6. ヘタレ王との夕食
「アリー?着いたのなら、扉を叩けばいいんだが…」
「……」
「アリー?」
「はっ!へっ陛下!すみません、お待たせしてしまいましたか」
「いや、そんなに待っていない、いや!待っていたが!」
どっちやねん!おお、ツッコミが出来るまでに思考が回復した。
目の前に立つ陛下は、湯あみを済ませた後なのか、ほのかに石鹸の香りが漂っている。
いつもは後ろに撫で付けられている金色の綺麗な髪が、真ん中で分けてあり無造作に下ろされている。
服装も、白いシャツと紺のスラックスと言うラフな格好なのに、王様オーラは健在だ。
私は仕事帰りのままなので、こちらではいたって普通の、襟つきでハイウェストな濃緑色のワンピースに編み上げのショートブーツという、地味な格好である。
見た目も地味だから、誰かに見られたとしても記憶には残らないであろう、よしっ。
「さぁ、立っていないで中へ。食事の用意が出来ているぞ」
そう言ってさりげなく腰に手を回されて、招き入れてくれる。
腰に手があるのにいやらしい感じがしないのは、この高貴な雰囲気からなんだろうな。
「はい、ありがとうございます。失礼します」
扉一枚挟んですぐに陛下の執務室があり、その奥にある、もう一枚の扉の奥が軽食を取るリビングのような部屋になっている。
楕円形のテーブルに四脚の椅子と、奥にはローテーブルとソファ、真ん中には暖炉もあって、今の時期は夜だけ使われているそうだ。
そのリビングの横の扉から、陛下の寝室に繋がっているらしい。
もちろん、ヘタレなので招き入れられたことは一度もない。
招き入れられたいとは微塵も思ったことはないが、日本でいうと、どこかのCEOが半年前から狙っている女の子を、リビングまでは案内するのに、寝室だけは決して開けないという大変気持ち悪い構図になっている。
え?寝室に一体全体何があんの!?ヤバイ!この人金はあるけどやばい人だよー!な心境だ。
「さぁ、腹が減っているだろう?遠慮なく食べてくれ」
まだ湯気が立っている料理の前に、椅子を引いてもらい座る。
今日は、お昼の軽食以外何も食べていなかったから正直お腹ぺこぺこだった。
「ありがとうございます。では、いただきます」
両手を合わせて、いただきますをしてから食事に取りかかる。
陛下よりも先に食べるなんて完全なマナー違反だけど、幸いこの部屋には陛下しかいないから本気で遠慮はしないぞ。
「その食事の前に手を合わせるという仕草は、フローライトでは一般的なのか?」
ぎく。
かれこれ半年間、月二、三回は食事に誘われて一緒に食べているけど、今さらそこツッコミます?
「あ、いや、フローライトでの記憶が無いんで私もわからないんですけど…無意識というか、自然に出てしまうと言いますか…」
「…そうか、その仕草はいいな。感謝をしているように見える」
「多分、そんな感じだと思います。もちろん、こんなに豪華な食事をご馳走して頂いて、感謝もしていますが」
目の前に並んでいる料理の数々は洋食っぽいんだけど、味は素朴で野菜のそのものの旨味が出ていて、すごく美味しい。
前菜からデザートまでずらりと並べてくれているけど、私は好きな順番で食べさせてもらっている。
特にスープが絶品で、皿ごとすすりにかかりたい気持ちを押さえるのに毎回必死だ。
日本人の味噌汁癖を出したら、フローライトの人達に顔向け出来ない。
そろそろ、見た目だけでフローライトにいた設定は崩壊して来てるんじゃ…
この一年でフローライトへ外交に行ったのは、一番最初の通訳だけだし、近々里帰りを装って色々調べに行こうかな。
「豪華、か。この程度で豪華とは普段は何を食べているんだ?」
「えっと…朝は紅茶に果物を少しで、昼はパンとサラダくらいですし、夜はパンに野菜と肉を挟んだものを食べるくらいでしょうか」
「それだけか!?だからアリーは小さいのだ。もっと食事を増やすように言っておこう」
小さかないやい!
これでも日本人では平均的な身長なんだい!
まさか三十路越えてから背が伸びるわけがなかろう。
この世界の人達は背も平均して私よりも10センチは高そうだから、私がチビに見えるんだろうな。
「いいえ、私がそうして欲しいと頼んでいるんです。ラリマーさんの別邸へ帰る時は、もっとたくさん頂いてますし。あくまでも、仕事があってこちらに泊まる日だけですよ」
王宮を真ん中にして、東側にある棟に騎士団の詰所と財務部、法務部などがあり、西側の棟には私がいる外交部と公安部、司書部などがある。
私は仕事がある日にはその西側の棟の中の一室を借りているのだが、こちらでも私専用の侍女をつけてくれたり食事も用意してくれる。
月のほとんどが仕事で埋め尽くされているから、自然とこちらの生活のほうに馴染んでいる。
話し相手になってくれるルチルもいることだし、ラリマーさんの別邸は、本当に必要無いんだけどな。
まぁ、この国でのやり方というものもあるんだろう。
郷に入らずんば、郷に従えだ。
「しかし、それでは体がもたないのではないか?外交部は室内での仕事だけでなく、他国への移動もあるだろう」
「私は今のところ翻訳が中心ですし。通訳に行くにも、この一年で数える程しかないので平気なんですよ」
「もしかして口に合わないのではないのか?」
「まさか!こんなにも体に染みる美味しさを、私は生まれて初めて知りましたよ!だから大丈夫です。ご心配して下さってありがとうございます、陛下」
なんやかんや他愛のないことを喋りながらも料理の数々を八割方お腹におさめて、もう本当に幸せだ。
誠心誠意、頭を下げてお礼を言う。
「…二人だけの時は名前で呼んで欲しいと言っているのにな」
「い、いやそれは…」
「まさか俺の名前を知らないわけではないだろう?」
知っていますよ、知っていますけど他に誰もいなくても、一国の王を愛称で呼ぶほどのメタルハートは持ち合わせていませんよ。
そこまで親密な仲にはなりたくないと言う、遠回しの拒否でもあるんだけど。
「ヘリオドール様、です。けれど、どうかその事に関してはご容赦下さい…私なんかが、どうやってもお名前を呼ぶことは出来ません」
こうして食事を共にしていることすら、あり得ないことなのに。
私自身は貴族でもなんでもない、ただの一般市民だ。
陛下は知らないだけで、この国、ひいてはこの世界の人間ですらない。
むしろ人間じゃなくて宇宙人かもしれないんだ。
お願いだから、そんな悲しそうな寂しそうな顔で見つめないで欲しい。
そんな顔をされても、私にはどうにも出来ない。
「わかった。今は諦めよう」
「今…は?」
「ああ、今は、だ。この先必ず俺の名前を呼んでもらえるよう努力する」
いやいや、だからさ?私の話を聞いてましたか?
この先なんてないですよー!
ラリマーさんの親戚ってだけで私は貴族じゃないし、これから貴族になんかなる気はないし。
陛下の努力って何すんの?
ダメだ!本日二度目の聞いちゃいけない話だ。
このまま曖昧に笑ってやり過ごそう。
「そんな困った顔をしないでくれ。…もっと困らせたくなる」
私に聞こえる音量で物騒な事を呟かないでくれよー!
勘弁してよ…今日はなんだ!?厄日か!
宰相とグルになってからかってんのかな…
やめてくれ…ここ何年も彼氏がいなかったもんだから、男の人に対して免疫がない。
ましてや二人ともイケメンの中のイケメンなんだから、その分、攻撃力が半端ない。
別にイケメンが好物ではないけれど、この歳になって甘酸っぱい雰囲気とか無駄に気持ち悪い…
無駄に気持ち悪いとか自分で言ってへこむ…
あーもーっ、ルチル助けて!
「そろそろ時間ですよね。本日も、お招き頂いてありがとうございました。とても美味しかったです」
「…うん」
うんー!?耳が!耳が見えるよ陛下!
ついに垂れ耳の幻影まで見えるようになったのか。
「侍女を迎えに呼ぼう」
そう言って陛下が呼び鈴を鳴らすと、陛下の護衛がやってきてすぐに頭を下げて出ていく。
一人でも帰り道はわかるけれど、防犯の意味も込めてルチルが迎えに来てくれる。
女二人だと侮るなかれ。
私のルチルは武術にも長けていて、戦うメイドさんだ。
やだ萌える~ルチル格好いい~!
どうにも男運はないけれど、女運はあるらしい。
「陛下、侍女が参りました。」
「ああ。ではアリー、また食事に誘っても構わないか?」
嫌だって言ってもごねるだろアンタ。
ご飯は美味しいからいいけど、そろそろ周りの反応が怖いな。
「はい。陛下がよろしければ」
「そうか!では気をつけて帰ってくれ!」
耳がぴーんと立って、尻尾がブンブン振られているようだ。
ゴールデンレトリバーみたいだな、陛下は。
「はい。お気遣いありがとうございます。失礼致します。お休みなさい」
「お休み、アリー」
ここでおでこにキスなんて根性はない陛下は、満面の笑みで送り出してくれた。
そのまま扉の外にいたルチルと合流して、護衛さんに軽く会釈をして帰路に着く。
「アリー様、本日もお疲れ様でした」
「うん。部屋に戻ったらすぐ湯あみして寝るから、ルチルももう休んでね」
「…アリー様、本日何があったのか、明日はじっくりと話してもらいますよ」
「なっ何かって何が!?て言うかどれ!」
「んふふ。先ほどアリー様についてまわっている影を締め上げたんです。面白そうなことになりましたね」
締め上げた…特別な訓練を受けている影に対してやるじゃんルチル。
って違う!
「べべべ別に何もなかったし」
「アリー様。この一年、アリー様の浮いた話など出たことが無かったんですよ?こんなに面白いことはないので面白いのでじっくり、ゆっくり面白いお話しましょうね」
「陛下はカウントされていないんだ…そして面白いだけね」
こうして部屋に戻った私は心も体も疲れに疲れきってしまい、夢も見ずに眠りこけてしまった。
平穏て遠いんだなって思いながら。