17. 大変身の顛末
外交部から自室に戻った後。
ルチルに今朝あったことを洗いざらい話した私は、風呂場で全身を磨かれ保湿剤を塗りたくられ髪にもお高いであろう花の香りのする香油をたっぷりと付けられてタオル一枚で一人、椅子に座らされていた。
な、何だったんだあのルチルは…。
私が話終えると同時に湯あみをします!と光の早さで準備を整えた後、何で、離せ、と暴れる私を自慢の腕で押さえ込み、鬼気迫る様子で私の体を洗い上げていった。
香油なんて普段は使ったこともないし、湯あみだって最初から最後まで一人で済ませている。
今までだってただの一度も手伝ってもらったことはない。
そして部屋の中が寒くはないとはいえバスタオル一枚で何も言われず放置とはこれいかに。
少々お待ちになっていて下さいねっていつまで待てばいいんじゃい!
これまた凄まじい形相で部屋を出て行ってしまったのだが、鍵はかけてくれたかな…。
今誰かに扉を開けられたらとてつもなく恥ずかしいんだけど。
そろそろ鼻水が垂れて来そうになってきた時、ようやくルチルが帰ってきた。
両手にドレスや宝石を大量に抱えて。
「ルチルさんや…。それは一体なんだね。」
「アリー様の今夜お召しになるものです。さ、この中で一番似合うものを選びましょう。」
「はい?今夜って陛下との夕食のこと?私はそんなの着ないからね。いつも通りの服で行くよ。」
「いいえ、この中から選んでいただきます。さぁ、あまり時間がないですよ。」
時間がないってまだおやつの時間ですけど。
陛下だってそんなに早く執務が終わるわけがない。
「そのドレスどうしたの?見る限りでは質が良さそうなんだけど…。」
「私の知り合いにお借りいたしました。仰る通り上質なものですよ。アリー様は身長が少し足りませんので、靴も高めな物を用意致しました。」
高めって二つの意味が込められてるよね。
チビで悪かったな。
「いや、だからルチル?色んな事に説明が欲しいよ?いきなりどうしちゃったの。」
「…今夜は久しぶりの陛下からの夕食のお誘いですよ。是非とも気合いを入れて挑んで頂かなければ。」
「何で?別に前までは普段着で行ってたじゃん。久しぶりも何もないよ。気合い入れる必要ないし。」
「何でもいいんです。とにかくこの中のどれかをお召しになって下さい。アリー様はいつも暗いお色の服装が多いので、明るい色の物がよろしいかと。」
「ルチル…説明は…。」
「さっきしましたよ。ではこの赤のドレスに黒の靴、装飾は金色で統一致しましょうか。ええ、これで決まりです。」
ベッドの上で数枚のドレスと何種類ものネックレスやピアス、ブレスレットなどを取っ替え引っ替え合わせたルチルは決まった物を私に着せにかかった。
バスタオルをはがされてコルセットに似たものとガーターベルトを付けられる。
瞬く間に支度を完了させ、鏡の前に座らされた。
どうやら次は髪型らしい。
「アリー様のお髪は少し短いので、黒い付け毛をさせて頂きますね。」
そう言ってまた黙りとしてしまったルチルは一心不乱に私の髪を結っていく。
本当に、どうしちゃったんだルチルよ。
日本にあったエクステのようにはいかないらしく、両サイドを編み込んた先に付け毛も一緒にサテンのリボンで結んでくれた。
後ろに垂らした部分を少しカールさせ、いつも下ろしている前髪もサイドに流された。
この黒目が目立つことが分かってから、前髪が目に入らないギリギリの所で揃えていた為、少し恥ずかしい。
更にいつもはほぼスッピンの顔にも薄く化粧を施され、鏡の中には五歳は若返った自分がいた。
「ルチル、化粧上手だったんだね。見事に化けてるよ。二十五歳くらいに見える!」
「そこまでは若返って見えませんから私もまだまだですね。ふぅ…。疲れました。」
えぇっ!?そこは肯定するべき所なんじゃないの。
挙げ句に疲れたって、疲れたのはこっちだよ!
「じゃあ、ちょっとお茶でも飲もうよ。私がやるから待ってて。」
「なりません!お召し物に染みでも付いたらどうするんですか!あと少しの辛抱です。口にするのはやめましょう。」
「えっ?まさか夕食まで何も食べちゃダメなの!?」
「陛下は今日は早めに執務を切り上げるんじゃないでしょうか。もうそろそろ護衛が迎えに来ますよ。」
ルチルに変身させられているうちに、すっかり日が傾いていた。
貴族のお嬢さん達は毎日こんなに時間かかってるのかな。
女の支度は時間がかかるって言うけれど私はこの世界に来てから出勤時間の三十分前に起きても間に合う。
でも…ちょっと女をサボりすぎてたから、久しぶりの女子力アップに心が踊る。
ルチルにドレスを着ている時の歩き方などを教えてもらっていると、陛下の護衛がやってきた。
仕方なく思い腰を上げて、ルチルに行ってきますと声をかけ部屋を出た。
王宮を中心として長い渡り廊下があり円状に各部の棟と繋がっている。
その廊下の先に王宮への入口があって、扉の前には常に番が立っていて訪問者のチェックが行われているのだ。
基本的には顔パスな人間以外は、事前に訪問する事を伝えて承認されなければ入ることは出来ない。
全員必ず武器や危険物を所持していないかの確認をされて、ようやく扉の中へ進める。
陛下から夕食に誘われるようになってからは、私も顔パスで入ることが出来ていたのだが、今日は何故か入念に調べられていた。
服装がいつもと違うからかな。
「では本当にアリー様なんですね?」
「はい。そんなに普段と違います?」
「あ、いや本日は随分お召し物が違うので…。」
「私の意思ではないですよ。侍女からこれを着ろと言われましてですね。」
「…そうでしたか。」
「変ですかね?私もちょっとやり過ぎかなって…」
「まさか!お綺麗です!」
キッパリ言い切って、両手でガッツポーズをとられた。
この世界にもガッツポーズってあるんだ。
「あ、そうですか?なら良かったです。途中、皆さん化け物見るみたいに振り返るんでそんなにひどかったかなと。」
「それはアリー様がとても素敵な女性だからですよ。安心して陛下とのお食事を楽しんで来てらしてくださいよ。」
後ろから護衛さんも褒めてくれる。
でもこの格好で陛下に会うのは別の不安があるんだけど。
明らかに気合い入れて来たと思われると、色々めんどくさいな。
とにかく私の意思では無いことを全面に出そう。
「何を話している。」
その時、向こう側から扉を開けてヘリオドール陛下がやってきた。
あれ?ここはまだ王宮の入口だよな。
「へ、陛下!遅くなってしまい申し訳ありません。」
扉番さんと護衛さんが慌てて頭を下げて横に避ける。
心なしか陛下の顔が怖い。
「陛下、わざわざ迎えに来てくれたんですか?」
「ああ、アリー。その姿は…。」
「ルチルにやられたんですよ。私はいつもの格好で行くって言ったんですよ?決して気合いを入れたわけでは無くてですね!」
「それでも構わない。さあ、私の部屋へ行こう。」
そう言って私の腰に手を回してぐいぐい連れていかれる。
今日はいつもよりピッタリ密着されているような気がするんだけど。
いまだに頭を下げている護衛さんにありがとうございました、と声をかけて王宮へと入っていく。
その間も無言で歩いている陛下がやや不機嫌な気がして、言い過ぎたかと不安になる。
いや、今日はキッパリハッキリお断りするつもりで来たんだからこれくらい言わないとダメだ。
そして陛下に自室へ案内されて、椅子を引かれて対面に座った。
今日も温かい料理の数々が並んでおり、まずは腹を満たそうと食事にとりかかった。
いただきます、と言い数時間ぶりの水分にありがたみを感じていると陛下が手を合わせはじめた。
「いただきます。これで合っているか?」
「は、はい。真似してくれたんですか。」
「一人で食事をするときにもやっていたぞ。給仕の者は不思議そうに見ていたがな。」
「そうなんですか。この国には食事の前には何もしませんもんね。」
「心の中では命あるもの全てに感謝はしているんだが、口には出さないな。」
そうですか、と答えながら日本にいるような錯覚を起こしてしまい少し嬉しくなる。
自然と顔が綻んでニコニコしながら食べ進めていった。
けれどいつものように何か話すわけでもなく、淡々と済ませ食後の紅茶を頂いた。
そのままローテーブルの方へ移動して二人掛けのソファに並んで座る。
このソファに座ったことは無かったから、その柔らかさに驚く。
さすが王の部屋の調度品は違うな。
「…今朝のことなんだが。どこか怪我はしていないか?」
「はい。掴まれた腕は痛みましたけど、今はもう…。」
あのあとユークレース様は陛下の所へ行ったみたいだから話をしたんだろう。
どこまで話したのかはわからないけれど。
「すまなかった。部下の愚行は私の責任だ。」
「いいえ!陛下に謝ってもらうような事ではないですから。きっと、虫の居所が悪かったんだと。もう済んだ話ですし。」
「いや、あいつにはアリーへ二度と近づくなときつく言いつけた。もし破ればただでは済まないと話をしたから安心して欲しい。」
「…わかりました。私自身とても悔しかったのが本音なので、少しスッキリしました。」
「悔しかった、か。アリーらしい。」
フフっと笑いをこぼした陛下は、やっと緊張が解けたように背もたれに寄りかかって頬杖をついた。
そしてゆっくりと私に視線を戻す。
「あのう、それよりも私をラリマーさんの養子にしていただいた件は…。」
「前からその話が出ていたんだが、アリー本人にその気が全く無かっただろう。いつか、ラリマーと本当の家族になりたいと言った時には受理しようと伝えていたんだが…。」
「国の事情が変わったんですよね?」
「…ああ、これも私の力不足の結果だ。重ねて詫びなければならないな。」
「いえ、びっくりはしましたけど、ラリマーさんには本当に良くしてもらってるので、これ以上お世話になるのが申し訳ないくらいで。」
「養子になったとしても、アリーは何も変わることはない。貴族の集まりにも出る必要は無いし、そのように振る舞うこともしなくて構わない。」
「それでラリマーさんの立場が悪くなったりしませんか?」
「それは無い。ラリマーにはこれからも外交部長として、一族の当主として勤めてもらう。何か言ってくる者がいても、俺が守ると約束しよう。」
それを聞いて心底ほっとした。
国で一番権力のある人の後ろ楯があるなら安心だ。
ラリマーさんには今度夫婦旅行でもプレゼントしようかな。
私ももう少し三十路らしく、大人な振る舞いをせねば。
改めて陛下にお礼を言うと、ぎゅっと両手を握られた。
そして、二人分ほど離れていた距離を、膝が触れるほどに縮められる。
「アリー、お前は貴族になったんだな。」
「…陛下、何を考えているのかうっすらわかりますが、それだけはダメですよ。」
まるで、小さな子供を諭すような言い方になってしまったが、ここには陛下と私しかいない。
…ってそうだった!二人だけだと意識をしてしまったら一気に緊張してくる。
だがしかし、何か言われても必ずノーと言わなければ。
今日はそのために来たようなもんなんだから。
「なぜ俺の考えている事がわかる?」
「なぜって…」
「少なからず、お前のなかに俺はいるんだな。」
なんとまぁポジティブ…。
これほと分かりやすい人間はおるまいに。
「いや、陛下はとても分かりやすいですよ?」
「それをお前が言うのか。」
「私も分かりやすいとは思いますが!陛下ほどではありませんから!」
がっちりホールドされた両手が汗ばんでくる。
そろそろ離してくれないかな。
今日の陛下はいつになく積極的だ。
ヘタレ王の名がすたるぞ。
ふいに熱っぽい視線で射ぬかれ更に距離を縮められる。
やめろやめろ!免疫ないんだからやめてくれ!
こんなに近づかれたら、好きでもないのに顔が赤くなってしまう。
これは不可抗力だ!
「へ、陛下、近いんですけど…。」
「アリー、顔が赤いぞ。」
だから、異性にここまで近づかれたら赤くもなるだろう!
カナリーさんの時は女性だと思っていたし、朝チュンの時は二日酔い真っ最中だったから、赤くなる暇もなかったけど。
腕に力を込めて自分の方に引き戻すと、アッサリと両手が開放された。
なんだなんだ、私の気合いよ帰ってこい!
そう思いゴホン、と咳払いをしてお腹に力を入れ直す。
と、その時陛下から今一番触れられたくない話題をふられた。
「アンダルサイトの外交部長と朝まで一緒だったというのは本当か。」
見たこともないような険しい顔をして私の目をじっと見つめてくる。
今日は色んな人の怖い顔を見ているな。
「宰相様から聞いたんですか?」
「ああ、だから俺の出る幕はないと。」
そういう事ではない。
あの毒舌宰相め…とことん私を追い出したくて仕方がないらしい。
「宰相様にも話しましたが…同じ布団で寝てしまったというだけです。そういう事は一切無かったんですが、信じるかどうかは、陛下にお任せします。」
どいつもこいつも私のベッドイン事情に敏感だな。
なんだってこんな情けない話を一日に二度もせねばならぬ。
「いや、信じよう。アリーはそんな女ではない。」
「そんなにあっさりと?宰相様もジャスパーも疑ってましたよ。…私の何を知っているんですか?私と陛下は、言ってしまえば上司と部下なだけです。それ以下でも、それ以上でもありません。」
「では聞くが、俺の何を分かっている?お前が貴族になった事で、俺が何をするつもりだと?」
今日は陛下も、何か強い決心をして挑んでいるようだ。
いつもならちょっとはぐらかせば引いてくれるのに、随分強気である。
「それは…。」
口に出していいものか迷う。
今はとにかく、その話をされるのが怖い。
私の返事は一つだし、陛下の望む答えは持っていない。
だからといって、簡単に引いてくれそうにない事がわかるから、尚更怖くなる。
「アリー、お前を私の妃に欲しい。」
言った…。
かれこれ半年間、まさかまさかと思っていたことが現実となってしまった。
生まれて初めてのプロポーズが王様からだなんて…。
どこのセレブだ。
「今すぐにとは言わない、何年でも待つ。ゆっくりと考えてくれて構わない。」
一人放心状態の私にさらに畳み掛けてくる。
それでも陛下の真剣な目から顔を背けることが出来なくて、固まったままだ。
「アリー…。」
艶っぽく囁かれて頬を撫でられる。
ビクッとなってしまったのは、朝の恐怖を思い出しただけではない。
「こんなに綺麗なお前が、俺ではない他の男と一緒にいるのを見ただけで、どうしようもなく腹が立つ。どうか、俺のものになってくれないか…。」
そのまま成すすべもなく陛下に抱き込められた。
唯一の抵抗で、両手を陛下の胸に押し付けると、とても早い鼓動が伝わってきて、無理に押し返すことが出来なくなる。
今日はまだ湯あみをしていないらしく、ほのかに汗の匂いが混じっている。
それが陛下自身の香りと混じって、とてつもなく男としての色気を感じてしまった。
まずい、これ以上この雰囲気のままでいるのは本当にまずい。
ましてや何度も言うが、ここには陛下と私だけしかいない。
よくよく考えてみると、これまでも二人きりで食事をしていたけれど、こんな空気になったことはない。
私が貴族になったことで、障害が一つ減ってたかが外れてしまったんだろう。
それでも。
私自身の気持ちの前に、絶対に陛下とは一緒になれない理由がある。
王妃になる覚悟やこの国で生きていく事の前に、最大の理由が。
私は、この世界の人間ではない。
陛下の腕の中で急速に心が冷えていくのを感じた。




