9. 日常の中の非日常
この際だから言いたいこと言っちまおうぜ!事件から十日ほどたったある日。
私はラリマーさんの使いで騎士団の本部に来ていた。
ちょうど朝の稽古の最中だったみたいで、十人くらいの騎士達が掛け声と共に剣を振っていた。
まだまだ朝の寒いアイオライトでは、汗をかいた騎士達から湯気が立ち上っている。
「コランダムさん!」
「おう!アリーちゃん、久しぶりだな!」
第一騎士団、第二騎士団、第三騎士団を束ねる総団長が、コランダムさんだ。
焦げ茶の髪にグレーの瞳の、がたいのいいおじさん。
髭もじゃな顔からのぞくつぶらな瞳が可愛くて、こっそり熊さんと呼んでいるのは内緒だ。
武術に関しては右に出るものはおらず、コランダムさんの稽古を受けた者は皆、めっためたにやられるらしい。
最近は他国との争いもなく、小さないざこざでおさまっているため腕を奮ってないみたいだけど。
二人の娘さんが生まれてからは、平和を誰よりも喜んでいるそうだ。
「アリーちゃん、今日もお使いか」
「コランダムさん…私の歳をご存知でしょう。まるで小さな子供に話すような言い方は、やめてくださいよ」
「俺からすれば、アリーちゃんは子供と変わんないだろ!ちっこいしな!」
コランダムさんは確か今年で五十歳になる。
子供っちゃ子供か。
「(この世界では)背が低いのは否定しませんが…」
「またラリマーと外交に使う馬を頼みにきたんだろ?スフェーンとこにはもう行ったか?」
「いえ、まだ会ってなくて」
「だったら今から行くか。きっとあいつも会いたがってんぞ!」
そう言って剣を持っていた手を下ろして、鞘に納めながらこちらへ近づいてくる。
まわりの騎士達へあと千回素振り、と鬼のような言葉をかけて。
近くで見ても、やっぱり熊さんだな。
その内ハチミツ食べたいとか言い出したらどうしよう。
そのままコランダムさんの後について、馬の元へ向かう。
騎士団本部のある棟の裏手が厩舎になっていて、そのまた更に後ろの平原で放牧も出来るようになっているから、視界が一気に広がる。
その中に横長の木造建ての厩舎が堂々と建っており、馬の匂いや声が聞こえてくる。
全て石造りの建物が多いアイオライト王国では、木造の建築物はここぐらいだろう。
「おう!みんな元気か!」
コランダムさんが、目の前の馬達をバシバシ叩いて声をかけている。
元の世界で見たことのある馬は私の背をゆうに越していたが、この世界の馬はそれよりも一回りほど大きい。
その馬と並んでも小さく見えないコランダムさんって、どんだけでかいんだ…。
さすが騎士だけあって体が鍛えられていて太いし、身長も二メートルを越えているよね。
馬を見に来たのに熊を観察していた私は、視界の端に真っ白な毛並みを見つけた。
気づくと一頭の牝馬が、近くまで来てくれていた。
「スフェーン!元気だった?久しぶりだね!」
元気だよ、会いたかったよ、と言っているかのように、スフェーンが私の頬に鼻を擦り付けてくる。
この、馬の干し草の匂いって落ち着く。
通訳の腕が買われて外交部に入ったあと、一番初めにラリマーさんと訪れた国が、西のアンダルサイト王国だった。
フローライトへは船で向かったけれど、アンダルサイトへは馬車か馬で行くことになった。
初めての陸路での不安を取り除こうと、ラリマーさんが私の好きなように行けばいいと言ってくれたのだ。
そこで、馬車だと十日くらいかかる距離でも、馬なら三日で着くと聞き、迷い無く馬を選択させて頂いた私にコランダムさんが選んでくれたのが、スフェーンだった。
こう見えて実は元の世界では馬には詳しかった私は、張り切って外交へ向かう気満々だったのだが…。
やはり見るのとやってみるのとでは大違いだと言うことを、身をもって実感した。
重賞レースがある日曜日には意気揚々と馬券場へ行き、血走った目をしているオジサマ達にまじって馬単でいくか、はたまた軸だけ決めて三連単にするのか。
そんなことを趣味にしていた私が、あんなに馬への愛情を持った私が、涙と金を流した私が!
まさか馬に乗れないとは思わなかった。
見よう見まねでスフェーンに乗らせてもらった私は、まず視界の高さにビビってへっぴり腰のまま、たった三十分で体の全てが限界を越えた。
乗り手の様子がおかしいと気づいたとっても利口なスフェーンが、騎士の人に近づいて私を下ろしてくれと一生懸命訴えてくれた。
スフェーンの上で青い顔をしたまま硬直した私は、そのままのかたちで下ろされて、三日間は満足に歩けないほどの筋肉痛に襲われた。
しかし外交の予定も迫って来ていたため、十日間の集中特訓をさせてもらった。
もちろん鬼教官は、我らが騎士団総団長、コランダムさんだ。
別の騎士の人が、私を後ろに乗っけて行けばいいと言ってくれたのだが、私のなかでその選択肢は許されなかった。
白馬に乗った王子様以外の後ろには、死んでも乗るもんか!
こうして意地と根性、汗と鼻水の特訓を経てなんとか馬に乗れるようになった私は、改めてスフェーンと共にアンダルサイトへ向かったのだ。
それから他国へ向かう時には必ずスフェーンに乗り、遠乗りに行ったり、たまにお世話にも来ていた。
五日と開けずに顔だけでも見に来ていた私が、十日も来なかったら不安になるよね。
ここ最近、溜まってた仕事のツケが回りに回ってきてしまい、ほぼ缶詰め状態だったのだ。
というのも、あと三ヶ月ほどでこの国で建国祭と言う正月のようなレベルの祭りが行われる。
今は春の二の月だが、夏の二の月に入ってすぐアイオライトで開催されるため、今から各国への招待状を作って届けに行かなければならない。
そのために外交部は繁盛期真っ只中で、三十人ほどいる部の人間達が各担当に別れて準備を進めているのだ。
そして私の担当は、西のアンダルサイトへ招待状を届けに行くことになった。
建国祭といっても国が誕生したと伝わる話では、創世神オブシディアンが同時に生み出したと言われているため、すべての国が同じ時期に出来たことになる。
だから元々各々の国で行われていたらしいが、別々で同じ時期にお祝いをするよりも、一年毎に一つの国で皆で盛大に祝おうと、先の戦争以来変わったらしい。
昨年私がこの国に来たときの開催国は、東のマラカイトだったようで丁度今頃の春の二の月に行われていた。
西のアンダルサイトが開催国の年は秋の二の月に、南のジンカイトの年は冬の二の月に。
それぞれの国で一番過ごしやすい季節に開催することになっていて、ここ北のアイオライトは他国では真夏にあたる夏の二の月でも朝晩は涼しく昼間も我慢できない暑さにはならない。
体のいい避暑に訪れるようなもんだな。
ちなみに群島諸国であるフローライトは開催国には含まれていない。
各王族を一気に請け負う施設や人員が無いのと、創世神が奉られている祠もあるため総本山的な立ち位置にあるようだ。
しかし、各国から要人が集まって来るので警備を任されている公安部は、人員の確保と安全を確立するために休み無く働いている。
まだ三ヶ月程度時間があるのだが、インターネットや電話などの電子機器がないこの世界では、用があれば自ら出向かなきゃならない。
伝書鳩ならぬ簡単な文書を届ける専門の鳥や、郵便屋さんもいるようだが、基本的には国内に限られる。
他国への手紙や荷物は行商や貿易を生業にしている者へ頼むのが一般的だ。
「んで、アリーちゃんは今回は誰と行くんだ?」
「それが…皆さん忙しくて、今回は私が一人でアンダルサイトまで招待状を届けに行かなきゃなんですよ」
「一人!?無茶言うな!」
「いや、外交部からは私が一人って意味ですよ!だから、護衛を誰か騎士の方にお願いしたいんですよね。二泊ほどするつもりなので往復十日くらい自由に動ける人がいいんですけど」
今までの外交では、必ずラリマーさんか別の外交部の人間が一緒だった。
今回初めて一人で外交をこなすという大役を任されたのだ。
「うーん。そうなると女のほうがいいか…」
「いいえ?男性でも問題ないですよ?」
宿は別室を取るし、手を繋いで行くわけでもないんだからどちらでも構わない。
一日のほとんどがお互い馬に乗っているんだし。
今の世の中はそこまで治安が悪いわけでもなく、西のアンダルサイトも危ない話は聞かない。
ただでさえ少ない女性騎士を借りるのはちょっと気が引けてしまう。
「いや…あぁ、それは諸事情というかだな」
もしや。
あいつの予感がしてならない。
「コランダムさん、陛下から何か言われましたね?それでしたら無視してもらって大丈夫です」
「待て!さすがに無視は出来ねぇよ。しかしなぁ、女の騎士に手のあいている奴がいないのも事実なんだよな」
「でしたら仕方ないでしょう。では私は面識がある人のほうがありがたいんで、ジャスパーはあいていますか?」
「は?俺が言うのもなんだが、ジャスパーなんか護衛の役目が果たせるかどうか…」
「一応騎士は騎士なんでしょう?」
「一応騎士とか僕なんかとか…聞こえてるよ!」
「「ジャスパー」」
コランダムさんとかぶった。
いたのが全くわからなかった。
騎士でもあるジャスパーは、この厩舎の責任者であり、ルチルと同じく下級貴族の三男坊で実家からの厄介払いで騎士になったらしい。
十八歳で卒業してすぐに第三騎士団に配属されたのだが、何故か動物に好かれるという特技を発揮して、軍用馬の世話と育成を任されている。
キャラメル色の髪にエメラルドグリーンの瞳で、くりっとした丸い目にぽてっとした唇の、見事な美少年だ。
まだピチピチの二十歳の若者である。
「僕だってこんなババアのお供なんかしたくないよ」
「ババア!?ジャスパー!もう一回言ってみろ!スフェーンに蹴り飛ばしてもらうから!」
「十歳も年上なんだから十分ババアだろ!」
「よーし歯ぁ食いしばれ。スフェーン!やっちまいな!」
どこかの悪役魔女みたいなセリフにも、スフェーンは鼻息を荒くして土を蹴って威嚇してくれる。
スフェーンが本気になったら厩舎なんか飛び越えられんだからな!
「待て待てスフェーン!お前達も落ち着け!」
すかさずスフェーンをなだめて、ジャスパーの頭を掴んだコランダムさんは、ギリギリと締め上げていく。
ぎぇぇっと苦しそうな声をあげてもがくが、熊の握力には敵うまい。
「アリーちゃんがババアなわけがないだろうが!」
「痛っったいな!僕は真実を言ったまでだ。総団長は女に甘過ぎるんだよ!」
「女に優しくするのが騎士の基本だ!三十にしては可愛らしい方だろう。アリーちゃんをババアなんて言うのはお前くらいだぞ」
「僕にとってはババアなんだから仕方ないだろ」
「口の聞き方がなってねぇガキだなぁ、お前ぇは!ちょっと来い。一から鍛え直してやる」
「なっ!そんなの必要ないよ!離せ!」
「アリーちゃん、悪かったな。馬はスフェーンで決まりだが、護衛の件はまた後で使いをやるから!」
そう言って、コランダムさんはジャスパーの首根っこを掴んでずりずり引きずっていった。
ざまぁみろ。
「ありがとうございます、コランダムさん!よろしくお願いしますね~!」
一人残された私は、改めてスフェーンに向き直る。
邪魔者が去って、心なしか嬉しそうだ。
「スフェーン、中々会いに来ることが出来なくてごめんね。ちょっと色々あってさ…」
私が別の世界の人間であることを知っているのは人間ではラリマーさんだけだが、スフェーンには最初からずっと本当の事を話していた。
いきなりこの世界に来たこと、言葉が頭のなかで勝手に変換されること、そして帰り方がわからないこと。
この翻訳能力がわかってから、もしかすると動物の言葉もわかるんじゃないかって思ったけど…
犬はワンだし猫はニャーだった。
もちろん馬の言葉も全くわからないけれど、このスフェーンだけは何となく思っていることが伝わってくるような気がした。
人間の私達と同じように嬉しい、楽しい、悲しい、寂しいって目や仕草で教えてくれる。
元の世界でも、競走馬が今日は勝つよ!とか教えてくれたら良かったのに。
ってそう言う邪な考えをして馬を見ていたから、少しも分からなかっただけなのかな。
でも、スフェーン以外の馬はそこまで感情が伝わってこないから、きっとスフェーンだけが特別なんだろう。
出会って一年経つけど、こんなにも心を許せる相手はこの子以外にはいない。
ルチルにも違う世界から来てしまった事は話していないし、ラリマーさんはそもそも信じているのかも微妙だ。
隠すこと無く何でも話せる相手がいるって嬉しい。
いつも一方的にベラベラ喋っているだけなんだけど、私が嬉しい話をするときはスフェーンも首を振って喉を鳴らしてくれる。
逆に落ち込んでいるときは、そっと私の顔をさすって、涙を舐めてくれることもある。
きっとスフェーンの気持ちが私に伝わっているように、私の気持ちもスフェーンに伝わっているんだろう。
そう考えるとなんて頭のいい子なんだと感心する。
一番初めに乗せてもらった時に、とんでもない醜態をさらしてしまったから二度と乗っけてくんないだろうな…って思ってたんだけど。
熊教官の鬼特訓が始まっても、疲れた様子も見せずに私のぎこちない乗り方に付き合ってくれた。
その時も頑張れ、怖くないよ、って背中に乗っている私の方に向かってちょこちょこ顔を見せてくれた。
おっかなびっくりな私が分かりにくい指示を出しても、きちんと理解して言う通りに動いてくれた。
毛並みは真っ白なんだけど目は白目がなくほとんど黒一色の瞳だから、その色に親しみを感じられたのもある。
この世界で黒い瞳の人間がまずいないことを知ってから、スフェーンと同じ黒い瞳が私だけじゃないんだって安心もしたな。
今では種族こそ違うものの、ツーカーの仲になっていると言っても過言ではない。
私の大切な親友だ。
「ねぇ、スフェーン。もしこの先、私が元の世界へ帰ることが出来るようになったらスフェーンは一緒に来てくれる?」
すり、と鼻をこすりつけてくる。
もちろんだよって言っているのかな。
「スフェーンは地球では大きい種類の馬になるから、私の実家のある田舎で広い土地を買って、そこで伸び伸び暮らそうね」
後ろ足を伸ばしてから、厩舎の中をぐるっと回ってきた。
そうだよね、ここの中はちょっと狭いよね。
「あ!なんだったら私騎手になるから一緒に重賞制覇しちゃう?天皇賞でしょ~有馬記念でしょ~女王杯にも出よう!きっとスフェーンならぶっちぎり一位が取れる!」
そう言った次の瞬間、今まで私の目を見ていたスフェーンが私の後ろ一点をじっと見つめ始めた。
え?何?天皇賞は春と秋二回あるんだから~なんて言っていた私は、何があるのかと振り返った。
そこには、私達から少し離れた所に全身真っ黒の騎士の様な服装をした男が立っていて、こちらを見ていた。
けれど男だとは分かるがその表情までは見えなかった。
新しく騎士団に入った人かな?
でも全部真っ黒な騎士服ってあったっけ?
第一騎士団はクリーム色の隊服だし、第二は濃い青、第三はグレーだよね。
一瞬陛下の影かと思ったけど、まさか影が自ら姿を見せるなどあり得ない。
もしかして厩舎の人かな…
それにしては格好がきっちりし過ぎているし…
そういえばスフェーンがあの人を見つけたあたりから、まわりの音が聞こえなくなった。
さっきまで馬や鳥の声や草木のこすれる音があったのに、シン…と静まり返っている。
側にいるスフェーンの息づかいと、私の呼吸する音が聞こえるくらいの静かさに、段々と心がざわついてくる。
危険人物ならスフェーンが警戒するだろうけど、そんなそぶりも見せずに私に甘えている。
何なんだろう…いまだに微動だにせずそこで立っているだけだし、何か言ってくるわけでもない。
それが逆に怖かった。
「アリー?」
話しかけに行こうか、と考えてた私に後ろから声がかかった。
振り返るとラリマーさんがにこやかに近づいてくる。
「スフェーンは行ってくれるのかい?今騎士団でジャスパーがしごかれていたよ。護衛は保留なんだってね?」
「あ、はい。出来ればジャスパーにお願いしたいんですけど…権力という名の圧力と、若さゆえの反抗にあいまして」
「あはは!そうかい、皆アリーの事が大切なんだねぇ」
「いやラリマーさん、どいつもこいつもただの嫌がらせとしか思えませんよ」
「まぁ、スフェーンが一緒ならある程度は大丈夫だとは思うけどね。ところでアリー昼食はまだだろう?一緒にどうだい?」
「あ!ぜひ!」
「よし。では騎士団の門の前で待っているからおいで」
「はい!」
そう言って踵を返したラリマーさんを見送ってからさっきまで男がいた方向に目をやると、そこにもう誰もいなかった。
まわりの音もすっかり元通りで、遠くからジャスパーと思われる悲鳴すら聞こえてくる。
「スフェーン、さっきの人は一体なんだったんだろう。白昼夢でも見てたのかな?スフェーンはあの人が誰だかわかってたの?」
大丈夫、大丈夫って言っているように鼻を鳴らして私にすりよってくれる。
スフェーンが警戒しなかったことで怪しい人だったわけでは無さそうだし…考えてもわからないか。
「じゃあスフェーン、また来るね」
真っ白な首に抱きついたあと、手を振って厩舎を後にする。
お昼ってラリマーさんどこに連れて行ってくれるのかな。
真っ黒い変な人のことをすっかり記憶の隅に追いやった私は、ぐぅと鳴ったお腹をさすりながら門へ向かった。
黒い影が、私をじっと見つめているのも知らずに。




