こんな会話が
◆◇◆
「やめてお母さん!」
電話を切ると同時に、私は部屋を飛び出した。
リビングでお母さんが、兄に対して声を張り上げていた。
「四葉……。あなたは下がってなさい」
私の姿を認めると、お母さんは少しだけ優しい笑みを浮かべて、でも、黙っていろと言う。
「下がってなさいって……」
「ミツキが、お母さんの財布からお金を抜き取ったの。四葉は部屋にいなさい」
「でも」
「いいから」
怒気を強められ、私は反発できなくなる。
ちらりと兄へ視線を向けると、にやにやと、面白そうに笑っていた。他人を馬鹿にするためだけに作られた、最低な笑い方だ。
心底、気持ち悪い。死ねばいいと思う。
私が黙り込むのを確認してから、二人は言い争いを再開させた。
「ミツキ、人のものを盗むのは犯罪だって何度言ったら分かるの?」
「何度も言われなくても理解してる。だけど、そのお金を使ったのは、医者へ行くためだよ。前、母さんは医療費は自分が払うって約束していたよね? 俺はそう聞いていたからお金をいただいただけだよ。盗むなんて人聞きの悪いことを言わないで欲しい。自分の言葉には責任を持って欲しいね」
「そういうことじゃないわ。確かに医療費を払うとは言ったけれど、勝手に財布のなかから抜き取っていいなんて一言も言ってないでしょ」
「ああそう? なら、母さんが帰ってくる前に、四葉が勝手に冷蔵庫から食料出して料理してるのはいいの? 夕飯は皆で食べる決まりだよね? 軽食かなにか知らないけど、本質的には変わらないんじゃない? 勝手に冷蔵庫から食料を抜き出しているということと、財布からお金を抜き取るのと、なにが変わらないの?」
吐き気がするような笑みを浮かべる兄。
言い争いはヒートアップする。
「全然違うでしょ。軽食くらい、自分たちで作ればいいわ。冷蔵庫の食料は家族を飢えさせないために入ってるものよ。それをどう使おうが、文句はないわ。それとお金の話をごっちゃにする方がおかしいわよ」
「だったら、母さんの財布のなかに入っているお金はなんのために入ってるの? 家族のためじゃないの?」
「それは、そうかもしれないけど……」
「なら、俺が医療費のために抜き取ってもなんの問題もないよねぇ? どうして食料なら良くて、お金だと駄目って話になるのか理解できないな。自分で言ってること、分かってる? もうちょっと頭を使って喋ろうよ。オトナなんだしさ。教養のなさが滲み出てるよ?」
「ミツキっ! 親に対してなんて言い方するのよ。だいたい、財布のなかに入ってるお金は、これからなんに使うかも決定していないものなのよ? それを勝手に抜き取られたら、いざっていう時に、困るでしょ!」
「でもどうせ、その必要っていうのが俺の医療費になるんだから、関係ないじゃん。それに、困ってもいないでしょ。今、気付いたってだけでさ。実害が出たのなら考えもするけど、今までそんなこと一度も――」
「今までってだけでしょ! これからいつ起こるかも分からないじゃない。医療費がいるならちゃんと用意するわよ? 勝手に抜き取らないでって言ってるの!」
「はあ? 用意するってことは結局、その財布のなかから出すってことでしょ? だったら責められる意味が分からないんだけど? ていうか、人の話は最後まで聞こうね。小学校で習ったでしょ、オカアサン」
「馬鹿にするのも大概にしなさい! 常識的に考えて――」
そこで、耐えられなくなった。
私は、家を飛び出した。
家族同士の会話じゃ、ない。
どう見ても、悪いのは兄だ。
人のお金を盗んでおいて、それをちっとも悪いと思っていない。
どころか、前こう言ったからとか、他の例を取り上げることで話題をすり替え、お母さんの追及を軽くいなしている。なにを言っても、兄には、通用しない。子供の喧嘩みたいに、馬鹿馬鹿しい会話が繰り返されるだけだ。
こんな会話が、日常的になっている。
霧生木家は血の繋がっていない人間の集まりだ。
誰一人として、血は繋がっていない。
私は、研究のためだかなんだか知らないけれど、本当の親の顔を見たことがない。誰の遺伝子を受け継いでいるのか、どうして自分が生まれたのか、全く聞かされていない。
今のお母さんと、事故で死んでしまったお父さんは、子供がなかなかできなかった普通の、一般市民らしい。もちろん、私の体のことは知っているけれど、そんなことは気にせず、私を育てると、引き取ってくれた優しい二人だ。
そして、兄。兄は、出自は私とほとんど変わらないと聞いた。どこかの研究機関で生まれ、私と同じように今の親に引き取られたらしい。
ただ、一つ違うのは、兄は失敗作、だと言われているコト。私のような人間を作り出そうとした結果、遺伝子操作を間違ったのか、それとも別の要因か、逆に体の弱い人間が生まれてしまうことがあるらしいのだ。それが、兄。
でも、引き取ってくれた両親はそんなことは構わず、実の息子、娘のように育ててくれた。実直で、家族のために身を削って働く母と、穏やかで家族内の太陽のような存在だった父。なにかあればいつでも二人は飛んできてくれたし、毎月、私たち兄妹が医者に行かなければならないことにも不満を示すことは一切なかった。
そんな日常が崩れたのは、一年前。
お父さんが、交通事故でこの世を去った。
もともと、兄は家族の雰囲気に馴染めなかったのか、喋ることは少なかった。
私と両親だけで会話をすることが多く、兄は必要最低限しか口を開くことはなかった。
だから私も、そして両親も、兄がどんな風に育って、どんな風に歪んでしまっていたのか、気付いていなかった。
お父さんがいた頃は、特有の穏やかな空気が家族内に流れていて、なごんだ雰囲気がいつもあった。それこそ、本当の家族みたいに、仲良くやっていた。兄だって、無口ではあったけれど不満そうな顔をしたことはほとんどなかった。たとえ仲良くはできなくても、このまま喧嘩することもなく、ずっと過ごせるのなら、それで構わないと思っていた。




