33. 悲しい覚悟
遅くなりました。すみません。
その日、外交部での仕事を終え、ラリマーさんと共に私の部屋でルチルも交えて話し合いをすることになった。
今日の仕事が全く進まなくて、ラリマーさんから心配される程だった為だ。
秋になり、夕暮れの時間がだいぶ早くなったように思う。
ルチルが部屋の明かりに火を灯し、三人でソファに腰掛けた。
「ではアリー、ここに残るんだね?戦が始まれば、しばらくは他国には行けなくなるが構わないのかい?」
「はい、微力ながら、私もお手伝いが出来たらと。旅に出るのは戦が終わり落ち着いてからでも、遅くはないですし。」
「君が国を出ると言った時は、丁度良いと思ったんだけどねぇ…フローライトなら、戦火に巻き込まれることは無いから。」
「申し訳ございません、ラリマー様。私の知っている全てをお話してしまいました。」
「まあ、私からも少しは話そうと思っていたんだけれどね。それにしても、何故アリーは戦になると知っていたんだい?」
「あ、いや、本当に噂を耳にしただけなんです。戦になりそうだって、廊下で聞いたような…?」
まさか神様から聞いたんだけど、なんて言えるはずがない。
それに、私だってほんのさわり位しか知らなかったし、ルチルに聞くまではこんなに大きな戦になるかもしれないなんて、思ってもみなかった。
「そうか、王宮でも噂になっている様だねぇ。トレイド家は既に武器や物資を集めているし、表向きはアンダルサイトに不穏な動きありというものらしいけれど、王都では商人達が気付き始めているよ。もう何百年と国同士でここまでの戦は無かったから、皆も小競り合い程度だと楽観しているんだけどねぇ。」
「宰相様が王位を狙っているというのは、陛下はご存知なんですか?」
「いいや、その証拠が全く無いんだ。トレイド家に連なる者は皆、国を守るための武装だとしか知らされていない。宰相と、パルマ殿との密約なんだろうね。」
「密約が、ルチルにはバレたって事ですか?」
「正確にはウィスタリア家だね。ルチルには、彼らとの連絡係りを頼んでいたんだよ。」
「私は影の気配や動きが、ハッキリと分かるんです。他の方が気づかない程度の声も拾えるので、周りに分からないよう、ラリマー様との仲介をしておりました。」
なるほど、確かにルチルは影の気配が分かっていた。
ウィスタリア家の技?みたいなものが効かない人間は稀らしいし、ラリマー様がこそこそとウィスタリア家と関わるよりも、安全かもしれない。
「でも何で、宰相様は王位を狙っているんでしょうか。幼馴染みで、陛下命なんですよね?」
「それがねぇ、分からないんだよ。昔から陛下と本当の兄弟の様に仲も良かったから、まさかとは思ったんだが…。パルマ殿が何の見返りもなく協力するとは思えないし、元々陛下の事を良く思っていない。宰相は甥に当たるから、娘を后にすれば国の事に口出しもしやすいんだろうねぇ。」
「あの宰相様が、誰かの操り人形になる訳が無いと思いますけど…?」
あんな腹黒どころかオーラまで真っ黒な宰相様が、人の意見を聞くなんてあり得ない気がする。
同じトレイド家だったとしても、何か裏があるような。
「当主のリドの情報だから、王位を欲しているのは間違い無いと思うよ。けれども、確固たる証拠が無いから陛下にもまだ伝えていないんだよ。リドを始めウィスタリア家の影達が必死に裏を取ろうとしているんだけれど、中々掴めないでいる。コランダムには伝えたから、警戒はしてくれているだろうけどね。」
「宰相様も私ほどではありませんが、影に対して敏感になっていますね…。何かの間違いであればいいのですが…。」
「…すっごく今さらなんだけど、私なんかが知っても良かったのかな。やや知りすぎてしまったような…。」
「遅かれ早かれ、戦が始まれば皆分かることだよ。ただし、宰相の目的は黙っていなさい。アリーが知っていると分かれば、彼が何かしてくるかもしれない。」
「それこそ、牢屋行きになりそうですね。」
「そんな事はさせないが、用心するに越したことはないよ。さて、私は戻るよ。ルチル、アリーを宜しく頼むね。」
「畏まりました。」
「ラリマーさん、忙しい時にありがとうございました。三日後にベリルさんと王太后殿下とのお茶会に行ってきます。」
うん、楽しんでおいで、と笑顔で部屋を後にしたラリマーさんを見送って、再びルチルとソファに座る。
どちらともなく、ため息をついてしまった。
「…なんか、不安だね。」
「はい。貴族の皆様はあまり危機感が無いんですが…コランダム総団長が既に動き出している様なので、騎士団と公安部は戦の準備を進めていると思います。」
「私も、怪我人の手当てくらいなら出来るかな。」
「そうですね…王都までは来ないことを祈ります。そうだ、アリー様、短剣をつけられるよう、皮帯をご用意致しましたよ。着けてみて下さい。」
そう言って、短剣とベルトを持って私の手のひらに渡してくれた。
踝まであるスカートを捲り上げて、左の太ももに巻いていく。
そしてゆっくりと、鞘から抜いてみる。
蝋燭の光に照らされた短剣は、今まで見たことも無いような、鋭さだった。
「こんなの振り回したら、絶対に血が出るよね。」
「アリー様、狙う場所は首筋です。その剣なら、力が無くとも致命傷を与えられるかと。」
「やめてよっ!私は使う訳じゃない!脅し程度になればいいんだから…。」
一人暮らしの時に使っていたセラミックの包丁なんかとは、比べ物にならない。
ブルッと体を震わせた私の目をじっと見つめたルチルは、いつもの冷静なまま、言葉を続けた。
「戦とは、殺し合いですよ。脅す暇など無く、剣を向けなければ自分がやられてしまうんです。アリー様にはその覚悟がありますか?無いのなら、今すぐにその短剣を渡してください。」
「でも、私が戦場に行く訳じゃないし…」
「今回は、内部の反乱も起こり得るんですよ?戦場だけが戦ではありません。」
ルチルの言っている事は尤もだ。
けど、私に人を殺せる覚悟があるかと聞かれれば、答えを返せない。
うつむいて、剣先をそっと触ってみる。
曇り一つ無い、紛れもない凶器だった。
「もう一度、シトリン様があなたにそれを渡した意味を、よくお考え下さい。ここは、アリー様がいた世界とは違うんですから。」
「…えっ?」
「それでは、夕食のご用意をして来ます。それが済みましたら、私は失礼させて頂きますね。」
ポカン、と口を開けたままの私を置いて、ルチルはさっさと部屋から出ていってしまった。
今、私のいた「世界」って言ったよね。
ルチルは、私がこの世界の人間じゃない事を知っているの…?
夕食を用意してくれた後も、食べ終えたらワゴンごと廊下へとだけ告げて下がってしまった。
一人で良く考えろ、という事なんだろうか。
ポツン、と一人部屋に残されて、なんだか急に寂しくなってしまう。
けれど、ルチルの言っている事は近い内に訪れるかもしれない未来だ。
私を良く思っていない人間だっているし、いつ切られても…ぐらいに思っていなくちゃならないのかな。
そう考え始めたら、どんどんマイナスな事ばかりが浮かんでしまう。
その時初めて、陛下が宰相様に斬られる所を想像して血の気が引いた。
まさか…まさかだよね。
私が陛下に近づく事をあんなに嫌がっていたし、本当の兄弟みたいな掛け合いをしていた。
そんな二人がどちらかを殺そうとするなんて。
あり得ない、と自分自身に言い聞かせて、ルチルが運んでくれた夕食を一人黙々と食べていった。
そして真夜中過ぎ、予告通りにディアンが音もなく部屋の真ん中に現れた。
湯あみを済ませた後に少しだけ横になったが、すぐに目を覚ましてしまうだけだったから、今日はビビらずにすんだ。
「起こしたか。」
「こんばんは、ディアン。半分起きていたから大丈夫だよ。」
「顔色が悪い。」
「ああ…聞いたんだ、戦の事。」
ベッドから起き上がって、そのまま足だけを下ろす。
カーディガンをきちんと羽織直した私の横に、ディアンが腰を下ろした。
「どこまで。」
「多分…全部?」
「そうか。」
「国を出るのはやめたんだ。この戦が終わったら、旅には出ようかなって。」
「それでいいのか。」
うん、と隣に座っているディアンに笑顔で返事をする。
声が、震えていなくて良かった。
ディアンは心なしか疲れているようで、腕組みをしたまま床に視線を落とした。
蝋燭の明かりが、その表情をより一層暗く見せている。
「ディアンに初めて会った時、人間は争うって言っていたよね。愚かだなって思ってる?」
神の世界で争いがあるのかは知らないけれど、他神の世界に干渉出来ないのなら、普段からさほど関わりは無さそうだ。
それに、あの時のディアンの言い方は、争う事が悲しいようだったし。
「愚か…とは思わない。仕方がない。」
「でも、ディアンはとても辛そうに見えるけど。」
「負の感情がこれ程迄に膨れ上がるのは、久しく無い。これが人間の感情の一つだと思うと、この世界を創り上げたのは間違いだったかと考える。」
……ちょっと待て。
何その上から目線。
いや、正しく上からのお方ではあるけれどもだ。
それは言っちゃーなんねえよ!
「間違いな訳ないでしょ!人間の事を馬鹿にしてるの?」
「馬鹿になど…」
「してるでしょう!私はこの世界の人間じゃないけど…生きていく為に働いて、家族や友人を思いやってって、毎日必死で生きてるんだよ?そこに欲が出てくる訳だけど、それが悪い方向に傾く事くらい、人間なら誰しもあるんだよ。」
なんだか無性に腹が立ってきて、ベッドから立ち上がってディアンの目の前に仁王立ちする。
私の声にびっくりしたようで、真っ黒な目を見開いて、顔を上げた。
「三十年間人間やってる私だって、自分の感情が分からなくなる時もある。それなのに、上から見ているだけのディアンに、人間の何が分かるって言うの!?いくらまぎれこんだって、その人の中に入り込める訳ではないでしょ?何百年見てきたのか知らないけど、人間達はあなたの所有物じゃない。自分で考えて、学んで、間違って…それが人間なんじゃないの。」
「…。」
「今回の戦だって負の感情で動いていても、その人にとっては、その感情が正義なのかも知れない。ディアンが感じ取っているものの奥深くには、もっと色んな思いが溢れてるんだよ!争う事が悲しいって嘆くのは勝手だけど、だからってこの世界を創ったのは間違いかもなんて、あんたが言うな!!!」
「…アリサ。」
気づけばディアンが私の両手を握っていた。
どうやら、怒りで震えていたらしい。
またやっちゃったよ…。
何これデジャヴ?
ハアハアと荒い呼吸のまま、握られたままの手を見つめる。
一度下を向いてしまったら、ディアンの顔を見るのが怖くなり、ゆっくり後退りをしようとしたけど…。
「あの、ディアンさん、すいませんが手を離していただけますか…」
「嫌だ。」
「…言い過ぎた。ごめん…。」
「良い。アリサの言う通りだ。」
「…私だって、戦なんて悲しい。でも、皆それぞれに理由があるみたいで…この世界の人間達はディアンの子だって思うんなら、どんな結末になるんであれ、見届けてあげてよ。」
「ああ。」
いまだに目を合わせられなくて、俯きながらボソボソと話す私に、ディアンはハッキリと答えを返してくれた。
偉そうな事を言ってしまったけど、私に言われなくたって分かっていたんだろう。
そう気付くと、急に恥ずかしくなってきて、どんどん居たたまれなくなる。
いい加減に、手を離せい!
「アリサはどう動く。」
「…怪我人の救護と通訳が役に立てばいいかなって思ってる。」
「では私が護衛に。」
ゆっくりと顔を上げてディアンを見れば、ニッコリと微笑まれる。
やや小首を傾けている所が可愛い…気がしなくもない。
「いや、でもディアンて中立じゃなきゃ駄目じゃない?守ってくれるのは願ったり叶ったりだけど。」
「アリサは私の子では無い。」
「ああ、またその理由に行き着くんだね…じゃ、何かあった時は宜しくお願いします。」
掴まれっぱなしの両手をひねって、ディアンの手のひらを掴んで握手をする。
ああ、と頷いたディアンはそのまま私の前に立ち上がった。
「剣を持っているな。」
「あ、うん…人を切る自信はこれっぽっちもないけどね。侍女のルチルに叱られたよ。覚悟が足りないって。」
寝るときも肌身離さずの方がいいのかと思い、邪魔ながら太股に着けたままの短剣を、ディアンに渡す。
クルクルとその場で回して、刃の部分に口元を近づけて何かを呟いた。
「私が側を離れている時は、この剣に話せ。」
「通信機になるんだね…分かった。所で、黒い服はそのままなの?」
「ああ。おそらく…この方がいい。」
なんだろう、黒い服のほうがいい理由が私には分かんないけど…。
ま、フローライト時代の変人な友達、でごり押しするか!
剣を太股に戻して、スカートの形を整えた。
こうすると、剣を持っているなんて傍目からは全く分からないだろう。
さて、これからどうなるのか分からないけど。
陛下、ユークレース宰相様、カナリーさん、トレイド家の人達…皆が命を落とすことも、出来れば奪い合う事もなく、解決出来ないものか。
それが出来れば戦にはなりません!ってルチルの突っ込みが聞こえて来そうだけど。
甘い考えなのは分かってるし、私がどうにか出来るなどとも思っていない。
だからこそ、ただただ悲しさで心が支配される。
それぞれの正義の結末は、皆が幸せになれるのかな。
今日は私からディアンの胸に体を預けて、その温もりをゆっくりと感じる。
そんな私を、幼い子供をあやすように、優しく抱き締めて頭を撫でてくれた。
その時だった。
ディアンがバッと私を背に囲って、何かを警戒し出す。
「ディアン?何、どうしたの?」
「強い、負の感情の持ち主が此方へ来る。」
「多分、ユークレース様だよね…?ディアン、私は大丈夫だから、姿を消して。あなたがここにいる事の方がまずいよ!」
「だが…」
「何かあったら、剣に話しかければいいんでしょ?服の上から触るだけでもいい?」
「ああ。」
「じゃ、本当に平気だから。ありがとう。何かあっても、私が声をかけるまでは絶対に出てこないでね。」
「…感情が荒れている。気を付けろ。」
おっけ!と軽く返事をしてはみたものの、ディアンが消えると、シンと静まり返った夜中に、かすかに靴を鳴らす音が聞こえてくる。
狸寝入りでもしてやろうかと思ったけど、一先ず椅子に腰掛けて、冷たくなった紅茶を口に含んだ。
こんな夜中に一体全体何の用だろう。
好意的な話な訳があるまい。
もしかしたら、私の部屋じゃ無いかも?
と、思ったのも虚しく、足音が止まり部屋の扉をノックする音がした。




