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第一王子の回想録

「エドヴァルド殿下。殿下はもうすぐお兄様にお成りですよ」


 家庭教師の女が笑みを張りつけた顔で俺にそう言った。

お兄様? お兄様とは何だ? そう尋ねる俺に、その女はお兄様の定義を長々と語って来る。どうやら父上と母上の間に赤ん坊が出来て、それは俺より年下なために俺はその赤ん坊を無条件で愛し守らなければならないらしい。

顔も見たこと無いのに、愛せとは片腹痛い。


 そして、その赤ん坊は弟と呼ばれるものだった。

赤子が男子だと判明した途端、周囲の者の態度が急に余所余所しくなった。俺と弟と、どちらに付くのが得かと値踏みし、事あるごとにお互い腹の内を必死に探り合う。声高に対立し合う者も居た。俺に聞かれているとも知らずに。大人が思う以上に、子供は状況把握に聡い。


 母上は産後の肥立ちが悪く、ほどなくして儚くなった。弟を頼みます、という遺言を残して。

旅立つ母上の枕元で乳母が赤子を抱えながら涙を流している。赤子の名はレオナルドと名付けられた。今までに数度会った事はあったが、到底愛せる対象では無かった。意味不明なうめき声を発する小さい(かたまり)、そういう認識だ。これのせいで母上が儚くなったと知れば、余計に腹が立った。

母上、申し訳ないがあなたの遺言は守れそうにありません。



「この度、エドヴァルド殿下の側近を務めさせていただくことになりました。どうぞよろしくお願いいたします」


 ある日腹黒宰相に連れて来られたのは、見た事も無い銀の髪を持つやたら綺麗な男だった。俺は窓際で頬杖をついたまま横目で見遣る。宰相曰く、この年齢で類まれなる才知を兼ね備えているらしい。挨拶をした後は目を伏せて黙したままだ。元々そういう性質の男なのか、それともこの人事に無言で抵抗しているのか。


「お前も貧乏くじを引いたものだな」


「は…?」


 銀髪が怪訝な表情を浮かべる。俺が何を言っているか理解出来ないようだ。才知を兼ね備えているという前評判が聞いて呆れる。


「皆が言っているぞ。俺では無く、弟に(くみ)する方が得策だと」


「……殿下、」


「もう良い。下がれ」


「…はい」


 人の気配が消えると、俺はまた窓の外へと視線を戻す。俺が見る景色はいつも同じ、変わり映えのしないものだ。

いっそここから飛び出してしまえたらどれだけ楽になるだろう。そんなことをたまに考える。無論、この国を父上より引き継ぐことは承知しているし覚悟も決まっている。だが、時々ふと想像してしまうのだ。俺が王子では無かったら、どうなっていただろうと。下々の者達と同じように畑を耕したり動物を飼ったりして生きていけたら、と。

馬鹿な事を。俺がここでしか生きていけない事は自分が一番よく分かっている。実現出来もしない事は、ただの夢物語でしかないというのに。




「あにうえーっ」


 背後から舌っ足らずな呼び声が聞こえ、俺は足を止めた。


「…レオナルド」


「どこにいかれるのですか? 僕もいっしょにいきますっ」


 てててっ、と真ん丸な塊が俺を目がけて走って来る。母上に生き写しの弟とやら。その頬は熟れた林檎のように赤い。


「ついて来るな」


 言葉に険を含ませると、レオナルドはびくりとその動きを止めた。大きな目の下にみるみる涙を(たた)える。しまった、言いすぎたか。そうは思っても、何と言って取り成せば良いか分からずに口を噤み、結局その場から去ることを選択し踵を返す。


 びちゃ。蛙が潰れたような音と声が後ろから聞こえて再び後ろを振り返ると、レオナルドが無様に顔から転んでいた。キョトンとした後で何が起きたのかを悟り、それは再び目にたくさんの涙を浮かべる。


「ふ、ふえっ。…あにうえぇぇ~」


 俺を呼ぶな。俺はお前の兄上ではない。ただ単に先に生まれてきただけだ。それなのに、この場を離れられないのは何故だ。しばらくの間、泣きながら俺を呼ぶその生き物を見て、俺はため息をついた。少しだけ近付いて、そのふよふよと柔らかそうな腕を引っ張り上げてようとして、我に返り手を引っ込める。何故、俺が。そんな心の葛藤を知ってか知らずでか、大きな瞳が俺を見上げている。


「泣くんじゃない。自分で立てるな?」


「…はいっ」


 それは目に意思を宿らせ、涙を拭って立ち上がった。こんな小さい塊なのに、中々根性があるじゃないか。見ると膝小僧に血が滲んでいる。


「来い。怪我の手当てをしなければ」


「はいっ。あにうえっ」


 犬コロのように塊が俺に付いて来る。先程まで泣いていたのが嘘のように笑みを浮かべながら。俺は誰かの術にまんまと嵌まったような気がして、嘆息した。


 後から振り返ってみれば、レオナルドが俺を慕ってくれたことで俺は自己を確立し続けて来られたのかもしれない。あれは何度突き放しても変わらずに俺に近付いてきた。そしていついかなる時も俺を立て、尊重した。最初はそう見せかけているのかと怪しんだこともあったが、すぐに杞憂だと分かった。

 そう言えば、この頃からかもしれない。俺がレオナルドを弟として認識し始めたのは。弟とは愛し守るべきもの。今では顔も忘れてしまったが、あの家庭教師の女の言っていた意味がようやく分かった気がした。



「エドヴァルド殿下」


 レオナルドを部屋に送り届けるといつぞやの銀髪がいつの間にか傍に控えていた。先日の挨拶以来姿を見なかったので、もう任を解かれたかと思っていたが。


「何だ、まだ用があるのか」


 男は俺の顔を見つめ、そして地に足を着いた。この国の礼儀に則った、臣下の礼だ。大臣らが父上にこうやって(かしず)くのを何度か見た事がある。


「……何の真似だ?」


(わたくし)は確かに宰相様と陛下の命で殿下の側近になるよう命を受けました。ですが、あなたを主と決めたのは私自身の意思です」


 先日の俺の発言に対する答えのつもりか。何を今更。

何か妙案でも思いついたか? …いいだろう。見てやる、お前の三文芝居を。


「何故だ?」


「殿下に運命を感じたのです。私が探していたのは、この方なのだ、と」


 は、と嘲笑を浮かべた。運命だと? 何を寝ぼけた事を。そんなあやふやな言葉、信じるに値しない。血の繋がりですらあやふやであり、時に人を裏切るというのに。


「では、例え俺に殺されても忠義を尽くすと言うのか?」


「御意」


 俺は腰に下げた剣を素早く抜き、銀髪の頬に突きつけた。―――男は澄んだ紫の瞳で俺を見上げたまま、微動だにしなかった。風に揺れて絹のように輝く銀糸が数本、はらはらと舞い落ちる。

 どちらも目を逸らさなかった。そして、睨み合いに飽きた俺が先に折れることになる。


「……勝手にしろ。それと、殿下とは呼ぶな」


「かしこまりました、エドヴァルド王子とお呼びしても?」


「…良い。許す」


 殿下と呼ばれるよりは幾分良い方か。収めた剣の柄が、カチャリと音を立てた。



 その日から、俺の毎日が色を変えた。いつも見ていた景色が違って見える。

世界が、色付いていく。

俺はこういった変化を望んでいたのかもしれない。

同じ事を繰り返す退屈で空虚な毎日を破ってくれるのを。


 ―――また、現れるだろうか。

俺の世界をがらりと変える、そんな存在が。

……現れるといい。いつか、きっと。



 その後。

真面目そうに見えたシャルルが徐々におかしくなっていくのも、親バカ丸出しの宰相が自分の三男坊を護衛兼友人として連れてくるのも、俺を変える一因になったのかもしれない。決して認めたくはないが。


 だが、それはまた、別の話。


エドヴァルド3歳→6歳頃のお話です。

リクエストいただいたお話は妄想が膨らみすぎて長くなりそうなのでまた次回に…。

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