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プロローグ  ~とある授業風景~

「全員整列! 駆け足始め! 準備運動だ、手始めに十キロ行ってこい!」


 グラウンドの中央で大声を張り上げる鬼教官、小野寺サユリの声に従い、俺たちは一斉に駆け足を始めた。


 唐突に課せられた過酷な要求にも関わらず、不平不満の声は一切上がらない。もしそんなことをすれば、今も教官の右手の上でクルクルと回っている愛用のショットガンが火を噴くのが目に見えているからだ。


 やや目つきは鋭いが整った容姿に健康的なポニーテール、そして抜群のプロポーションと、街中で見かければ十人中十人の男が振り返る程の容姿なのに、俺が見たことがあるのは片手にショットガンを携えたジャージ姿のみだ。加えていつも怒声を散らしているイメージしかない。

 なんというか、色々と勿体無い人だ。


「千頭! 何をチラチラこっちを見ている! 前を向いて走らんか!」


 俺の視線に気がついた教官の怒声に、サッと俺から距離をとる周囲のクラスメイト達。

 それはそうだろう、巻き込まれでもしたらたまったものじゃない。逆の立場だったなら、俺だってそうする。


「すみません!」


 俺に非があるのは間違いないが、このまま座して裁きを受け入れる気は毛頭ない。慌てて謝罪し、審判の時を待ちながら神妙な顔つきで走り続ける。


 一秒、二秒……。どうやら幸いにも、今回は発砲なしのようだ。

 周囲の皆も安全を確信したのだろう。安堵の空気に包まれながら、元の距離へと戻ってくる。


 危機は去った。後は大人しく走り続けていればいいだけなのだが。


(それにしても、――広いなあ)


 自分達の走るトラックを眺め、周囲を見渡し、改めて思う。


 広い。とてつもなく広いグラウンドだ。

 小学から中学へと進学した際に、そのグラウンドの広さに驚いた人は多いのではないだろうか。それに比例するように高くなったバスケットのゴール、大きくなったサッカーのゴール。いきなり変わった環境に、とてもワクワクした思い出がある。

 そしてその経験から、高校に進学する際にも同じような驚きが待っていることは予期していた。


(だけど――)


 ここまでだとは誰が思うだろう。倍どころの話ではない。野球の試合を同時に四つ開催したとしても、尚余裕がありそうだ。

 しかも話によればここは高等部が所有する四つのグラウンドのうちの一つに過ぎず、広さにおいても下から二番目らしい。


「よし、走り終わったら二人一組で組み手を始めろ! 私は用事があるので少し離れる! いいか、くれぐれもサボるんじゃないぞ!」


 無駄とさえ思える程だだっ広い空間を黙々と走り続けていると、突然教官が声を張り上げた。まるでコントのフリような台詞だと思ったが、用事があるのは本当らしい。俺たちの返事も聞かぬうちに、さっさと校舎の方へ戻ってしまった。

 途端に弛緩する空気。しかし誰もサボろうなどとは言い出さない。そのまま全員しばらく無言で走り続けていたが、やがて併走していた女子が話しかけてきた。


「よかったねー、総司君。さっきのは絶対に撃たれたと思ったよ。やっぱり特待生はちょっと特別扱いなのかな?」


 僅かにたれた大きな目に小さな口。艶のある黒髪を三つ網で束ねて団子状にした髪型。引き締まった体型なのに出るところは出ていて、まさに美少女というのはこういう娘のことを指すのだろうと思わせる容姿だ。

 名前は桜間楓。クラス委員。


 面白そうに笑う彼女に返事をしようとして、動きに合わせて揺れるその大きな胸に視線が吸い寄せられそうになってしまう。いかんいかん。


 今俺たちが着ている野外訓練用体操着。通称体操服は動きやすさを追求したと言えば聞こえはいいが、設計した奴は絶対に変態だ。

 確かに肘や膝など要所にはプロテクターがついているし、『普通の学校の』体操着に比べたら遥かに頑丈で機能的だ。けれど、こんなに体のラインを出す必要があるのだろうか。胸から腰、そして太ももに至るまでの曲線美を横目で見ながら、導入時に誰も抗議しなかったのかと疑問に思う。

 全くけしからんね、ありがとうございます。


「楓か。俺も撃たれたと思ったよ。てか、何だよ特別扱いって」


 この子は普段は穏やかなのだが、初対面にも関わらずいきなり下の名前で呼びかけてきた上に、こっちにも名前呼びを強要してくるという、押しの強い面も持つ。

 初めはその強引さに驚いたけれど、転入したばかりで右も左も分からなかった俺に色々と教えてくれたりしている内に、今ではクラスで最も親しい女子になっている。


「あれ? 総司君、特待生なんでしょ? 色々と優遇措置とかあるんじゃないの?」


 首を傾げて尋ねてくる彼女に、手を横に振って答える。


「ないない。せいぜい、もとから大して高くもない授業料の免除くらいだ」


「んー。でも総司君は今年度三人しかいない特待生の一人なんだよ? 先生たちが一目置いててもおかしくないよ」


「いや、格好いい言い方してるけど、俺のはっ、ただのっ、強制転入だからっ……」


 やばい。息が切れてきた。あと何キロ走らなきゃいけないんだ。


 いくら身体能力が上がっていると言っても、つい先日までただの帰宅部中学生だった俺が、何でいきなりこんな体力馬鹿共と同じだけ走らされてるんだ。

 本当に特待生が特別扱いされるというのなら、準備期間なりもうちょっと配慮してくれてもいいじゃないか。


「強制ってことは、君はぜひこの学園に入るべきだ、って判断されたってことだよね。やっぱりそれは凄いことだよ」


 呼吸を一切乱さずに話し続ける楓。やがて、私なんてここに入るためにだれだけ苦労したことか……とぶつぶつ呟き始めた彼女を見ながら、俺はそのまま自分の世界に入ってくれと切に願った。脇腹がキリキリと痛み、相槌を打つ余裕すらない。


 俺の願いが通じたのか楓が静かになってくれたので、今のうちに呼吸を整えようとしていると、グラウンドの隅で右手を包帯で吊った女の子がじっと佇んでいるのに気がついた。


 背中までおろされた青みのかった長髪。その髪の色よりも深く綺麗な青色を宿した、意志の強そうな鋭い目つき。同年代にしては小柄で、凹凸の少ないスレンダーな体型。

 見た目は楓に勝るとも劣らないほどの美少女なのに、今は圧力を伴うほどの視線を放っているせいで台無しだ。と言うか、何故かこっちの方を睨んでいる。


「リーゼロッテ=ギースベルト。お前と同じ特待生。加えて彼女は既に実戦もこなしている程のプロだからな。ある程度授業も免除されているんだろう」


 後ろから話しかけられたので、ヒィヒィ言いながらも顔をそっちへ向ける。

 すぐ後ろを走っていたのは二メートル近い長身に満遍なく筋肉を搭載した、がっしりとした体格のスキンヘッドの男子だ。


 凪将太。

 その見た目に反してとても温厚で思慮深く優しい奴で、俺が男とはこうでありたいと考えている理想像を体現しているような存在だ。

 彼も持ち前の優しさから楓同様に転入直後の俺にとても親切にしてくれ、今ではこの学校で一番親しい男子の友人だ。


 ちなみにそんな凪だが、実は体に刺青を入れているのを俺は知っている。

 俺の中では刺青=不良という先入観があり、本来ならあまりお近づきになりたくない存在なのだが、それを知ったのは仲良くなってからのことで、その時にはいい奴だと分かっていたので、気にしないことにしている。


「それにしても、何故あんなところにいるんだろうな? 何だか怒っているようにも見えるが」


(正解だ、凪)


 凪の疑問に頷き返しながら、改めてグラウンドの隅に目を向ける。


 そうだ。思えば初めて出会った時にも睨まれていた気がする。特に気に障るようなことをした覚えは……ないこともないんだが。


 考えても仕方がない。そんなことよりも今はただ、この地獄のマラソンがあとどのくらいで終わるのかということの方が重要だ。

 




 ヒュッ、という息を吐く音と共に俺の体が宙に舞い、地面に叩きつけられる。何とか受身を取ることは出来たが痛いものは痛いし、何よりまだ息が上がっている状態なので本当にきつい。


「ちょっ、大丈夫?」


 今しがた俺を投げ飛ばした張本人の楓が、大の字になったまま動かない俺の顔を覗き込んできた。

 心配するならもう少し優しく投げてほしい。


「大、丈夫っ。でも少しだけ、休ませてほしいかなっ」


 痛みと息切れで途切れ途切れになりながら懇願すると、楓はしょうがないなあと笑みを浮かべてすぐ横にしゃがみ込んだ。

 スパッツのような構造の服と、膝に装着されたプロテクター。その間から覗く健康的な太ももが目の前に現れ、思わず目を逸らしてしまいそうになる。


 天国のような光景に運動以外の理由で動悸を早めていると、何故か楓は勢い良く立ち上がり、慌てたように俺から距離を取ってしまった。


(どうしたんだ?)


 残念なような、ホッとしたような気持ちで楓の姿を目で追う。もしかして俺の視線がいやらしかったのだろうか。


 若干青ざめているようにも見える彼女の視線の先を追い、俺は全てを悟り、絶望した。


「千頭ぁ! いつまで寝ているつもりだ! そのまま永遠に眠らせてやろうか!」


 まるでゲームのラスボスみたいな台詞を吐きながら、いつの間にか戻って来ていた小野寺教官が近づいてくる。手にしたショットガンの銃口は、正確に俺の方に向けられていた。


「ちょ、待っ……!」


 俺も慌てて起き上がろうとするが、弁明の機会すら与えられず、問答無用でショットガンがぶっ放される。


 引き金が引かれ、銃口から弾が飛び出す直前、俺は膝立ちの姿勢で反射的に右手を前にかざした。

 瞬間、左腕に違和感が走るが、そのまま構わず『力』を込める。それと同時に、突き出されていた右手が淡く白色に輝き、撃ち出された弾が全て空中で静止した。


 時間にして一秒にも満たない停滞。


 右手の輝きが消えると同時に、全ての弾が重力に従い地面に落ちる。そして俺の体は更なる疲労を訴え始めた。


「ふん、流石だな」


 両手を地面につけ、肩を上下させながら息を吐く俺を見下ろし、何故か満足げな表情を浮かべる教官。この人どんだけドSなんだ。


 もう嫌だ、普通の生活に戻りたい……。

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