違います
むくり。
慌てたこっちが馬鹿らしくなるほど、あっけらかんとした口調で彼女は起き上がった。
なんと声をかけようか迷った。
間違いなく、霧生木四葉さんだった。
ショートヘアーで、四葉のクローバーを模したヘアピンを付けている。服装は学校の制服だ。
クラスで幾度となく見ている、霧生木四葉さん本人だ。
「霧生木さん?」
とりあえず、名前を呼んでみた。
霧生木さんはびくりと体を揺らし、こちらを向く。
「あれ、れ? 祭君? もしかしてもしかすると……見られてた系?」
「見られてた系」
「……」
「……」
数秒、間が空いてから、霧生木さんはふうと息をつく。
「そういえば、さっきも向かいの屋上に誰かいたっけ……。柳先輩かな?」
「正解」
「……」
「……」
互いに、なんと言ってみようもなく、沈黙が流れる。
頭の回転が早い霧生木さんのことだ。この状況から、俺や柳先輩がどうしてここにいるのかまで推測できているのだろう。特に質問することはない、といったどころだろうか。
「……」
さらに数十秒が経ったところで、疑問が沸いてきたので、聞いてみる。
「逃げたりしないの? たぶん、柳先輩が来たら問い詰めると思うけど?」
この間は、脱兎のごとくこの場を離れたはずだ。
逃げられても困るが、以前とは落ちた後のアクションが違っている。
「あのね、そういうことは、これを見てから言って。さっき、風に流されて姿勢が崩れたって言ったじゃん」
霧生木さんはよっこいしょと自分の足を動かしてみせる。
霧生木さんの言った『これ』というのは――
「ちょっ! 大丈夫なのこれ!」
肉が抉り取られた太ももだった。
骨折よりも、よっぽど酷い。
あとからあとから血が溢れ出てきて、止まる気配がない。ピンク色の肉が見えている。
「うーん。大丈夫なんじゃないかな? 私の体のコトは先輩から聞いてるんでしょ? ちょっと時間かかるだろうけど、治ると思うよ?」
「いや、そういうことじゃなくて……」
「なに?」
普通に、いつも通りに返されて言葉を失う。
大丈夫なわけがない。
傷つきにくいことや治癒力が高いということだけで、痛覚がなくなるとかそういうことは聞いていない。
痛くないわけがないのだ。
どうしてそんなに平然としていられるのか、分からない。
「でも、これは先輩に見られると余計いろいろ言われそうだね。祭君、隠しておいてくれない? スカートで覆っておけば見えないからさ」
にこにこ笑ってそんなことを頼まれる。
いっそ、どこかスッキリしているようにさえ見えた。
その反応は、常識を逸しているようにも思える。
命を落とす可能性は、確実にあったのだ。
風に流されて、おそらくは一番勢いがついた辺りで、尖ったものに太ももを打ちつけたのだろう。だが、もしそれが、頭部だったらどうなっていただろうか。首だったら? 危ない血管を切ってしまったり、脳になにかしらのダメージが与えられた可能性もある。
ぞっとする。
本当に、この人は一体なにをしているのだろうか。
いや、そういう致命的な傷ですら、即死でなければ治せてしまうということなのだろうか。
「サクヤ君」
「あ、先輩」
呼ばれて、振り向くと柳先輩が近くまで来ていた。
さすがは陸上部部長。俺より到着するのが早い気がする。
「四葉ちゃんは……いるね」
「……」
霧生木さんは決まり悪そうに顔をそらした。
「とりあえず、生きてて良かった、というところかな」
「それはそうなんですけど……」
「うん? なにかあったのかい?」
口止めされている手前、言いにくいが、大怪我していることは隠すことでは――
「……四葉ちゃん、スカート、ちょっとだけまくってもらえるかな?」
言うまでもなく、先輩は気付いたらしい。
暗くて見えにくいとはいえ、紺色のスカートが変色している。
「な、なんでもないですよ」
「いいから」
「う……」
いつになく真剣な口調の先輩に圧されてか、霧生木さんは渋々といった様子でスカートを少しだけまくった。
「君ね……。いや、よそう。そのくらいの傷でも、時間があれば治るんだろう?」
「はい」
「ならいい」
怒るというよりは、呆れた感じだった。
先輩は腰を落とし、目線を合わせて話しかける。
「四葉ちゃん。自分がなにをしているのか、分かってるかな?」
「飛び降りです」
「そういう意味じゃなくて、死んだかもしれないってことだよ」
「……」
教室でいつも見る霧生木さんからは想像できないくらい縮こまっていた。
それだけ、柳先輩を尊敬し、慕っているのだろう。
他の誰に見つかっても、柳先輩にだけは見つかりたくなかったのかもしれない。
「自殺、しようとしてるんじゃないのかな?」
先輩は静かに、ゆっくりと問いかけた。
それに対して、霧生木さんは、
「違います」
即答した。




