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43. アイオライト王国

あれから二ヶ月が過ぎようとしていた、冬の一の月の終わり。

すっかり雪景色に変わったここアイオライト王国は、怖いくらい静かだ。


「アリー様、今朝は随分冷えますので、厚手の服を用意しますね。」


「うん、ありがとう。いつもの薪の量なのに、本当に寒いね。」


「…朝食は今日も…?」


「いらないや。紅茶だけ貰うよ。」


畏まりました、と部屋を出ていくルチルをぼんやりと眺めた後、用意してくれた服に着替えを済ます。

しっとりと重いワンピースが、体を圧迫するような気がして、少しだけ息苦しい。


いい加減スカート姿にもなれたけど、そろそろパンツが恋しいなぁ。

冬になると余計にそう思うんだよね。


なんとなくスースーする気がして落ち着かない。

寝るときだけでも、パンツにしようかな。


スカートをじっと見つめて突っ立っていた所へ、ルチルが暖かい紅茶を運んできてくれた。

お礼を言い、椅子に腰かけて口に含む。


「今日は司書部へ向かわれるんですよね?」


「うん。冬の間に出来る限りの書物を翻訳する事にしたんだ。」


「…本当に、春になったらフローライトへ行ってしまうんですか?」


「そうだね。ディアンが迎えに来てくれる約束だから。」


「アリー様が婚姻を結ぶなんて…いまだに信じられません。てっきり私と同じく、生涯独身を貫くとばかり思っていたんですが。」


「ね、私も信じられないよ。」


あれから、ディアンと正式に婚姻を結ぶ約束をし、春になったらフローライトで生活する事になった。

ディアンは人間としてラリマーさん達に紹介し、フローライトの神官を勤めている人物で、私を建国祭の時に見初めたという作り話をでっち上げた。


明らかに怪しく、建国祭一日目に私の後をつけていた人物だとすぐにバレたが…皆をなんとか説得し、ようやく祝福をして貰えるようになったのだ。

私と婚姻を結ぶにあたって、ディアンにもいくつか条件を出した。


まず、人間になっている間は神の力は一切使わない事。

時間の流れを変えたり、ワープしたり…たとえ私と二人だけの時でも、いつかその力が当たり前になってしまうのが怖くて、何が起きても絶対に使わないと、誓いを立ててもらった。


そして、もし私が地球に帰ることが出来るようになっても、引き止めない事。

その時どうするかは、私の意思を尊重してもらう。


神に向かって偉そうな条件を突きつけたけど、ディアンはそんな事かと、終始上機嫌だった。

いくら見た目が人間でも、やっぱり中身はどこがずれている様な気がしてならない。


どこから出したのか分からない、十分な結納金と、フローライトの神官長、直々の書状をラリマーさんに渡した事で、最終的に許しが出た。

そしてフローライトへ行くのは春になって、雪が溶けてからと言う事で話が決着し、今に至る。


王都での混乱は思ったより無かったが、王宮内部での混乱がまだ収まっておらず、四大貴族の均衡が崩れた中、ラリマーさんも後処理に追われている。

トレイド家の後釜も、まだ決まっていない。


ユークレース様が処刑され、パルマ様とヴェローナ様が薬を盛られて亡くなり、当主だったバルナス様まで先日病に伏せ、十分な後継者のいないトレイド家は取り潰しとなるみたいだ。

四大貴族の一つとして陛下に忠誠を誓っていたのに、それを裏切った罪をバルナス様一人で背負うには、重すぎたんだろう。


「そういうルチルこそ、ネリー君とはどうなってるの?」


「……いえ、特になにも。」


「まあいいや。ネリー君に聞くから。」


「やめてください!はぁ…求婚はされましたが、スピネル様が外交部にて三年は勤めてから、改めて話し合うという事にしていただきました。」


「三年も?」


「はい。」


「三年も待たなくなって、近い内に必ず外交部の部長になるでしょ?財力と容姿は完璧で、性格も…悪くは無さそうだし。あんないい物件なんだから、すぐに婚姻を結んだらいいのに。」


「物件…いいえ、しっかりと仕事に打ち込める時間も、あの方には必要です。まだ、留学を終えて一年もたっていないんですよ。三年の間に、他にいい縁談があるかも知れませんし。」


「ルチルはそうなったらどうすんのよ。」


「それで構いません。私など、本来スピネル様には相応しくありません。」


「…ラリマーさんもベリルさんも、反対していないんでしょ?」


「それはそうですが…」


「ルチルの家族だって、大喜びなんじゃない?」


「…私の家族にはまだ何一つ伝えてはおりません。ぬか喜びさせる訳にはいきませんし。」


「なんでそんなに後ろ向きなのよ…この世界の人達は、本当に身分とか年齢とかうるさいんだから。」


「アリー様のいた世界が、自由すぎるんですよ。」


「昔は身分とか色々あったみたいだけどね。私の時代では、比較的自由に婚姻を結んでいたよ。」


「アリー様はこの歳まで、そういう方がいらっしゃらなかったんですか?」


「うっさいわ!モテなかったんだから仕方ないでしょ!」


「…ああ、女性として少し難が…」


「難てどこがよ!そりゃ確かに女らしくはないし胸も無いけど!ジャスパーやユークレース様みたいな事言わないでよ!」


そこでふと、私に嫌味をぶつけるユークレース様の声が、頭に響く。

だから貴女はいい歳をして一人身なんですよ……


部屋の中が、沈黙に支配される。

瞳の光を失ったみたいに、目の前が霞む。


「アリー様…」


「よし、それじゃあ司書部に行ってきます!夜はジャスパーと街に出るから、先に下がってて良いからね。」


じゃ、とルチルに手を振って顔を見られないように、足早に部屋を後にした。

外交部の棟から司書部がある棟へ着くまでに、誰ともすれ違わなかった事が救いだった。



「アリーです。部長さんはいらっしゃいますか?」


棟が丸ごと巨大な図書館のようになっている司書部の扉を、控え目にノックをし、返事を待つ。

程なく扉が開かれて、司書部の受付担当の女性が顔を出す。


「アリーさん、いらっしゃい。奥でお待ちですよ。」


この国では貴族の女性が働くと言えば侍女くらいなもんだが、ここ司書部には、数人だが女の人がいる。

私が来る前から受付をしているというこの人も、下級貴族出身で、四十代の小柄な方だ。


結婚はしているが子供はいないみたいで、十八歳からずっと司書部に勤めているらしい。

ありがとうございます、と笑顔を返して、奥へと進んだ。


久しぶりに来るけれど、冬の司書部は寒い。

大事な書物がたくさんある為、薪を使った暖炉が最低限にしか用意されていない。


これから翻訳の為に入る部屋も、もちろん暖炉は無い。

ルチルが厚手の服を用意してくれて、助かったな。


重要な書物を保管している部屋の扉をノックして、中へ入る。

するとそこには司書部長ではなく、この国の王が、一人窓際に立って本を開いていた。



「陛下…。」


「アリー、変わりはないか。」


「…はい。」


そうか、と呟いた陛下に、部屋の中心にある大きな机に座るように言われる。

この大混乱な最中に、なんで陛下がこんな所にいるのかが疑問だけど…言われた通りに、椅子に腰かけた。


「少し痩せたか…?」


「そうですか?でも毎年冬には太るんで、丁度いいかもしれません。」


「そういうものなのか。」


「はい。」


すぐに話が終わってしまい、どんどん気まずくなってくる。

話さなきゃいけない事、話したい事はたくさんあったはずなのに、いざ目の前にすると言葉が出てこない。


「あの、今日は頼まれていた書物の翻訳に来たんですけど…部長さんはどこに?」


「俺が指示を出す。これを。」


そう言って、何冊かの本や紙の束を、机の上に並べていく。

小難しい題名が並ぶ中の一冊を開くが、読むことは出来ても内容が全くの意味不明だった。


とりあえず、机の隅にあったペンを持ち、新しい紙の上に訳したままを書き写していく。

その様子を、向かい側の椅子に座った陛下にじっくりと眺められる。


やりづらい…。

視界の端にちらつく金の髪が、キラキラと光るのが気になってしまう。


「…陛下、じっと見られると緊張します。字に自信がある訳ではないんですよ。」


「いや、流れるように文字を書くのだな、と思ってな。」


「私はアイオラ語を習ったことが無いんですよ。意識するだけで、手だけが別人の様に文字を書くんです。この翻訳をしている時間は、私にとっては不気味なんですけどね…。」


「そうなのか…綺麗な字だな。癖もなく、読みやすい。」


そうですか…と一言返し、再び沈黙が訪れる。

一頁を写しきり、そっと顔をあげると、陛下としっかり目が合った。


思わず目を反らしてしまいそうになるけど、ぐっと目に力を入れ、陛下を見つめた。

海のような真っ青な瞳からは、何の感情も読み取れない。


「陛下、私は春が来たらフローライトへ行きます。」


「帰る方法が解ったのか?」


「いいえ…それはまだです。婚姻が決まりました。フローライトの神官をやっている人です。」


「……。」


「建国祭の時に街で見かけてから、私に求婚をしてくれて…。フローライトの神官長からも、婚姻を認める書状を戴いたので、雪が溶けたらあちらに向かうことになります。」


「随分と急だな…。」


「色々とバタバタしていて、ご報告が遅れてしまい申し訳ありません。」


じっと私を見つめる瞳からは、やはり何の感情も伝わらない。

事実として、淡々と受け止めているように見える。


陛下に求婚をされたのは、もう半年程前の事だ。

それまでに色んな事があったし、陛下の中でも私への感情に変化があったのかもしれない。


なんだかちょっとだけ寂しさを感じて、視線を本にうつす。

だめだ、私が寂しいなんて思うのはおかしい。


元々、陛下に答えるつもりはなかったんだから。

あの時は王位を他に譲ってもいいなんて言っていたけど、今はそんな訳にはいかないだろう。


でも…もし陛下がただの貴族だったとして、私と出会っていたら。

きっと、違う未来があったんだろうな。


三つ年下の、大型犬の様な、女の尻に敷かれるだろう男の人。

どこか頼りなさを感じてしまうけど、仕方ないなぁって、最後には許してしまう。


あり得ない未来を想像して、胸が苦しくなる。

いつも私に、全身で好きだと愛情を向けてくれた人。


立場がある癖に、平民の女なんかを好きになって。

鬱陶しく思った事も一度や二度じゃないけれど…。


こんなに素直に愛情を表現出来る人が治める国は、きっと皆が幸せになる。

そんな陛下は王様にぴったりだ。



「陛下、ユークレース様を憎んでいますか?」


その名を出した瞬間、光の無い青い瞳が揺れた。

ユークレース様よりも青みがかったその瞳が、熱を取り戻していく。


「ユークは、俺のたった一人の兄だ。…憎むことなど、どうやっても出来ない。」


「ユークレース様も、同じことを言っていましたよ。陛下は、たった一人の愛する弟だって。」


その時、陛下の瞳から一粒の涙が溢れた。

彫刻のような美しい顔から流れる涙はまるで宝石のようで、思わずその滴を目で追ってしまう。


「今でも…毎日ユークに会いたくなる。声を聞いて、その背を頼りたくなる。俺がユークの首を落としたのにな。」


はらはらと静かに涙を流し続けて、眉根を寄せた。

ユークレース様、やっぱり陛下は泣きましたよ。


「後悔していますか?」


「…罰を下した事には、後悔はない。」


「では…」


「だが、もしユークの考えにもっと早く気づいていればと、悔やんでも悔やみきれない。俺が、ユークにそうさせたんだ。王として、俺が頼りないばかりに、ユークに謀反などと…」


「それは違います!!」


静寂に支配された部屋に、私の声が響く。

スカートのポケットからハンカチを出して、陛下に差し出した。


それを無言で受け取った陛下は、じっと私の目を見ている。

その瞳の奥にすがるようなものを感じて、言葉を続けた。


「陛下が頼りないなんて事、あるはずがないです。だってこの国を見てくださいよ。戦が終わって間もないのに、王都や街ではもう活気が戻っています。それは全て、陛下が造り上げて来た街だからなんじゃないですか?」


いつの間にか、私も涙を流していた。

見ず知らずの罪人にまで謝罪する陛下を、頼りないなんて思わない。


会社でもそうだけど、組織はトップの手腕にかかっていると思う。

それよりも比べ物にならない程に重い、国を治めるなんて事は、誰にでも出来る訳じゃない。


「私がこの世界に落ちたとき。それがこのアイオライト王国で、心から良かったと思います。他の国だったらって考えた事が無いのは、ヘリオドール様が治めている国だからこそ、です。」


「…アリー。」


「陛下、短い間でしたが本当にお世話になりました。遠いフローライトの地から、アイオライト王国の発展を祈っています。」


私の夫となる人は、神様だもんね。

神の力は使うなとは言ったけれど、本人に祈る分には構わないはず。


きっと、我が子を大事に思うディアンなら、影ながら見守ってくれるだろう。

この国だけじゃなく、この世界の人達が出来る限り幸せになるよう、毎日祈ろう。


その時、部屋の扉がノックされた。

ひょっこり顔を出したのは、森の熊さん…もとい、コランダムさんだった。







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