22. 月夜の出会い
眠れない…。
紅茶を飲んですぐにベッドに入ったはいいが、昼間の興奮が冷めず、全く眠気がこないままだ。
こんな時こそ寝酒があるといいんだけど、禁酒を誓ったため、ひたすら目をつぶって眠くなるのを待つこと数時間…。
二度もトイレに行ったけど、どんどん目が冴えてしまっている。
「ダメだ~!寝れない!」
ガバッと薄い掛け布団をひっぺがし、夜風にあたろうと、バルコニーのドアを開く。
外に出てみれば、どこかで晩餐会を開いているのか、ゆったりとした音楽が風に乗って聞こえてきた。
すでに夜も更けているが、今夜は貴族街も煌々と明かりが点いていて、笑い声まで聞こえる。
きっと、皆でお酒を飲みながら楽しんでるんだろうな。
「変に気を遣わないで、本邸に行けば良かったかな…。そしたらシトリンさんもヤグさんも、家族とゆっくり出来たのかもしれないし。」
バルコニーから、少し離れた所にある邸の門を見れば、警備の人達が談笑していた。
あーあそこに交じって、時間を潰したいよ。
シトリンさんが寝ずの番みたいだけど、行ってみようかな?
でも、一応見回りの仕事中なんだし、邪魔しちゃ悪いかな。
肩にかけたカーディガンに袖を通して、軽く体を動かそうと、部屋に戻ろうとした時だった。
ヒヒン…と、聞きなれた馬の声が聞こえた気がした。
スフェーンの鳴き声のような気がしたけど…。
まさかこんな所に居るはずがないし、警備の人達の馬かな?
もう一度バルコニーへ出て、下にある庭を伺う。
そこには、月明かりに照らされて、夜の闇にも負けない真っ白な毛並みのスフェーンが、私の部屋の方へ頭を向けて、立っていた。
「へっ?スフェーン?どうしたの!?なんでここに…!」
え?何が?と言っているように、首を傾げて私の顔をじっと見つめている。
いやいや姫さんよ、鞍も着けずにこんな夜中におかしくないかい?
「ちょ、そこにいてね!私も庭に行くから!」
すぐに踵を返して、靴を外履きに変えてから部屋を出る。
シトリンさんが玄関の方にいると思うけど、邸の敷地から出る訳じゃないし、私の部屋の真下にある食堂から、そのまま庭へ出た。
「スフェーン、やっぱりスフェーンだよね、一人で来たの?なんでここにいるの?」
会いたかった~と私に擦り寄って、喉を鳴らしてくれる。
何かあったのかと、体を見てもなんともない。
夜間は厩舎も厳重に戸締まりがされ、馬達も外に出ることは出来ないはずだ。
目の前に居るのは、いつも通りのスフェーンなんだけど、どうにもおかしい。
スフェーンがたった一人、というか一頭で厩舎を抜け出すことなんて不可能だ。
ジャスパーはヒスイちゃん達と一緒だろうし、陛下は各国の要人達と晩餐会がある。
ラリマーさんも、すでに本邸へ帰っているだろうし…。
そもそも、何の連絡もなくスフェーンだけがこの場に居ること自体がおかしい。
鞍も何も着けずになんて、一体どういうことだろう。
さすがの私も、背中に寒いものを感じる。
一人で来てしまったことを後悔しているけど、スフェーンを置いて行けないし。
どうしようか、と思いながら、額を撫でてやる。
「ねぇ、スフェーン、誰かに連れてきてもらったんでしょう?その人はどこ?」
と、スフェーンが私の後ろ一点を、じっと見つめ始めた。
その瞬間、さっきまでの遠くから聞こえてくる音楽や、警備の人達の話し声、風の音までが、一切聞こえなくなった。
まさか、と恐る恐る振り返ると、そこには濃紺の瞳で、深い青の髪の…。
真っ黒な騎士服姿の男が立っていた。
「っっ!ヒッ!!!」
声にならない悲鳴を上げて、口を押さえた。
私の後ろ、すぐ側に、その男が立っている。
思わずスフェーンの首にしがみついて、パニックになりそうな自分を、必死で落ち着かせる。
な、な、なに!?誰だ!?さっきまで誰もいなかったのに、どこから入ってきたの!?
「聡い。」
「は?」
「馬だ。」
「うま…。」
「白い。」
白い馬が聡いって、スフェーンの事を言っているんだよね?
この人、三文字しか喋れない呪いでもかかってんのか。
「主の元へ行くかと聞いたら、案内をすると。」
おぉ、三文字以上出てきた。
どうやら三文字縛りはないらしい。
「…スフェーンは私の居場所が分かるんですか?」
「気配を感じるそうだ。」
王宮や棟にいたとしても、一人の人間の気配なんて…馬にそんな能力あったっけ。
そもそもこの人、馬の言葉がわかるの?
「良い子だ。」
そう言って、私の隣にいるスフェーンの鼻を撫で始めた黒い人は、ゆっくりと、私の方へ顔を向けた。
思わず後ずさりをして、鬣を掴んで一緒に下がろうとするが、スフェーンは微動だにしない。
こ…怖い!スフェーン!なぜ私の恐怖が伝わらないのっ!
なんだか訳が分からなくて、普通に話してしまったけど。
よくよく見ると、黒目の部分が多いけど切れ長で、現代風にした能面みたいな顔してる。
少し短めな髪が、私の髪の色と近いのに、日本人には見えないのは、ものすごく整っている顔だからだろうか。
って、現代風な能面ってなんじゃい!
落ち着け私…さっきから、心臓が飛び出るんじゃないかって位、バクバクしっぱなしだ。
「あ、の、わ、私をここから追い出しに来たんですか?」
「いいや。」
「じゃ、じゃあ、陛下に近づく女を殺しに…?」
「違う。」
「では、どうしてここへ?て言うか、警備がいる門を、スフェーンと一緒にどうやって?」
「一時的に、姿を消した。」
「スフェーンは?」
「一緒に。」
…よーし、理解不能だ!
けれど、とりあえず私に危害を加えに来たわけではないらしい事だけは、分かった。
この人は、昼間のストーカーだよね。
カナリーさんの言っていた特徴と、全く一緒だ。
この周りの音が消える現象は、前に厩舎でも起きていた。
その時に遠くにいた人も、青い髪だったし…。
やっぱり、凄腕の暗殺者とか?
怖すぎる…でも、ダメだ…考えた所で分かるはずがない。
大体、スフェーンがこの人を連れてきちゃったんだもんね。
本人は、全くもってリラックスしていて、私に甘えて擦り寄ってくる。
スフェーンさんよ、私は今、頭の中が爆発しそうなくらいパニックなんですけどね?
その間も、落ち着いて、大丈夫って言っているみたいに私の顔や腕を鼻先でさすってくれて、私も段々と落ち着きを取り戻しつつあった。
「話がしたい。」
「え?話、ですか?私と?」
「ああ。」
「その前に、本当に、私に危害を加えに来たんじゃないんですよね?」
「勿論。」
「じゃあ、あなたは一体誰なんですか。」
そう聞いた瞬間、そっと両目を閉じた黒い人が、再びゆっくりと、目を開けた。
それと同時に、髪と瞳が、真っ黒に染まっていく。
あーあーまさか。
まさかまさかまさかっ!
いや、まだそうと決まった訳じゃない。
黒目黒髪なんて、探せばどこかにいるはずだっていうしね。
ん?いないんだっけか?
まぁでも、黒目黒髪の私が人前に出ても、そんなにジロジロ見られた訳じゃないし、まあまあ珍しいってだけだよね。
目の前でイリュージョン、な物を見せられたけど、こんなの日本でもあったような、無かったような?
だから、決して、この人は…。
「神を知っているか。」
知らない知らない知らない!
ルチルが持ってきてくれた本にあった、創世神の特徴と一緒だけど、絶対に違う!
「私の名は、」
「ま、待ってください!」
お、止まってくれた。
よーし、待てだ。
左手でスフェーンの鬣を掴んだまま、右手で制止のポーズをとる。
落ち着け、冷静になれ、神様ってーのは見えないもんなんだ。
日本でも、八百万神がいると言われていたが、二十九年間、神を見たことも無ければ、見たと言う人にも会ったことはない。
ピンチの時にはつい、神様~なんて心の中で叫んだりもしたけれど、そんなもの、叶うとは思っちゃいない。
つい口から出てしまう、決まり文句みたいなもんだ。
ほら、アメリカ人がオーマイゴットって言うのと、さほど変わらない。
ん?微妙に違うかな。
いやいや、そういう話じゃない!
「あの、名前の一文字目はなんて言うんですか…?」
「……。」
え?シカト?心なしか、やや不機嫌になっている気がするんだけど。
か、神様ーっ助けて!!
「私は、オブシディアン。」
「だから…っっ!」
「この世界の神だ。」
……この世界で待って、って、あんまり拘束がない言葉なんだと理解した。
けれど、よくわからない現象が、神だと言われると、なんだかしっくりくるような。
ずっと周りの音が聞こえないままだし、こんな夜中に騒ぎにもならずに庭にいるし、瞬きをしたら目と髪の色が変わったし。
神だから、って言われると、ああなるほどねって。
だがしかし、納得はしたけど素直にはいそうですかってなるかって言ったら……ならない!!
え?オブシディアンって言ったよね!?
確かに黒目黒髪だけど、神様って会えるの?
私の理解力の全てがショートしている。
呼吸の仕方がわからなくなりそうだ。
「少し落ち着け。ただ、話がしたいだけだ。」
ハッハッと短い呼吸をするだけの私に、とても優しい声色で、語りかけてくれる。
ずっと待てをしていた右手を、心臓の上に持っていき、深呼吸をする。
スフェーンが私の頬を舐めて、大丈夫、大丈夫って心を伝えてくれた。
一度目を閉じてから、今すぐ逃げ出したい気持ちを、無理矢理押さえ込む。
「わかり、ました。はぁ、そういえば、人々にまぎれる神様なんでしたっけ。」
「人間は面白い。」
「山のように大きな男神だと…。」
「私自身に形はない。この姿は、人間に化けているだけだ。」
あの絵本、本当だったんだ。
ルチル、おとぎ話なんかじゃなかったよ。
「私に何の話が…?」
ぐるっと辺りを見回した自称神様は、庭の端にあるベンチを指差した。
そして、一人で向かって行き、座った。
三人ほど座れる幅のベンチだが、座って話をしよう、ってことなのか。
スフェーンに、待ってて、と声をかけてから、私もベンチへ向かう。
真ん中にどっかりと座っているから、できる限り距離を取って座った。
こういう空気読めない座り方って、神様だからか。
「それで、神様が私に何を?」
「ディアン、と。」
「え?」
「この姿の時の呼び名だ。」
「はぁ、分かりました。」
長い足を組んで、背もたれに寄りかかりながら、じっと私を見ている。
同じ黒い瞳なのに、なぜか底知れぬ深さがあるような。
「お前は、どこから来た。」
「………と、言いますと?」
「この世界の生まれではないな。」
「それも分かるんですか?」
「アデュレリアの人間は、皆私の子だ。だが、お前は私の子ではない。」
「…そうです、ね。私は、ある日突然、この世界にいました。」
陛下に話したときのように、淡々と説明をする。
その間も私から視線を外さないで、こちらをじっと見ている。
「私にどこから来たのかを聞くってことは、ディアン様にもわからないってことなんですね。」
「ディアンで良い。」
「え?でも、神様なんですよね。」
「今はただの人間だ。口調も選ぶ必要はない。」
「わかりま…わ、わかった。」
神様だって、心底信じられるわけではないけど、この人の独特なオーラみたいなのを感じて、背筋が伸びたままだ。
威圧感、ていうのかな…。
「長い間人間達を見てきたが、こんなことは一度も無い。不思議だ。」
「自分の世界の人間じゃない者が混じっているのに気づいて、見に来てたの?」
「そうだ。私と同じ黒を纏った人間など、初めて見る。」
「でも髪だけが黒いとか、瞳だけが黒い人もいるって…。」
「両方、というのがいない。私は全ての人間に、様々な色を与えた。」
「なるほど…。私のいた国では、当たり前だったんだけどな。むしろ、この地味な色が嫌で、髪や瞳の色を変えたりする人もいる。」
「そうか。」
あれ?地味とか言って、怒らせた!?
目線を下げて、何かを考えているような…。
「フッ、アハハッ!」
えええぇっ!?
いきなり笑いだしたよこの人!
何?私、そんな笑える話なんかした?
額に手を当てて、アハハと笑い続けている。
「あの、何かおかしいこと言ったかな。」
「ああ、すまない。先程、髪と瞳の色を変えた時の顔がな。」
「は?私?顔?」
「口の動きが、まるで魚の様だった。」
子供みたいに笑っているけど。
これ、怒るところ?笑うところ?
神の笑いの沸点って、思いっきり低いんだな。
なんだか、どっと疲れがきた。
「はぁ、それは情けない顔を見せちゃいまして。」
「いや、良い。」
「あのう、所でその服装、私の周りにいた人間から、物凄く怪しまれてるんだけど。」
「これか?」
笑うことをやめて、騎士服の詰襟を掴んだディアンは、何が怪しいのか全くわかっていないようだ。
いくら神だからって、黒の意味くらい知ってるよね?
「この世界では、死者だけが黒い服を着るんでしょ?黒い騎士服なんて、どこの国でも着ないって。」
「…そうか。」
「その服は、自分で用意してるの?」
「いいや、ある人間から貰った。」
暗闇だからよくわからないけれど、月明かりの中でも、なかなか年期の入った物のように見える。
過去に、黒の騎士服を着ていた人がいたのかな。
「何か、思い入れがあるの?」
「随分昔の事だが、私をただの人間だと思った王がいた。その王から、専属の騎士になってくれと言われ、その時に与えられた。」
「それは、この国の王?」
「どこの国だったか。」
はて?と首をかしげたディアンは、必死で思い出そうとしているみたいだったけど、どうやら分からないようだ。
じいさんか!って長い間生きてるんだもんね、そりゃそうか。
「じゃあ昔は、騎士は黒い服を着ていたの?」
「いや、私だけだ。」
「えっ、それは嫌がらせじゃなくて?」
「死者をも恐れるな、と言われたか。」
えげつないな…。
そりゃディアンなら、死者も自分の子供になるんだから恐くはないだろうけど、そんな事言われて戦えって言われたら、私だったら逃げ出すわ。
「なんだか、物騒な時代の王だったんだね。」
「人間は、争う。他人と比べ、思想の違いで殺し合い、優劣をつけたがる。いつの時代でも、無くなることはない。」
「それを見て、どう思うの?」
「…私にこの服を与えた王は、私の目の前で息絶えた。だが、私は人間を殺すことは出来ない。」
月が雲に隠れて、ディアンの顔も、よく見えなくなる。
思わず覗きこむと、とても悲しそうな目をしていた。
「守ってくれと言われたが、戦場で王を守るには、他の人間を殺さなくてはならない。しかし私は、王に向かってくる刃を防ぐことしか出来なかった。」
「だって、王も、王に向かってくる人間も、ディアンの子供達なんでしょう?殺すことなんて、出来ないよね…。」
「その隙をついて、王は殺された。」
「…ディアンは?」
「勿論刃に倒れたが、私に死は無い。気づけば、私だった人間の屍を、上から見下ろしていた。」
「そっか、そうじゃなきゃ、今ここにいないもんね。」
「戦場が落ち着いてからこの服だけを持って帰り、人間に化ける時には着ている。」
剣に切られた穴が見当たらないけど、お直し屋さんに持ってったのかな。
そうまでして、この服を大事に使っているのは…。
「ディアンは、その王が大好きだったんだね。」
顔を上げて、私へにっこりと微笑んだディアンは、懐かしそうに、遠い目をしていた。
それはまるで、母親のような顔で。
途端に、私の目から涙がこぼれた。
悲しいような、切ないような、なんとも言えない感情が、私の心を支配する。
出会って間もないし、まだこの人に思い入れなんかもないけど。
涙は、止まらなかった。




