32. 知ることに意味がある
戦うんぬんは分かりづらいかもしれません。なのでなんとな~く理解して頂けたらと…。
「シトリンさん、お世話になりました。」
別邸の門の前で、深くお辞儀をする。
ヤグさん達とは邸の中でお別れを済ませた。
シトリンさんにも玄関まででいいって言ったけど、どうしても馬車までと譲ってくれなかった。
手荷物を馬車に乗せて、シトリンさんに向き直る。
「お嬢様、いつでも遊びに来て頂いて構いません。スピネル様からも、そう言われておりますので。」
「じゃあ、またヤグさんのご飯を食べに来ます!本当に、色々とありがとうございました。」
「とんでも御座いません。それが私の仕事ですので。」
やっぱり最後まで、執事の鑑だね!
ルチルはお嬢様なんて呼んでくれないし、この至れり尽くせりが無くなると思うと、ちょっと寂しいな。
じゃあまた、と笑顔でさよならをして馬車へ乗り込もうとした時だった。
お待ちください!と、珍しく大きな声で呼び止められる。
「シトリンさん?どうしました?」
「…私がこれからする事は、仕事ではありません。」
「…?…はい。」
「これをどうかお持ち下さい。」
そう言って、私に長細い包みを渡してくれる。
素直に受け取って中を見ると、十五センチくらいの短剣だった。
木製の鞘には蔓のような模様が入っていて、柄は黒と金の糸で巻かれている。
もしかしなくても、これは…。
「護身用、ですか?」
「はい。私の家に代々受け継がれて来た短剣で御座います。手入れをしてありますので、扱いにはご注意下さい。」
「いいいいいや、そんな大事な物は…と言うか、何で私に?」
「お嬢様に持っていて頂きたいのです。使うことは無いとは思いますが、御守りとして。」
「…シトリンさん、これはフラグですよ。」
ふらぐ?と首を傾げたシトリンさんだけど、顔は真剣そのものだ。
だがしかし、これは確実にフラグが立った。
代々伝わる短剣とか、使うことは無いだろう御守りとか。
昨夜ディアンが戦になるかもしれないとか言っていた通り、何かが起こるんだ。
物凄く真剣なシトリンさんを見ると、突っぱねる訳にもいかない。
でも、これを貰ってしまったら最後、必ず使うことになりそうで怖い。
「これは借りる、って事でいいんですよね?」
「私も剣は持っていますので、差し上げます。もし、お嬢様の世界に帰る事が出来ましたら、思い出としてお持ち下さい。」
「私の世界でこれを持っていたら、捕まっちゃうんですよ…だから、借りておきます。」
「畏まりました。ではお嬢様が帰る日まで、それを預けるという事で。」
なんかもう、色んなフラグが立ちまくっているけど…。
分かりました、と返事をして元の皮袋に戻した。
「何か、ご存知なのですね。」
ぎく。
そっか…やだ!こんな物いりませんって~!私は剣なんて使えないですし!って、もっと粘るんだった…。
いつもみたいにヘラヘラしながら返事をしていないもんね。
既に顔に出ているだろうから、すっごい白々しくなっただろうけど。
「包丁以外持った事なんてないですから、使えるかどうかも微妙ですけど…これは使いません。約束します。」
「はい。私もそう願っております。どうかお元気で。」
「ありがとうございます、シトリンさん。」
「お気をつけて行ってらっしゃいませ、アリーお嬢様。」
異世界話をした時と同じように、ニッコリと微笑んでくれたシトリンさんに手を振って、馬車で外交部の棟へ向かう。
行ってらっしゃい、って言ってくれたのがとても嬉しかった。
「アリー様、お帰りなさいませ!」
「ルチル、これからもよろしくね!」
「はい、こちらこそ宜しくお願い致します。お荷物は既にあるべき場所へ片付けてありますので、紅茶でもいかがですか?」
外交部の部屋に着いた私は、待っていたルチルと手を取って笑顔を交わす。
手荷物をルチルに預けて、上着を椅子にかけた。
ここしばらく別邸へ帰っていたから、ルチルとゆっくりお茶をするのも久しぶりだなぁ。
けど、ゆっくりのんびりしている時間も無いし、ディアンから聞いた話をしなきゃ。
私の大好きな紅茶を用意してくれ、早速二人でテーブルにつく。
私のいつもと違う様子が分かったらしく、ルチルが不安げに対面の椅子に座った。
「アリー様、あちらで何かありました?随分と眉間の皺が…。」
「あっ、嘘。これ以上皺が増えたらたまんないわ。」
「ええ、それに関しては同感です。」
「だよね。最近さ~目の回りのハリがめっきり減って…」
「アリー様。」
おお、そうだそうだ…。
ルチルが相手だと、どうにも女子トークになっしまう。
「あのさ、風の噂で聞いたんだけど…近いうちに、戦が起きるかもしれないって。ルチルは何か知ってる?」
「……それをどこで?」
「い、いやただの噂だよ?違うんだったらいいんだ!私も半信半疑だから。」
ふと、私から視線をそらせたルチルが、答えなんだろう。
こうなったら、全てを吐くまで引いてやんないからな。
「…ラリマー様から、旅に出ると聞きました。アリー様、私も一緒に行きますのでご安心下さい。」
「えっ?でも、ルチルは王宮勤めの侍女でしょ?それに家族だっているんだから。私の旅は、どのくらいかかるか分かんないし…。それより、どうなのよ。本当に戦になる?」
前のめりで聞いた私を見て、はぁと溜め息をついたルチルは、諦めたように話を始めた。
私が引きそうにない事は予想済みだったんだろう。
「…少し前から、戦の火種があったんです。しかし冬を前にして、業火になりつつあるんです…。アリー様がこの国を出るのを助けよと、ラリマー様からの命令なんですよ。」
ああ、やっぱり戦になるんだ。
ディアンは、アンダルサイトとジンカイトも怪しいって言っていた。
火種の中心がアイオライトなら、もうすでに安全ではないのかもしれない。
でも、ここでハイそうですかって、出ていけない。
「ルチル、今この国で何が起きているのか知っている事全部教えて。」
「それは…。」
「ラリマーさんから口止めされてるんでしょ?」
「…アリー様。私と一緒に国を出ましょう。」
「家族は?戦になるって言うのに、置いて行くの?」
「両親には、しばらく国を出るからとだけ書いた手紙を出します。私はアリー様をお守りする事を最優先します。」
「私は旅には出ないよ。この事が無事解決したら、改めて国を出る。…戦とかちょっと怖いけど、今ここで逃げたら絶対に後悔する!」
ラリマーさんは、知らないという事が私を守る事になるって言っていたけど、知らないまま守られているのはもう嫌だ。
私を元の世界に返す前に何かあって死んでしまったら、って思ってくれたんだろう。
でも、帰る事は絶望的だって分かった。
たとえ、今帰る道が見つかったとしても、これまで良くしてくれた皆がいるこの世界から逃げ出すなんて事はしたくない。
その時、ルチルの握っていたカップが、カチャンと音を立てた。
そして、私の目をじっと見つめてくる。
「アリー様…本当に国を出ないんですね?」
「…うん、ここに残る。」
「分かりました。」
そして、ルチルは紅茶を一口飲んでから、今分かっている情報を教えてくれた。
どうやら事態は思った以上に深刻なようだ。
まずこの国、アイオライト王国の火種の中心にいるのが、あのユークレース宰相。
ユークレース様は、現国王ヘリオドール様を国王の座から下ろし、王家の遠縁に当たる自分が王になる事を望んでいるらしい。
これが、ディアンの言っていた負の感情の正体だ。
そしてユークレース様のトレイド家、分家に至るまで全ての人間が謀反を起こそうとしている。
二つ目が、それに協力している西の国、アンダルサイト王国。
この国も国王を下ろし王弟を新王にという反乱軍がおり、首謀者がカナリーさんだった。
アンダルサイト国王にこの国へ戦争を仕掛けさせ、その戦いの最中ヘリオドール様を亡き者にし、ユークレース様が新王につくという計画らしい。
カナリーさんは他国の王を殺したという罪をもって、アンダルサイト国王を断罪しようとしている。
級友である事もあり、お互いの目的を果たすために共闘しているみたいだな。
ここまではなんとか理解…しようと思えば理解できる。
要は、アイオライトとアンダルサイトの国王に交代して欲しいからやっちまえ!って事だよね。
こんなややこしい事をしなくたって、お互い勝手にやるわけにはいかないんだろうか。
「やんわり理解した気がするけど…ユークレース様とカナリーさんは、一緒になってやる必要ある?」
「そこに第三の国、南のジンカイトが絡んでいるんですよ。アリー様は建国祭の日に、トレイド家の分家の奥様とお嬢様に会いましたよね?」
「えーっと、確かパルマ様とヴェローナ様だったかな。初対面で嫌われてたけどね。」
「パルマ様は南のジンカイトご出身で、ヴェローナ様は留学中だと。パルマ様はジンカイト王国でも位の高い貴族の娘で、嫁いだ今も相当な権力をお持ちなんです。ユークレース様が国王になった暁には、娘を王妃にするという条件で、アンダルサイトがこの国へ攻めている間、後ろから手を出さないという事、そして東のマラカイトへの牽制を約束したみたいですよ。」
「それじゃあジンカイトに仮を作ることになりそうだけど…パルマ様は陛下じゃなくて、宰相様に王になってもらいたいのかな。まぁ同じトレイド家だもんね。その方が都合がいいのか。」
「はい。そしてどうやらアンダルサイト王妃はとある薬物にご執心の様で。幻覚、幻聴、妄想が酷く、この国の北の山から採れるアルマースという稀少な鉱物の魅力に取り付かれ、それを我が物にしようと、国王よりも王妃が主体となっているみたいです。」
「だから、アンダルサイトはこの国に攻めてこようとしているんだ。それでヘリオドール様を亡き者にして自分の国にしちゃえば、その鉱物も取り放題、そういう事?」
「その通りです。カナリー様も王妃の感情を煽っていて、国王もようやくこの国を侵略する決意を固めたようですよ。」
「三国の人間たちの、様々な思惑が一致したって事かぁ…。」
ユークレース様は王になりたい、カナリーさんは薬物中毒の王妃を下ろし王弟を新しい王につけたい、パルマ様は自分の娘を王妃にしたい。
よくもまあ、見事に絡み合ったもんだ。
「東のマラカイト王国は、何の動きも無いの?」
「今の所は…。マラカイト王国とは昔から比較的友好な関係にありますので、何か起きれば中立の立場は崩さずに、我が国への協力は頼めるかと。」
「…ルチル、この情報って今回の戦に関して全部な気がするんだけど、気のせい?」
「おそらく、ほぼ全てですよ。各々が考えている詳細までは分かりませんけど。」
情報ったって、ほんのさわり程度だろうと思っていたのに。
私の侍女はどんだけ優秀だ。
婚期を逃し、際どい小説を読み、金に目がない以外は完璧なんだけどな…。
そんなルチルに尊敬を通り越して、ややビビってしまう自分は小心者だからだろうか。
「この話は、ラリマーさんと後は誰が知ってるの?」
「陛下とコランダム総団長までだと思います。ちなみに私は別筋から仕入れましたが、ラリマー様には全て伝えてあります。ですから、もしかすると陛下ですらまだ知らない事もあるのかもしれないですね。」
ニヤリ、と人の悪い笑みを浮かべたルチルは、残っていた紅茶を一気に飲み干す。
ひきつった笑顔しか返せなかった私は、今夜来るであろうディアンと作戦会議をしようと、心のメモに大事な事を刻み込んだ。
「明日、明後日の内に攻撃を仕掛けて来る訳ではありませんが、行軍の速度から考えたら十日前後で何か動きがあるかもしれないですね。相手は雪が積もり始める冬までには決着を着けたいでしょうし。」
「もう一月も無いんだ。」
「ええ、忙しくなります。あ、そういえば王太后殿下のお茶会が三日後にありますよ。」
「ブッ!…いやいやいや!こんな時にお茶会っ!?」
口に含んでいた紅茶を、思わず吹き出してしまう。
戦が始まるっていうのに、悠長なもんだな。
「あの方は…何と言うか、掴み所が無い方ですので…。けれど、何かしら意味を持っての事なのは間違い無いですよ。」
「分かった。陛下の事も話したかったし、気合い入れて行くよ。」
「…アリー様は、陛下が命を狙われていると聞いても、お顔が変わりませんでしたね。」
「だって、何か大丈夫な気がするんだよね。コランダムさん、ラリマーさん、その他にも大勢陛下を守ってる人間がいるでしょ?」
「けれども、一番の側近である宰相様が陛下を狙っているんですよ?」
「…多分、殺させはしないんじゃないかな。王になるのは本気なのかもしれないけど。」
ディアンは、負の感情と同時に「愛情」も感じると言っていた。
そんな人間が、命をとられる事を良しとはしないような。
「何か根拠があるのですか?」
「…勘?」
えへっとルチルにおどけて見せれば、冷めた目を返される。
そんな冷たい目をしなくても…。
まあ確かに三十路のぶりっ子はウザかっただろう。
全力で申し訳ございません。
「よし、じゃあ取り敢えず食堂でお昼済ませてから仕事行ってくる。」
畏まりました、と私の服を用意してくれて、手荷物も片付けてくれる。
と、一瞬びっくりしたような顔をしながらも、ルチルが短剣の入った袋を持って私に近づいて来た。
「アリー様、こちらは…。」
「ああ、シトリンさんから護身用にって、貸してもらったんだよね。身に付けても大丈夫?」
「そうでしたか…ええ、一つくらいは持っていた方がいいかもしれません。ではどこに着けましょうか?」
「太ももで!」
「…それで、いざと言う時にどうやって取り出すんですか。」
「スカートを捲るか…いいや、破った方が格好いいかな!」
「貴族の娘様達は護身用ですら剣など持ち歩きませんが…女性が持つ場合は腰に巻いて上着で隠すのが無難かと。」
「まあ使うことなんて無さそうだし、太ももに着けるのだけは絶対に譲れない!あ~夢が叶うよ。私の太い足に着けられるのを用意しといてね!」
一体どんな夢ですか…と呆れ顔のルチルを残し着替えを済ませた私は、そのまま食堂へ向かった。
リアルふじこちゃんの妄想を胸に、豚カツもどきを腹におさめこれからの事を考えていた。
戦についてはお偉いさん達がどうにかするだろうから、流れに身を任せよう。
王太后殿下とのお茶会でどんな話になるか。
今夜、ディアンと作戦会議といきますかね。
どこかで楽観的なのは、ディアンと言う最強の用心棒がいるからなのもある。
人間には手を出せないって言っていたけれど、人の動きが分かるだけでも違うよね。
あと、ラリマーさんに旅を延期する事も話そう。
ごちそうさま、と空になったトレイを食堂のおばちゃんに渡し、少ない脳ミソをフル回転させ、外交部に向かった。




