19. 恋せよ美男子
建国祭まであと三日と迫った日の午後。
私はジャスパーに呼び出されて、アンダルサイトの宿屋の娘さんから送られてきた手紙を翻訳していた。
スフェーン達が放牧されている間に、芝生の上でのんびりランチだ。
仕事も大詰めだったのは昨日までで、今日は建国祭前に一日休みがもらえた。
季節が変わり、夏の二の月を迎え、毎日昼間は暑くなった。
それでも耐えられない程じゃないし、夕方になれば随分涼しくなる。
湿度もあまり感じない暑さだから、関東で暮らしていた頃に比べると、とても過ごしやすい。
この世界の文明からいって、クーラーなんか無いだろうから、迷いこんだ国が南のほうじゃなくて、心底良かった。
南は亜熱帯のようなじめじめした夏になるらしく、暑いのが苦手な私には、耐えられそうにない。
夏は裸でいても我慢出来ない暑さが、とにかく苦痛だったな。
あの地味子ちゃんはヒスイちゃんといい、覚えたてらしいアンダルサ語で、一生懸命手紙を書いてあるのが可愛らしい。
所々間違っているのだが、ジャスパーへの想いが伝わってきて私までキュンとしてしまう。
「もうこちらに向かっているみたいだね。」
「本祭には間に合うようにって書いてあったんだろ?何事もなく着くといいんだけど…。」
建国祭は前夜祭、本祭、後夜祭と三日間続く。
街の人達は三日間店を開けっぱなしで夜は各家庭でお祝いをするらしい。
貴族は基本的には仕事を休み、晩餐会を開いたりダンスパーティーを催したりする。
今回ジャスパーは本祭の夜の晩餐会に招待したようだが、かしこまった会ではなく立食パーティーみたいだ。
ヒスイちゃんと女将さんは街にある宿で一泊をして、後夜祭の前には帰るそうだ。
手紙の最後に、ゆっくりお話がしたいです、としっかりした文字で書かれていた。
「それにしても、よく他国の人と、こんなに頻繁に手紙のやり取りが出来たね。」
「手紙を届けるだけの人を雇ったから。」
ああ、さすがお坊っちゃま。
やることが違うね!
「そんな顔してこっちを見ないでくれる?家の金は遣っていないよ。僕の私金から出したんだから。」
「そうなの?ジャスパー、マジだね。」
「マジって何。親にはこんなことしてるなんて言えないよ。」
「なんで?手紙を出すだけで何かあんの?」
「これでも貴族の息子だよ。あんたには分からないだろうけれど、色々あるんだよ。」
ああ、成る程ね。
繋ぎ姿で馬の世話をしているから、貴族だったのを忘れていたが、ついでに騎士だったことも、今思い出した。
私がラリマーさんの養子になってから数日後、ベリルさんも交えて夕食を共にした。
そこで貴族のあれこれを教えてもらったのだが、中々にめんどくさそうで。
貴族の娘は十五歳で大人の仲間入りをし、各々の家での御披露目会を経て社交界デビューを果たす。
そこで許嫁が出来たり、力のある貴族の奥様に気に入られたりすれば、下級貴族から上級貴族に嫁いだりも出来るらしい。
下級貴族と上級貴族は当主の力量と財力で決まるのだが、当主が各部の役職に就いていたり歴史のある旧家が上級になり、それ以外の一代で財を築いた者や領地の少ない家が下級と分けられている。
それでも貴族になれば平民よりも富があり、その分家同士のしがらみなども多くなる。
ジャスパーだって下級貴族の三男坊だったとしても、結婚は自由に出来るかといったらそうはいかないようだ。
親が繋がりを持ちたい場合や貴族同士の結束を強めたい場合には政略結婚だってある。
その点平民は結婚に関しては自由であり、恋愛結婚が中心のようだ。
反対に貴族の女の子達はほとんどが、親に決められた相手に嫁いでいくらしい。
ある程度社交場で交流を深めたりするみたいだけど、本気で好きになった相手にアタック出来るのは、上級貴族の中でも上の方の女の子達だけだ。
大体があの人かっこいいって、キャーキャー盛り上がって終わるらしい。
そして、結婚する際の処女か否かもあまり重要視されていなく、結婚は出来ないが好きな人と一度きりの夜を共に…ということも少なくない。
重婚は王だけが許されているが、上級貴族の中には愛人を何人も囲っている人もいるらしい。
前王は一人だけだったけどその前の王は三人の側室がいたようだし。
ヘリオドール様は、言わずもがなだ。
ジャスパーがヒスイちゃんをどう考えているのかはわからないけど、結婚は難いのかな。
せめてこの国の人間だったら良かったものの、他国の平民となると尚更だ。
「ヒスイちゃん、嫁にもらうの?」
「まだ一回しか会ったことがないんだよ。」
「一目惚れしたくせに。」
「ひ、一目惚れなんかしていないよ!ただ、可愛らしい女の子だなって思っただけだ!」
「人を雇うのだって安くないでしょ?最近お昼抜いてるって聞いたんだけど。」
だから今日はサンドイッチ持参で来たんだから。
食べてあげてもいいとか言いながら、私の分まで完食したのはどこの坊っちゃんだ。
「…むこうが僕のことをどう思っているかもわからないだろ。」
「考えてみなよ。騎士様から手紙を貰うなんて、平民の女の子からしたら夢みたいな話だと思うけど。」
「夢って…建国祭で話が出来ればとは思っているけれどね。」
「…嫁に来いよって?」
「違うよ!普通の話だ!」
そうなのか~。
まだ恋が走り出したくらいだもんね。
しかし、若い二人に幸せになっていただきたいものだ。
私の分まで(ガッツポーズ)。
「僕のことより、あんた貴族になったんだろ。ラリマー部長の娘なんて、上級の中でもかなり上なんだから、もっとしっかりしたら。」
「しっかりねぇ…。ラリマーさんには今のままで構わないって言われたしな。」
「だからって、それじゃ構わなくない人間もいるんだろ。」
そう、確かにいる。
ラリマーさんがいる本邸にお呼ばれした次の日、別邸には分家の奥様が十人くらいやってきた。
執事のシトリンさんが、上手くお断りをしようとしてくれていたのだが、そうはいくまいと私の方から一人ずつ話をさせてもらうことになった。
ラリマーさんからは誰かしら来るだろうから、適当にあしらえと言われていたけれど、三十路の養子が気になるんだろう。
十人中六人は好意的でラリマーさんが迎え入れた私に興味深々のようだった。
働いている事にも寛大で、何か困ったことがあれば頼ってほしいと皆優しくしてくれたのだ。
本心はどうなのかまでは分からなかったけど、少なくとも好戦的な態度ではなかったから、そのまま素直に受け取っておいた。
残る四人は最初から最後まで上から目線で、貴族としての心構えや自分の家はどれだけ財や交友があるかを、ひたすら説明された。
四人とも私が養子になったことを良く思っていないようで、中には他の貴族との縁談まで持ち込んできた人もいる。
椅子の後ろに控えてくれていたシトリンさんが、その都度助け船を出してくれたのだが、どうにかして私を追い出したくて仕方がないようだった。
確かに、由緒正しき旧家にある日突然わけのわからない女が入ってきたら、誰だって気になるだろう。
皆が皆、素直に受け入れてくれることなんか無理だ。
六割は賛成のようだから、これでも十分だろう。
ただし警戒はするにこしたことないので、なるべく一人にならないようにしたり、敵を作らないよう、目立たなくしている。
陛下に誘われ始めた頃の脅迫レターはこりごりだ。
カミソリなどは無かったが、エスカレートすると動物の死骸なんかが来るってルチルに聞いて、ビビってしまった。
女はろくなことしないからな。
って私も女だけど、同性だからこそわかる。
「まぁ、なるべくボロが出ないよう頑張るよ…。で、当日の通訳はしなくていいの?」
「うん。女将も少しならアイオラ語を話せるし、僕も片言くらいは勉強したから。」
「そっか、じゃあどうしても必要になったら呼んでね。私は謁見の時と、前夜祭以外は暇だからさ。」
「暇?通訳に出ないわけ?」
「大体が自国の通訳を連れてくるしね。前夜祭だけは、アンダルサイトの外交部長に街を案内する予定なのよ。」
「…へぇ。」
「街を案内する、だけ!だからね!」
「…ふーん。別に僕は何も言ってないけれど。」
「やっぱり何かあったんだろって顔に書いてあるから!」
「あんたには信用がないよ。」
「まだそっち方面での信用ないの…。いや、私が迷惑をかけちゃったからさ、その罪滅ぼしみたいな。私も街まで出たことがあんまりないから、一緒に観光するつもり。」
あれからしばらくして私宛にも手紙が届いて、前夜祭の日に街を案内して欲しいとあった。
案内出来るほど詳しくはないが、お祭りで賑わっているだろうから、いい観光になるだろう。
「何でもいいけれど、禁酒は守りなよ。あと、あんたが思っている以上に目を引くってことを自覚したら。」
「そんなに黒目黒髪は珍しいのかね?」
「それだけじゃないけれど…どこか抜けてそうだから、つけこみやすそうだよ。」
「えっ!?私の心は鉄壁なんだけど!?」
「知らないよ。なんとなく隙がありそうってことだから。」
「隙…よし、気を引きしめるわ。」
「そうしたら。」
「なんだかんだ言ってジャスパーってば心配してくれるんだね。母ちゃん嬉しいよ。」
ニヤニヤしながら、隣に座るジャスパーの頭をイイコイイコしてあげる。
ベチッと振りほどかれたけど。
「触るなよ!別に心配なんかしていないよ。こんなババアから産まれた記憶はないし!」
「ババアっっ!またババアって言ったな!」
ギャーギャー騒いでいたら、いつの間にかスフェーンが側に来ていた。
なに?また喧嘩してるの?って呆れている気がする。
立ち上がってスフェーンの首を撫でると、太陽の光が反射して、白い毛並みがキラキラ光っている。
毎日新鮮な野菜と、これまた毎日欠かさずやっているらしいブラッシングと、適度な運動で、ここにいる馬達は皆綺麗だ。
ジャスパーが、大事に面倒を見ているのがよくわかる。
スフェーンも、私以外には大した反応は見せないけど、ジャスパーには甘えたりしているもんな。
「こんなにうるさいババアを、なんで皆気にするのか僕にはサッパリだよ。」
「皆って誰じゃい。確かにラリマーさんにはよく気にかけてもらってるけど。」
別方向で絡んできた人もいたけど、あれは無かったことにする。
壁ドンどころか、監禁へのカウントダウンなんて、怖すぎるわ。
ブルッと肩を震わせた私に、スフェーンが頬擦りをしてくれ、手を伸ばせば、彼女の温もりが伝わってきて安心する。
そのまま芝生に座り直した私の横で、むしゃむしゃと草を食べ始めた。
「…あんたを晩餐会に誘おうとしていた奴は何人かいたよ。」
「ん?でも誰からも誘われてないよ?」
前夜祭は街で適当に夕食を済ますつもりだし、本祭はラリマーさんにお呼ばれしている。
後夜祭もラリマーさんに誘われたけれど、上の息子さんが二日後に帰って来るから、遠慮させてもらった。
久しぶりの親子水入らずの時間を、邪魔するわけにはいかぬ。
本祭の夜は顔合わせの意味を込めて、一緒に夕食をとるけれど。
「まさか、なんで誘われないか気づいていないわけじゃないよね。」
「…ああ、陛下か…。」
そういえば告白されてからは、一度も顔を合わせていない。
異世界話までぶっちゃけた手前、どんな顔をして会えばいいのかわからなかったから、お互い忙しい事にちょっとホッとしていた。
「陛下のお気に入りにちょっかいを出すような奴は、この騎士団の中にはいないよ。」
「カナリーさんは、その…陛下が私を気にかけているって事を知ってるのかな?」
「多分ね。宰相と旧知みたいだから、知ってるとは思うけれど…あの人は色々特別だからね。」
「確かに。でもやましいこともないし、初めての祭りを満喫させていただくわ!」
身内以外には、誰からも三日間の晩餐会には招待されてないし、ルチルも本祭の夜は実家へ帰る。
前夜祭も後夜祭も帰っていいよ、って言ったが、化粧師としての仕事も入っているらしく、王宮内にいるそうだ。
ちなみに三日間の給金には、特別支給なるものがあって、通常の三割増しで頂けるんだとか。
どこまでも金に貪欲なルチルさんが、私は好きだな。
もちろん、陛下からも晩餐会の誘いはなかったが、まさか王族のパーティーに呼ばれるわけがない。
各国の要人達を迎えての、それはそれは豪華なものなんだろうな。
ただ、本祭の日にラリマーさん一家で陛下に挨拶に行くみたいだから、その時に会えるのかな。
ってこれじゃあ私が会いたいみたいじゃんか。
いやいや、ほら、あんな熱烈な告白をされて、しばらく放置とかダメでしょ。
ある日突然、他のクラスの知らない男子に呼び出されて、返事は今すぐじゃなくていいから、って告白され相手は帰ってしまい、そのまま一週間以上何も言ってこなかったら目で追ったり身だしなみ気を付けたり、無駄に意識しまくってしまう、的な。
その内に友達からでもいいかな~って返事しようと思い始め、デートの妄想やその先まで膨らんでいき、気づいたらがっつり好きになっているという。
ま、私の場合は特殊過ぎて、好きになる事に無意識にブレーキをかけているけど。
未来がどうなるのか、惑星レベルでわからない私には、現状維持がベストだと思う。
それに、陛下の好意に甘えてしまっている自分も、らしくなくて戸惑ってる。
ずっと一人で生きてきたから、愛情に餓えていたのかもな。
ぬるま湯がこんなに心地がいいとは知らなかった。
建国祭が終わったら、一度ラリマーさんに相談しよう、そうしよう。
ルチルにも、あの夜の事はまだ話せていないもんな。
「ジャスパーも、頑張ってね!」
「あんたに言われるまでもないよ。」
「あっそ。…女将さんもジャスパーの事気に入ってたし、きっとうまくいくよ。」
「だから、まだ会って間もないって…」
「まわりを気にしないで恋に突っ走れるのは、若い今しかないんだから!歳を重ねていけばいくほど、心だけで動くのが難しくなるのよ。だから、後悔しないようにね。」
「…さすが三十のババアの言葉は重いね。」
またババアか!と、嫌がるジャスパーの髪をぐちゃぐちゃにしながら、どうか二人が幸せな結末を迎えますように、と願う。
建国祭が近づけば近づくほど、どこか嬉しそうな顔をしているのを、本人は気づいているのかな。
体力勝負な仕事なのに、お昼抜いてまで節約しながら手紙を届けたり。
休憩中に、アンダルサ語の勉強ノートを黙々と読んでいたり。
全くわからなかった言葉を、短期間で片言まで話せるようになったのは、若いからだけじゃない。
ジャスパーの、あの子への想いからだ。
見た目からしてモテるんだろうけど、今まで特定の女の子はいなかったみたいだし、貴族ということもあってか、進んで恋をしようとはしていなかったんだろう。
政略結婚が待っていると思うと、誰かを好きになるのもバカらしくなるよね。
でもジャスパーは、ただ真面目だったんだろうな。
兄二人がいたとしても、流行り病なんかで亡くしてしまったら、ジャスパーが家を継がなくちゃならない。
この可愛らしい容姿とは裏腹に、ものすごく芯が強くて情に厚い心を持っている。
でなきゃ、得体の知れない私なんかには、関わりもしなかっただろう。
事実、騎士団の中にも私の事を怪訝な顔で見てくる人もいる。
貴族の奥様達と同じく、私を気に入らない人もいるんだろう。
でもジャスパーは、なんだかんだ言って仲良くしてくれている。
思った事をズバズバ言ってくるけど、そこに悪意は感じない。
いつも、私を思っての言葉だ。
ババア扱いも、ジャスパーの照れ隠しなんだって最近気づいた。
女将じゃないけど、私もあと十歳若かったら、ジャスパーを好きになっていたかもしれない。
こんなにいい男はいないよ。
だからこそ、頑張れって強く思う。
悔いの残らないように。
「貴族とか平民とか、若いんだから乗り越えられるよ。影ながら応援してるからさ。」
「…あんただけだよ、そんな風に言うのは。」
「そう?ま、何か困ったことがあったら、いつでもお姉様を頼ってくれてもよくってよ?」
貴族らしく、ツンとした感じてふんぞり返ってみる。
さっきまで側にいたと思っていたスフェーンが、いつの間にいなくなったのか、遠くの方で駆けているのが見えた。
「何がお姉様だよ。おばさんの間違いだろ。」
そう言ってフフッと笑ったジャスパーの横顔は、いつもの騎士としての大人びた顔じゃなくて。
年相応な、二十歳の男の子の顔だった。
そうして二人で笑っている間に、ジャスパーの休憩時間が終わり、私も自室へ戻ることにした。
遠くにいても白く光輝いている我がお姫様に、また来るー!と叫べば、ヒヒンッと返事をくれる。
本祭の日に、ジャスパー達と会える時間が無さそうなのが残念無念だが、祭りが終わったらゆっくり話を聞こう。
初恋は実らないんだって、とはジャスパーの顔を見ていたら冗談でも言えなくて、心の中へそっと閉まっておいた。
初恋かどうかも知らないし、迷信みたいなものだし。
私はうまくいく方に、月給の半分を賭ける!
って、私の賭け癖は、いまだ健在のようだ。
でも手紙の様子からも、なかなかいいところまでいきそうな気がするんだよな。
あー、うまくいくといいな。
そして帰ったら、ルチルと話もしたいなぁ。
芝生の上に座っていたから、スカートに着いた草をはらって、ジャスパーにじゃあね、と声をかける。
帰り際に肩をぽん、と叩いて親指を立てたら、変な呪いをかけるなと追い出されるように厩舎を後にした。
ものすっごく小さな声で、翻訳助かった、って呟いたジャスパーは、私に背を向けて放牧されている馬の方へ行ってしまう。
やっぱり素直じゃないけど、そこがジャスパーの可愛い所だ。
そのまま騎士団を抜け、各部の人たち専用の道を抜けて、ようやく外交部のある棟へと帰ってきた。
いよいよ、あと少しで建国祭が始まる。
祭りと聞いて異様にテンションが上がるのは、日本人だからか。
酒が飲めないのがだいぶ辛いが、思う存分楽しむぞ!
私は鼻息荒く、建国祭に挑んだのだった。




