奇襲
まず魔法が使えるようになります。
といってもチャチですが。
僕はひとまず見えている町に向かって歩き始めた。
どうしようもなくなった時、じっとしているとぐるぐる思考がループしてどんどん嫌な方向に考えが進んでいってしまう。
こういう時はとにかく動くことだ。嫌な考えが浮かんでくるのを少しだけ抑えられる。
以前読んだ本でも、適度な運動は精神の安定に何より大事である、と書いてあった。
その通り、さっきまで不安に押しつぶされそうになっていた心が、足の痛くなるくらい歩いていると少し楽になった。
頬を撫でる風も、適度な暖かさをもたらす太陽も、神様カッコカリの声が聞こえてきた青空も、少しだけ心地よく思える。
幸い今は春か秋で、寒くもないし暑くもない。これが冬か梅雨だったら、命が危なかった。コートも、傘もない。
自分の状態を見る余裕も出てきた。
まず格好は日本にいた時の制服で、紺のブレザーに灰色のスラックス。寝間着のままじゃなくて良かった。
ポケットを探ったが、見たこともない銅貨が数枚入っているだけだった。神様カッコカリがお情けで持たせてくれたのだろうか。
それ以外は鞄もないし、武器もない。胸ポケットにボールペンがささっている他は、持ち物がない。
というか、神様カッコカリは異世界に飛ばしておいて持たせてくれのが銅貨数枚なのか?
ドラ○エの王様だって簡単な武器くらいは持たせてくれるぞ。
こういう場合、魔法がいつの間にか使えるようになってたりするんだけど……
僕は駄目もとで右手の人差し指を宙に向かって突きだし、
「ファイア!」
と気合を込めて言ってみる。
だがなにもおこらなかった。
涼しげな風が、僕の頬を撫でていく。
……
………
…………
今、すごい恥ずかしい。
誰も見てなくてよかった。
あ、今はじめて異世界へ飛ばされて感謝したかも……
いやいや、戦う手段が何もないってどんな無理ゲーだよ。魔法があるファンタジー世界って言ったよね?
今のはやり方が悪かったのかもしれん。
今度は指先に神経を集中させ、目を閉じる。
体内をめぐる血液が、心臓から肩、腕、手首を伝わって指に流れ込んでくる。
その流れを明確にイメージすると、段々と指先が熱くなってきた。
今度はいけるかも?
目を開けて、呪文を詠唱する。
「ファイア!」
ちろっと。
チャッカマンほどの炎が、指先にともった。
「おお! すげえ!」
魔法なんてラノベやアニメでいやというほど見てきたが、見ると実際にできるのとでは大違い。
指先に火がともるだけのちっぽけな魔法だけど、道具もなにも使わずに火がおこせたのがすごく嬉しくて、わくわくする。
しばらく指先にともった火を見つめていた。
それだけでドキドキがおさまらない。
だが、火は一分ほどで消えてしまった。
「ファイア!」
さっきと同じ要領でもう一度唱えると、また指先に火がともった。
また一分ほどで消えたので、何度も何度も、唱えてみる。
そのうちに心拍数が増してきて、息切れもしてきた。足もフラフラする。
これがRPGで言うMP切れというやつだろう。
僕はその場で横になる。草原の草の先端が少しちくちくするが、むせかえるような草の匂いが心地いい。
大体MP切れは休めば回復するからね。
「痛っ……」
横になると同時に、こめかみに鋭い痛みが走る。同時に、何か呪文っぽい言葉が頭に浮かんできた。
疲れがとれたら、唱えてみよう。
僕はそう考えながらゆっくりと目を閉じた。
ぶしゅー、ぶしゅー。
暗闇の中で、なにか変な音がする。
生臭いような、土臭いような、嫌なにおいもする。
目を閉じていたことに気がついて、開眼した。
すると、視界いっぱいにでかいモンスターがいた。
イノシシのようなやつだが、牙が耳に届くほどに長くて目が血のように赤い。少なくとも普通のイノシシじゃなさそうだ。
今、僕は寝ている状態でそのイノシシもどきに鼻で顔をつんつんされている。
ちょうどテレビで見た、イノシシが獲物をまさぐるときの仕草だ。
湿った鼻の感触と口から洩れる獣臭さが気持ち悪い。
どうする? 僕は横になったまま、必死に考えた。
このままやり過ごすか、隙を見て逃げるか。死んだふりをしていれば、イノシシもどきは興味をなくして去っていくのかもしれない。
それを期待したが、イノシシもどきの真っ赤な瞳と目が合った。
吸い込まれるような両眼。獲物を見る時の目。
体に戦慄が走る。
ああ、これが「殺気」というやつだろう。
漫画のバトルシーンでよく見たし、これを向けられると体が動かなくなるとかいうアレだ。
まずい。ていうか、やばい。
このままだと牙で喉を一突きされて、殺される。
こんな場所で横になったのが間違いのもとだった。
ここはベンチですら昼寝できる安全大国日本じゃないのだ。
ここは剣と魔法のファンタジー世界。ちょっと気を抜くと死ぬ、サスペンスなんて目じゃないスリルたっぷりの世界だ。
イノシシは死体を喰うのか、そんな疑問の前に牙が僕の喉にゆっくりと近づいてくる。
異世界転生してすぐ死亡か?
だが生存本能というやつか、体が勝手に動いた。
生き残るために僕と言う個体ができることをオートで取捨選択しているかのように。
僕は手の平を地面に置いたまま指先だけを動かして、イノシシもどきの方に向けた。
さっき浮かんできた呪文を詠唱する。
「ファイアアロー!」
手の平に血液が集まる感触と共に熱を帯び、指先に矢のような形の火が出現し、それが一直線に飛んでいく。
命中と同時にイノシシもどきの頭が火だるまになり、僕から離れてのたうちまわる。
やがて、断末魔の声を上げながら動かなくなった。
「これが…… 魔法」
敵を倒したと言う高揚感と、残酷な光景への気持ち悪さが同時に起こる。
でも。
「殺らないと、殺られてた……」
本来はこれが自然と人との営みなのだろう。
「ていうか、チュートリアルなしに実戦ってなんていう無理ゲー……」
周囲の安全を確認して試してみたが、魔法を使う力は今の段階でファイア20発、ファイアアロー5発ほどで空になるらしい。
そして一時間ほど休むと全回復する。
魔法主体に戦うとなると、心もとない。
だが限界まで使って、休んで回復すると使える回数が少しずつ増えていくようだ。
筋肉で言う超回復の原理が魔力にも働くのだろう。
「とにかく今は町だ」
僕は目に見える町に向かい、歩き出す。
イノシシもどきの肉は売れるかと思ったけど、持ち運ぶ手段がないので諦めた。アイテムボックスとかストレージが欲しい……
しばらく歩くと後ろにカラスが群がり始めたけど、気にしないことにした。