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名前、なんだっけ?

     ◆



 ゴルデンウィークも間近に迫ったある日、俺は意を決して聞くことにした。

「ええと、物凄く申し訳ないんだが……」

 そう切り出すと、イケメン君は不思議そうに首を傾げた。



「名前、なんだっけ?」



 一週間も前だが、柳先輩から「名前も覚えていない人を友達と言うのか」と問われた。

 それ以来、彼と話す度に気になってはいたのだが、未だに聞けていなかった。

 席替えはとっくの昔に済んでいたし、テストがあってもわざわざ名前を呼んで渡す先生もいなかった。一応、名簿も見てみたのだが、完全に忘れてしまっている以上、見たところでどれが彼の名前なのか分からなかった。

「……はあ?」

 名前を聞かれた彼の第一声はそれだった。

 それはそうだろう。

 思い出してみると、一年生の時も一緒のクラスだったのだ。話した記憶も数多くある。今更名前を聞く方がどうかしている。

「なに? 誰の?」

 ぽかんとした顔で聞き返された。

 せっかくそこそこなイケメンなのにそんな顔しちゃ台無しだぞ、とか思ったが言えるわけもない。そういう顔をさせたのは他ならぬ俺自身なのだ。

「お前の」

「……」

「……」

「……」

 沈黙が流れた。

 申し訳なさで一杯になっていると、彼は盛大なため息をついた。

「サクヤ、俺の名前は数学の公式よりも覚えにくいか?」

「……えーと」

「あ?」

「……なんか、すまん」

 彼の言うことはごもっともである。

 数学の公式は覚えているのに、よく話す人間の名前を覚えていないとは何事か。人間は脳が大きくなり、様々なことを記憶する力や、考える力が増したというが、俺はある一部分だけ退化しているのではないだろうか。

 彼は本日二度目のため息と共に名乗ってくれた。

「よーく聞けよ。もう教えないからな」

「了解」



「俺は、月野シュン。オーケー?」



「オーケ……え?」

 彼のノリに合わせてオーケーと言いかけて、止まる。

 月野?

 あれ?

 もしかして……?

「うん? 俺の名前がどうかしたか?」

「あー、そういうわけじゃないんだが……もしかして、姉がいたりする?」

「ん? まあな」

「名前、柳?」

「まあな……てか、どうして姉ちゃんの名前覚えてて俺の名前忘れてるわけ?」

 毎日お姉さんと図書館で会っているからです。

「もしかして、サクヤって陸上好きだったりするのか?」

 この前聞いたら、全国大会出場してるとか言ってたし……。一年生でいきなり出場した霧生木さんより少し劣るとはいえ、十分すぎるくらいの有名人だった。

 なんてことを言うと、「どうしてサクヤが?」と聞かれかねないので、無難に「そういうわけでもない」と答えておく。

「違うのか? なら姉ちゃんの名前どうして知ってるん?」

「……」

 俺がなんと返してみようもなく黙り込んでいると、彼は「なんでもいいけどな」と流してくれた。

「姉ちゃんとどういう関係だか知らないが、とにかく俺の名前は覚えろよ。一年以上同じクラスにいて覚えられてなかったって、地味にショックだぞ?」

「それは本当にすまん」

 あと、柳先輩の弟ってだけでもう完全に覚えた。たぶん、絶対に忘れない。

 それから、柳先輩みたいな独特な雰囲気はなくても顔が良いのは血筋だろうか。

「それより、次のテストだけど、サクヤは当然勉強してるんだろ?」

「あ? そりゃな」

「俺もやっちゃいるんだが、いまいちよく分からなくてな。昼休みのうちに教えてくれないか?」

 言いつつ、シュンは教科書とノートを広げ始める。

「まだ昼飯食ってないんだが?」

「食べながらでも教えるくらいできるだろ?」

 そりゃそうか。

 弁当箱を取り出す。

「けど、毎日陸上部の練習もあるんだろ? 多少点数悪くてもしょうがなくないか? 赤点取ったとかならまだしも、そこまで悪くないだろ?」

 既にノートと睨めっこを開始したシュンに質問する。

「そうも言ってられないんだよ。親が厳しくてな。姉ちゃんは要領良いし、そういう心配がなかった分、俺に親の心配が全部きてるんだよ」

「なるほど……」

 想像できてしまった。

 柳先輩は部活も勉強も、要領良く、全てをこなせる。本人にとっては良いことかもしれないが、周囲にとってはたまったものじゃないだろう。要領が良い、才能がある、ということは褒められることであると同時に、努力しかできない人間にとっては邪魔でしかない。

 もちろん、要領が良く、才能があっても堕落してしまう人間はいるが、柳先輩はそんなタイプではない。

「俺も経験あるな、それは」

「そうなのか?」

「学年一位には居続けてるけど、僅差なこともあるんだよ。それも、この間まで何位だったか分からないやつが突然出てきたりしてな。御櫻は一位以外の人間は張り出されないけど、気になって何度か教師に聞いたことがあるから知ってる。たぶん、そういう才能のあるやつが俺みたいに本気になって勉強し始めたら、すぐに一位を取れると思う」

 一年生の時、二度ほど、教師に質問した。

 自分が今どのくらいの差で、一位にいるのか知りたくなったのだ。個人情報だから他のやつには言うなと忠告された上だったが、教師は教えてくれた。ずっと一位を取り続けている俺への信頼(友達がいないとかではない)があったのだと思う。

 そうして、点差を知った時、結構ショックを受けたものだ。

 毎日図書館で缶詰して、一生懸命勉強した結果、ようやく一位が取れているというのに、二位は部活をやっている人間だった。二回質問して、二回とも違う名前で、しかもどっちも部活をやっている者。二回目のやつに至っては前回十位以内にも入ってない生徒だと知らされた。

 俺は才能というものが本当にあるのだと知った。

 俺が何倍も努力して出している結果へ、簡単に踏み込んでこれる人間がいるのだ。



「あれ? 二人ともなにしてるの?」



 不意に、頭上から声がした。

 シュンと二人して顔を上げると、そこにいたのは、

「霧生木さん?」

 霧生木四葉さんだった。

「……」

 普段通りの笑顔を浮かべる彼女を見て、思う。

 柳先輩も大概だが、霧生木さんも、筋金入りの才能人だ。

 努力していないわけではない。人よりも一生懸命やっているのだろう。それでも、入部したばかりの一年生がレギュラーを勝ち取り、全国大会へ出場し、結果を残すなど、どれほどの才能に恵まれているのか。入賞まではしていないという話だったが、霧生木さんに憧れて陸上部に入った人間は多い。

柳先輩は有名人という意味では俺も一緒ではないかと言っていたが、少なくとも俺には、そこまで人を惹きつけることはできない。

 とかぼんやり考えて、ふと気付く。


 ――あまり話さないようにって言われてるじゃん。


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