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35. 死者の色を纏う

あれから五日目の夜。

何も変わらず、ただ一人で牢屋生活を満喫していた私の元に、ようやく神がやってきた。


「あ、ディアン!待ってたよ!」


「無事か。」


「あ、あはは、ひたすらゴロゴロしてたんだよね。こんなにゆっくり日々を過ごすのなんて、いつぶりかな?宰相様が本も用意してくれてたみたいでさ、一気に読んじゃった。」


そう、この六畳一間の空間が思いの外快適で、ここが地下の牢屋だって事を頭の隅に追いやり、のんびりと過ごしていた。

一日目はさすがに食欲も無く、閉ざされた空間に涙を流していたけれど、三日もたてば自然とお腹が空いてくるし眠くもなる。


日本に居た頃は五日連休などお盆と年末年始くらいなもんだったから、この世界へ来て連休なんて初めてじゃなかろうか。

…これを連休と言っていいのかは微妙だけども。


ルチルや戦の事が気になったけど、ここで考えた所でわかるはずもなく。

五日目が終わろうとしている夕方、ランプの一つに火を灯した所で、暗闇の中からディアンが現れた。


「ルチルはどうしてる?無事?」


「ああ。家族の元へ帰った。」


「そっか…宰相様の手先から何かされたりとかも無いの?薬の後遺症も無い?」


「無い。」


「なら良かった…本当に、申し訳ない事しちゃったな…。」


「同じ事を繰返していた。」


「ルチルが?」


「アリサへの謝罪以外は何も話していない。」


私への謝罪なんて…ルチルが悪い所はこれっぽっちも無いのに。

全ては、あの宰相様だ。


そして、それを予想出来なかった自分にも腹が立つ。

何が起こるか分からない時に、ルチルと離れるんじゃなかった。


「ディアン、ここから私を出せる?」


「可能だが…」


私の問いにスパっと一言返してくるディアンが、言い淀む。

これは、もう戦が始まってるんだ。


「分かった、とりあえず外の状況を教えて。私が閉じ込められている間、何があったの?」


「三日前、アンダルサイトの騎馬隊と国境の橋で衝突があった。昨日本隊も合流し、アイオライト側の橋にて交戦中だ。」


「この国の騎士団が応戦しているの?」


「第三騎士団とトレイド家の私兵が主だ。公安部が王都の治安維持、第二騎士団が国境と王都までの警戒に、第一騎士団は王都にて待機している。」


「じゃあまだ王都の皆は無事なんだね。でも、外の街や村は?」


「国境付近の人間は逃げているが、安全では無い。」


「東のマラカイトはどうしてるの?」


「ジンカイトの一部の軍がマラカイト側の国境に陣を敷いている。それの警戒と、この国への人員の援助は申し出ている様だ。」


「私が保護された村は東のマラカイト側だから、まだ安全なのかな…。」


「アンダルサイトの軍は大きい。明日には突破され、王都に近付く。時を同じくして、ジンカイトがマラカイトに攻撃をしかけるだろう。そうなれば、マラカイトからの援助は望めない。」


「東のマラカイトを挟み撃ちして動けなくしてから、この国への総攻撃をしかけて来るって事?」


「それが狙いだ。」


「…宰相様とカナリーさんは、アンダルサイト王妃軍がこの国へ侵略して、陛下を殺すっていう事実が欲しいんだもんね。トレイド家の私兵が前線に出ているのが、誘導する為なのかな…。」


「賢い。」


「だてに五日間ゴロゴロしていませんよ。これでも、この戦がどうなるのか私なりに考えていたんだよね。」


「此処に居た方が安全だ。」


「……そういえば、ここはどこなの?」


ディアンに紅茶を用意して、部屋の真ん中にあるテーブルへ案内する。

ここの温泉水で飲む紅茶は絶品だ。


部屋の明かりを点けた後、私はベッドの端に腰かける。

そして、ようやくここがどこだか分かった。


ここは宰相様の管理地の一つで、王都から馬車で半日ほど離れた場所らしい。

アンダルサイト王妃が狙っているアルマースと言う鉱物が採れる山が近くにあって、違法に採掘する輩を取り締まる為の舘の様だ。


だから、こんなに頑丈な石牢があるんだな。

しかし王都から半日も離れた場所なんて…。


「今すぐ皆の所へ戻りたいけど、私が抜け出した事が宰相様にバレるとまずいかな。一人で出られる訳が無いから、私の回りの誰かが疑われて危害を加えられても困るし…でも、このまま戦が終わるまでこんな所に居たくない…。」


「アリサはどうしたい。」


「そりゃここを出て、まずはルチルの所へ行って、ラリマーさんに会って、後は…。」


カナリーさんは、アンダルサイト王妃が陛下に害を成そうとしたって言う事実が欲しいんなら、既に攻撃を仕掛けてるんだから、目的は達成寸前なはず。

しかし、宰相様の目的はなぁ…。


まさか四六時中、陛下にべったりくっついている訳にもいかないし、コランダムさん達第一騎士団が守っているだろう。

それよりも、宰相様とパルマ様に陛下を殺す計画を諦めて貰うのが一番いいんだけど、それが出来たら戦になんかなっていない。


きっと、ラリマーさんと影の皆さんが一生懸命動いていると思うから、早く裏がとれるといいんだけど…。

こういう時って、一市民はどうする事も出来なくて、ただ周りに翻弄されるだけだ。


住む場所を追われ、兵士達に怯え、逃げるしかない。

この国や他の国の人々だって誰一人、戦なんて望んではいないだろう。


武器を作ったり、売ったりする人達は儲かるのかもしれないけど。

でも、そんなのはほんの一部だ。


ふと、私を保護してくれた村の皆の顔が浮かぶ。

国境を突破して東のマラカイトへ攻撃をするんなら、あの村だって危ない。


あそこは家畜も沢山いたから、逃げるのだって簡単にはいかないだろう。

子供やお年寄りだっているんだし。


「ダメだ!ディアン!どうにかなんないかな!?やっぱりこのまま、安全な場所でのんびりなんてしてらんないよ!」


「…人の心を動かす事は難しい。」


「そりゃそうだけど…」


「だがジンカイトだけならば…」


「ジンカイト?」


「アンダルサイトとこの国の負の感情は、誰かに止める事など不可能に近い。しかしジンカイトの王は、今回の戦に然程思い入れは無い。」


「…南のジンカイトが引いてくれれば、西のアンダルサイトは後ろの守りが無くなるから、進軍しづらくなるよね。そうすれば、東のマラカイトがこちらへ援助しやすくなる…」


「そういう事だ。」


「よし、じゃあディアン頑張って!私は心の中で応援してるよ!」


「……。」


途端に、ディアンがとても残念な子を見るような目で、私を見つめ始めた。

な、何よ、だって剣も何も持てない私が行ったって、邪魔なだけだよね。


「…何か言いたそうだけど?」


「ジンカイトへは、アリサも共に。」


「え?何で。だって今から行っても、私の足だといつになるか分からないよ?さっきも言ったけど、ここを出た事がバレたらまずいし。ディアンは神様なんだから自由に出来るよね?」


「私は神だ。神が人間達の戦に個人的な干渉は出来ない。」


「じゃあ、この国の腕が立つ人と一緒に行けばどう?私なんか、居ても邪魔じゃない?」


「この姿のままで行く。その為には、アリサが必要だ。」


私は全身真っ黒なディアンを見ても、何も思わないからかな。

この世界の人間だったら、それこそゾンビ扱いになりそうだけど…。


「なら、青い目で行けばいいんじゃない?洋服も変えて。」


「違う。ジンカイトへは、この姿で行く事に意味がある。」


「…もしかして、神の化身だなんだって、脅しをかけるつもり?」


「そうだ。あの国の王は、他国の王よりも信心深い。アリサの見た目が良い材料になる。」


おいおい神様…ニヤリとするんじゃない。

まるで魔王の様な顔をしているのを、本人は分かっているんだろうか。


「アリサを危険な目には合わせない。誓う。」


「それは、ありがとうございます。でも本当に足手まといにしかならないと思うけど、それでもいいの?」


「大丈夫だ。」


その時、視界にあの黒いドレスが入っている衣装箱が目に入った。

この五日間、それだけは着る気にならなくて、箱の中にしまったままだった。


「これがうまくいけば、村の皆を守れるかな。」


「ああ。」


ディアンが、私の手を取って何かを渡してくれる。

それは宰相様に取り上げられた、シトリンさんから預かった短剣だった。


「これがあれば、声が無くともアリサの言葉が私に届く。」


「取り返してくれたの?ありがとう。」


「アリサが守りたい者は、私の守りたい者でもある。共に行こう。」


今すっごい格好いい事をサラッと言い切ったな。

けれど、その台詞がとても重い。


この世界に来てから、ひたすら目立たないようにしていたこの黒髪黒目が役に立つんなら、やるしかない。

うん、と首を縦に振って、衣装箱の中から黒いドレスを取り出す。


ディアンに背を向け、今着ている黄色のワンピースを脱いで、黒いドレスを上から被る。

そして、後ろに結んでいた黒髪をほどき、そのまま長い前髪を真ん中から左右に分けて、黒目をさらす。


黒い靴は無かったから、濃茶の編み上げブーツだけど、遠目から見れば上から下まで真っ黒に見えるだろう。

今度は腰に巻き付けた短剣を、鏡代わりにして見ると、今の私は正にこの世界の死者の格好だ。


「これなら、私も威嚇になる?」


「…ああ。」


よし、と自分自身に気合いを入れ、屈伸をする。

しかし、またディアンが何かを言いたそうに、こちらを見ていた。


「何?」


「人間の女が目の前で服を脱ぐという行為は、夜の営みの誘いだと…」


「酒場の親父の話は今すぐ記憶から消して!!確かに脱いだかもしれないけど、ただ着替えただけでしょ!しかも、こんな緊急事態に誘うかバカっっ!」


あ、思いっきり地が出た。

神様にバカとか言っちゃったよ。


だがしかし後悔は一切無く、清々しい気持ちしか無いのはなぜだろう。

酒場の親父、既に故人だろうがいつかシめる。


「今じゃ無ければ誘うのか?」


「…どういう思考回路してんのよ。私、ディアンを好きだとか言ったことあるっけ?無いよね?」


「嫌いか。」


「だから、そう言う事じゃなくてだね。ディアンはなんだかお母さんみたいなんだよ。絶対的な保護者、って言うのかな。母親の前で着替える事なんて、何ともないでしょ?」


「………。」


「もう、そんな事話してる場合じゃないでしょう。私はどうやって南のジンカイトまで行くの?もうすぐ国境が突破されるんなら、急がなきゃ。物理的には不可能だけど、ディアンの神業でどうにかなるの?」


心なしか落ち込んだ様子のディアンの肩をポン、と叩いて、石の扉の前に立つ。

両手でぐぐっと押して見るが、びくともしない。


その時、後ろからディアンに抱き込められ、大きな手で目を隠される。

次に目を開けたときに広がっていたのは、月に照らされ、雪を纏った山波だった。


「シャバだーっっ!空気が旨い!」


つい、心の底からそう叫んでしまう。

思いっきり背伸びをしていたら、目の前に見慣れた真っ白な毛並みが現れた。


「スフェーン!!」


会いたかったーっと全身で喜びをぶつけてくれるスフェーンの体に抱きついて、撫でくりまわす。

嬉ションでもするんじゃないかってくらいに頬擦りをされ、私までチビりそうだ。


「スフェーンも連れて来てくれたの?」


「いや、アリサが此処へ連れられた後すぐに、この館の馬小屋に居たそうだ。」


「そうか…私は国を出た事になっているから、スフェーンが一緒にいなくなる方が自然かも。宰相様、どこまでも用意周到だな。スフェーン、あなたまで巻き込んじゃって、ごめんね…。」


いいよ、いいよって、一生懸命顔や手を鼻で撫でてくれる。

本当にこの子は、可愛くて仕方がないんだから!


「ねぇ、スフェーンも一緒に行っていいかな?ここへ置いていけない。」


「ああ、白い馬ならば、黒が目立つ。」


「なるほど…スフェーン、少し危ない所なんだけど、一緒に来てくる?」


ヒヒィンッと大きく一声鳴いて、是と答えてくれた。

私も感謝の気持ちを込めて、笑顔で鼻の頭を撫でてあげる。


よく考えたら、スフェーンは私の馬なんじゃなくて、軍馬なんだよね。

戦になんて出た事が無い私だけど、この子が乗せてくれるんなら、こんなにも心強い事はない。


大丈夫、ジンカイトへちょっと行って、ビビらせて国へお帰り頂くだけだ。

手にした武器は、短剣と黒。


こうなったら、死神にでもなってやろうじゃないの。

それで少しでも悲しい想いをする人が減るなら、なんだって出来る気がする。


ルチルに言われた覚悟はまだ出来ないけれど、今は自分に出来ることで皆を守りたい。

たった一人でこの世界へ来てしまった私を迎え入れてくれた、優しい人達。


その全てを心に思い浮かべて、ゆっくりと深呼吸をする。

震えないよう、拳に力を入れた。


「夜明けまでにはジンカイトへ行かなきゃだよね?どうするの?」


「先程と同じ様に移動する。」


「目を閉じたら、一瞬で外に居たやつね。わかった。」


「だが、アリサの体に負担が掛かる。多少疲れるが構わないか。」


「うん、じゃんじゃんやっちゃって!」


「ジンカイトまでは距離がある。その分負担も大きい。馬とアリサの体では、この国との往復だけが限界だ。」


「うっ…そんなに?限界を越えたらどうなるの?」


「死ぬ。」


「……極力スフェーンの足を頼るね。」


一緒に頑張ろう、とスフェーンと目で会話をする。

死んだら魂だけで地球に帰れるのかと、一瞬思ったけど…やっぱり死ぬのは嫌だ。


「じゃあ、よろしくお願いします。」


ずっと付けっぱなしだったであろう鞍に足をかけるのは躊躇われたけど、ごめんねと小さく呟いて、スフェーンの背に乗った。

そこで、一つ疑問が浮かぶ。


「ディアンは徒歩で行くの?」


「いや…」


そう呟いたディアンは、両手を地面にかざして、何かを囁いた。

次の瞬間、土が盛り上がり、中から黒い仔馬が顔を出す。


その仔馬の頭に両手を乗せて、左右に大きく広げた。

その広がりと同時に、仔馬だったのがスフェーンと変わらない位の立派な馬になった。


「正に神業ですな…。」


鞍も何もない馬の背にひらりと乗ったディアンは、びっくりして目を丸くしている私を見て、笑う。

こんなの見せられたら、誰だってポカンだろ。


「昔、戦に出た時に与えられた軍馬だ。世界の力を借りて造り出しただけであって、長くはもたない。」


「幻みたいなもの?」


「そうなる。」


色々理由をつけてはいるけれど。

私はオマケ程度にしか役に立たなそうだ…。


「アリサ、手を。」


ディアンの横に並んで、右手を差し出す。

暖かい、人間の手でぎゅっと握り返された。


「目を閉じたらマラカイトとジンカイトの国境だ。少し手前に着くが、夜でも戦場なのは変わらない。覚悟はいいか。」


「うん。」


では目を、と低い声で囁かれ、ゆっくりと目を閉じる。

スフェーンの柔らかい鬣を、そっと握った。




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