11. 生まれ育った場所
昨夜、一日休みをもらったことをルチルに告げて、訪問着と下着数枚と目を通しておきたい書類を鞄につめた私は、ラリマーさんち方面の馬車にて別邸へ向かった。
夜になっての到着だったのだが、暖かい食事を用意してもらっていて感激した。
多分ラリマーさんが、おおよその到着時間を連絡していてくれたのだろう。
こっそり帰ってすぐ寝ちゃえと思っていた自分が、若干恥ずかしい。
夜遊びして帰ってきた不良娘の心境だ。
私自身はそんな勇気も根性もなかったけど…。
次の日、昨夜食事をもらってすぐ湯あみをすませて寝てしまった私は、まだ使用人達が動き出す前に目を覚ましてしまった。
ここでは私の世話をする侍女はいないので、もそもそと着替えをして顔を整えたあと、朝の空気を吸いに庭へ来ていた。
「おはようございます、お嬢様」
執事のシトリンさんが、朝から完璧な執事の台詞で後ろから声をかけてきてくれた。
紺色の髪にはちみつ色の瞳の醤油顔で、目以外は親しみのある顔だ。
私と変わらない歳だというのに、仕事が完璧で尊敬する。
この別邸を取り仕切っている人だ。
妻子がいて、別邸の中にある住み込み寮にて家族で住んでいる。
ちなみに本邸の執事は彼のお父さんだ。
「おはようございます、シトリンさん。すみません早く起きすぎてしまったんで軽く散歩を…。もう朝食を頼めますか?」
「もちろんでございます。お部屋にお持ちしましょうか?それとも食堂になさいますか?」
「あ、このまま食堂へ向かいます。でも急がなくて大丈夫なんで」
「畏まりました。ではお待ちしております」
綺麗にお辞儀をして踵を返したシトリンさんを見送って、庭の中を一周する。
庭って言っても日本家屋にあるような広さではなく、どこか外国の庭園みたいな雰囲気だ。
広い芝生の中央に丸い大きな噴水があって、右奥に日差しを遮る大きな木とその下に白い猫足テーブルとお揃いの椅子、邸の周りの塀にそって背の低い木が植えられている。
左奥には小さい温室もあり、庭師さんが管理しているそうだ。
ここは外の世界から隔離されているような気がして、一人でボーッとするにはもってこいな場所だった。
水の落ちる音を聞きながら少し物思いにふけったあと、食堂へと向かった。
「おはようございます」
「おはようさん、お嬢。昨日はあんま食べて無かったろ?簡単な野菜スープとパンにしたからな。果物もあるから好きに食べてくれ」
「ヤグさん、ありがとうございます。いただきます」
料理長のヤグさんに心からの笑顔でお礼をし、朝食にとりかかる。
うん、野菜の旨みたっぷりで美味しい~!
昨夜は仕事の疲れが出たのかあまり食欲がなくて、せっかくの晩御飯を残してしまったのだ。
おかげで今朝はお腹が空いて目が覚めたようなもんだ。
ヤグさんも私と変わらない歳で、茶色い髪に焦げ茶の瞳で恰幅がいい大工さんみたいな感じ。
奥さんと二人で住み込みで働いていて、奥さんは邸の掃除と洗濯担当だ。
初めはかしこまっていたヤグさんも、私が普通で構わないと言ってからこんな感じだ。
他の皆も、私にはフランクに話しかけてくれる。
執事のシトリンさんだけは、そうはいかないと頑なに丁寧な姿勢を崩さない。
逆に申し訳なくなってしまうのだが、仮にも邸の主にあたる人間なのだから、一定の線引きは必要だと言われてしまった。
貴族でもないし、お嬢様でもないんだけど。
だがしかし、お嬢様と呼ばれて悪い気はしないあたりが、私にもまだ乙女の心が残っていたと言うことか。
「今日の昼飯は本邸で奥さんと食べるんだろ?フローライトの食材渡しといたから、飯に出てくんじゃないか?」
「えっ!?もしかしてお米とかがあったんですかっ!?」
「ああ、ご主人が色々取り寄せてたぜ。この国じゃあんまり見ない物ばっかりだったな」
「アイオライトの主食は小麦ですもんね。嬉しいなぁ~!おにぎり食べたいな!」
「にぎり?あの米を握るのか。こっちにも少し残してもらったから夜に出してやるよ」
「本当ですか!?お米を炊いたあて、三角の形にして塩で握るんです。お願いしますね!」
「おう!じゃあゆっくり食べてくれ。夕飯は部屋まで持ってくからな」
「はい。ありがとうございます」
ヤグさんを見送り、フローライトの食材を用意してくれたラリマーさんに、心の中で感謝する。
この国ではいわゆる洋食が中心だが、群島諸国フローライトではアジア系の食事が中心らしい。
稲作も行われているようで、主食がお米だと聞いた。
味噌はわからないが、魚から取れる魚醤も使われているみたいだ。
海苔もあったはずだから、日本人が愛してやまないおにぎりが食べられるはず!
一番初めにフローライトへ行った時も、和食とアジアを混ぜたような食事だったから、昼食と夕食が今から楽しみになる。
もちろん今食べている洋風なスープも絶品だけど、馴染みのある味というのは嬉しい。
やっぱり時間が出来たら、フローライトへ旅行にでも行けたらいいな。
「よし。ごちそうさまでした」
手を合わせて空になったお皿を簡単に片付けて、自室へ戻る。
そして持ってきた書類を広げて昼まで仕事脳に切り替えた。
こうして建国祭までにやらなければならないことを頭に叩き入れたあと、ベリルさんの待つ本邸へ向かった。
今日は何着ドレスを着替える事になるのか…。
別邸から本邸までは歩いて五分程度で、私が住まわせてもらう前は、二人の息子さん達のお家だったらしい。
王都の中にある、貴族が多く暮らす高級住宅街にある。
別邸も立派で広い庭があるのだが、本邸はそれの二倍ほどの広さがあって圧巻だ。
これを見ると、ラリマーさんの金持ち度合いを思い知らされる。
本邸が少し先に見える位置にある門の前に立ち、ノッカーで叩く。
今は門番がいないそうで、庭師さんが開けてくれた。
「こんにちは、アリーです。ベリルさんに会いに来ました」
「はい、奥様から聞いておりますよ。どうぞ邸へお入りください」
おじゃまします、と告げて本邸のドアへ向かった。
そして私が邸のノッカーを叩こうとした瞬間、自動ドアのように勝手に開いた。
「アリー!遅かったじゃない!ずっと待っていたのよ!元気にしていた?体を壊したりしていない?あぁ、こんなに地味な服装をして。貴女はまだ嫁入り前なんだから着飾らなきゃダメよ!」
「ベ、ベリルさんご無沙汰しており…」
「いいのいいの!どうせあの人が働かせ過ぎたんでしょうから、ろくに買い物だって行けやしないわよねぇ。今日は王都で評判の服屋を呼んだから、あとでゆっくり選びましょう!」
「あ、いや、私はこんな感じの服でじゅうぶ…」
「まぁ、私ったらこんな所で。先にお昼にしましょうか。アリーの故郷の物を揃えたのよ。ゆっくりしていってちょうだい!」
「はい…」
玄関に入る間もなくベリルさんの突撃を受けた私は、ただいま広いお屋敷の中を腕を引っ張られて連行されている。
お人形さんみたいな見た目に反して、なかなか力強い。
ぐいぐい引っ張られて着いたのは、ベリルさんの私室だった。
絵に書いたようなメルヘンなお部屋で来る度に呆けてしまう。
部屋中ほとんどが白とピンクとレースで統一されていて、女の子が一度は憧れる部屋になっているんじゃないだろうか。
この世界にはまだミシンみたいな物が無いようだから、これら全てが手縫いかと思うと気が遠くなる。
「さぁ、座ってちょうだいな。先に紅茶を御願いするわ」
ぶりぶりのテーブルに掛けると、ベリルさんの部屋に控えていた侍女が、すかさず紅茶の入ったポットをワゴンに乗せて現れる。
ベリルさんの次の行動を、きちんと把握しているんだろうな。
侍女の仕事はしたことがないが、ルチルを見ていると残業だらけの神経使いまくりで、疲れそうだ。
いや、外交部も基本的に残業ありきだからそう大差ないか…。
「アリー、体は壊したりしていないの?ご飯はちゃんと食べているのかしら。あなた少し痩せたわよ。」
「え?そうでしょうか」
「聞いたのよ、いろいろ、あったって」
いろいろ、を強調して顔をのぞかれる。
けれどベリルさんの瞳はからかう調子ではあるものの、とても真剣に私の目を見つめていた。
「あーはい。そう言えばちょっとありましたかね。でも、毎日三食きちんと頂いてましたし元気ですよ!」
「それならいいのだけれど…。あなた、体調が悪くても平気なふりをするでしょう。それが心配だったのよ」
「…ベリルさんには敵いませんね。その…色々ある前に、しばらく食欲がなくて。でもここ最近は食欲が戻ってきたので、もう平気です。心配してくださってありがとうございます」
「そう。アリーの気持ちが晴れたのならそれでいいわ。けれど、困った時には私のことも頼ってね」
はい、と返事をしてベリルさんに微笑めばベリルさんもその天使のような顔でニッコリ返してくれる。
後光がさしてラッパ持った小さい天使が周りにいるように見えるのは、錯覚ではないはずだ。
「もうお腹は空いている?用意してしまって構わないかしら」
「はい!フローライトの食材を用意して頂いたみたいで。楽しみにしていたんです」
「あの人がアリーに食べさせたいって、国中の商人捕まえて買い漁ったのよ。見たことがない物もあって、私も今日の昼食は特別楽しみだわ!」
侍女の皆さんががらがらとワゴンを押して、ささっとテーブルに昼食を並べていってくれる。
ホカホカと湯気がたっていて食欲をそそるなぁ。
青魚の干物に魚醤と思われるソースがかかっていて、大根おろしが添えらている。
スープもいつもの金色ではなく、醤油色のワカメスープかな。
小鉢には葉物のお付けものみたいな物と、玉子焼きもある。
箸はないのでナイフとフォークなのが違和感があるが。
そして平皿に盛られているのは紛れもないご飯で、日本米に近い丸いお米だった。
その上に千切りにされた海苔がかかっている。
「さぁ、頂きましょうか」
はい!と今日一番のテンションでいただきますをして真っ先にご飯を口に入れた。
んー!やっぱりこれだ!
味付けはされていないようだけれど、海苔の風味がご飯に合う。
ワカメのスープも磯の香りがするし、魚醤のソースもコクがあってうまい。
私の知っている醤油よりも甘味と深みがあって、これはこれで美味しい。
漬物は最近漬けられたのか、浅漬けでサッパリしているし、玉子焼きも卵のそのものの味が美味だ。
「フローライトでは魚を干していただくのねぇ。卵もこうして焼いて食べるなんて、初めてだわ」
「干物って言うと思うんです。日持ちするとは思いすけど、よく手に入りましたね」
「ラリマーがどうしても食べさせたいって必死に探していたわ。スープもこの味付けも美味しいわね!」
初めて口にする味と、慣れ親しんだ味に舌鼓を打ちながら、二人でやいのやいの言いながらの食事になった。
ベリルさんも同じメニューだとは思わなかったから驚いたけど、口に合っていたみたいで良かったな。
こうして骨を残して綺麗に平らげた私は、食後のティータイムに入った。
まさかこの世界で焼き魚にご飯が食べられるとは思わなかった…。
前回のフローライトはもう少しアジアっぽかったし。
今回は前に私が話した食べたい食材を用意してくれたと思うが、ここまで見事に再現してくれた料理長さんにも感謝だ。
「ねぇ、アリー。フローライトへ帰りたくなってしまったかしら」
「へ?」
ああ、フローライト風な食事を頂いたからか。
私の頭の中では日本がソイヤっと回っていたから、間抜けな返しになってしまった。
「私も東のマラカイトの生まれでしょう。嫁ぐ時には家族や生まれ育った街から離れるのが辛かったのよ。二度と会えない訳ではないのだけれど、もうこの家に住むことはないのかしらととっても寂しかったわ」
「ベリルさんは、まだ十五歳だったんですよね?そりゃあ切なかったんでしょうね…」
「ええ。婚姻が結べる歳になったとはいえ、まだまだ子供だったのよ。けれど同時にラリマーが大好きで離れたくなかったのもあったわ。あの人も真摯に求婚をしてくれたから熱意に負けて、というのもあったわね」
「今でも愛しているのはベリルさんだけだー!って言っていましたよ」
そんな勢いはなかったが、多少脚色させてもらう。
心中では毎日愛を叫んでいるんだろう。
「ふふっ。私は幸せ者ね。けれど、生まれ育った国というのはいつまでも心にあるのよね。夢を見ることもよくあるわ。あのまま国から離れなければ、こんなことは思いもしなかったのにね」
夢を見る、私にとっては日本での夢を見るのが嬉しくもあり悲しくもある。
二度と帰ることが出来ないかもしれない故郷を唯一感じることが出来るのが夢なのに、日本での夢を見た朝は泣いてしまうことがある。
「私は記憶が少なくても、故郷を思うと悲しくなります。距離もありますが、もう二度と帰れないんじゃないかって。それは、こちらにも大切なものがたくさん出来たからなんです。今の生活を全て捨てて帰ることが出来るかって言ったら、すごく悩みますし。でも故郷への気持ちも諦め切れなくて…」
「アリー、記憶が戻っていなくても、慣れ親しんだ味というものは体に染み込んでいるのよ。だから、帰りたいと思うのは当たり前だわ。でもね、皆アリーの事が大好きなの。どうにかこの国にとどまって欲しいって必死なのよ。いつか記憶が戻って、フローライトへ帰ってしまうんじゃないかって心配なの」
それは、何となく私も気付いていた。
記憶を無くした迷子だからって良くしてくれていたのが、段々まわりから愛情みたいなものがにじみ出てくるようになった。
それが嬉しい反面、別れを考えると辛くなる。
かといって、まだ割り切れてもいないけれど、確実にほだされているのが、自分でもわかる。
「アリー、この国に残るのか故郷へ帰るのか、今すぐに決断をして欲しいわけじゃないわ。けれど、あなたを大切に思っている人が、ここにもたくさんいるということも忘れないで。私だってアリーが娘のように大事なんですもの」
ベリルさんが、慈しむように私の手を握ってくれる。
それが、まるで母のようで胸が締め付けられる。
「故郷の話をたくさんしてちょうだい。まだ思い出せないことのほうが多いとは思うのよ。けれど、思い出したらいつでも話して。貴女の生まれ育った国を、もっと知りたいわ」
「ベリルさん…。はい、話します。絶対に話します!」
またまた天使もビックリな微笑みで返してくれる。
ベリルさんの気遣いが、とても暖かくて嬉しかった。
例え全部を話せなくても、嘘をついてしまっていても。
今だけは、この優しさに甘えていたかった。
「さ!じゃあ服屋を呼ぶわよ!」
あ、そうだった~。
お涙頂戴ルートからの(私にとっては)拷問ルートへ突入か…。
さっきまでのうるうるを返してくれ…。
一気に涙が引っ込んだが、それを見たベリルさんのしてやったり顔があまりにも可愛かったから、良しとしよう。
このあと、ニコニコなハゲオヤジ服屋さんに五十着程のドレスを並べられて、片っ端から着せられるという仕打ちを受けた。
さすがに二十着越えたあたりでゼーゼー言い始めた私に、ベリルさんが似合いそうな物を選んでの試着に切り替わった。
そこで建国祭で着るようにとフォーマルな紫のロングドレスとカラードレス二着、普段着にも使いなさいと、綺麗目なワンピースを五着もお買い上げ頂いてしまった。
一枚の値段は付いておらず分からなかったけれど、絶対に安くない。
女は着飾ってなんぼじゃい!なベリルさんの気迫に圧倒された私は、いつか出世払いをしようと心に決めた。
それまではこの服を着て、ベリルさんに会いに来よう。
こうしてすっかり日が暮れた後に別邸へ戻った私を待っていたのは、あの!夢にまでみた三角おにぎりだった。
夕食でも魚醤を使ったスープや味付けの料理をヤグさんに出してもらい、一日の疲れが吹っ飛ぶような気がした。
明日からまた仕事の日々が続く。
どんなに想っても帰ることが出来ない故郷に、夢だけでも近づけますようにと願い、ベッドに潜り込んだ。




