第6話 学院生活 3
結局二日あった休みは、その殆どを自室で過ごしているうちに終わってしまった。
別にゴロゴロと横になっていたわけじゃない。今日からは魔法を使った実技が始まるし、放課後にはリーゼとの約束もある。俺なりに思う所があって、やるべきことをしていたのだ。
(とは言え、眠いなあ)
休みだったはずなのに、いつもより疲れている気がする。欠伸を噛み殺しても涙は出るし、体は重い。
これじゃ本末転倒だぞ、と自分を叱咤しながら教室に向かう。
楓の言う通り前より気を許してくれたのか、声をかけてきてくれたクラスメイト達に挨拶を返しながら席につき、さあこれからまた陰鬱な授業が始まるぞと眠気眼を擦っていると、突然誰かが俺の机に両手を叩きつけた。
おいおい、心臓に悪いな。朝っぱらから何事だ?
「総司君、なんでバングル切ってるの!? 何度も連絡したのに!」
犯人は楓だった。両手を机に叩きつけた姿勢のまま顔をグっと近づけてくる。その隣には見覚えのある女子が一人。休みの前にも楓の横にいた子だ。
それにしてもバングルを切ってるって、どういう意味だ? これは装着者の魔力を吸って、半永久的に動くって聞いてるんだが。
「携帯の番号知らなかったらバングルで連絡しようとしたのに、誰がかけても着信拒否なんて。……もしかして初期設定のままなの?」
「ごめん。言ってる意味がよく分からない」
「あ、カエデン。そういえば千頭君、最初の方の授業受けてない」
すっかり目も覚めた俺が困って頬をかいていると、横にいた金髪の女子が思い出したかのように声を上げる。
どうやら俺が転入する前に、バングルの機能についての講釈があったようだ。
この学校は本当に転入者に優しくないな。
「あ、そうだった。よし、総司君ちょっと腕貸して」
何がよしなのか分からないが、そう言うなり楓は俺の腕を取り、カチカチとバングルをいじり始めた。座ったままの俺に、自分の胸元に俺の腕を引き寄せる楓、そしてその手元を覗き込む金髪女子という奇妙な構図のまま数分が過ぎる。
「ちょっとここ押して」
楓に言われるがまま、バングルから投影された空中ディスプレイの認証画面に指を這わせること数回。そろそろ授業の時間かなと考え始めた頃にそれは終わった。
「はい、設定完了。これでちゃんと通話も受け取れるよ。それとメールも溜まってるみたいだから、目を通したほうがいいと思うよ」
「ああ、ありがとう。後で見とくよ」
ようやく開放された腕を擦りながらバングルを見る。
通話にメールって、携帯電話と変わらないじゃないか。今まで気にしていなかったが、他にも色々機能があるみたいだし調べておいたほうがいいかもしれない。確か一緒に取扱説明書も貰ったような気がする。どこにしまったかな?
「はいはーい、おはようございます。皆さん席についてください。早速授業を始めますよー」
設定が終わって満足したのか、楓達が席に戻るのと同時に佐久間先生が現れ、授業が始まった。
この連立第二魔法学院の授業カリキュラムは、その約半分が魔法に関することに充てられており、数学や化学など普通の高校で習うような内容は、『一般教養』という一科目の授業に纏められている。そのせいで『一般教養』の授業内容は非常に密度が高い。
ちなみにこの学院は国連が設立し世界各国から人が集まっているにも関わらず、日本語が公用語として用いられている。マギ関連のお偉いさんが日本人だからとか、単純にこの学院が日本にあるからだとか言われているが、本当の理由は分からない。
何にしてもそのお陰か、英語の勉強に関してはそれほど重要視されていないらしい。英語の苦手な俺にとってはありがたい、それでいいじゃないか。それに必要となれば、バングルには高性能な翻訳機能もついているらしい。万能だな。
さて、そんなわけで今受けているのは魔法関連の方の授業だ。
直径三十センチメートル程のガラス玉を両手で抱え込み、そのままじっと見つめ続ける。
教室にいる生徒全員がそんなことをしている光景は傍から見れば異常かもしれないが、これは立派な魔力操作の訓練だ。
このガラス玉もマギアの一種らしく、中には白い煙のようなものが時計回りに渦を巻いている。
このマギアは触れた人の魔力を吸い取り、内部に煙のようなものとして可視化する。これを意のままに操ることで、バングルのリミッターをつけたままでも魔力操作の訓練が出来る、らしい。吸われる魔力は極微量なので、仮に制御し切れなくても安全面については問題ないそうだ。
俺が今までに全力で魔法を使ったのはたった一度。正体不明の蜘蛛型ロボットとの戦闘という土壇場の中での一回きりだ。当然魔力の操作なんて上手く出来るはずがない。
お陰で初めてこの授業を受けた時は、ガラス玉の中の煙を無闇に拡散させていただけだった。けれども何度か練習しているうちに少しずつ上達し、今では人並みには操作できるようになっている。成果が目に見えて現れるってのは気持ちがいい。そして今日は。
(――よし、いい感じだ)
先週よりも更に上達しているのが実感できた。休みの間に行っていた秘密の特訓、その効果が如実に現れている。
俺は魔力値が高いせいか、今のリミッターのレベルでもある程度の魔法が発動できる。それならば練習しないほうが損だ。本当はまだ勝手に魔法を使うのは禁止されているかもしれないけれど、自室で軽く使う分にはばれてないだろう。
先生の合図に合わせて煙を時計回り、逆時計回り、その場に固定、拡散、と様々な状態に操る俺達。やがて授業が終盤に差し掛かると、先生が大きく手を鳴らす。
「はい、そこまでー」
ふう、と安堵にも似た溜息を吐きながら全員が顔を上げる。どうやらついてこれなかった人は誰もいなかったみたいで、そこかしこで小声ながらも楽しそうな声が上がっていた。
その様子を見て、先生も満足そうに頷いている。
「間に合ってよかったです。これが出来ないと次のステップには進めませんからね。では次の授業は皆さんお待ちかね、いよいよ屋外での実技となります。時間までに体操服に着替えて集合すること。遅れないでくださいね」
(ついに来た!)
授業の終了を告げるチャイムの音と共に、教壇を降りる先生。
教室を出て行くその後姿を見送ると同時に喧騒が広がり、各々が体操服を抱えて足早に更衣室を目指す。誰もが興奮の色を隠しきれていない。
この第二連立魔法学院に通う者にとって、魔法をより強く、より巧く使いこなせるようになることこそが最も重要なことだ。
卒業までにもっと強くなって、テレビで活躍していたような凄いマギになりたい。
漠然とした夢だが、今までただの憧れだと思っていたものに、手が届くかもしれない。そして何より、リーゼとの約束がある。
そのための実技授業。まずは一回目。
(気合入れなきゃな)
俺も遅れないようにと、凪と一緒に急いで男子更衣室に向かった。
◇
『三組の後ろ、もっと広がれ! 四組中央、次に関係のない話をしていたら叩き出すぞ!』
バングルから小野寺教官の怒鳴り声が響く。
普段なら一クラス、多くても二クラス程度が合同で使うグラウンドに、今回に限り一年生六クラス全員がそれぞれ十分な距離を取って広がっている。今回はこれから大人数が一斉に魔法を使うということで、先生達からの指示は備え付けのスピーカーではなく、バングルによる通信が用いられていた。
それはいいんだが、腕元から教官の声がするというのは、先日のショットガンの件もあってちょっと心臓に悪い。
さて、魔法の発動を許される初めての実技だ。もっと幼い頃からマギに覚醒し専門の学校に通っていた連中も今まで滅多に魔法を発動させる機会がなかったらしく、皆嬉しそうな表情を浮かべている。
そしてそんな俺達を監視するかのように、グラウンドの周囲には各クラスの担任だけではなく、小野寺教官を始めとした多くの教員の姿もあった。高等部にいる教師のほとんど――いや、もしかしたら大学部からも来ているかもしれない。
『本日これより、貴様らのバングルのリミッターは一段階緩められる! ここに入学できた諸君のことだ、そのレベルで十分に魔法を使えるだろう! 最も、中には最大レベルのリミッターでも使えるやつもいたようだがな』
そこでちらりと、一同の前に立つ小野寺教官の視線がこっちを向いた気がした。
『しつこいようだが最後にもう一度言わせて貰う! これより諸君らが扱うのは、この世の法則を無視した超常現象だ! 制御できていない、周囲に危険が及ぶと我々が判断した者は再びリミッターを最大限まで引き上げる! 安心しろ。我々もプロだ。多少の暴走くらいならすぐに鎮圧してやる! 多少手荒にはなるかもしれんがな』
そう言ってジャージの袖を捲り、バングルを見せ付ける小野寺教官。それに追従するかのように何人かの教師も、自分のバングルを見えるように前に出す。
当然と言うべきだが、この学院の教師も大半がマギだ。とは言っても俺が入学してからこっち、誰一人として魔法を発動させているのを見たことはないが。
小野寺教官なんてショットガン撃ってるだけだしな。
『そうなりたくなければ、自分の中の魔力の流れを把握しろ! 自分の魔法の特性を理解しろ! 覚悟はいいか? それでは開始する!』
教官の合図と共にバングルがピッと電子音を発し、同時に体の中を巡る魔力の感覚が鮮明に感じられるようになった。
俺が初めて魔法を使った日、マギとして覚醒した瞬間には及ばないが、今まで希薄になっていた力の流れを確かに感じる。
『懐かしい感覚だろう? バングルによって抑制されていたが、その力は常に諸君の体に流れていた力だ。諸君の力だ。覚醒時には上手く扱えなかった者も、暴走してしまった者も、心身の成長に合わせ、今ならば馴染んでいるはずだ。自信のない者はその場で座れ。再リミッターを施す。そうでない者は使ってみるといい、その力を!』
その言葉を皮切りに、十分に距離を取った生徒達が体を発光させながら、思い思いに魔法を発動し始めた。
魔法の影響なのか、単に生徒達の興奮によるものなのかは分からなかったが、辺りを熱気が包む。
ぐるりと周囲を見渡して見ると、ある生徒は手の上で炎を躍らせ、ある生徒は体の周りに光球を浮かばせ、ある生徒は水で出来た鞭を振るい――まるでファンタジーの世界に迷い込んだかのような光景が広がっていた。
始めのうちこそおっかなびっくりといった生徒が大半だったが、やがて慣れ始めると周りと魔法を見せ合ったり、宙に飛び上がって鬼ごっこを繰り広げ始めたりと、俄かに周囲が騒がしくなってきた。
「凄いな……」
思わずその様子に見とれてしまう。
きつい体力トレーニングに地味な魔力操作の練習、そしてその合間に挟まれる座学の授業。この学院に入ってからは、ずっとそんな毎日が続いていた。正直何回か普通の高校に戻りたいとすら思ったこともある。
けれどもこんな光景を見たらワクワクせずにはいられない。
俺もマギになれてよかったと、この学院に入れてよかったと思わずにはいられない。
周囲の熱気はますます高まり、どこからか爆音すら聞こえてきた。
俺も見ているだけじゃ駄目だ。いや違う、これを見てじっとしてなんていられない!
目を閉じ、体内を廻る魔力の流れを再確認する。右腕を掲げ、手の先に魔力を集中。活性化した魔力が光を放ち、右手を白く輝かせる。
手始めにと右手を地面に向け、いざ魔法を使おうと思ったところで、こっちに向かって一人の女子が歩いてきているのに気がついた。
風に靡く特徴的な青い髪。周囲の喧騒を気にも留めず、相変わらずの鋭い目つきで一直線にこっちを見つめている。
「リーゼ? どうしたんだ」
一組の方から歩いてきたリーゼは、俺の言葉に少し離れた場所で足を止めた。
「総司、この前私が言ったことを覚えているか? 全ての敵を圧倒しろ、と」
「そりゃ覚えてるけど、今は授業中だろ」
俺の記憶が確かなら、圧倒云々はエキシビジョンマッチでの目的だったはずだ。
「周りをよく見ろ。疑問に思わないのか? これだけの馬鹿騒ぎなのに教師共が誰一人として止めようとしない」
腕を組んでニヤリと笑うリーゼに促され、改めて周囲を見渡す。
言われてみれば確かに変だ。こんな状況、普段なら間違いなく小野寺教官のショットガンが火を噴いている。
「教師共め、エキシビジョンマッチの選抜を始めているぞ。この騒ぎに乗じて全員の素質を確かめる気だ」
リーゼの言うとおり、先生たちは誰一人としてこの騒ぎを鎮めるような素振りを見せていない。それどころか、ただ離れた位置から冷静に全員を見回しているだけならまだしも、騒ぎの中を歩きながら手元で何かを書き込んでいる先生の姿も目に入った。
「戦いは既に始まっている。教師共も含め、ここで特待生の力を全員に見せ付けてやる必要がある」
そう言ってリーゼは左手を上に挙げた。
(何をするつもりだ?)
俺がそう思った瞬間、リーゼの体が青く輝き、その背後に巨大な氷の塊が生み出された。
周囲で騒いでいた皆が一斉に動きを止め、リーゼの方を注目する。
唐突な静寂の中、氷の塊は急激に成長し、高さ十数メートルはあろうかという巨大な木の形になった。
パキパキという音を立てながら枝を伸ばし、根を生やし、グラウンドに屹立する氷の巨木。その前でリーゼは左手を挙げたまま、愉快そうに口の端を釣り上げる。
「さあ総司、次はお前の番だ。お前なら防げるだろう?」
そう言ってその手が振り下ろされると同時に氷の枝がより合わさり、捩れ、幾本もの巨大な槍となって俺に向かって降り注ぐ。
(って、マジかよ!?)
慌てて地面に向けていた右手を、前に向かって突き出す。
魔法の発動において大切なのは正確な魔力操作、そしてイメージだ。自分の使える魔法の特性を理解し、その範囲で頭の中にイメージを描く。後はそれを具現化するために自分の中を流れる魔力を制御しながら放出するだけだ。
(イメージだ。イメージしろっ!)
右手がより激しく白く輝き、降り注ぐ氷の槍が空中で動きを止める。
やがて停止した槍は重力に逆らい、ゆっくりと上昇し始めた。
【サイコキネシス】。
PK。念動力。その他にも色々な呼び方があるみたいだが、俺の魔法はそういった類のものらしい。
簡単に言えば目に映るものに触れずして動かしたり操作したりと、遠距離から物理的に干渉することが出来るという、とてもシンプルな効果の魔法だ。
特に珍しいものではないみたいだが、魔法の威力というのはマギ自身の能力に左右される。幸いなことに俺の魔力は平均より桁違いに高いらしい。お陰でその威力はリミッターさえなければ、あの巨大な蜘蛛型ロボットの足をねじ切ることが出来るほどだ。そして――。
(休みの間にやってたのは、魔法の練習だけじゃない!)
必要なのは適切な魔力の制御。そして自分にあったイメージだ。
俺が【サイコキネシス】の特性を調べて最初に思い浮かべたのは、無数の手。誰にも見えない透明な無数の手が対象のものを掴み、動かし、あるいは握りつぶす。
あらゆる状況を想定し、あらゆる結果を予想しながら、何度も何度もイメージした。
そのイメージを明確に思い浮かべ、適切な魔力制御さえ出来れば――。
(こんなことも出来る!)
リーゼの背後にある氷の巨木。その樹上よりも槍が高く上昇すると、俺は柏手のように両手を打ち鳴らした。別にこのアクションは必要ないんだが、こうした方が上手くイメージを実現できそうな気がしたからだ。
同時に砕け散る槍の群れ。粉々になった氷の欠片がキラキラと日の光を反射しながらゆっくりとあたりに降り注ぎ、幻想的な光景が生まれる。
固唾を呑んで見守っていた周囲から感嘆の声が漏れ、俺自身もそれに見とれてしまったほどだ。
「流石だな、総司。この調子なら本番も大丈夫そうだ」
その中心部で、リーゼが珍しく満足そうな笑みを浮かべている。
つられて俺も笑みを浮かべかけたところで、リーゼの後ろに人影が現れ、その頭に拳骨を振り下ろした。
ゴッ、という鈍い音が鳴り響く。
「やり過ぎだ、馬鹿者! とっとと、この木を消せ!」
さすがにこれは看過できなかったらしい。怒り顔の小野寺教官が残っている氷の木を指差しながら怒鳴る。
その後、危険なので木から距離を取って授業を続ける俺達の中心で、リーゼは黙々と木を崩していっていた。
教官の拳骨が相当痛かったのか、若干涙目になりながら。