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18. 告白の夜

シン…と静まり返った部屋の中で、耳元にある陛下の吐息の音だけが聞こえてくる。

胸に添うかたちになってしまった両手を、そっと自身の太ももの上に戻した。


「陛下、私はあなたの妻になることは出来ません。」


ゆっくりと顔を上げて、私と目を合わせてくる。

私もそのままじっと陛下を見つめた。


「アリー…」


「私は陛下を慕っていますが、そこに恋愛の感情はないんです。この国の王、ただそれだけです。」


冷えた心のまま思いを伝える。

私の肩を掴んでいた陛下の体を両手で突っぱねて、陛下から距離を取って座り直した。


「ましてや、貴族になったのだって今朝の事ですよ。元々、どこから来たのかもよく分からない、得体の知れない三十の女を王妃になんて、誰が賛成してくれますか。反発しかないことは、陛下自身が一番良くわかっているんじゃないんですか?」


陛下はまだ二十七だ。

男としてはこれからだろうし、教育もしっかりしている若くて綺麗な女はたくさんいるだろう。


歳上の、ただ言葉が堪能なだけの女なんか、娶ることはない。

好きだなんだってだけで、婚姻を結べる立場ではないだろうに。


そうか、私はどこかで陛下のこういう所に、苛ついていたんだ。

一国の王という立場を、軽んじているように見えてしまっていた。


それが国民を守る者のすることか、と呆れていたとも思う。

絵に書いたような素敵な王様に求婚されても、こんなことしか考えられない自分は、やっぱり若くないんだと思い知らされる。


同時に、なんて可愛いげがないんだと自分自身が嫌になる。

これがもし十代の若い頃だったら少しは素直に喜べたのかな。


今からでもお妃修行を頑張って、陛下に恥じない自分になろう!と思えたのかもしれない。

でも、どうかな…。


そんな素直な心を持っていたら、私は元の世界でもとっくに結婚出来ていたはずだ。

きっと今までもこれからも私は私のままなんだろう。


こんな自分だからこそ、陛下には相応しくない。

お願いだから、諦めて欲しかった。



「…今アリーが身に付けているドレスや装飾品は、俺の母の物だ。」


「えっ?」


陛下の母って…。

王太后殿下!?


「その赤い服は、父が送った物の中でも特に気に入っていた。若い頃はよく着ていたな。」


「…まさか!」


「赤が母にもとてもよく似合っていて、幼いながらに綺麗だな、と思っていたから間違いない。」


「でも、これは侍女のルチルが、知り合いに借りてきたと…。」


「あの侍女は、アリーにつく前は母の専属の化粧師だった。母もその腕を大層気に入っていたから、最近でもたまに化粧を頼んでいたな。知り合い、と言ったのはアリーが気負ってしまわないようにだろう。」


王太后殿下の物だって言われた瞬間から、全身から汗が吹き出してきた。

出るな出るな、と思えば思うほど滝のように流れていく。


「…ルチルが王太后殿下の化粧師をしていたなんて、初めて聞きました。でも侍女であるルチルに、そんな大切なドレスを貸したりなんて…。」


侍女の事を軽くみているわけではなく、立場が違いすぎる。

誰か一人を贔屓すればいらぬ争いだって生むかもしれないし…ルチルは、私が着るということを伝えた上で借りたんだろうか。


「母だって化粧の腕がいいだけの侍女に、貸しはしないだろう。二人の仲が良好なのはあるが、それだけではない。」


「では何故…。」


「私の心を後押ししてくれたのだろう。」


王太后殿下~!!

そこは大反対してくれないと困るんですけど!


どこぞの女狐に、うちの可愛い坊っちゃんは渡しません、くらいの事は言ってくれ…。

なんて理解のある方なんだ。


「王太后殿下は、私を妃にすることに反対していないんですか?」


「母は下級貴族の出なんだ。父の戴冠式後の晩餐会で見初められたらしい。妃としての教育などしていなかった母は、大層悩んだようだが…。最終的に父の押しに負けて、それから猛勉強をしたんだそうだ。」


自分も身分が低かったから、私のこともさほど抵抗なく受け入れてくれたんだろうか。

けれど私は昨日まで貴族ですら無かった。


今から学んだとしても、王妃など到底つとまるはずもない。

私自身、その気にもなれないけど。


「俺がアリーを想うようになるまで、執務をこなすことだけで毎日が過ぎていった。妃を娶れとせっつかれていたが、どの女にも興味が湧かなかったんだ。」


前に、ラリマーさんに聞いた話を思い出す。

陛下自ら好いた女はいなかったと。


「アリーだけが俺の中で特別な存在だったんだ。それを母も気づいていたんだろう。会えば、アリーの事を嬉しそうに尋ねてきていたぞ。」


「…私は王太后殿下と、会ったことも話したこともないんですよ。」


息子が初めて興味を示した女だからって、顔も見たことがないのに賛成するなんて…。

いくらなんでも安易すぎやしないか。


「記憶を失っていても謙虚で明るく、弱音など一切吐かない、芯の強いアリーに生まれて初めて心が惹かれた。」


ちょっと待ってくれ陛下…相当美化されてるよ。

私はただ、自分の今いる場所に必死でしがみついていただけだ。


「アリーが振り向いてくれるまで、何年でも待つ。」


「でも、陛下にはご兄弟もいませんし、世継ぎがいないとまずいですよね?私は、若くありません。待っている間に子供が産めなくなるかもしれませんよ?」


「王位なら叔父の所に男児が二人いる。そのどちらが継いでも構わない。俺の子である必要はない。」


「それこそ先王陛下が許さないんじゃ…。」


「周りからの猛反対をはねのけて、母を娶ったんだ。そんな父が、俺の心を潰すようなことはしないだろう。」


これは、いよいよ本格的にまずいことになってきた。

第一に私の気持ちがあるのだが、それすらいつまでも待つと言われたら、返す言葉が見つからなくなる。


いつの間にか、外堀が埋められていた。

何も言えなくなり、俯いてひたすら断りの言葉を探すが、全く浮かんでこなかった。



「…アリー、半年前に二週間ほど王都の先にある村へ行っていただろう。あの村でお前は、家畜の世話や畑の手伝いをする代わりに、少しの間住み込みで置かせてもらっていたと言っていたな。」


突然に失踪騒動の話を振られて戸惑う。

なぜ今さらそんな話?


「はい、そうですが…。」


「お前が見つかったと連絡があってすぐ迎えに行ったが、ある日突然、誰にも言わず出ていった割には、すんなりと王都へ戻ってきたな。」


「…はい。」


「あの時はアリーを働かせ過ぎてしまい、ここにいるのが嫌になって、出て行ってしまったんだと思っていた。けれど外交部へ戻ってからも、以前と変わらず仕事をこなしていたな。むしろ、前よりも意欲的になっていたように思う。」


陛下が、何を言いたいのかが分からなくて、ただ黙って聞くしかない。

ずっと合っていた視線が先程から陛下の方からそらされている。


「出ていった理由を外の世界が見たかった、と言っていたが、あの村はアリーが一番最初に保護された所なんだろう。既に知っている場所へ行く必要があったのか?外交部に勤めているお前が、外の世界を見たいとはおかしくないか?」


「それは…。」


「俺は何か引っかかるものがあって、あれからもう一度あの村へ行った。そこで、どうしても分からないことが一つあったんだ。」


「分からないこと?」


「村人の一人から聞いたが、皆が寝静まった夜に、どこかへ行っていると。短時間で帰ってきてはいたようだが、何をしているのかと聞けば、確かめたい事があるのだと。」


「そう、ですが…。」


「スフェーンが一緒だったとしても、郊外の、しかも夜間に女一人で出歩くなどあり得ない。身の危険を犯してまで確かめたかった事とはなんだ?毎晩たった一人で、どこへ何をしに行っていた?」


陛下は何か気づいているんだ。

恋愛に関してはヘタレだなんだって思っていたけど、やっぱり王らしくこういう事には鋭い。


けれど本当の事を言っても…。

この世界の人間じゃないなんてクソ真面目に話をして果たして信じてもらえるのだろうか。


「お前は記憶を無くしていると言っていたが、それは嘘なんだろう?本当は何か隠しているんじゃないのか。」


怒っているような口調だけど、表情は悲しくて仕方がないように見える。

なぜ話してくれないんだって、目が訴えてくる。


ええい、ままよ!

この際、嘘だと思われても仕方がない!


むしろそんな嘘をつくほど王妃が嫌だと思ってもらえたら万々歳だ。

グッと拳に力を入れて深呼吸をする。


「陛下、今から私が言うことは信じてもらえないと思いますが…」


「アリーの言葉を信じよう。」


即答か。

これから突拍子もない話をする私は、心臓がバクバクしてるのに。


「…わかりました。私があの村にいた時、夜に何をしていたかですが。一番初めに目を開けた場所に、行っていたんです。」


「…どういう事だ?」


「そのままです。私がいた世界で目眩がして…目を閉じて次に開けた瞬間、この世界のあの場所に立っていたんです。」


「…アリーがいた…世界とは…?」


「私はこの世界の人間では無いんですよ。私のいた世界の名前は地球。国は日本と言います。」


「…アデュレリアではない、というのか…?」


「正確には私のいた星になるんですが。ですから、どうにかしてまた地球へ帰ることが出来ないものかとあの場所へ行っていたんです。また、あの目眩が起きて目を閉じたら元の世界へ戻れるんじゃないかって思って…。」


でも、どんなに待っても目眩はしないし目を閉じても景色は変わらなかった。

二週間毎日確かめに行っていたけれど何の手がかりもなく、途方に暮れてしまっていた。


そんな時陛下やラリマーさんが探しに来てくれて、どこかホッとした気持ちで王都へ帰ったんだ。

この世界にも私を心配してくれる人がいるんだって。


それでも諦めるつもりはなく外交部にいる間はどこかに手がかりがありますようにと祈る気持ちで仕事に取り組んでいた。

同時に、勝手にいなくなったりした事の罪悪感と私を保護してくれている皆への恩返しの気持ちもあった。


ラリマーさんは薄々気づいていたみたいだけど、詳しくは聞いてこなかった。

陛下やルチルにはひたすら笑って誤魔化して謝り倒した。


「この世界へ来てしまってから一年が過ぎました。その間、あの強烈な目眩がしたことは一度もありません。ですが、これから先にはあるかもしれないんです。」


「…それは、アリーがいなくなるということか。」


「はい。多分、目の前から急に消えてしまうんじゃないでしょうか。」


きっと仕事へ行く途中の道でフッといなくなったんだろうな。

失踪届が出されて両親は血眼で私を探しているんだろう。


その事を考えると胸が苦しくなる。

たった一人の娘がある日突然行方不明だなんて、私はなんて親不孝者なんだろうか。


帰ることが出来なくても、どうか私が生きている事だけでも伝えたかった。

それすら出来ずに何が結婚だ。


私自身が幸せになることを無意識に拒んでいるのがわかる。

大切な人は増えていくけれど、どこかで一線を引いていた自分を陛下は気づいていたんだろう。


「それは…困るな。こちらへ来た原因は全くわからないのか?」


「そうですね…この国の過去の文献にも私みたいな人間はいないようですし、違う世界に紛れ込むみたいな発想があり得ませんよね?」


「まず無いな。様々な神の作った世界があるとは言われてはいるが…お伽話の中の事だ。」


「ですから、いきなりこの世界へ来てしまったようにまたいきなり違う世界へ行ってしまうかもしれないんです。こんな経験、二度とごめんですけど…地球へ帰ることが出来るのならとは思いますが。」


「帰る、か。」


「…すみません。二十九年間育った場所をそんなに簡単には諦められません。父も母もいて子供は私一人だけなんですよ。今頃両親がどんな思いでいるかを考えると…」


そのまま黙ってうつむいてしまう。

涙は出ないけれど、何とも言えない淋しさが心を支配する。


そっと、陛下が私の手を握ってくる。

何か言うわけでも無くただ私の両手をその大きな手で包んでくれる。


剣も扱う手は所々硬くなっているが自分ではない掌の温もりが無性に安心する。

陛下も私がいることを確かめるように包んだ手をじっと見つめていた。


まだ、私はこの世界にいる。

けれど、明日もこの世界にいるという保証はどこにもない。


陛下もそれに気づいたんだろう。

さっきまでの饒舌が嘘のように黙りこくってしまった。


「陛下、私の話を信じてもらえましたか?」


「…ああ、ようやく納得した。」


「何を?」


「アリーが全ての国の言葉がわかり読むことも可能なのは、この世界の人間では無かったからか。」


「それは私は理解出来ないんですけどね。むしろ何一つ分からないほうが自然だったんじゃないかと。」


「オブシディアンの加護だろうか。」


「黒目黒髪の神様なんでしたっけ。自分に似ているから同情してくれたんですかね…。」


「どうだろうな。」


「とりあえず、今まで黙っていてすみませんでした、陛下。」


うつむいていた顔を上げて陛下を下から覗きこむ。

私の手を見つめていた陛下もゆっくりと視線を上げてくれる。


その顔はまるでこれから捨てられる犬のようで一瞬怯んだ。

そんな顔したって嫁には行かぬ。


「そういう訳ですので、私を妃にと言うお話は無かったことに…」


「無かったことにするつもりはない。俺の気持ちは変わらない。むしろこの話を聞く前よりもアリーが大切に思える。」


えー…なんで?

陛下って逃げられると追いたくなるタイプ?


「ただ、妃にというのは早計だった。今は俺の気持ちを知ってもらえただけで良い。」


「ですよね。陛下も色々焦っていたようですが、私を妃にとは無謀過ぎますよ。」


「そうではない!アリーの帰りたい場所への想いを考えたら軽々しくこの国の妃になどと言えない。」


「陛下…。お気持ちはわかりました。こんな私を好いて下さったこと、それだけは嬉しいですよ。」


「そうか!」


「ですが明日も分からない私は陛下だけでなく、誰も特別に好きになることはないと思います。」


「…そうか…。」


私の手を握ったまましゅん、と項垂れてしまった。

だからそんな態度とられてもダメなものはダメだ。


「陛下、そろそろ自室へ戻らないといけません。随分遅くまで話をしてしまいました。」


夕食の時間からだいぶ夜がふけてしまった。

これ以上ここにいたら、あらぬ噂がたちそうで怖い。


「…帰したくない。」


ボソッと呟いて握っている手に更に力を込められる。

金色の髪が私の目線の下でキラキラ光っている。


「…ヘリオドール様。聞き分けて下さい。」


バッと顔を上げて嬉しそうな顔で見つめてくるが、その後ろで尻尾をブンブン振っているのが見えた。

やっぱりレトリバーだな、陛下は。


「わかった。護衛をつける。」


よしよしいい子だ、と心の中で呟いてニッコリ笑って見せた。

嬉しそうに微笑み返した陛下は護衛を呼んで私を支えて立たせてくれる。


「アリー、話してくれて感謝する。その…色々と軽はずみな行動をとってしまってすまなかった。」


「いいえ。私も黙っていて本当にごめんなさい。」


「アリーが謝るような事は何一つない!ラリマーは知っているのだろう?俺も他言はしないから安心していい。」


「陛下、ありがとうございます。これからも、ここにいられる間は仕事頑張りますからね。」


どこか寂しそうに笑った陛下は最後に私をぎゅっと抱き締めてくる。

背の高い陛下にすっぽり包まれてそれが嫌ではない自分がいる。


なんだかんだ情に流されてしまっているのかもしれないけれど、この包容力が心地いい。

決して好きになったわけではないがここまで素直に好意を伝えられる事に悪い気はしないだろう。


「では、陛下。時間が許せばまた一緒に食事をしてください。いただきますの挨拶、嬉しかったです。」


「このくらいで喜んで貰えるのならいくらでもしよう。宝石や花には興味がないようだしな。」


うっ…何度かもらったものをタンスの肥やしにしているのがバレていたのか。

花はかろうじて飾ってはいるが綺麗だなーで終わっている。


「ここで仕事を頂けているだけで充分なんです。着飾る歳でもないですしね。」


「…今夜のように着飾ったアリーをまた見たいのだがな。」


「建国祭ではまた着ますよ。今日は予定になかったんですから。」


楽しみにしている、と私の頬を撫でて腕から開放してくれる。

やはり手にキスなどという根性はない陛下は満面の笑みで送り出してくれた。


やれやれ…気が抜けたら一気に眠くなったな。

ルチルはまだ起きてるかな?


この支度を全て取っ払ってベッドに潜り込みたい。

護衛さんの後ろについて真っ直ぐに自室へと戻った。


ルチルが出迎えてくれたが、何も聞かれず淡々とドレスを脱がしてくれて化粧も綺麗に落としてくれる。

あー今夜だけで五歳は老け込んだ気がするよ。


「アリー様、私は下がりますのでゆっくりお休みください。」


「…ルチル、ありがとね。」


いえ、と笑って頭を下げて出ていく。

色々聞きたい事はあるけれどそれはまた明日にしよう。


陛下とまた食事が出来ますように。

ルチルと漫才みたいな会話が出来ますように。


明日はまだこの世界にいられますように。

私の中でまた少し、大事なものが増えた夜だった。



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