小話. ヘタレ王の婚約その二
5話同日投稿の四つ目です。
結局、殆ど一睡も出来ずに朝が来てしまった。
体は疲れていたのだが、頭だけが起きていた様な状態だ。
まだ夜が明けてすぐ…か。
何か飲みたいが、侍女が来るのはもう少し先だな。
「おや、おはようございます陛下。お早いお目覚めですね」
「アゲット?なんだ、こんなに朝早くから」
「年寄りは早起きなんですよ。その顔は、ろくに眠れなかったのですね」
「…まあ、一日くらい眠らずとも平気だ」
「強がりを言うのはよしなさい。侍女を呼びますから、湯にでも入っていらっしゃい。誰か!陛下がお目覚めだ、湯の用意を!」
バタバタと、頭を下げて侍女達が入ってくる。
まだ本当に夜が明けたばかりだと言うのに、素早く準備を整えている。
それを寝台の上からぼんやり眺めていると、湯の用意が出来たと、さっさと放り込まれた。
熱い湯に浸かっていると、ようやく頭も眠くなってくる。
そのまま眠ってしまいたくなるが、気力だけで上がり、再び部屋へと戻った。
本を読んでいるアゲットが、中央の椅子に座ってのんびり茶を飲んでいる。
「ありがとう、アゲット。今さら眠くなってしまった」
「…陛下は、いつから臣下にありがとうなどと言うようになったのですか?これら全てが当たり前の事ですよ」
「……そう、か」
「何が貴方様を変えたんでしょうね。さて、本日は夜にシエナ姫と夕食を共にする以外は、特に執務はございません。私はこれにて失礼致します」
「アゲット、何か用があったのではないか?」
「いいえ、陛下の私室にある、この本をお借りしようと思っただけです。では」
そう言って、読んでいた本だけを持ち、部屋から出ていってしまった。
侍女達も朝食の用意が済んだら、皆すぐに下がって行く。
ありがとう、か…。
事あるごとにありがとうと、感謝を述べていた彼女を思い出す。
一度聞いたが、故郷では身分差が無く、皆が平等に謝辞をするのだと言っていた。
だが、俺はこの国の王だ。
臣下のする事は全て当たり前であり、わざわざ言葉にする必要は無い。
報酬との引き換えであるから、当然の事だ。
いちいちありがとうなどと言っていれば、王としての威厳も薄らいでしまう。
分かっている、分かっているのだが…
ダメだ、眠くて仕方がない。
そう思ったら、どんどん体から力が抜けていく。
フラフラと寝台に倒れこんだ俺は、そのまま夕刻まで眠りこけてしまった。
「陛下、起きていますか?」
「ああ、準備も出来ている」
日が傾き始めた頃に目を覚まし、再び湯を浴びて着替えを済ますと、アゲットが入室してくる。
これから夕食があるが…一日経ち、王女の機嫌は直ったのだろうか。
「シエナ姫ですけどね、一応は部屋の中で大人しくされていた様です。夕食も姫の部屋で構いませんか?」
「勿論だ」
「では参りましょう」
「ああ」
私室から執務室を抜け、シエナ王女の待つ部屋へと向かう。
どうか話が出来ますようにと、祈る事も忘れずに。
「陛下が参りました。入室しても?」
ノックをしたアゲットが、シエナ王女付きの侍女に了承を得る。
あまりいい顔をしないあたり、まだまだご機嫌斜めなのだな…
だが廊下に突っ立っている訳にもいかず、アゲットと共に部屋へ入った。
そこには、相変わらず顔色の悪い外交部長と侍女達が、頭を下げて迎えてくれる。
シエナ王女は窓際に体を預けたまま、こちらを見ようともしない。
外交部長が弁明の言葉を色々と言っているが、当の本人は完全に無視を決め込んでいる。
「アゲット、私が呼ぶまで人払いを」
「…分かりました、外交部長殿、貴方もこちらへどうぞ。侍女達も食事の用意が済み次第、部屋を出なさい」
『私の連れてきた侍女は居て構わないわ』
『いいや、私とシエナ王女、二人だけに』
『…っちょっと、何故よ!』
『ここは貴女の国ではない。私の指示に従ってもらおう』
『……』
『シエナ様…』
『……下がっていいわ』
ギリリ、と歯を食い縛ったシエナ王女は、俺を射ぬかんばかりに睨み付けてくる。
他国で、更には王を睨むなど…相当な気の強さだな。
「では陛下、ご用がありましたらお呼び下さい。私達も近くの部屋にて待機しております」
「ああ」
俺と王女の二人きりになった部屋で、出来たての料理が湯気をたてている。
おそらく、暖かいまま口にする事は叶わないだろうな。
『シエナ王女、少し話をしないか?』
『……』
『人払いをしたのは、貴女をどうこうする為ではない。その様な態度には、何か理由があるのだろう?ここには私しか居ない。どうか、訳を聞かせて欲しい』
『…父様から、文が来たのでしょう』
『気づいていたのか』
『父様のすることなんて、分かりきっているわ。どうせ、私を二度と国へ返さなくて構わないとでも書いてあったのね』
『…まあ、その様な内容だった』
実際はまるで荷か何かの如く、返品不可とあったらしいのだが…それは言う必要は無いな。
立ち話もどうかと思ったが、これ以上距離を詰めたら噛みつかれそうで、部屋の扉に背中を預けた。
『やはり、婚姻は嫌なんだな…好いている者が居るのか?それとも、他国へ嫁ぐのが嫌か?』
『…私はマラカイト王の娘よ。端から好いた男と添い遂げるなんて、考えた事も無いわ』
『では…』
『……』
再び口を閉ざしてしまった王女が、何か思い詰めた様に、俯いてしまう。
どうやら理由は、他国へ嫁ぐことにあるらしい。
いい加減、棒にでもなってしまったかのような足を動かし、窓の近くのソファへ座った。
座らないか、との言葉にも返事はない。
『初めは第一王女を、と話があったのだが…王女は体が弱いと聞いた。具合はどうなんだ?』
『そんなの嘘に決まっているじゃない。姉様はピンピンしているわよ』
『…そうなのか?』
『私は父様に捨てられたのよ。私が邪魔になっただけだわ!だから姉様を病に仕立てあげて、いらなくなった私を他国へっ…』
『待て、マラカイト王は、そんな無慈悲な方ではないだろう。確かに、どこか掴めない所はあるが…』
『だったら、何故私が嫁がなくてはならないのよ!私は…死ぬまで父様の側で、一番近くで支えて行きたかったのにっ!!』
『支える…とは言っても、王女であるのだから必ずどこかへ嫁がねばならないだろう?』
『そんなことは分かっているわ。けれど、これから私が、マラカイトをもっともっと豊かにして行こうって…今年、ようやく研究室に所属することが許されたのよ。農業がさかんな国で、作物の研究は欠かせないわ。私は幼い頃から、王女としての教育なんて受けていない。全部、土地や植物の研究だけを生き甲斐にしてきたの!そんな私が、他国の王妃になんて…』
マラカイト王国は、北の我が国と南のジンカイトに挟まれている国だ。
我が国は雪の多い土地で、食物の殆どを輸入に頼っている。
代わりに、希少価値の高い鉱物を輸出する事で保っているが、他国に輸出出来る程の食糧は無い。
ジンカイトに至っては軍事国家の特色が強く、他の国も最低限の輸出入で制限している。
よって、マラカイト王国は輸入が少なく、食糧自給率は世界一だ。
山が少なく平原が多いため、広大な大地から国民の食糧を賄える程の収穫があるそうだ。
それでも平原が多いと言う事は、川が氾濫した場合に作物が一気に駄目になる危険性もある。
輸入に頼らない代わりに、あの国は独自の技術開発に力を入れていると聞いた。
『しかしマラカイト王は、貴女をここへ寄越したと。姉上が元気ならば、ますます考えている事が分からないな…』
『この間の戦で、内乱が起きたのですってね?あの戦を手引きしていたのは、宰相だったと言う話は本当かしら』
部屋へ入ってからずっと背を向けていたシエナ王女が、燃え上がる様な髪をなびかせて、こちらを向く。
夕闇の中でも光を失わない金の瞳が、怒りに満ちていた。
『…ああ』
『あの戦で、ジンカイトから襲撃を受けたいくつかの土地が、灰になったわ』
『…』
『貴重な植物は、国境沿いだろうと、どこであろうと咲いているのよ。人々は逃がして無事だったとしても…その地でしか生きられない種だってあるのよ!それらを保護して大切にしてきた私達の努力と時間は、計り知れないわ!!』
『それは…』
『私達だけじゃないっ、何世代も前から手をかけて育てた物もあったのよ!それをある日突然、一瞬で奪われる気持ちが、貴方には分かるの!?勿論、人間が一番尊いものだって事は分かるっているわ、でも、その人間達が生かされているのは誰のお陰なのよ!!』
シエナ王女の言い分はもっともだ。
十八歳で、ここまで国の為、自身の為に力を注いでいる姿に圧倒される。
『戦なんて何も産み出さないわ。そんな愚かな宰相が居た国なんて…私は願い下げよ!!』
そう王女が吐き捨てた瞬間、あの日に封印した筈の心が、一瞬で開き出す。
俺のただ一人の兄であり右腕だった…
「ユークを愚かなどと言うなっ…!!」
『愚かで無ければ何だって言うのよ!?』
「ユークの罪は、俺が裁いている!俺自身の弱さや愚かさを責めるのは構わないが…あいつを愚かだなどと、何も知らない人間に言われる筋合いは無い!!」
『なっ…』
「ユークの罪は許させる事では無いだろう。だが、俺を想い、国を想い…信念を持ってやった事だ!それが戦と言う選択肢に向かってしまったが、お前のやっている事への想いと、何が違う!!」
『そうだとしてもっ…』
「お前の言葉は最もだ。戦なんて、何の意味もない。ただ誰かが、何かが犠牲になるだけだ。だがな、ユークは俺がその首を落とした。それでも消えない罪は、この国の王である私の罪だ!お前も王族の一員ならば、分かる事なんじゃないのか!」
あれから、ユークを責める人間、俺を無能だと罵る人間も、確かにいる。
だが、それら全てを背負い王として生きていくと誓ったんだ。
死で償っても消えない罪など、あいつが浮かばれない。
他の誰が何と言おうが、俺だけでも許してやらなければ、ユークの魂は神の元にも、どこにも行けなくなる。
「もういい。俺と貴女の間では、相成れないものばかりだ。帰りたければ、今すぐこの国からっ…」
「はいはい、そこまでですよ、陛下。」
いつの間にか立ち上がってシエナ王女と対峙していた俺の元に、アゲットが近づいてくる。
後ろには、今にも倒れんばかりの外交部長が王女の侍女に支えられて、部屋の前で立ち止まっていた。




