第2話 三人目 2
(助かった……。佐久間先生、ナイスタイミング!)
先生たちの登場によってクラス内の空気が一転したのを感じ取ったのか、流石のバーナーさんも「あら?」と我に返ったように首を傾げている。
(今だ!)
その隙を逃さず「ごめんまた今度」と声をかけ鞄を手に取り、戸惑った様子の佐久間先生の元へと小走りで向かう。
問題を先送りにしているだけのような気もするが、今はこれが最善手だ。……そのはずだ。
「せ、千頭君。何かあったんですか?」
「いえ、気にしないでください。それよりゴールデンウィークの件、本当ですか?」
バーナーさんの話題はもう終わり。俺の中では解決したことにしている。まだクラス中の視線を集めているのは変わっていないんだし、蒸し返さないでほしい。
それよりゴールデンウィークの話のほうが大切だ。
「ええ、本当です。ただ一つ条件があって……」
「条件?」
俺の答えに納得がいかない、といった表情のままの佐久間先生だったが、その返事の内容に今度は俺が困惑した。
嫌な予感がする。そもそも後ろにクラス担任ではない戸叶先生がいる時点で、何かがありそうな予感はしていた。
条件とは一体何だろう。言いたくはないが、元々は佐久間先生のミスが原因のはずなのに。
ここは国連が設立したマギ専門の教育機関だ。設備も授業内容も普通じゃない。そもそもここにいる人間のほとんどがマギ、という特殊な環境だ。どんな無理難題を吹っかけられるかわかったもんじゃない。
(内容によっては今年のゴールデンウィークは完全に諦めた方がいいかもしれない……)
かなり寂しい連休になりそうだが、それでも一週間足らずの間の話だ。我慢できないほどじゃない。
そう身構えていると、佐久間先生と入れ替わるようにして戸叶先生が前に出る。どうやら続きは戸叶先生が話してくれるみたいだ。
「ええ。悪いけれど連休中、人を一人預かってほしいの」
「はい?」
(人? 預かる? 俺が? 子守?)
頭の中でいくつもの疑問が駆け巡る。
とんでもない条件を突きつけられている気がする。予想を遥かに超えた展開に呆然としていると、戸叶先生は申し訳なさそうに頭をかきながら話を続けた。
「知っているとは思うけれど、私は二組の担任でね。クラスに一人困った子がいるんだ。その子の監督を千頭君とリーゼロッテさんに頼みたいの」
「はあ……?」
ここでリーゼの名前が出てきた理由が分からないし、その困った子とやらの面倒を俺が見なくちゃいけない理由も分からない。
コクコクと頷いている佐久間先生と苦笑いをしている戸叶先生の間に視線を行き来させながら、思わず間の抜けた声をあげてしまう。
「そう言う訳でどうかお願い! 詳しいことはリーゼロッテさんに話してあるから」
戸叶先生の言葉とともに、まるでタイミングを見計らっていたかのようにガラリと教室のドアが開き、リーゼが入室してきた。
「総司! ん? 佐久間先生と戸叶先生も一緒か。丁度いい、話は聞いているようだな。早速行こう。総司は会うのは初めてだろう?」
「リーゼ?」
どうやら事態は俺一人だけを置いて、勝手に進行しているみたいだ。まだその条件を呑むかどうかの返事すらしていないのに!
リーゼはそのままこっちに向かってくると、強引に俺の手を掴む。その際に後ろからバーナーさんの「あーっ!?」という叫び声が聞こえた気がしたが、立て続けに発生するイベントに思考が追いついていない俺にはそれを気にしている余裕はなかった。
(誰かこの状況を説明してくれ!)
「では先生方、私たちはこれから当人にも説明をしてきます」
どうやら俺たちはこれからその困った子とやらに会いに行くことになっているらしい。それだけは何となく分かった。
もういいや。俺じゃリーゼを止められないのは分かってる。詳しい事情は道すがら聞くことにしよう。
「ええ、どうかお願いね。あ! その前にちょっと待って」
手を繋いだまま歩き始めたリーゼを呼び止めると、戸叶先生はの俺たちの肩をポンと叩く。すると教室の隅の空間が揺らめき、白い人形が二体現れた。
戸叶先生の魔法、身代わり人形だ。
(何でこんなものが必要なんだ?)
確かに便利な魔法だけど、学内でこれが必要になるとは思えない。嫌な予感が膨れ上がっていく。
「君たちなら大丈夫だとは思うけど、念のために……」
「いえ、ありがとうございます。総司、行くぞ」
「あ、うん」
リーゼと一緒に一礼をして、廊下に出る。後ろから「総司さん! 私との模擬戦は!?」と叫ぶバーナーさんの声が聞こえてきたが、リーゼが扉を閉めるとそれも聞こえなくなった。凄い防音性だ。
「で、今から誰の所に行くんだ?」
廊下には下校途中の生徒が大勢いる。流石に恥ずかしいので手は離してもらってから行き先を尋ねると、リーゼはニヤリと意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「何だ、聞いていなかったのか? そうだな、一言で言うなら我が学年きっての問題児の所だ」
「問題児って……」
そう言えば戸叶先生も困った子だと言っていた。もしかして不良ってことなんだろうか?
「なに、会えば分かる」
てっきりその子が所属している二組の教室へ行くのかと思ったら、リーゼは校舎を出てそのまま正門の外へと歩き続ける。その人はもう寮に帰っているということだろうか。
問題児。不良。念のためにと戸叶先生が用意した身代わり人形。
これらの単語が頭の中で組み上がり、俺の中ではパンチパーマに丈の短い学ラン、木刀片手にメンチを切るヤンキー像が出来上がっていた。
(そんなのだったら、会いたくないなあ)
もし俺の思考を読むことの出来る力を持った人がいれば、今時そんな古風な格好の人はいないと言うかもしれない。けれども俺が今までに転々としてきた地方の中には、それに近しい格好をした人が確かにいたのだ。
普通の友人を作るのにも四苦八苦していた俺がそんな人達と関わり合いになることはなかったが、それでもそういう不良っぽい人に対しての何となくの苦手意識は存在する。マギとなって超常の力を手にした今でも、それは変わらない。
(――って)
「リーゼ、ここもしかして女子寮じゃないのか?」
「そうだ。それがどうかしたか?」
考え事をしながら、ただリーゼについて歩くこと十数分。俺の目の前にあるのは学院の正門よりも頑丈そうな巨大な門だった。今は下校後の生徒が大勢出入りしているせいで大きく開け放たれてはいるが、威圧感が半端ない。
いつだったか楓が面白半分に語っていた。曰く、そこに忍び込んで無事に生きて帰れた人はいない、と。
常駐する警備員は当然として、最先端の技術を用いられた厳重な警備システム。あらゆる魔法の発動を見逃さないための各種センサーに、キャンセラーまでもが設置されている、と。
過去に隠密系の魔法を使ってここに侵入しようとしたマギがいたらしいが、侵入と同時に感知され、登録されていた魔力の波長から即座に正体の特定、捕縛にまで至ったらしい。ちなみにその人物の末路は誰も知らないそうだ。
「いや、何でこんな所に?」
この学院に入学した以上、少なくとも三年間はこの島に滞在することになる。けれどもその間、ここだけには絶対に来ることはないだろうと思っていた場所だ。楓からの話を聞いて以来は、近づこうとすらしていない。
「決まっているだろう? ここに奴がいるからだ」
「ここに?」
ということは、その問題児は女子なんだろうか? パンチパーマに丈の短い学ラン、木刀片手の女子――だめだ、上手く想像できない。
思い描いていた人物像を大幅に修正していると、リーゼは門の脇に建てられている受付用の小さな建物へと向かっていった。恐らく件の人物を呼んでもらうよう、頼みに行ったんだろう。
戸叶先生は連休中、その子の監督をお願いしたいと言っていた。それが俺が島を出れる条件だと。もしかしたら目の合う人全てに喧嘩を売って回るような、野蛮な性格なのかもしれない。確かに、一般人に喧嘩を売るマギなど大問題だ。
出会い頭に何を言われても動揺しないようにと、心の整理をつける。
そして例えどんな相手であっても、第一印象というのは大事だ。親しみやすいという印象を与えるために、笑顔を浮かべて――。
「何を怖い顔をしているんだ?」
俺が笑顔の練習をしていると、不思議そうな表情を浮かべたリーゼがいつの間にかすぐ傍に戻ってきていた。
早い。まだ数分も経っていない。もしかして呼び出しを断られたんだろうか?
「ほら、総司の分だぞ」
疑問が顔に浮かんでいたのか、俺が質問するよりも早く、リーゼは右手に握っていた何かを差し出した。
小さなプレートに、クリップと安全ピンが取り付けられている。何の変哲もない普通のバッジだ。問題はそのプレートに、『入場許可証』と書かれていることだ。
「……何だこれ?」
「見ての通り、女子寮の敷地内に入るための許可証だ。それを付けていれば男子である総司でも中に入れる」
「……はあ!?」
浅はかだった。よくよく考えてみればリーゼも学生である以上、この寮で生活している一員のはずなのだ。彼女一人なら敷地内に入るのに許可がいるはずもないし、用がある人物がいるのなら、自分の足で行けばいい。
こうなると分かっていれば、あの隙に逃げ出しておけばよかった。
周りを歩くたくさんの女子たちが、不思議そうな顔で俺たちの方を見ているのが分かる。それはそうだ。こんな所に男子が突っ立ていれば、誰だって不思議に思う。
ヒソヒソと囁きあう声や、中には「あれ千頭君じゃない? 三組の」「エキシビジョンマッチに出てた?」といった声も聞こえる。挙句の果てには「こんなとこで何やってるのかな?」「声かけてみよっか」と言い出す子まで現れ始めた。
門の外でこれだ。この状況で中に入れと言うのだろうか。
「むう。総司、早くしろ」
どうも俺がモタモタしているのが気に食わなかったらしい。急に不機嫌そうな表情になったリーゼが急かしてくるが、こっちもちょっと待ってほしい。
「いや、その、これはちょっと……」
「どうした? 付けづらいのか? っ! ……よ、よし! 貸してみろ!」
バッジを受け取った姿勢のまま狼狽していると、何を勘違いしたのか、リーゼが俺の手からバッジを取り返す。そしてそのまま俺の胸ポケット部分にそれを取り付け始めた。
「確かに難しいな! 少し時間がかかるかもしれん! 付け難いからそのまま少しの間動かないでくれ!」
「落ち着け! 分かった! 自分で付けるから!」
ただバッジを付けるにしては必要以上に密着するリーゼに、思わず上ずった声を出してしまう。こんな美少女がくっついて来るなんて普段なら大喜びなんだが、この状況では気恥ずかしさの方が上だ。傍目にはまるで抱き合っているように見えるだろう。
衆目の中心で抱き合う男女。一体どんな羞恥プレイだと叫びたい。まるで見世物だ。
引き剥がそうにも、安全ピンを出した状態で持っている人に下手に触るわけにもいかない。
観念して黙って俯く俺の視界にリーゼの頭頂部と、いつもより血色の良さそうな耳が映った。
気がつけば前回の更新から1年以上が経っていました。楽しみにしていてくれた方には申し訳ありません。
これからも遅筆ながら更新は続けていきたいと思いますので、よろしくお願い致します。




