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躍水少年編 (五)

「あの……、大丈夫ですか……?」

 今朝も、凄雀はひどい寝不足の表情でダイニングに現れた。

「夕御飯、光輝に来てもらおうか? 一人で作れます? 僕、今のうちに電話」

 エプロンで手を拭う騎道を、凄雀は手だけで遮った。

「……用意は出来ているのか? 一泊するんだろう? 解熱剤も、持っていけよ」

 薬……? なぜなのか不思議に思いながら、騎道は素直にうなずいた。

「言われた通り、麦わら帽子も日焼け止めも、ビーチ・サンダルも買いました。

 ……僕、やっぱり残りましょうか? 具合悪いみたいだし」

「いいから、行ってこい……!」

 睨まれてしまう。……追い出したがってるよーな気も、する。

 夏休みに入って四日目。二日連続で、隠岐の設計事務所に出向き、昨日は、駿河に拝み倒されて、騎道は彼の付き人として再撮影に付き合った。

 そこで、前々日の顛末を聞かされ、久瀬光輝に代わって、騎道は平謝りに謝った。

 自己中心的で自意識過大な光輝が、自意識の宝庫であるクリエイティブな場で、トラブルを起こさないはずがなかった。

 そして、撮影の仕事というのも、思った以上の重労働だった。

 前々日のお侘びとして、しっかり被写体として駆り出されてしまったのだ。

 慣れないモデルとしての緊張感は、その夜のうちにツケが来た。

 凄雀の寝不足は、騎道の高熱の看病疲れのせいだと当人はまったく気付かない。

 ……幸せな男だった。

「じ、じゃ。僕、そろそろ待ち合わせの時間だから……」

 早く行け。やれ行け、とっとと行け。

 背後で、凄雀が両手を振っていることも知らず、騎道はトコトコと玄関に向かった。

「……これで、一晩はゆっくり眠れるな」

 タバコをふかし、残された凄雀は一人呟いていた。



「ほんとに、バレないの? 知られたら、怒り狂うわよ、あんたのお父さん」

「わかってるわよ、それくらい。

 これでも苦労してうまくやってるんだから。ま、みーんな、茨子所長の入知恵だけど。完璧にフォローしてもらってるんだもの、ガンバらなくちゃね」

 駅前の有料駐車場前で、女子高校生が二人、夏の海岸に似つかわしい、解放的なファッションで待ち合わせしていた。

 一人は、ハーフ・パンツにショート丈のTシャツ、アース・カラーのベスト。顎のラインでカットしたストレートの髪には、麻の編み細工のカチューシャ。

 もう一人の少女の、サラリとした木綿のワンピースの裾をわざとめくったりして、ふざけている。

「やめなさいよっ。園子っっ……!」

「なーによ。自分だけ女らしくして。色気は彩子に似合わないわよーだ」

 いーじゃないのよっ。飛鷹彩子はむくれている。その二人の周りに、一人また一人と、同じ学生たちが集まってきた。

「千秋? 椎野は?」

 佐倉千秋は、長身の田崎臨と一緒だ。

「ご家族で海外旅行です。ほんとは来たがってたんですけど」と、佐倉千秋。

「もの好きねー。このメンバーだから嫌がってると思ってたのに」

 口の悪い園子に、佐倉は堅く笑った。

「ね、秀一。隠岐は?」

「あいつはロンドン。騎道を事務所に駆りだしたのは、自分が出掛けたい一心だったのさ。あの知能犯め」

「ふーん。好きな子でも出来たかな?」

 図星な隠岐は論殿でくしゃみだ。

「それはそーとさ。隠岐、嘆いてたぜ。騎道の奴、仕事はできるんだけど……」

「けど?」

 弱った顔で、鼻の頭などかいて。

「クーラーに弱くて、扱い憎いってさ」

「……はーぁ。騎道らしい気もするけど」

 機械に弱い彩子は、想像もできなかったが。事務所でクーラーを止めるか否かは、切実な選択の一つだった。

 熱を嫌うコンピュータ群と、クーラー病の騎道。どちらも捨て難く、現場の右往左往の様は、遭遇した者でなければ味わえない、まさに綱渡り状態だった。

 付け加えるなら。二晩、騎道を看護した者は、後見人兼同居人の凄雀だった。

「クーラーか……、なんかそういうバイトも楽でいいかも……」

「? お前、何かバイトしてんの?」

 ぎょっとして、彩子は知らぬ顔をする。

「え……、してるなんて言った……?」

「あら? あれって、秋津兄弟じゃない?」

 目敏く、園子が近付いてくる二人を見付けた。

「おはよ。数磨君も、三橋に?」

「おはようございます、彩子さん。

 僕も誘ってもらったんです、よろしく」

 礼儀正しく、秋津数磨は頭を下げた。

「ね、会長も?」

 小声で聞くのは、園子。

「いや。僕は、見送りに」

「あら、そーなんですかぁ。残念だわぁ」

 変に媚を売る園子であった。

「でさ。最近、お袋が、彩子のことばっかり話すんだよな。お前、会ってるの?」

 駿河の言葉にギ、ギクっっ。

「えー。……お、おば様、何って言ってるの?」

「ああ……。気が利くとか。やっぱり、飛鷹警部補の娘だ、とか。目のつけ所が違うから、話してて面白いとかさ」

「……や、やだぁ。照れちゃうな。そんなに褒めてもらっちゃうと」

「なーんか、間瀬田も隠し事してるって態度だし。あいつ夏バテってのも嘘だな」

「事務所の方が、忙しいんじゃない? 探偵稼業って、全然、楽じゃないよ。刑事の方が、まだ楽よね。国家権力あるし」

 ……。ちょーっと、駿河は考えてから。

「お前、日焼けしてるな……。何してるんだ? お袋、夏になるとこぼしてるんだよな。夏は尾行に張り込みで、真っ黒になるからお肌に悪いって……まさか」

「……。茨子おば様、美人だから心配ないわよ……」

「人の質問に答えろよ?」

 目を怒らせる駿河。

「さすが親子ね。素晴らしい推理だわ」

「園子っ。余計なことを言わないでっ」

「やっぱり! お前、探偵ごっこは卒業したはずなのに、なんでうちに……!」

「茨子さんが誘ってくれたんだもん。

 危なくない仕事ばっかりだから、心配ないわよ。いい加減、子供扱いするのやめてよねっ」

 鷹の子は鷹で、刑事の娘は、刑事の真似事が大好き。それを見取った、駿河の母、駿河茨子探偵事務所所長が、夏だけのヘッドハンティングに乗り出したわけだ。

「お前さ……、親父さんにバレたら騒ぎだぜ」

「大丈夫よ。あたしの幼馴染の駿河秀一君が、ちゃーんと黙っててくれるから」

 胸を張る、涼しい顔の彩子であった。

「どもーっ。お待たせいたしましたっ」

 軽くクラクションを鳴らして、一台のワゴンが一同の目前に横付けされた。

 中から飛び出してきた三橋翔に、全員の目が丸くなり、一斉に一歩引いた。

「……何よ、その格好……」

 赤い祭り半纏に、紙製小旗を握る三橋。襟には白抜きの『三橋百貨店』……。

「ホンジツ! 皆様の旅のお供をさせていただきます、添乗員で、ございます。

 皆様の楽しーい夏の思い出、夏休みをより有意義にして頂くお手伝いを、私……」

「……。みんな、早く乗ろっか」

 何事も聞いちゃいない彩子。一同同感で、ワゴンに乗り込もうとしたが。

 ぴったりと、三橋がドアに張り付いた。

「待って待って。大事な話しの要点だけでも聞いといてくれよ。騎道は?」

「まだみたいね」

「ま、いっか。あいつなら文句言わないからな。これ、読んどいてくれる?」

 各人一枚ずつコピーを配り出した。

「何? お中元商戦祭日計画表?」

「心配しなくていいかんね。ほんの三日だけで済むからさ。適材適所な配置を、翔くん、すっげー苦労して考えたのっ」

 三橋の言う要点が、よーく見え始めて、一同は絶句した。

「この車、チャーターするのにエライ苦労したんよ? 御曹司でも、タダってわけにいかないじゃん、従業員の手前。

 つーことで、三日間、バイトに来てね」

 運転席から降りてきた初老の紳士が、三橋の傍らで丁寧に頭を下げる。

「坊ちゃまが、皆様には、いつもお世話になっております。お力を拝借させて頂けるなら、何よりの幸いにございます」

 極上の穏やかな笑みで見渡され、抗議の矛先は行き場を失い、宙に浮いた。

「彩子ちゃんは、青木と迷子室のお姉さん。間違っても大事なお客様をドヤサないでねっ。心配だから、千秋も手伝ってくれる? 駿河と騎道は、店内でのお客様案内係。てめーらのツラを十分活用して、店のイメージアップに努めること。

 田崎は警備担当ね。君のその長身で、悪い人たちを十分威嚇しておくれ。

 数磨はさ……、何か得意なこと、ある?」

 勝ち誇って一人ガンガンとまくしたて、三橋は数磨を覗き込んだ。

「……パソコンくらい、ですが……」

 不安ながらも、気丈に答える数磨。

「数磨、習字も得意だろ?」

 励ますように、静磨は促した。

「いーじゃん! それってラッキーだぜ。

 のし紙の表書きの要員って、いつも足りなくて困ってるわけ。絶対に来いよ?」

 三橋翔、すっかり人事担当が板についていた。御曹司に、夏休みはないらしい。

「ねぇ。OKだから、早く出発しようよ」

 目先の海水浴一拍旅行という、おいしい企画には誰も勝てなかった。この点、三橋の計略・交渉勝ちと言えた。

「騎道も来たことだしさ」

「すみません、遅くなって……。途中の電光掲示板で天気予報を見てたんです」

 目深に被った麦わら帽子の下。浮かない騎道の顔に、全員の視線が集中した。

「あの……、上陸するらしいんです。

 台風が。宿泊予定の海岸に……」

 …………。

「……マジかよ……」

 呟いたのは、三橋だった。

「それで、関東地方の海岸一帯も暴風域に入るので、遊泳禁止って……」

「……それって出来過ぎだぜ……」

 頭を抱える、添乗員三橋であった。



「もしもし。僕です、騎道です」

 受話器をぎゅっと握り締め、騎道はうまく伝える方法を、まだ思案していた。

「あの。勢力の強い台風が接近していて、中止になったんです。今日の海水浴は。

 それで……」

「……お前の力なら簡単だろう? 台風の一つくらい、消すなり進路を変えるなり、何をしてでも行ってこい」

 ……そう来るんじゃないかと思っていた。凄雀は、絶対に自分を避けている。原因不明だが、騎道は確信し始めていた。

「ええ。そう考えたんですが……その。

 全然、別な企画でみんな盛り上がっちゃって。……あの、今夜……」

「……だめだ」

「でも……。あ、三橋っ……」

 受話器は、三橋に奪い取られてしまった。

「どもっ。そーゆーことなんで、学園長宅の離れを、一日合宿に使わせていただきますっ。一同これから、すぐに参りますので。でわーっ」

 極めて一方的に、三橋は通話を切った。

 にーっこりと微笑んで。

「んじゃ、行こっか?」

 待ち兼ねていた全員に、OKを送った。

 意気揚々と、ワゴンに乗り込む彼等。

「何してるの? 早く乗りなさいよ」

 一番最後に騎道を飲み込んで、車は走り出す。凄雀家と。

「海なら、明日行けるじゃない。日帰りにはなったけどね」

 耳元に囁かれて、騎道は彩子に頷いた。

「ん……。そうだよね」

 みんなで合宿も、楽しいかもしれない。

 騎道はやっと、頬をほころばせた。



 幕を開けたばかりの夏休み。

 終わらない夏を祈りながら、彼等は確実に、夏を消化していった。

 それは夏の騒乱譜。陽炎の日々の物語。



『躍水少年編 完』


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