死人
◆◇◆
一時間ほど時は遡り。
「あの、これ、ばれませんか? 物凄く危ないことしてる気がするんですけど」
「そんなことは言われなくても分かっているよ」
俺と先輩は雨が降るなか、屋上で待機している。
ここ数日間、俺と先輩は屋上で霧生木さんが来るのを待っていた。
これまで、雨の日はなく、伏せてさえいれば問題なかったのだが、今日は運の悪いことに雨が降ってしまった。二人して傘をさしている。見つかる可能性は格段に上がっている。
「先輩、せめてビニール傘以外のものを用意できなかったんですか?」
「聖に奪い取られたんだよ」
「あー……なるほど」
この間の電話もそうだったが、柳先輩は聖さんに弱いんじゃないだろうか。
お姉ちゃん権限でそのくらいどうにかすれば良いと思うのだが。
ビニール傘じゃあ、もしなにかに照らされたら一発で分かる。
「それより、来ますかね? 小雨とはいえ雨降ってますし、わざわざこんな日に出てくることもないような気がしますけど」
「飛び降り志願者が、天候がどうとか、気にすると思うかい?」
「そう言われると……気にしない気がしますね」
正直な話、ちょっと寒いのだ。
傘をさしているとはいえ、見つからないよう、妙な体勢になっているため、足元が結構濡れてしまう。もう少しで夏という季節ではあるが、夜なのも相まって体温が奪い取られている。
「……」
ちらりと先輩の方を見やると、きゅっと唇を引き結んでなにかに耐えているようだった。
先輩だって、かなり寒いのではないだろうか。俺と違って、素足に雨が当たっているはずだ。
「あの」
「なんだい?」
「ハンカチ、使います?」
一瞬、先輩は目を瞬かせてから、
「君ねえ、わたしだってハンカチくらい持っているよ」
呆れられた。そうだろうな。
「でも気遣いは嬉しいよ。ありがとう」
「……いえ」
にこっと微笑まれた。照れる。
「まあ、寒いのは事実だね。あと一時間待って来なかったら今日はもうやめようか」
「分かりました」
頷き返し、俺はゆっくりと深呼吸をした。
今、俺たちがしていることは、あまり、良い方法と言えない。
霧生木さんから事情を聞きだすためとはいえ、積極的にやろうと思える策ではない。
言ってしまえば、霧生木さんが精神的に一番揺れている場面を捉えて、傷を抉り出そうとしているようなものなのだ。
前回、落ちた直後の時点で、霧生木さんはどこかすっきりした表情をしていた。それはつまり、そこでは駄目だというコトなのだ。落ちた後になにかを聞いても、平常心で答えられて終わりになる。
だから、俺と先輩は落ちる前を狙うことにした。
リスクは高いが、これなら霧生木さんが落ちる前、どんなことを考え、どんなことを思っているのか、直接見て、聞くことができる。たとえ拒否されても、普段とは違った反応になるだろう。そこを突けば、聖さんに言われた、霧生木さんの望んでいることを引っ張り出して、実現できるかもしれないのだ。
ただ、これは霧生木さんが弱っているところを故意に突き出すという、倫理的にはあまりよろしくないことだ。
何日間も続けていると、だんだん気が滅入ってくる。
「……」
「……」
寒さからか、それとも他の要因からか、俺と先輩はそれからほぼ喋らなかった。
その状態で三十分以上が過ぎ、腰が痛くなってきたとちょっとだけ背を伸ばして、屋上から外を見た。
「案外、見えないんじゃないですか?」
「うん?」
「いえ、図書館とか、明かりがついてるのは見えますけど、それ以上は無理です。雨のせいで視界がかなり悪いですよ。これなら人目を気にしなくてもいいんじゃないです?」
先輩も少しだけ背を伸ばして、図書館の辺りを見る。
「……かもしれないね。ただ、実際向こうに行ってみないとなんとも言えないよ。警戒だけはしよう」
「ですね」
互いに、気力が削られているのが分かった。
先輩の声にも張りがなくなっている。
俺はなんとなく、そろそろ来てくれないかなーと校門の辺りに目をやった。
「……?」
暗い上に、雨が降っていて視界が悪い。しかも、御櫻学園はそこらの建物よりずっと高い。地上なんて、薄ぼんやりとしか見えない。
が、校門の辺りに誰かがいた気がした。
「先輩」
「今度はなんだい?」
「校門の辺り、見えます?」
「校門?」
たぶん、その人影を見ることができたのは、その人影から発される空気が、異質のものだったからだろう。
常識的に考えて、雨の日にそもそも傘をさしていないというのはおかしい。夜の学校へ傘も持たずに来る人間なんて、普通では考えられない。
その上、足取りが、おぼつかない。聞こえるはずがないのに、ぴちゃぴちゃと、一歩一歩学内へ進んでくる音が聞こえるようだった。
ゾンビかなにかでは、と疑いさえした。
けど、先輩もおぼろげながら、その姿を視認できたらしく、二人で頷き合う。
「霧生木さん、みたいですね」
「四葉ちゃん、みたいだね」
頭を引っ込めて、ひそひそ話し合う。
「あれ、霧生木さんですよね?」
「そのようにわたしには見えたけど……」
「なんで傘もさしてないんですか」
「わたしに言われても困るよ……。ついにおかしくなったとかじゃないといいんだけど」
たぶん、霧生木さんだろうと予測しつつも、確信が持てなかった。
その姿が、雰囲気が、あまりにも普段と違いすぎるのだ。
クラスでも部活でも明るい笑顔を見せる霧生木さんからは、想像できない姿だった。
「あまり心配をかけさせないで欲しいよ……」
か細い声で、先輩が呟く。
俺なんかよりもずっと、先輩は霧生木さんのことを心配している。
先輩と霧生木さんは、一年以上、部活で切磋琢磨してきた仲なのだ。
いつでも霧生木さんのことを気にかけて、助けようとしてきた先輩と、一度拒否しながらも希望を捨て切れなかった霧生木さんの間には、俺なんかよりずっと深い絆がある。
「そろそろ、かな」
「はい」
校門から、直行でここまで来れば、五分もかからない。
いつ来てもおかしくない。
「……」
「……」
そうして待つこと二分ほど。
ガチャリと、屋上のドアが開いた。
「……え?」
「……っ」
そこにいたのは、まぎれもなく、霧生木四葉さん本人だった。
しかし、数秒間、俺と先輩は絶句したまま動けなかった。
人を見て、気持ち悪いという感情を抱いたのは、初めてだった。
目にも、顔にも、どこにも生気が宿っていなかった。
息をして、心臓を動かしているだけの死人。
そんな風に見えた。
校門を歩いている時にゾンビみたいだという感想は間違っていなかった。
雨でぐっしょりと体を濡らし、ぼんやりと虚ろな目を下へ向けている。
足取りはふらふらとしており、いつ転んでもおかしくないように思える。
この物体が、あの霧生木四葉さん、なのだろうか。
「っ!」
放心状態から抜け出したのは、先輩が先だった。
霧生木さんがフェンスへとゆっくり歩みだしたところで、先輩は傘を放り出して駆け寄った。
そして――
「この、馬鹿っ!」
霧生木さんの頬を、思いっきり打った。
正気に戻って欲しい、という思いが込められている平手打ちだった。




