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36. 神の申し子

『この騒ぎはなんだ!!戦など、神への冒涜としか思えぬ!王を出せ!!!』




『…黒い髪…黒い瞳…』


『あれは…』


『まさか、いるのか、神は…』


『見間違いじゃないのか?』


『…見てみろよ、全てが黒い…』


『ヒィィィッ!!』




ジンカイトの軍が、一斉に私から距離をとる。

公衆の面前で怒鳴り声を上げて偉そうに叫ぶ、という羞恥プレイを晒した私は、今にも気を失いそうだった。


神への冒涜って。

ぼうとく、の漢字すら思い浮かばない。


今の私は、創世神オブシディアンの申し子、と言うことになっていた。

こんなキャラ設定に決まったのは、遡る事数時間前。



夜中に差し掛かった頃、東のマラカイトとの国境付近に陣を構えていたジンカイトの軍勢から、少し離れた所に着いた。

遠目にも炎の明るさが分かり、およそ二千程の軍らしい。


ディアンが言っていた通り、目を開けた瞬間に体の力が一気に抜けるような感覚に陥った私は、スフェーンから降りて、地面に膝をついていた。

全身が筋肉痛みたいになっている。


「これは…結構キツイね…。」


「大丈夫か。」


「うん、なんとか。」


「夜明けまで時間がある。少し眠れ。」


「寝ていいの?ディアンは?」


「見張りを。」


じゃあ、少しだけ横に…と草むらに寝転ぼうとしたら、スフェーンが足を折り体を貸してくれる。

馬とは思えない程のふわふわの毛に上半身を預けて、しばし仮眠をとった。


明け方ディアンに起こされて、半分寝ぼけたまま、これからの作戦を考え始めた。

まずは、私の立ち位置を決める事に。


ディアンは極力姿を見せたくは無いようで…。

私は神が直々に造り上げた人間という事にして、正に神の様な振る舞いをしたらどうかと提案される。


「我は神の子であるぞ~って、偉そうにしたらいい?」


「ああ、強気で行け。」


「怖がってもらって、この戦から引いてもらうんだもんね。ああ、緊張するな…。」


「姿は消すが、隣に居る。」


「見えなきゃ一人なのと変わんない気がするんだけど…それで、何て言えばいい?」


「王を出せと。しかし、王は国の中枢から出てはいない。軍団長程度の者に話をつければ、兵は引くだろう。」


「話をつけるって…具体的には?」


「神がこの戦に怒りを覚えている、今すぐに手を引かなければ神罰が下るとでも。」


「うーん、私の頭の中にある語録で上手くいくかな…。」


私はオブシディアンの子で、神からの言葉を伝えに来たって感じかな。

神罰は、三百年前の戦の時みたいな天変地異を起こすかもしれない、っていう体でいくか。


実際には私はただの人間なんだし、何か恐怖を与えるような演出が欲しい所だけど…。

黒髪黒目だけで、どこまでビビってもらえるかが勝負かな。


「ねえディアン、雷か何かを少し離れた場所に落とせないかな?空が真っ暗になって、ドーン!って。」


「アリサが剣を天にかざせ。それを合図に。」


「ああ、出来るのね…ねぇ、やっぱりディアンが行った方が良いんじゃない?」


「人間であるアリサがする事に意味がある。フローライトの神官長には、人前で力を奮うなと言われている。」


「えっ!?神官長は、ディアンと話せるの?」


「代々私の声を伝える為だけに存在している。しかし、祈られるがまま願いを叶えていれば、神官長に取り入って私の力を欲する者が出てくるからと。」


「だったら、今回も神官長様に来てもらえば…」


「フローライトは、他国の戦に手出しは出来ない。」


「…じゃあこの戦が終わったら、私に取り入る輩が出てきそうだけど?」


「フローライトへ来るといい。神官長に話をしておく。」


旅に出るつもりだったからいいけど、また違った意味での監禁生活になりそうだな…。

平凡にのんびりと暮らす予定が、どんどん崩れていく気がする。


神官長様、いい人だといいな。

そんな事を考えていたら、東の空が明るくなってきた。


夜営をしていた兵達が動き出している。

夜が明けたら、スフェーンと一緒にあそこへ行かなきゃいけない。


大丈夫、大丈夫、とスフェーンが私の手を舐めてくれる。

意を決してスフェーンの背に乗り、短く息を吐く。


「じゃあ、行くよ。」


ああ、とディアンが返事をして姿が見えなくなる。

小高い丘の上で一人、腰にある剣を握りしめた。


私は神の子、私は神の子…と、自分自身に暗示をかけた。

パンがなければお菓子を食べたらいいじゃない精神を胸に、スフェーンのお腹を蹴った。




そして、冒頭に戻る。

人生で初めての大声を出した私は、既に息が上がりそうだ。


私の怒声に、兵達がざわめく。

どうやら、予想外の事態に皆混乱している様だ。


ただでさえ寝起きの所にこんな変な女が現れたら、パニックになるよね。

さて、誰が出てくるのか…いきなり弓で射られたりしないだろうな。


『お、女!ここは戦場だぞ!何奴だ!』


勇気ある一人の兵が、丘の上にいる私に向かって、問いかけてくる。

剣をこちらへ構えながら。


『私は創世神オブシディアンの申し子!神は大変憤っておられる!今すぐに兵を引け!』


『申し子…それを証明するものは!?』


『この世に、黒を纏った人間を見たことがあるか!私の髪が、瞳が、その証拠である!』


『っ…し、しかし…』


南のジンカイト王は信心深いのかもしれないけど、兵達はそこまでじゃないのかな。

逃げ腰には見えるけど、どうしたらいいのか分からないって言うのが本音だろう。


と、その時、馬に乗った一人の恰幅のいいおじさんが、丘の下すぐまで近づいてきた。

あれが、ここの兵をまとめている人かな。


『申し子様、私の兵が大変失礼を致しました。私はジンカイト王国赤の軍、軍団長ヴォルカンでございます。此度は神のお言葉を伝えに参られた…という事にございますか?』


『…少しは話が出来る者の様だ。その通り。オブシディアン様は、この戦に大変お怒りである。兵を引かぬのならば、容赦はされないだろう。』


『容赦が無い、とは…。しかし我らが王は、戦の首謀者ではございません。ここよりも北の国にて戦が起きております。そちらへは参られましたか。』


うっ…そりゃそうか…。

でも、西のアンダルサイトはこんなんじゃ引かないだろうな。


『…三百年前の戦を忘れたか。かの戦では、時の王は聡明な判断を下したと聞く。この戦も、答えを間違えぬように。』


『……分かりました。王に伝えねばなりませんので、王都まで一旦兵を引く事に致します。』


『それで良い。』


よ、良かった…これで東のマラカイトが少しは動けるようになるかな。

後は、ジンカイトの王様がこの戦から手を引いてくれるといいんだけど。


私の仕事は終わったとばかりに、スフェーンを撫でながら、北へ戻ろうとした時だった。

軍団長が、お待ちください!と私を呼び止めた。


『申し子様、貴女様は、アイオライト王の愛妾であるという、アリーと言う女はご存知ですか。』


おおうっっ!そうだった!!

アリーとしての私の存在は、他の国々にバレてるんだ。


見た目が珍しいだけあって、二人といないよね。

でも、愛妾だと言うのは全力で違うと叫びたい。


『その女も、黒髪黒目だと。申し子様は、そのアリーと言う女なのではないですか?』


どうしよう、かろうじて眉間の皺と目力はキープしているけれど、背中にうっすらと汗が滲む。

落ち着け、私。


ここでイエスと言ったら、アイオライト王国の手先だと思われる。

けれどノーと言っても、信用性はほとんど無い。


とくれば、私が出来ることはただ一つ。

盛大に、しらばっくれるのみだ!!!


『ヴォルカン、と言ったか。ではお前に問おう。その女にはこのような力はあるか?』


言い終わると同時に、短剣を鞘から抜き、天高く振り上げる。

途端に、さっきまで朝日が指していた大地が、暗闇に隠れ始めた。


軍団長から外さない様にしていた視線を、ゆっくりと空に向ける。

そこには、私を中心として真っ黒な雲が、巨大な渦を巻いて集まっていた。


それは陣を敷いていた兵達の周りを取り囲み、辺り一帯を真っ暗に染め上げた雲が、ゴロゴロと音を鳴らし始めた。

そして、一番外側の雲から、いくつもの雷が落ちる。


ドォンと、耳をつんざくような音に、兵達が頭を抱えて縮こまり、中には腰を抜かした人もいるようだ。

必死に冷静さを保っている私も、この規模の雷は恐怖しかない。


そして私を見ていた軍団長が、慌てて後ろを振り返る。

一際大きなテントの様な物の天辺に、一筋の雷が落ちた。


すぐに炎が上がり、兵達が散々になって逃げ出すのが見える。

これは、ディアンの最大級の脅しだ。


『もっ申し訳ありません!!!すぐに陣を引け!王都へ戻るぞ!!』


『……。』


馬上から私に一礼をして、軍団長が陣へと戻っていく。

どうか火傷をしたり、怪我をした人が居ませんようにと心の中で呟いて、私も背を向けてスフェーンを走らせた。



「アリサ!」


丘を越えてしばらく走った後、森の側でディアンが迎えてくれた。

スフェーンから降りた私は、そのまま膝から崩れ落ち、今になって手足がガクガクと震えてくる。


「お、終わった…。軍団長は、本当に国へ帰ってくれるかな…。」


「ああ、既にジンカイトの王都へ早馬が出た。これで、しばらくは手を出しては来ない。」


「…しばらくは、なの?」


「王の出方次第だが、一筋縄ではいかないのが人間だ。」


パルマ様の実家の力が、どこまで王に響いているのかな。

ビビらせよう作戦は成功したみたいだし、どうかこのまま手を引いて欲しい。


祈るような気持ちで両手を合わせる。

て、誰に祈ってるんだか私は…。


ディアンが姿を見せたって事は、周りに誰もいないんだと思い、そのまま地面に仰向けで寝転んだ。

ああ、疲れた。


スフェーンが一生懸命私の顔を舐めてくれる。

くすぐったくて、クスクスと笑いながらスフェーンの鼻を撫でた。


「スフェーン、お疲れ様。そしてディアン、力を貸してくれてありがとう。これで、村の皆が逃げる時間も作れたかな…?」


「ああ、大丈夫だ。」


「アハ、アハハハ!神の申し子だぞ、なんて、言う日が来るとは思いもしなかったよ!アハハハハ!」


頭のネジが一本どころか二、三本抜けてしまった私は、何だか急に可笑しくなってしまった。

仰向けのまま、ゲラゲラと一人で笑っていると、ぐっと体を引き起こされて、ディアンに抱き締められた。


「アリサ、済まない。」


「あー、お腹痛いっ、はぁ、はぁ、…何が?」


「怖かっただろう。」


「……うん。」


「この戦、一瞬で終える事も出来る。」


「う、うん?」


何やら物騒な一言を発したディアンは、鼻先の距離で私と目を合わせた。

真っ黒な瞳が、ぐらぐらと揺れている。


「全て、洗い流そう。」


「ちょちょちょ、ちょっと待って!ディアン、どうしたの?いきなり何を言い出すの。」


「アリサはこの世界の人間では無い。ならば、ここがどうなろうと構わないだろう?」


「構うわ!私は自分の世界に帰れないんだから。もうここが、第二の故郷になってるよ。」


それを聞いたディアンが、ハッとして悲しそうな顔をしながら、私の胸に顔を埋める。

あ、つむじは右巻きなのね。


「…アリサを傷つけてしまった。」


「別に傷ついてないよ。心へのダメージはやや大きかったけど、剣を振り上げた時は、ちょっと楽しかった。まるで魔法でも使えるようになったみたいで…あ、魔法って分かる?ディアンが使う力みたいなものが、私の世界のお伽噺には出てくるんだよ。」


「私は、お伽噺では無い。」


「分かってるって。」


「ここが、アリサの居る場所だ。」


「うん、だからあんな事が出来た。」


「嫌にならないか。」


「この世界が?」


「ああ。」


「ならないよ。大切で仕方がない。」


そう、人だけじゃない、この世界が私にとって大切なものになりつつある。

それは、自分が居る場所でもあり、大事な人がいる所だから。


それを全て無くしてしまったら、それこそ私はこの世界が嫌になるだろう。

争いは悲しいけれど、それも含めて、今居る場所が愛しく思える。


「まだ戦は終わってないんだから。少し休んだら、アイオライトへ戻ろう?ディアンは私を守ってくれるんでしょ?」


自分と同じ黒髪を優しくすくと、コクン、と一つ返事をくれる。

完全に私にしがみついている様な格好のディアンを起こして、同じく真っ黒な瞳を合わせた。


「なら私の騎士、って事かな?なんか格好いいね!それで行こう!」


「…。」


「ん?今さらって思ってる?だからさぁ、私はそう言うのに慣れてないんだよ。ディアンにその服をあげたどこかの王なら、我が騎士になれ~ってすぐに言えたのかもしれないけど。ほら、私の中でディアンは、お母さんだから。」


「お母さん…。」


「ま、どっちでもいいけどね。もうしばらく、よろしく頼みますよ。」


再び私の体にがっちりとしがみついて来たディアンを、後ろにいたスフェーンが足で軽く蹴っ飛ばした。

おっとスフェーンさんや…仮にも相手は神様なんだけど…グッジョブ。


その蹴りで目を覚ましたようなディアンが、ゆっくりと私を立ち上がらせてくれる。

なんだ、ディアンもネジがぶっ飛んでたんだね!


「人間になっている時のディアンは、ちょっとめんどくさい性格してるんだね。」


「嫌いなのか。」


「フフっ、ほら、そう言う所がめんどくさい。」


面倒くさいのか…とブツブツ呟いているディアンを無視して、スフェーンの体を撫でる。

アイオライトへ戻ったら、どうしようか。


私が抜け出した事がバレたらまずいから、どこかで顔を隠せるような服が欲しいし、この時期にパフスリーブのドレス一枚じゃ寒い。

…お金、持ってないけど。


そこは是非とも、私の騎士にお願いしよう。

持つべきものは神だな!


私の心の中で財布扱いされている事も知らずに、この後の移動での体の心配をしてくれる。

服を調達したい有無を伝え、王都から離れた街に着くようにしてもらった。


一晩たって、アイオライトはどうなっているんだろう。

私に出来ることが、まだあるのかな…。


深呼吸を一つして、スフェーンの背に乗る。

あれほど空を埋め尽くしていた黒い雲がすっかり消えて、朝日が眩しい。


「よし、じゃあディアン、よろしくお願いします。」


私の言葉に頷いたディアンが、姿を現した馬に乗った。

そして、私の横にピッタリとくっつく。


ディアンの方へ手を伸ばして目を閉じる。

握り返された手を引かれた時、唇に柔らかいものが触れた気がした。





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