37. 王宮へ
王都から馬の足で二時間くらいの所にある街に着いた私は、スフェーンを馬屋に預けて、服の調達に出た。
ここはまだ避難指示がされていない様子で、ちらほらと人も歩いている。
一件の服屋に着き、黒のドレスから濃い緑のワンピースと、同じ色の大きな外套を身に付けた。
頭まですっぽりとフードを被れば、髪も目も分からなくなる。
「お客様、本当に珍しいお色をお持ちですわねぇ。」
「あ、はい…今朝、フローライトから来ました。」
「あらそうでしたの。まだ船が出ておりましたのね。それにしても喪服姿には驚いてしまいましたわ。」
「すみません、昨夜お葬式があって、そのまま船に乗ってしまったんですよ。」
「戦が始まりましたものね。これから喪服の需要が上がりますのよ。悲しい事ですわ…。」
服屋の店主だという、しっとり美人なマダムが溜め息をつく。
そうですね、と二人でしんみりしていたら、店の奥からディアンも着替えを済ませてやってくる。
ディアンは光沢の無いグレーのジャケットに、淡い水色のパンツ姿になっていた。
黒以外を着ているディアンを見るのは初めてで、つい、わぁと声を上げてしまった。
「まあ!旦那様も素敵ですわね!裾を直さなくてもよさそうですわ!」
流石にディアンまで黒髪黒目のままでいる訳にはいかず、髪も瞳も濃い青になっている。
それでも神としてのオーラは健在で、ただのジャケット姿なのに、後光が差しているかのようだ。
お持ちになった服をお入れ致しますわ、と店主が私達の服を綺麗に畳んで、袋に仕舞ってくれた。
これで、どこへでも気楽に行ける。
「ディアン、格好いいね。顔がいいと何でも似合うんだ。」
「アリサはそれで良いのか。」
「ん?どこか変かな?」
「旦那様は、奥様をもっと着飾りたいのですわ。…男性が女性に服を与えるという行為は、それを脱がせるのが楽しみだという意味がありますのよ?」
後半の言葉は、私にしか聞こえないよう、ひっそりと囁かれた。
そんな事言われてもな…。
都合良く勘違いしてくれたのはいいけど、まず夫婦じゃ無いし、そんな事考えてる場合じゃないし。
けれど買って貰う手前、ディアンの意見を聞いた方がいいのかも。
「私はこの色が好きなんだけど…似合わない?」
「似合っている。」
「ならこれで!」
「「…。」」
やや残念そうな店主に淡々と支払いを済ませてくれたディアンと、荷物を持って外に出た。
気付けば、太陽が真上に来ていた。
「ありがとうございました、旦那様、奥様。お気をつけて行ってらっしゃいませ。またこの街へいらした時には、ぜひ覗いて下さいませね。」
「はい。店主さんも、戦に巻き込まれないよう、気をつけて下さい。」
「ええ、王都からの指示が出ましたら、すぐに逃げることに致しますわ。早く、日常に戻るといいのですけれど…。」
小さくはないこの街で、お昼前だっていうのに人が少ないのは、戦を警戒しているからだろうな。
上の人間達のする事なんて、この人達には関係が無いのに。
無条件で、日常が奪われてしまうんだ。
カナリーさんの考えは分からなくも無いけれど、他国を巻き込んでいい理由には思えない。
宰相様に至っては、これっぽっちも理解出来ないけどな。
やっぱり、あの人をどうにかしない限り、この戦は終わらないような気がする。
それが一番、難しい事だけど。
見送りをしてくれた店主に手を振って、馬屋でスフェーン達と合流する。
「ディアン、ありがとう。お金は後で必ず返すからね。」
「いい。」
「良くない。こういう事はきちんとしなくちゃ。それにしても、よく持ってたね?」
「稀に、人間の仕事をして稼ぐ。使うことはほぼ無いが。」
神なのに働くんだ…なんともシュールだ。
まさか皿洗いでもするのかな。
「お陰で助かった。これからは目立ったらまずいもんね。」
「これから、どうする。」
「本音を言えば、真っ先にルチルに会いに行きたいけど…もう、二度と危ない事には巻き込みたくないから。とりあえずこっそり王都へ入って、様子を伺おうかな。王宮にさえ近づかなければ、私だとはバレないと思うんだ。」
それを聞いたディアンが、王都のある方向へ体を向けた。
目の色だけが、黒に戻っている。
「負の感情が強い者は、二人。共に王都に居る。」
ユークレース様とパルマ様だよね。
やっぱりまだ諦めてはいないか。
「アンダルサイトは国境を越えた。ジンカイトは兵を引いたが、未だ協力体勢である事には変わり無い。」
「南のジンカイトの王様へ、伝令はもう出たんだよね…兵が引いた事実も、アンダルサイトへもうすぐ伝わるかな?」
「恐らく。足止めにはなるが、長くても二日程度だ。」
「じゃあ今日と明日中は、大きな移動はしないかな…その間に、東のマラカイトの援軍が少しは来てくれたらいいんだけど。」
「ジンカイトが引いた事だけでは、アンダルサイトが侵攻を止める事はしないだろう。後は、王都への侵入をどの程度防ぐ事が出来るか。」
「王都の周りは高い石の城壁でしょ?出入口は一つしかないし、そこも頑丈な石の扉だし…簡単には入れないよね?」
西のアンダルサイト方面へ目を向けていたディアンが、私を見た。
その真剣な眼差しに、思わずスフェーンの鬣を握る。
「アンダルサイトには鉄の兵器がある。石は木に強いが鉄には脆い。王都へ近付くまでが勝負だ。」
ユークレース様は十日で戦を終えると言っていた。
今日で六日、二日は時間稼ぎができたけど、本来の予定で行けば、十日で全て終わるなんて難しいような…。
「宰相様は、陛下にも戦に出てもらう様に仕向ける…?ねえ、ディアン、国王も戦場に出るの?」
「規模によるが…今回の戦ならば出てもおかしくは無い。」
「アンダルサイト側の軍の中に、まさか王妃はいないよね?」
ディアンがもう一度、アンダルサイトの方を見る。
そして、眉間に皺を寄せた。
「アンダルサイト側の橋の前に陣を構えている。国王も一緒だ。」
「王妃が戦場にいるの!?そこまでして宝石が欲しいのかな…。カナリーさんはどこにいるんだろう。王弟は国のどこにいるか分かる?」
「…中枢から動いてはいない。」
「だったら、カナリーさんも戦場には居なそうだな。やっぱり、宰相様とパルマ様をどうにかしなくちゃ、戦は終わらないよね。とりあえず王都へ戻って、何か情報を知りたいな。」
「これ以上は、私達に出来る事は無い。」
「分かってるよ…。」
「では、王都までは馬を使う。」
はーい、と気の抜けた返事をした私は、スフェーンに乗ってフードを浅く被る。
ああ、暖かい…。
王都へ帰ったら、どこか宿をとってお風呂に入りたいな。
…お金、無いけど!
「スフェーン、もう少しだけ乗せてね。王都に着いたら、大好きな干し葡萄をたくさん用意するから!」
ブルルッと返事をくれて、ゆっくりと歩き出す。
スフェーンもずっと鞍をつけっぱなしで疲れたよね。
…そういえば、スフェーンもバレないようにしなきゃだな。
王都の端の方にある宿を見つけようと考えながら、手綱を握りしめた。
それから丁度二時間程で王都の入口に着いた私達は、門の前でどうしたものかと頭を抱えていた。
そこには、近隣の街や村から集まった人達で溢れかえっていた。
避難指示が出ていなくとも、王都の中が一番安全だと考えている人達なんだろう。
身分の証明や、王都に住んでいる親族の紹介状等を持った人が列を成していた。
「ねえディアン…よく考えたら、どうやって中に入れてもらおう…私、何も持ってないや。」
「裏へ。」
「裏?ここ以外に入口があるの?」
一年半ここで暮らしていたが、他にあるなんて初耳だ。
裏町があるのは知っていたけれど、そこから出られるような所があるのかな?
ディアンの後について、正門から壁伝いに裏へと向かった。
が、行けども行けども、入口らしきものは見当たらない。
「ディアン、どこまで行くのよ。このままじゃ一周回っちゃうよ?」
ここだ、と歩みを止めたディアンの前にはやや薄汚れた石の壁があるだけだ。
スフェーンから降りて壁を触ってみても、隠し扉の様なものも見当たらない。
「壁しかないよ?」
ディアンが馬から降りて、壁の真ん中に手を当てた。
人が一人通る事が出来る程度の穴がポコッと開いたと思ったら、ディアンに背中を押されて中に促される。
何がどうなったのか、あえて聞くまい。
全ては神業でおしまいだもんね…。
「あ、スフェーン!」
穴の外側からこちらをじっと見つめていたスフェーンが、ブルッと一声鳴くと、来た道をどんどん戻って行ってしまった。
どうしよう?と、ディアンを振り返れば大丈夫だ、と頷かれる。
「呼ばれるまで、身を隠すと。」
「身を隠すって…スフェーン大丈夫なのかな…」
すると、穴がどんどん小さくなって、元の石の壁に戻ってしまう。
神が大丈夫だって言うんなら信じようと、心の中でスフェーンにエールを送り、人通りが無い狭い路地を抜けて裏町の中心に出る。
戦が始まったと言うのに、朝から酒を飲んでいる人や賭博をやっている人達もいる。
中には全身武装している大きな男の人もいるけど、ほどんどが戦なんて気にもしていなそうだな。
行き交う人の波に乗って宿を探していると、ふいにドンっと後ろから来た人と肩がぶつかってしまう。
すみません、と横を見て謝ろうとした時だった。
「時は満ちた」
「えっ?」
まるで何も無かったかのように人混みに紛れてしまったその人は、一言そう囁いて、消えてしまう。
私に向かって言った訳ではないのかな?
背伸びをして今の人を探してみるけど、もう先へ行ってしまったらしい。
間近で見たはずなのに、なぜかどんな人だったかがおぼろ気にしか分からなかった。
「…今のは珍しい人間だ。」
「珍しい?ねぇ、今の人…多分男の人が何か呟いていったんだけど…。」
「何と。」
「聞き間違いじゃなければ、時は満ちた、って。」
それを聞いたディアンが、王宮の方角へ目を向ける。
目を細めるだけで、表情は変わらない。
あの輪郭がはっきりしないような感覚は、覚えがある。
建国の日に会った、ウィスタリア家の人達だ。
でも一瞬だったし、意味が分からなかったし…。
そもそも、私に何かを伝えに来る訳がないよね。
「ディアン?何かあった?」
「いや、まだ何も。」
「そう…ただの独り言だったのかな。あ、良さそうな宿があるよ!」
ではそこへ、とディアンに促されて宿へ入る。
裏町の中でも小綺麗な宿の一室を取り、しばしの休息となった。
ディアンが様子を見てくると姿を消した後、湯あみを済ませて食堂へ向かった私は、軽食を頼んでから席に着く。
夕食にはまだ早い時間だったが、数人の客が酒を煽っていた。
ああ、いいなぁビール…と涎が垂れそうになるのを飲み込んで、溜め息を吐いた時だった。
宿の入口がバーンと勢い良く開かれて、一人の痩せたおじさんが血相を変えて中に飛び込んできた。
「た、大変だ!アンダルサイトの軍が、王都の近くまで来たんだってよ!!ついさっき陛下が出陣したそうだ!」
そう叫んだ男の言葉に、一同顔が青くなっていく。
早すぎる…朝まではまだ離れた所にいたのに、半日程で近くまで来るなんて。
アンダルサイト王妃は、何をそんなに焦ってるの?
一気にざわつき始めた所に、軽食が運ばれてきた。
ディアンが部屋に戻っているかもしれないと思い、私もさっさと食事を済ませて部屋へ戻った。
しかし、日が暮れても現れなくて、あまり眠れないままに朝を迎えた。
部屋の窓を開けて朝の風を感じていると、後ろに気配を感じた。
振り返るとそこには、難しい顔をしたディアンが立っている。
「ディアン?遅かったね…昨日、アンダルサイトの軍が近くまで来たって聞いたんだけど…。」
言い終わらない内に、ディアンが目の前まで近づいてきて、私の両手を握った。
なんだろうと顔を上げれば、両目と髪が真っ黒に戻っているディアンと目が合った。
「負の感情が消えた。」
「消えた?それは、宰相様の事?それとも負の感情を持つ人全て?」
「いや、巨大な感情を持っていた人間ただ一人だけだ。」
「じゃあ宰相様だけなのか…でも何で?」
そこでスッと一瞬視線をそらせたディアンが、意を決した様に、私の瞳をじっと見つめてくる。
…これは、何かあったのかな。
「ディアン?」
「今すぐ王宮へ行け。」
「え?でも…負の感情が消えたとはいえ、私が戻っても大丈夫なのかな…。」
「アリサ、自身の目で、耳で、心で、現実を受け止めて来い。」
「ま、待ってよ…」
「アリサは不運にもこの世界へ来てしまっただけだが…どうか、私の世界の人間達をしっかりと見て欲しい。」
「やだ、やめてよ!そんな言い方するなんて、それじゃあまるで…」
大切な誰かが、いなくなるみたいじゃない。
声に出せない言葉を胸に抱えて、外套を羽織ってすぐに宿を飛び出した。
部屋を出る時にディアンが悲しげに微笑んでいた気がするけれど、その意味も分からずに、走って王宮を目指した。
ユークレース様が言っていた十日までは、まだ時間がある。
まだ大丈夫、誰も何も起きていない、と根拠の無い事を繰り返し呟きながら。
王宮への馬車も動き出していない朝の時間、遠くに石造りの立派な王宮が見えた。
たまに王都へ出ると、こうやって離れた所から見る王宮の姿が正に絵に書いた様な美しさで、大好きだった。
それが今は、どうしようも無く切なくなる。
何を急げばいいのかも分からないまま、ただひたすらに走り続けた。




