屋に木霊した。
そんな2人に、オリンクルシャは大人びた態度で答える。
「おかえりシグレナリア。リネラを呼び戻してくれてありがとうね。それとリネラ……」
オリンクルシャはシグレナリアをねぎらい、次に鋭い視線をリネラにむける。
「あっ、痛いお仕置きだけはやめて! あと怖いのも‼︎」
「それならそうね、3日間食事抜きで許してあげるわ」
「3日間⁈ 無理ムリ絶対ムリ! そんなのお腹減って死んじゃうよ〜!」
「当然の報いです」
「シグレは黙ってて!」
いつもどおりの喧騒が蘇り、オリンクルシャは声にこそ出さなかったが2人の掛けあいやバカな会話に心が癒された。
「それはそうとリネラ。あなたが抱えているそれはなにかしら?」
リネラの罰については早々に、オリンクルシャは先程から気になっていたリネラの腕に抱えられたやけに存在感のある麻布について訊ねてみた。
「あ! よくぞ訊いてくれたマスター、まぁ見てくださいよ」
リネラは自信満々にそういって、オリンクルシャに麻布をそっと手渡した。
オリンクルシャは渡された麻布が想像より重く暖かったらことに少し驚いた。
そして近くに引き寄せると麻布がなにかを包みこんでいることが判明した。
「──っえ、子供⁈ あなた達この子をどうしたの?」
普段は滅多に驚かないオリンクルシャが、今回ばかりは目を見開き、2人に向かって大声で問いただした。
包まれていたのは丸く大きな青色の瞳とオリンクルシャそっくりのプラチナブロンドの赤子だった。
赤子は興味津々にオリンクルシャをみつめていた。
「いや、実はね……サンタナ行った帰りに森のところで捨てられてるの見つけたんだよ。ほっとく訳にも行かなかったし、サンタナに孤児院なんてないからさ。それにマスター子供欲しがってたでしょ?」
リネラはあっけらかんと、自分が赤子を連れてきた経緯を説明した。
するとオリンクルシャは俯きなにやら考え始めた。
しかしそれもすぐに終わり、頭を上げようやく口を開き言った。
「リネラ……よくやったわ」
オリンクルシャはリネラを褒めた。
「え、いやいやマスター! いいんですかそれで⁈」
「いいんじゃないかしら。リネラが言ったとおり私はずっと前から子供欲しかったし、それにこの子とっても可愛いわ。これからこの子は私の愛しい息子。大切に育てるわ」
あまりに簡単即決な決断をくだしたオリンクルシャにシグレナリアは思わず訊き返し、オリンクルシャはその問いに平然と自分が育てると言ったのだ。
オリンクルシャはダンジョンマスターだ。それに世界トップクラスの歩く災害。
あらゆる常識が抜け落ち欠除していた。
それゆえオリンクルシャはこの赤子を育てるとわずかな時間で決意したのだろう。
きっとオリンクルシャもリネラと同じく、育児の大変さなど知らないし考えていないに決まっていた。
しかしシグレナリアはオリンクルシャの決定にそれ以上口出しすることはしなかった。しても意味がなかったし、する気もなかったから。
とにかくこうしてこの日、鳳龍の大宮殿に新たな仲間が加わった。
「あ、マスター。その子連れてきたからお仕置き軽減だよね?」
「それとこれとは別問題よ」
「そ、そんなぁ〜‼︎」