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第33話 二度目のファーストキス

 〝王子殿下が目を覚ました〟


 その一報がもたらされたのは、あの忌まわしい事件の日から実に一週間後のことだった。

 私がそれを聞いたのは、また日課へと戻った畑の手入れをしていた時で、その知らせを受けてすぐに野良着のまま靴に付いた土を取り払う事も無くエドヴァルドの部屋へと走った。我ながら世界新を叩き出せそうな速度だったと思う。


 エドヴァルドを斬った剣に塗布されていたのは、ハルムという植物から作られた毒だった。毒物にも様々な種類があり、それによって解毒剤も変わる。ハルムはダンフィオールには自生しない植物だったため、その特定にかなりの時間を要したらしい。

 それでも何とか持ちこたえられたのは、エドヴァルドが幼い頃から毒殺に備えて少量の毒を服用し徐々に体を慣れさせていたからだ、とシャルルが言っていた。


 何て不穏な世界だ、そう渋い顔をしながらも、そのおかげでエドヴァルドが一命を取り留めたと思えばそのしきたりに感謝の念さえ起こる。

 抽出して精製すれば耳かき一杯分で死に至ると聞いて私は青ざめた。幸い、敵の剣に塗布されたものは精製前の物。だからこそ助かったが、毒に慣れた者でなければすでに息絶えていても不思議ではないとのことだった。

私が斬られていたら、今、ここに私は存在しないんだろうな、と思うと身震いがした。



 エドヴァルドの部屋に辿り着くと、同じく知らせを受けた人々が集まっていた。気が急くのを必死で押さえながら中へ入ると、人の波が左右に割れる。ルークらの誘導で室内に居た全員が席をはずしてくれた。

 ゆっくりと寝室へ入ると、そこにはまだ青白い顔をしたエドヴァルドがベッドに横になっていた。


「…何故、ここに居るんだ?」


 エドヴァルドは私の顔を見るなり、しかめっ面でそう言った。何故元の世界へ戻らなかった。その顔はそう言っているように見えた。

 へへ、帰れなくなっちゃった、と明るく言うと、馬鹿だな、と呆れたような返事が来る。


「それを言うなら、エドの方が馬鹿なんだからね?王子なのに、私を庇ったりして」


「…そうだな、俺は王子失格だ。軽率な行動をして反省している。だが…」


「だが?」


「あの時。お前が斬られそうになっているのを見た時…体が勝手に動いていた。そして…何度時が戻ろうとも、きっと俺は同じ事をするだろう」


 何故? どうして? そんな疑問が頭の中を駆け巡る。

そんな私の様子を見て、エドヴァルドが体を起しかけて苦痛に顔を歪める。ずっと寝たきりの上、毒を克服したばかり。私は慌てて駆け寄ってそれを手助けした。


「お前はいつも何かしら厄介な問題を起こす。きっとこれからも。そして俺はそのたびに振り回されるのだろう。だが、更に厄介なのは…それが嫌では無い所だな」


 言葉とは裏腹に心底嫌そうにそう言うと、エドヴァルドは美優の頬に手を伸ばした。その存在を確かめるように、そっと撫でる。そこに土が付いていたのを発見し、エドヴァルドは口の端を緩め、親指でそれを拭ってくれた。


 そのまま二人は無言で見つめ合う。どのくらい経ったか、美優と呼ばれ、何、と尋ねると、


「俺の妃にならないか?」


 エドヴァルドが何の脈絡もなく言った。

キサキって何だ?キサキ、きさき、気先、機先、木崎、もしや切っ先?美優が理解できていないのを見て取って、エドヴァルドがため息をつく。


「俺の伴侶になってくれ、と言ったのだが」


「…は!?」


 伴侶が夫婦という言葉の同義語だということは美優でも分かった。

…それじゃやっぱり、キサキというのは妻とか嫁とかそーいう意味での妃ってこと!?


「俺はお前の寂しさも、傷も、お前の全て受け止めたいと思う」


 エドヴァルドの視線が美優の首元を漂う。もうすっかり消えてしまった凌辱の証を見ているのだろう。


「あ、あの。その話なんだけど…何も無かったから」


「何も?」


「うん。ジェラルドが、痕を付けて、そう見せかけてくれたんだよね」


 直球な単語を使うのはいささか照れ臭い。そのため幾分濁して言うと、それでもエドヴァルドは理解してくれたようだ。


「そうか…何も無かったのか…」


 嬉しそうな、嫌そうな、複雑な表情。くそ、ジェラルドめ、と小さく呟きが聞こえた気がするのは空耳じゃないだろう。まあ、とにかく、とエドヴァルドは話を戻した。


「どちらでも俺の気持ちは変わらない。この決心が鈍る事は無い」


 迷い、選び、そして選んだ後はその道を信じて進め。エドヴァルドの言葉が甦る。エドヴァルドは、私を選んだの?そして、もう迷わないの? …それで、いいの?

 熱い視線で真っ直ぐに見詰められて、私は柄に無くうろたえた。

慣れない事態(シチュエーション)に戸惑って、余計な事を口にしてしまう。



「私は何番目の妃なの?」


 どうせ側妃でしょう?大勢の中の一人なんでしょう?

分かってる。跡継ぎを絶やさないために、歴代の王達がたくさんの妃を得ていたことは。

 この国の歴史は知ってる。江戸時代ぐらいまでは日本だってそうだったし。


 だけど、それでも。

私は大勢の中の一人なんて耐えられない。エドが他の(ひと)を見つめる所なんてとても。それが妃となった者全員の役割なら、私には到底無理。


「…? 一番に決まっているだろう?」


 エドヴァルドは私が何を言ってるか分からない、という顔をした。

父上がいつまでも母上を慕って後添えを持たないでいるというのに、俺が何人も妃を持てるか、とも言った。


「俺の正妃になれ、美優」


 出た、いつもの傲慢王子の命令口調。でも、今日ばかりは全然腹が立たない。

この人は、私をたった一人の妃にしてくれると言ってくれた。それがこんなに嬉しいなんて、かなりの計算外だ。


 …ううん、本当は気付いてた。エドヴァルドが斬られて倒れた瞬間、私は元の世界に戻る気が失せていた。選択の余地は在ったのに、私はそれを選ばなかった。

 無意識に、この世界(エドヴァルド)を選んでいたんだ。そして、今もその選択に迷いは無い。両親や友達に会えないのはとても辛い。会えるものならもう一度だけでもいいから会いたいと今でも思う。だけど、体が、心が、エドの傍に居る事を選んでいた。


 そうか。私、好きなんだ。この偏屈で堅物な、傲慢王子のことが。


 気付いた途端に、その事実が胸にストンと落ちる。いつから?泣き顔を見られた、あの夜から?それとも、もっと前から?分からない。だけど。


「そうだね…正妃なんて超が付くほど面倒そうだけど、いつか、なってあげてもいいかもね」


 上から目線の言葉にも関わらず、エドヴァルドの表情がパッと明るくなる。わずかに頬に生気が戻って来る。


「俺が、お前の伴侶になるということだぞ? 本当に良いのか?」


「良い。許す!」


 エドヴァルドの口癖を私が奪うと、少し目を見開いたあとで心底嬉しそうな甘い笑顔を浮かべる。見る者すべてを幸せにする、その名の意味通り、暁のような笑顔。今まで見た中で最高の笑顔だった。


「美優…」


 エドヴァルドが私の頭の後ろに手を添えて、ゆっくりと近付いてくる。

これは、キス、だ。

 エドヴァルドの唇まであと少し、というところで、私は彼の唇を両手で塞いだ。突然現れた手に、エドヴァルドは困惑して不満げな視線を向けた。


「…何だ? この手は」


「いつもされてるばっかりじゃ、私は嫌なの!」


 舞踏会の夜、真っ暗な庭園で無理矢理ファーストキスを奪われた。

一生で一度きりの、大切な初めてのキスを、敵を油断させるためだけに。

唇を拭って『キス?なんだ、そんなことか』と言われた恨みは忘れんよ?

乙女(ここ重要)の夢をあっさり打ち砕いたんだ、この男は。もう、奪わせてなるものか!


 私はエドヴァルドにぐいっと身を寄せて、少し身構えた彼ににこっと笑いかけると、―――自分からキスを贈った。


「この国に、キスは男から、なんて決まりはないでしょ?」


 キスしたいときには自分からする!それが私でしょ!


「全く、お前は…」


 驚いて窘めるように言ったエドヴァルドも、すぐに笑顔になる。

そして、私たちは再び唇を寄せ合った。今度は、同時に。

これが正真正銘、私たちのファーストキスだ。



「でも…」


「でも?」


 いつ終わるとも知れないキスを繰り返した後、私はエドヴァルドに寄りかかって口を開いた。


「王妃になる前に、もっとなりたいものがあるんだよね」


「何だ、それは?」


 悪戯っ子のようにふふ、と笑って見上げると、エドヴァルドは悪い予感がしたのか、少しだけ身構えた。

ふふ。その予感は正解だよ、私の王子くん。


「知りたいなら、教えてあげる。あ・の・ね…」


 美優は微笑みながら、愛しい男の耳にそっと囁いた。

窓の外では木々が風に煽られ、想いが通じ合ったばかりの恋人たちを祝福するかのようにその葉をさらさらと揺らした。


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