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44. 不意討ち

がっつり恋愛パートです。苦手な方はすみません!

「陛下、そろそろお戻りになってくれねぇか。やることは山ほどあるんだからよ。」


「コランダム。」


「まーた泣いてやがるのか、ヘリオの坊っちゃんは。泣き虫なのは小せぇ頃から治んねぇなぁ。」


コランダムさんがガハハと笑いながら、私達の元へ近づいてくる。

こんな風に陛下に接する人間は、両親を除けばコランダムさんぐらいだろう。


「もう行く。」


ばつの悪そうな顔をした陛下は、私が渡したハンカチで涙を拭って、席を立つ。

私もそれにならって、椅子の前に立ち上がった。


「俺は早く娘達の待つ家に帰りてぇんだよ。もう何日もあいつらの顔を見てねぇ。湯あみだって、最後にしたのはいつだったかなぁ…」


「コランダムさん…。」


「アリーちゃん、婚姻を結ぶんだって?ラリマーが見たこともないくれぇ不機嫌だったぞ。」


「う…なんとか許してはもらえたんですけど…まだ怒ってましたか?」


「怒っている訳じゃねぇが、面白くはないんだろ。俺も娘が嫁に行くなんて言い出した日にゃ、相手の男が誰だろうとぶっ飛ばしたくなるもんな!」


コランダムさんにぶっ飛ばされるイコールご臨終ですね。

娘さん達の未来の花婿に、心の底から同情する。


「フローライトでも婚姻の日は宴をやるんだろう?俺もぜひ招待してくれや!とっておきの酒を用意して行くからよ!」


「…建国祭の日の夜に、酒を飲みすぎて自宅の一部を破壊したって聞きましたよ?奥様から許しが出たんですか?」


「おおぅっ?なぜそれを…」


「娘さん達と、時々手紙のやりとりをしているんです。いまだに許してもらえず、家では酒も取り上げられたって。」


「……ま、春になりゃあ許してくれんだろ!全く、最近はしみったれた酒しか飲んでねぇんだよ。アリーちゃんが嫁ぐなんて目出てぇ酒を、飲まない訳にはいかねぇよな!」


正当な理由になっているんだか、なってないんだか分からない事を言うコランダムさんに、思わず笑ってしまう。

そして私の横に並んだ陛下に、円らな瞳を向けた。


「ついさっき、バルナスが神の元へ行ったぞ。これでまたしみったれた酒が増えるな…陛下の仕事も増えるけどなぁ!」


ばしばしと遠慮なく陛下の肩を叩いて、唇を噛んだ陛下を見下ろす。

しょうがねぇよ、と一言呟いて。


「じゃあな、アリーちゃん。幸せになれよ!旦那に腹が立つ事があったら、遠慮なく言ってこいよ。俺の剣を存分に見せてやるぞ?」


「コランダムさん…色々と、ありがとうございました。大剣を見ることがないよう、仲良くします。」


それがいいなと笑って、扉の外で待つと言い部屋を出ていった。

陛下が、私の目の前に立つ。


「アリー、祝いの日には俺からも何か送ろう。何がいい?」


「いいえっ!陛下からは、すでにたくさんの物を戴きました。もう充分です、ありがとうございます。」


涙の痕を消すように頬を拭って、陛下に笑顔を返した。

そこで突然、私の視界がその綺麗な顔でいっぱいになる。


少しだけかさついた唇が、私の唇に重ねられた。

感触を記憶するように丁寧に口付けられて、息が出来ない。


思わず空気を求めて開けた口から、柔らかい舌が入り込んでくる。

歯列をなぞられ、歯茎まで丹念に舐められ、背筋に痺れが走った。


立っていられなくなった私の腰と頭を優しく押さえつけて、口内を蹂躙される。

ななな、何これ、何でいきなり!?


三十年間生きてきて、それなりにお付き合いは経験したけど、こんなキスされた事ない!

腰から力が抜けて、頭がボーッとする…。


舌が絡めとられ、吐き出す息も全て飲み込まれる様な…。

まるで、陛下の吐息まで甘いんじゃないかって錯覚に陥ってしまう。


って、いかんいかんっ、女としての潤いに浸ってる場合じゃないっ!!

思いもよらない行為にようやく力を取り戻した両手で、陛下を押し退けた。


「へっ、陛下!!何するんですか!」


「もう名前では呼んでくれないのか。ではもう一度…」


「ヘリオ様!ヘリオドール様っ!」


「その名を、俺を忘れるな。」


「…こんな事をされなくても、忘れられないですよ。」


「そうか。だが謝らないぞ。婚姻を結ぶ前までは、お前は誰のものでも無いだろう?」


「…どんな理屈ですかっ。私がヘリオドール様を生理的に受け付けなかったら、今頃この場で吐いてましたよ。」


「アハハッ!アリー嬢のお眼鏡に叶って光栄だな?」


吹き出すように笑った陛下の顔は、心底可笑しそうにくしゃくしゃになっている。

細められた瞳も、もう熱が無いなんて事はない。


目の前で子供みたいに笑っている陛下は、ただの男の人だった。

ここを出たらまた、多くの人々を守る為、この国の王に戻らなければならない。


どこかで引き止めたい気持ちが涌き出るけれど、時間は限られている。

陛下にも、誰にでも、平等に流れていく。


「俺も、妻を持たねばならないな。」


ふと、そう呟いた陛下を見て、真っ白な婚礼衣装を纏いバルコニーに立つ姿を想像する。

その横には、陛下にも見劣りしない美しい純白の花嫁が並び皆に手を振る。


そんな未来が来る日を、私は祈り続けよう。

どうか、泣き虫な陛下を包み込んでくれる人が現れますように。


「お元気で、ヘリオドール様。」


「ああ、アリーも体を大事にしろ。もう少し肉をつけた方が抱き心地がいいからな。」


ニヤリといたずらっ子の様に笑った陛下に、もう!と思わず拳を振り上げた。

その手をそっと掴まれて、甲に優しくキスをされる。


「フローライトにまでこの国の豊かさが届くように、俺が王として生きよう。アリーは、それを見ていてくれ。」


ユークレース様が私に言った言葉が、思い起こされる。

私が生きてここにいるだけで、陛下の力になると。


ここ、がアイオライト王国の事だったのか、それともこの世界の事だったのか。

それでも…。


「はい…どこにいても、ずっと。」


あなたの幸せを願っています。

心の中で、そう呟いた。




一人になった部屋で、翻訳の続きに取りかかる。

昼食の時間になる頃、ようやく司書部の部長さんが顔を出した。


やはり、陛下に二人きりにして欲しいと頼まれていたらしい。

わざわざこちらへ来なくても、呼ばれればどこへでも行ったんだけどな。


休憩をしたらどうかと言われ、やりかけの頁に栞を置いて、本を閉じる。

その時、机の上にさっきまでは無かった一枚の紙が置いてあるのに気づいた。


裏を返してみると、それは思いがけない書状だった。

スフェーンの所有者を、陛下から私に変えるという、正式なものだ。


そこで初めて、陛下が私の婚姻が決まった事を知っていたんだと気づく。

そして何か送ると言っても、断ることもお見通しだったんだろう。


そうでなければ、スフェーンを私にくれるなんて事はあり得ない。

あの子は、軍馬の中でも抜きん出て能力が高い。


この世界での馬は貴重な移動手段だし、ましてや軍馬なんて、とんでもなく高値での取引になるはずだから。

春にはスフェーンともお別れかって悲しかったけど、この書状があると言うことは、すでにあの子は私のものになっている。


陛下の直筆のサインを、指でなぞる。

私の自動翻訳の字よりも、丁寧で力強い。


私の婚姻が決まったから、スフェーンをくれたんだ。

陛下の優しさに胸を打たれて、また涙が溢れそうになる。


それにしても…今まで何回も二人きりになってたけど、一度もこんな事はされなかった。

陛下に、そっち方面であんなに強引な所があるなんて…。


改めて唇の感触を思い出してしまい、机に突っ伏す。

顔から火が出そうなくらい恥ずかしい。


陛下にはそんな度胸も技術も無いだろうと、勝手に思い込んでいた私のアンポンタン。

あの容姿で高身長で、誰もが憧れる国王陛下だ。


今まで一人も女がいなかった訳がない。

経験だって、少ないはずがないよね。


どこか頭がふわふわ浮いていたけれど、無理矢理押さえ込んで翻訳の続きに取りかかる。

お昼ご飯の事を綺麗サッパリ忘れた私は、日が暮れて文字が見えなくなるまで、作業に没頭してしまった。




司書部の部長さんに翻訳した物と本を返して、ジャスパーと待ち合わせをしていた店に向かう頃には、既に月が輝いていた。

一見さんお断りだと聞いたが、ジャスパーの名前を出せばコートを預かってくれ、大きな窓側の席へと案内される。


教会のような建物で天井が高く、中央では綺麗なお姉さんがピアノを演奏している。

さほど広くは無いが、上品なドレスを着た人やスーツ姿の人達で満席のようだった。


「お待たせ。」


背もたれに体を預けて窓の外を眺めていたジャスパーに声をかける。

モスグリーンのスーツ姿で、ネクタイを緩めに締めて足を組んでいる様は、超絶な色気を放っていた。


…これが本当に二十歳か?末恐ろしや。

私はといえば、いつもの普段着で来てしまい、やや場違いな気がして若干居心地が悪い。


店員さんに椅子を引いてもらって、対面に腰を下ろす。

ゆっくりとこちらを向いたジャスパーは、普段は無造作な前髪を、ふんわりと横に流していた。



「遅いよ。」


「うっ…すいません……ん?」


「何。」


視線を感じて周りを見れば、斜め左のテーブルに座っている女性達からジロジロと見られていた。

何やら小声で話しているが、その表情は人を見下す様なものに見える。


大方、このイケメン兄さんの待ち人はどんな人かと待ち構えていたんだろう。

こんな格好で来てしまったのがまずかったか。


「あの、ごめん…私、こんな格好で。ジャスパーに恥をかかせちゃうかな?もしそうなら、今日は帰る…」


「はぁ?僕はお腹減ってるんだけど。」


「いや、そりゃ私も昼御飯食べて無くて。でも…ほら、場違い感がさ…。」


私が視線だけでチラチラと周りを見ているのに気づいたジャスパーが、頬杖をついたまま、先程の女性だけのテーブルに顔を向ける。

キャッと小さな悲鳴が聞こえたが、それを無視して、私に満面の笑みを浮かべた。


そして徐に、テーブルの上で握り締めていた私の片手を取って、甲に口付けをされた。

その瞬間、さっきよりも大きな悲鳴が上がるが、ピアノの音にかき消される。


「アリー、待っていたよ。今夜はどうか、僕のものだけでいて?」


小首を傾けてにっこりと微笑んだジャスパーは、握っていた私の手を引いて、顔を近づけて来る。

すると、耳元にドスのきいた声が響く。


「僕は、腹が、減っているんだよ。余計な事は考えなくていいから、笑って食べたら。」


そしてさりげなく頬に手を触れて、もう一度笑って離れていった。

ジャスパーの中身を知らなければ赤面ものだが、この笑顔の裏に隠された本性を知っている私は、首を一つ縦に振る事しか出来ない。


端から見れば、どこぞの人妻を年若い青年が口説いている様に見えるだろう。

やや困り顔になっている私の表情も、後押ししていそうだ。


「ありがと。」


「ふんっ。」


甘い表情をそのままにしたジャスパーが、ウェイターに合図をし、すぐに料理が運ばれてくる。

冬らしい煮込み料理に舌鼓を打ち、柑橘系の飲み物で一息ついた。


目の前で美味しそうな赤ワインを傾けているジャスパーを、心底恨めしそうに見つめれば、ぐいっと一気に飲み干されてしまった。

ちくしょう、いい加減アルコールが欲しい。


「所で、陛下には会えたの。」


「うん、昼間…」


そこまで言って、昼間に陛下にされた事を思い出して、顔に熱が集まる。

火照るのを押さえようとするが、目線が泳いでしまった。


「…それ、酒じゃないよね。」


「いっいや、違う!ただのジュースだよ!」


「じゃあなんでいきなり顔が真っ赤になるわけ?」


僕があれほど近づいても真顔だったのに、とボソッと呟いたジャスパーは、どこか悔しそうだ。

だってジャスパーは弟みたいにしか見えない、とは言えずに、苦笑いを返した。


「これは、気にしないで…ちょっと、飼い犬に噛まれたようなもんだから。」


「ふぅん?」


「あ!スフェーンを私の婚姻の祝いにくれたみたいなんだけど、聞いた?」


「うん、それを言いに直接会いに行くって仰ってたから。ああ…あんたごときにスフェーンをあげるだなんてね。」


「やっぱり、すごい太っ腹だよね。本当にいいのかな?私はスフェーンと離れるのは辛かったから嬉しいけど、騎士の皆からは反発があったりしない?」


「あんたとスフェーンが気が合っていたのは知っているから。それに他ならぬ陛下の決断に、異を唱える者はいないよ。」


「ならいいんだけど…。」


「あんたに譲るって僕に伝えに来た時…戦なんて無かった様に穏やかに笑っていたよ。陛下は、あんたが可愛くて仕方ないんだ。側に置きたくて、手離したくなくて。」


そう言ったジャスパーは、懐かしそうに目を細めた。

陛下の想いに、自らを重ねるように。


「本当に、フローライトへ行くの。」


「うん。もう決めた事だから。」


「好きでも無い男に嫁ぐ様には見えなかったけれど。」


多分、この婚姻に反対していた皆は、私の気持ちがディアンに向いていない事を見抜いていたんだろう。

それでも、頑なに婚姻を結びたいと必死になっていた私に、どこか諦めのような眼差しを向けられたっけ。


ジャスパーの空になったグラスに、ウェイターさんが再びワインを注いでいく。

そして私は、ジャスパーについていた嘘を、告白しようと思った。


「信じられなくてもいいから聞いて、ジャスパー。私は記憶喪失なんかじゃないんだよね。本当は、この世界とは別の世界から来たんだ。文字や言葉が全て分かるのは、この世界に来てから何かの力が働いたんだと思う。私は今も、アイオラ語を話していない。私の国の…日本語なんだ。ジャスパーの話している言葉も、口の動きは違うのに、日本語にしか聞こえない。私はこの世界で、異分子なんだよね。」


何を言っているのか分からない、という風にジャスパーの視線が揺れた。







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