第5話 スケスケはお好き?
「な、何だ、その格好は…!」
目を限界まで見開いたまま、茫然自失の状態で弟王子が問う。
テーブルに坐している兄王子とシャルルも驚きを隠せない顔でこちらを凝視している。最も、兄王子は不可解さを、一方シャルルは興味を、というように多少の違いをその目に宿らせてはいたが。
「これはこれは…よくお似合いで~」
唯一、シャルルだけがすぐに賛辞の言葉を呈する。
でしょー?と食堂に立ちこめる何とも言えない雰囲気ガン無視で、美優は自分の服装を見降ろした。
天鵞絨で出来た柔らかで上品な手触りと深い光沢感のある上着、落ち着いた臙脂色。襟元や袖口、そして金の釦が付いた合わせ目には黒糸で凝った刺繍が施されている。そして同色のパンツと黒のロングブーツ。
「お、男の恰好じゃないかっ!」
弟王子が指を差して糾弾する。こら、人を指差しちゃいけませんって子供の頃習ったでしょ!え、もしかして習ってないとか言っちゃう?
自分で言うのもなんだけど、選んだこの服はまるで誂えたようにピッタリだった。あんなフリフリの動きにくそうなドレスを着るなんて真っ平御免だし、これだけ男、男と勘違いされるんなら、もういっそ男の恰好でもしちゃえーってね。何だか宝塚の男役になったようで気分がいい。衣装が整うと背筋まで真っ直ぐになるから不思議だ。
「似合うでしょ?」
そう言って美優は自分の服が皆によく見えるように両手を広げた。
「似合うって、お前…!」
「―――もういい。食事が冷める。席に着け」
重ねて噛みつこうとする弟王子の言葉を遮り、兄王子が着席を促した。
その目に呆れ果てているかのような色を滲ませているのはきっと気のせいじゃないだろう。
しかし、彼は食事を優先させることにしたようだ。弟王子も兄の視線を受けて不満を残しながらも席に着いた。
よっしゃ!と、心の中でガッツポーズをする。
いつまで居るかは分からないけれど、これで幾分快適な異世界滞在になりそうだ。
「さ、ミユウ様はこちらの席にお座りください」
エヴァに案内されたのはエドヴァルド王子の角を挟んで隣だった。隣と言っても大きなテーブルなので、互いの距離は離れてはいたが、それでも今までの経緯からすれば破格の待遇だろう。
「こんな近くに座っていいの?」
「よい。許す」
こちらを見もせずに兄王子が言う。反対側の席に弟王子とシャルルが並んで座る。何だか3人に観察されでもいるような位置である。左前に座る弟王子からは刺すような視線を感じ、右前のシャルルは何を考えているのか、終始微笑みっぱなしだ。
「大広間での食事じゃありませんし、そんな肩肘はらなくても大丈夫ですよ~。私も同席させていただきますから~」
「ここ以外にもあるんだ…」
見たところ片側だけで10人以上座れそうな長テーブルだ。王子達が何人家族なのかは知らないけれど、食事を取るだけならこの部屋だけで十分な大きさだろう。
「ここは主に俺の私的な食事用の部屋だ。食事くらいは落ち着いて取りたいからな」
それはこの食堂が自分専用の部屋だと言っているの?王族ってすごい。
あくまでテーブルは大家族用とも言えるサイズだが、部屋自体はそのテーブルが何セットも入りそうな広さだ。ワンルームとして同じ部屋にベッドを置いてもなお広々として見えるだろう。
もしかして、ここだけでうちのマンション入っちゃう広さあるかも。もしこの人達が我が家に来たらあまりの狭さにびっくりするだろうなぁ…。
「さっさと座れ」
ムッ!何、その言い方!
腹が立ったが着替えのために待たせてしまった手前怒るわけにもいかず、そして一刻も早くご飯に在りつきたいのが本音で、何とか怒りを収めてエヴァが椅子を引いてくれた席に座った。
座るとすぐに料理が運ばれてきた。良い匂いがしてきて、胃が騒ぎだすのを感じる。
まずはスープのようだ。カボチャとジャガイモのスープでございます、と給仕の男性が説明する。キビキビとした動きと、燕尾服のような上着の後ろ部分が長い黒の制服。
これが巷で人気の執事か…!生で初めて見た!
衛兵さんといい、執事さんといい、仕事する男の人って素敵だよねー。
あーそれにしても良い匂い。早く食べたい!
「うぅっ…!」
ようやく目の前に深皿が置かれ、待ってました、と逸る気持ちを押さえながら湯気の立つ皿の中を覗きこんだ美優は、小さく呻いた。
何、この炭みたいな真っ黒と蛍光黄色のマーブルスープは!本当にカボチャとジャガイモなの?もしかして、名前は一緒の全くの別物、なんてことは無いよね?良い匂いはさせているけど…野菜ならまだしも、得体の知れないものだったらどうしよう。…爬虫類とか。うげー。自分で想像して気持ち悪くなってしまった。
「どうしました?ミユウ様」
「う、ううん、何でもない」
背中をたらりと汗が流れた(今日は良く汗をかく日だ)。しかし、ここで食べないわけにはいかない。王子二人もシャルルも怪訝そうにこちらを見ている。覚悟を決めた美優は、目を瞑ったままスープを口に含んだ。
「あ、おいしい!」
例え口に合わなくてもすべて飲み干す決意だったが、不思議な色をしたスープは予想を良い意味で裏切っていた。ほんのりとした野菜の甘みが舌の上で溶ける。きちんと裏ごしされているのか、舌触りも滑らかだ。
「そうでしょう?どちらも我が国自慢の農産物なんですよ~。どうやらミユウ様にもこちらの料理が口に合うようですね。どんどん召し上がってください~」
「うんっ!」
それから次々に料理が運ばれてきたが、そのどれもが非常に美味しかった。肉は普通の色だったし、どうやら少々奇妙なのは野菜の色だけのようだ。味付けこそ日本とは少々違うものの、食材自体はあまり変わらない。特にベーコンと野菜を使ったキッシュのようなものが出た時など、あまりのおいしさに一切れとはいえ一瞬で食べてしまったほどだ。…色はピンクだったけれど。何故だ。
「それ、気に入ったのか」
「うん!これ、すっごく美味しい!何か野菜の味が濃い気がする」
「そうか」
そう言った兄王子はまだ手を付けていなかったキッシュを皿ごと美優の前に移動させた。
「いいの?」
「ああ。許す」
「ありがとう!」
兄王子、めちゃくちゃ良い人じゃん!
今までされた仕打ちのことなどすっかり忘れて、喜んで兄王子の分まで口に運ぶ。美優にとって、食べものをくれる人は皆良い人なのだ。
何となくイメージで、外人は肉ばかり食べると思っていたが、意外と野菜が多い。素材の良さを生かすためか、過度な味付けもされておらず、全て私好みの味だった。
あまりの食欲旺盛さに弟王子に唖然とした目で見られながらもデザートまでペロリと平らげた後(ほんとうはおかわりを要求したかったけど我慢した)、一行は食堂の隣の部屋に移動した。ここも食堂と同じくらいの広さがあり、ソファやビリヤードに似た遊具が置いてある居間になっている。さきほどの食堂にも、そしてここにも、豪勢なシャンデリアが天井から下がっている。その下にはすでに食後のお茶の用意がされていた。
さすが王宮、至れり尽くせりだわ…。
それぞれがソファに腰を下ろすと、兄王子がカップを持ち上げ提言した。
「今後についてだが、まず、魔導士に教えを請おうと思う」
「魔導士!ここにいるの?」
その質問に、兄王子はゆっくりと頭を振った。何でも、昔はたくさん居たそうだが、魔力を持たない人々によって迫害されその数は激減。今では数えるほどしかおらず、その多くが人里離れた僻地や神殿と呼ばれる聖地で保護されながら暮らしているらしい。
美優は元居た世界でも魔女狩りという黒歴史があったのを思い出していた。
あまり詳しくは無いけど、中世のヨーロッパで魔女ではないかと疑われた者は問答無用で火あぶりにされたのだとか。その人が本当に魔女だったかどうかは判明していなくても、怪しい者はすべて処刑されたと授業で習った。この世界でも同じような出来事があったと知り、暖炉のおかげで部屋は暖かいのに、身震いがして思わず自分の腕を抱え込んだ。
僻地にいる魔導士は正確な場所が分からないので、とりあえず神殿に要請の手紙を出すことになった。往復でひと月かかるらしい。(つまり、それまで私は何もすることがないってこと。困ったなぁ…)
全ては秘密裏に行われなければならない、と言われ、美優は首を傾げた。大々的に知らせれば、それだけ多くの魔導士に呼びかけることが出来て早く帰れる方法が見つかるかもしれないのに。どうして?と尋ねると、兄王子からは意外な答えがもたらされた。
「お前の容姿はとても珍しいものだ。下手をすると攫われて売り飛ばされるだろう」
「そんなに珍しいの、私?」
私は珍獣か!子供じゃないんだから、そうそう簡単に誘拐なんてされないよ?
「黒という色自体がすでに珍しいが…この国、いや、この世界の者で髪と瞳が同じ者を、俺は見たことも聞いたことも無い」
「あ…だから、シャルルも間違いないって…」
シャルルも美優の髪と瞳の色を見て召喚が成功したことを確信していた。あれはそういうことだったのね、と今さらながら思い至った。
一度攫われれば、権力者に珍品として献上されるか、異国で奴隷として売られるか、はたまた慰み者にされるか…、とあらゆる可能性を示唆されて、美優は震え上がった。
なんて世界なの!どれもこれも、ずえぇったい嫌!
「…確認するが、お前は何か巫女と呼ばれるような能力は無いのだな?」
「ぜーんぜん」
「ふん、何の能力も無くて、何が巫女姫だ。この、用無しめ!」
「よ、用無し!?」
「あはは、用無し巫女姫!これはミユウ様、面白い二つ名が出来ましたね~」
今まで話すタイミングをことごとく逃していた弟王子がここぞとばかりに攻撃してくる。
その言葉に、シャルルが腹を抱えてひーひー笑う。
「ちょっと、私を呼び出したのは誰だっけ?」
美優はシャルルを半目で見据えて喉の奥から低い声を出した。
誰の責任だ、誰の!これはもう殺ってもいいレベルだよね?うん、いい。
自分自身にGOサインを出し、ただならない雰囲気を察して後退るシャルルににじり寄る。
「あの…ミユウ様?」
「歯ァ食いしばれ!その無駄に整った顔に一生消えない傷を付けてやらぁ!」
そこから兄王子が呆れ果てた顔でストップをかけるまで、美優とシャルルの命を賭けた鬼ごっこが続いた。
*****
「もうこんな時刻か。今日のところは部屋に下がって休め」
「ミユウ様、また明日~」
「…ふん」
三種三様の見送りを受け、美優はエヴァと共に退室した。
そして、ビジネスホテルのような部屋を想像していた美優は、エヴァに案内された客間の広さに唖然とした。
品の良い深緑の絨毯が敷き詰められた応接間と寝室があり、おまけに寝室の奥には猫足の付いたバスタブがあった。バスタブの奥にはローチェストにしか見えない、上蓋が開閉式になっているトイレもあり、至れり尽くせりだ。
おまけに寝室のベッドは天蓋付きで、まるでお姫様にでもなったかのようだ。角部屋のせいか窓が多く、バルコニーまである。
「何この広さ!…もっと狭い部屋でもいいんだけど」
「客間はどこも大体同じくらいの大きさですわ。でもここが一番日当たりが良いんですの。ミユウ様の衣装がないので、明日の午前中に仕立て屋が参ります。衣装が出来あがるまでしばらく我慢してください」
「いやもうむしろ今ある服だけで十分だよ」
すでに先程の衣裳部屋にあった男性用の洋服を何着か運び入れてもらっている。
それらは仕立て屋が作ったものの二人の王子達の好みに合わずお蔵入りしたものや、一度着用しただけのものだと言う。通りで新品に近い上に着心地が良いはずだ。弟王子は美優にサイズが近いらしく、難なく着られた。・・・胸のあたりがちっとも苦しくないのは気に入らないが。
「そんな訳にも参りませんわ。品が良いとはいえ、少し流行遅れの服ばかりですもの。そのまま着るにしても少々手を加えなくては。明日の朝イチで参りますから、今日はもうお風呂に浸かってお休みになるとよろしいですわ」
壁では無く床から伸びた金色の水道管から水は出るものの、お湯は出ないらしく、エヴァは他の使用人たちに指示して恐縮する美優をよそに猫足のバスタブにお湯を運び入れてくれた。排水溝はバスタブの中にあるだけで、床には無い。外に零さないように注意しないといけないようだ。
お背中をお流しいたしますわ、というエヴァの申し出を必死で断って退室してもらい、ハーブの入浴剤が入った湯に浸かるとあまりの気持ちよさにほっと一息ついた。
「な、何これ…!」
お風呂から上がって、用意された着替えを手にした美優は、思わず声を上げた。
そこに置かれていた物は、薄手の絹で出来たネグリジェ。これ、着る意味あるの?というくらい、超、透けている。そして同じく絹で出来た膝丈の戦時中のもんぺみたいなパンツ。どちらもふんだんにフリルとリボンがあしらわれている。
下着が無くて、しばらくの間途方に暮れる。エヴァを呼ぼうか迷ったが、すでに退室してもらった手前、呼び出しにくい。
仕方ない。今日はこれで我慢するしかないか…。
美優はバスルームに戻り、下着を残り湯で洗って窓際に干した。
明日の朝には乾いていますよーに…!
やはり異世界に来て気が張っていたのだろうか、髪を乾かすのもそこそこに、ベッドに倒れこむようにして眠りに落ちた。
男装で現れた美優。ほんとは着ぐるみにしようかと迷ったんですが、問答無用で兄王子に牢屋にぶち込まれそうだな、と思い我慢しました。…そのバージョンも書いてみたい欲求と日々戦っております。