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39. 熱をなくした王

次の日、ジャスパーに黒いドレスを渡された私は、なんとも不気味な気持ちに陥っていた。

だって最初から着るつもりもなく、南のジンカイトへ脅しの為に使った事で最初で最後だと思っていた。


それをわざわざ私に届けるなんて…。

ディアンと寄った服屋の主人には、なんとかごまかしたけど、基本的に黒い服は死者のもの…それがとても怖かった。


「これを持ってきた人って、濃い青の髪と瞳の男の人?」


「うん、つくづくあんたの尻の軽さを思い知ったよ。」


「違うから!少しの間、私を保護してくれた人なんだ。」


ディアンの事は、戦が終わろうが言えっこない。

けれど、ただの友人だと言い切るには、少し無理があるか。


「……少し前に求婚されて。フローライト出身だったから、意気投合したんだ。戦が終わったら、正式にお付き合いしようって事になってさ。腕も立つ人…だったから、一緒にいてもらってたんだよね。」


あれを人と呼ぶのには、違和感がありすぎる。

しかしディアンを誰かに紹介するつもりはないから、この位の嘘はバレないよね。


「へえ、あんたをもらってくれる奇特な人間がいたわけ。良かったね。」


それを聞いたジャスパーは、思いの外嬉しそうな顔をして、ふんわりと笑った。

この子はこの子なりに、私が恋愛事に疎いのを心配してくれ…


「三十を過ぎて独身だなんて、この国じゃ変わり者以外の何者でもないから。陛下は気の迷いだとしても、一緒になれる望みは薄いし。ちょっとは好きなのかと思っていたけど…まあ、いい縁があって良かったんじゃない。あんたを嫁になんて…フフっ、あの人を逃したら二度と現れる事は無いから…ハハハッ、幸せになりなよ。」


前言撤回だ!!

優しい顔をして笑ったかと思えば、ついには拳を口に当ててぐふぐふと笑い出している。


くそぅ…真実を全て話してやりたいが、そんな事をしたら、今まで以上に変人扱いされてしまう。

キッとジャスパーを睨み付けるけれど、目をそらされて、堪えるように笑い続けていた。



それから間もなく、騎士団の中がざわついてくる。

いよいよ、陛下達が帰ってくるのかな…。


「ラリマー様に、あんたが帰ってきた事を連絡しておいたから。きっと朝の内には、ここに迎えが来ると思うよ。」


「本当!?ジャスパーありがとう!やっぱり持つべきものは友だよっ!」


思わず抱きつこうとしてしまったのだが、それを華麗に回避される。

なんだ、冷たいな。


「湯あみもしてない体で近づかないでくれる?いいから、ここで大人しくしていなよ。それと、友達になったなんて勘違いしないでよ。」


極寒のブリザード並に冷気を放たれた。

なんなんだこの一方通行なやり取りは。


「なんでよ、友達でしょ?長い付き合いなんだから。」


「一年半しか無いから。」


「なら、ジャスパーにとって私って何よ?」


「…躾のなっていない馬だね。会った時から、あんたは馬にしか見えないよ。」


「馬…。」


「こんなどうでもいい話をしている時間はないよ。僕はもう行く。ラリマー様の使いが来たら、厩舎に回ってもらって、この部屋の鍵を渡すから。じゃあね。」


ちょっと待てやっ!と叫ぶ私を無視して、再び鍵を閉めて出ていってしまった。

散々罵られ、笑われ、馬扱い…。


あいつには、私の結婚出来ない呪いをかけてやろう。

ちくしょう、と呟いて窓の外を見れば、たくさんの団員達が動き回っていた。


ラリマーさんが誰を使いに出してくれるのかは分からないけれど、早く皆に会いたい。

ユークレース様が捕まった後ならば、全てを話しても構わないかな。


ぼんやりと外を眺めていたら、部屋の扉が開かれた。

そこには、この世界でたった一人の弟、ネリー君が息を切らして立っていた。


「姉さん、本当にアリー姉さんだ!」


私の姿を確認してすぐに、窓際にいた私の元へ駆けてきて、ぎゅっと抱き締めてくれる。

ラリマーさんの家の匂いを感じて、一気に安心感に包まれる。


「ネリー君、迎えに来てくれたの?」


「当たり前だよ!父さんも母さんも心配してる。良かった…無事で…。」


そう囁くように言って、私を抱き締める力が強くなる。

無事でって事は…。


「心配かけて、ごめんね。もしかして、私が国を出たんじゃなくて、何かあったって気づいてくれてた?」


「うん。ルチルの様子を見ていたらね。でも、証拠が何も無かったから、姉さんを見つけられなかった。ごめん。」


「ううん、ルチルはどうしてる?」


「昨夜姉さんが見つかったって伝えたら、気を失う様に眠ったよ。いなくなってから、毎晩眠れなかったらしいから。」


そっか…と呟いた私を離して、いつかのように両手を握りしめてくれる。

顔をあげて目を合わせば、ラリマーさんと同じ茶色の瞳が安堵の色で染まっていた。


ジャスパーに鍵を返しに行き、そのまま本邸へ戻ると言うので、外套を羽織ってネリー君と一緒に部屋を出る。

団員が世話しなく走り回る中を、小走りで厩舎へ向かった。



「ジャスパー君、姉さんを保護してくれて、ありがとう。世話になったね。」


「いいえ、僕は見つけただけですので。」


ネリー君が部屋の鍵をジャスパーに渡して、握手を交わす。

ジャスパーの敬語なんて滅多に聞かないから、なんだか背中がモゾモゾする。


「ジャスパー、色々ありがとう。それで…宰相様は、まだ?」


「ああ、昼過ぎには到着するんじゃないかな。トレイド家の人間達も、騎士団本部に集められているよ。ただ…何かを調べて、帰される者がほとんどらしいけれど。」


何かを調べて…?

ユークレース様とパルマ様に協力していないって、わかった人達かな。


「…おそらく家の中を調べ、尋問をし、宰相閣下に加担していないと証明された者達だろうね。寝耳に水な人間が多数いるんじゃないかな。」


「あの、一騎士が身の程も知らず、失礼を承知でお聞きしたい事があります。宰相閣下は、一体何を?スピネル様はご存知なんですよね?」


それを聞いて困った顔をしたネリー君は、どうしたものかと苦笑いをこぼした。

そして、まあもうすぐわかる事かと呟いて、謀反を企てた事や、他国との繋がりなどを簡潔に話し出す。


「まさか…宰相閣下が、陛下を…信じられません。」


「僕も信じられなかったけれどね。王宮へ戻ってきたら、全てが明らかになる事を祈るよ。さ、姉さん、皆が待っている。行こうか。」


「…宰相様は、どうなるの?」


「…姉さん。」


「陛下の命を狙った罪は、重いなんてもんじゃないよね?この国の法律では、どんな罰が下される?」


「どんな罰かは、これから裁きにかけられてからじゃないと分からない。姉さんは、今は少し休んだ方がいい。」


地面に足がくっついてしまったように、体が動かなくなる。

二人の強張った表情を見ていると、きっと最悪な結末になるんだろう。


死罪、その二文字が頭に浮かんだ瞬間、身体中から熱が込み上げてくる。

ネリー君が私の肩を抱いて、ここから連れ出そうとするけど、その手を振りほどいて、王宮の方を見る。


「嫌だ、だって、宰相様はっ…」


「アリー姉さん、行くよ。」


「でもっ…!!」


「死罪だろうね。」


叫んだ私の目の前に立ち、ジャスパーが低い声で、そう呟く。

後ろで、ネリー君の深いため息が聞こえた。


「スピネル様の話が本当なら、罪が明らかになって数日で、刑が執行される。もう、二度と会うことは無理だよ。あんたがここに居た所で、話すことも出来ない。大人しく帰ったら。」


でも、と駄々をこねる私の手を力一杯引っ張ったネリー君に、帰ろうと懇願される。

それでも抵抗する私と、困り果てた二人の元に、いつか聞いたファンファーレが鳴り響いた。


陛下が、帰ってきたんだ。

そして、ユークレース様も。


「随分早いね…。」


「ネリー君、陛下と宰相様が帰ってきたんだよね!?お願い、遠くからで構わないから、見に行かせて!それくらいならいいでしょう!?」


「…。」


「僕は馬を預かりに出るよ。陛下や宰相閣下、その他の人間に一切声をかけないことを約束出来るんなら、ついてくれば。スピネル様、よろしいですか?」


「ジャスパー君も、姉さんには甘いね…分かったよ。少しだけなら。」


「ありがとう、ネリー君、ジャスパー!」


「ではすぐ向かいます。いいね、あんたは見るだけだから。近づくのも無しだよ。」


「うん、我慢する。」


我慢なの?と呆れたネリー君と一緒に、ジャスパーの後について、騎士団の入口へと向かう。

心臓がばくばくと早鐘を打ち、今にも飛び出しそうだった。



門の側には、既に沢山の兵達で一杯だったが、皆通路の脇に避けて膝をついていた。

それに倣い、兵の後ろで私達も膝を折った。


すると門の外から、ヘリオドール陛下、コランダムさん、そして両脇にピッタリと兵が付き添い、ユークレース様が馬に乗って現れた。

どうやら後ろ手に鎖に繋がれているようだけど、真っ直ぐ前を向いて、毅然としている。


門の内側に入った所で、ジャスパーが陛下の元へ行き馬を預かるのが見える。

何か話しているようだけど、ここからだと声までは聞こえない。


そこで私は、ある違和感を感じる。

陛下を見るのは久しぶりだけど、あんなにも冷たい目をしていただろうか?


戦の最中だからかとも思ったけど、それにしても、まるで別人の様だ。

と、そこで何かを探す素振りをして、足を進め始めた。


「…姉さん、もう帰ろう。宰相閣下も見れたでしょ?」


私の返事を聞く前に、ネリー君がゆっくりと後ろに下がって行く。

待って、と伸ばした手を握られて、兵の列から離される。


「ネリー君、ま、待って…」


「アリー!いるのだろう!出てこい!!」


中腰でこの場を去ろうとしていた私達に、陛下の怒声が響いた。

一気にざわめき出した兵にビクついて、思わず背筋が伸びてしまった。


ネリー君が、ダメだ、と私の腕を引っ張ってしゃがませようとするが、思いっきり陛下と目が合った。

一瞬、陛下の目に熱がこもったように見えたけど、すぐにまた険しい顔に戻り、こちらへ近づいてくる。


ジャスパー…声をかけるなと言っておいて、私がいることを陛下に伝えるなんて、何を考えてるの?

やっぱり、スフェーンを勝手に拝借した罪で捕まるのか…。


その場で立ちすくんでしまい、ネリー君が背に庇ってくれた。

あっという間に兵の間を抜けて、目の前まで来た陛下がネリー君に下がれと命じる。


「陛下、無事のご帰還、喜ばしい限りです。しかし、姉に構っている時間は無いはずでは?」


「…誰に向かっての言葉か。今すぐにアリーを渡せ。」


こんなに冷たい声を出す陛下を、私は知らない。

常に偉そうではあったけれど、その声には、態度には、暖かみがあった。


これは本当に、あの陛下…?

しがみついていたネリー君の背中から、恐る恐る歩み出て、頭を下げる。


「…陛下…。」


戦から帰った王へかける言葉が分からず、一言そう呟く。

顔を下げたままの私の顎を乱暴に持ち上げて、そこでようやく陛下と視線が合う。


「来い。」


真っ白なままの長いマントを翻して、先程までいた所へと戻っていく。

姉さん、と心配そうなネリー君に待ってて、と声をかけて後を追った。


周りの兵達からの視線が痛い。

こうなったら、こそこそしても仕方が無いと諦めて、姿勢を正して歩く。


ユークレース様の前までやって来た時、何故かコランダムさんが慌てた様に、陛下に何かを囁く。

それに首を振って答えた陛下は、ユークレース様を馬から下ろすよう命じた。


私の目の前に跪いたユークレース様は、私の方をゆっくりと見上げた。

な、何だろう、なんで私が呼ばれたのかが、全くもって分からない。


てっきり、スフェーンの事で捕らえられるんだとばかり思っていたけど、どうやら違うみたいだ。

私の横に陛下が並び、その後ろでコランダムさんが苦しそうな顔をして私の方を見た。


「ユークレース、お前はアリー・セレスト監禁の罪を認めたな?」


「はい、陛下。」


「アリー、間違いは無いか。」


間違いは無い、が、何やら嫌な予感がする。

ここではい、と答えた結果、ユークレース様はどうなるんだろう。


さっきのコランダムさんの慌てた様子や、周りの兵達のざわめきからして、絶対に良くない事態になりそうな気がする。

でも、ここでユークレース様を庇うような事をしたら、私も謀反の疑いをかけられるのかな。


「…陛下、私は監禁などされていません。」


「何?」


思わず、そう口から出てしまった。

陛下の纏う空気がより一層冷たくなった…でも…。


「宰相様は、戦が始まるかもしれないので、安全な場所に居たらどうかと私に提案してくれました。私はそれに答えただけです。」


「アリー、ユークレースは既に罪人だ。それを庇うならば、お前も…」


「陛下!お待ちください!!」


この場にいるはずの無い声が響く。

急いで声のした方を見ると、ルチルが息を切らして立っていた。


横には、ラリマーさんもいる。

今すぐに駆け寄りたい気持ちを堪えて、胸をぎゅっと押さえた。


「陛下、発言をお許し下さい、アリー様の仰っている事は、真実でございます!」


「アリーの侍女か、捕らえよ。」


近くに居た兵が慌てて立ち上がるけれど、ラリマーさんが一歩前に出て、ルチルの横に立つ。

そして、恭しく頭を下げた。


「陛下、無事のご帰還喜ばしい限りです。娘の侍女が大変失礼を致しました。ですが、どうやら娘は戦を前に逃げ出した様で。それを宰相閣下が匿ってくれただけの事。娘も私に恥じて、何も言わずに去ってしまったもので…お騒がせをしました事、私が全て責任を持ちます故、どうか許してやっていただけませんか?」


「…ラリマー、追って沙汰を下す。覚悟は出来ているな?」


「ええ、陛下。」


「ま、待ってください…」


「アリー、陛下の御前である。お前はもう下がりなさい。」


足早にラリマーさんが私の元へやってきて、にっこりと微笑んだ。

これ以上口を挟むなと、目が言っている。


「では、罪人を連行せよ。」


陛下の言葉と共に、騎士団の本部へと再び歩みが始まる。

どうしたら良いのかわからずに固まっていたが、どこかホッとした様なコランダムさんにポン、と肩を叩かれて、我に返りユークレース様を見た。


もう私を見ることもなく、真っ直ぐに前だけを見て進むユークレース様の横顔は、やけに綺麗に見える。

何かを吹っ切ったような、達観したような。


それが無償に怖くなって、思わず名前を呼んでしまったが、誰一人振り返らずに行ってしまう。

暖かな日差しも、ラリマーさんに抱えられた温もりも、全てが熱を無くしたみたいに、冷えていくばかりだった。





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