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第32話 たった一つの願い

 それから後の事は、あまりよく覚えていない。

だから、これはずっと後で聞いた話。


 エドヴァルドが敵の刃に敗れた後。


 まず、フェイゼンの魔力が底を突き、結界が消滅した。

結界が消えた屋上には容赦なく激しい風雨に晒され、いつ落雷するかも分からず、一行は撤退を余儀なくされた。そして全員が塔から非難した時、それを待っていたかのように雷が直撃し―――塔が崩れ落ちた。もちろん、魔法陣も跡形もなく崩れ去った。


 それでも私は崩壊した塔には目もくれず、自分の体が血だらけになることに何ら躊躇無く必死でエドヴァルドの体を抱きしめていたらしい。

 ユフィは金の光をその瞳に宿したまま倒れたエドヴァルドに駆け寄り、治癒に当たった。

肩から胸にかけてパックリと開いた傷口からは、容赦なく大量の血液が流れ続けた。護送用に用意されていた馬車にエドヴァルドを運びこみ、城へと急ぐ。馬車の中でもユフィは治療を続け、ようやく傷が塞がったと安堵するやいなや、倒れるように気を失った。


「ツェーザル医師を呼べ!急げ!」


 城に到着するとすぐに王家専属の医師、ツェーザルが呼ばれた。早馬で知らせておいたおかげですぐに老医師が姿を現す。


「ミユウ様、エドヴァルド王子から離れて!」


 そんなシャルルの言葉すら私には届かなかった。必死で離れないようにしがみ付いていて、離れなかったらしい。そんな私に、一人の男が歩み寄った。


「おい、野良!野良猫!」


 呼びかけに反応しない私に、その人物は痛ましそうに眉を寄せ、私をエドヴァルドから引き剥がして肩を掴んで揺さぶった。


「…ミユウ!」


 その聞きなれない、エドヴァルドに少し似た声に、私はようやく覚醒する。

茫然と目の前に立つ人を見上げるとあの人よりも幾分明るい緑の瞳が在った。レオナルドはたった1日だというのに憔悴しきった顔をしていた。レオナルドも兄が倒れたと聞いて気が気じゃなかったんだろう。


「ごめん…ごめん、レオ。私のせいでエドが…」


「兄上は、大丈夫だ。…必ず助かる」


 不安の色を押し込めて、レオナルドは美優を安心させるように力強く言った。まるで、自分に言い聞かせているかのようにも聞こえた。

 私は何度もこの言葉に頷く。そうだよ、きっと助かるよね。エドヴァルドはこの国の王子だもの。次期王様になる人だもの。こんな風に、終わるはずがない。


 ―――本当に?

あんなにたくさん血を流して、人は生き続けられる?怖い、すごく怖い。


 それでも、涙は出ない。

涙が出れば、思いっきり泣ければ、少しは気が紛れたかもしれないのに。

はっきりと気付いた。私は、彼の傍じゃないと、泣けないんだ。

 私はレオナルドに抱きついた。

彼は自分の気持ちを痛いほど分かってくれる、最大の理解者だった。

レオナルドは何も言わずに抱きしめていてくれた。痛いほど、強く。

それは、互いに救いを求めているような抱擁だった。



「傷は塞がってはいるが、失血しすぎておる。毒も、全身に回っておって対処のしようがない。毒の種類が分かれば良いのじゃが…。後は本人の体力次第じゃな」


「そんな…」


 診察が終わり、ツェーザルが告げたのはエドヴァルドの危篤だった。

皆が口々に何事かを呻く。それはエドヴァルドの容体を心配する声、そして国の未来を憂う声。そのすべてが自分を責めているようで、ごめんなさいと叫んで逃げたくなる衝動を歯を食いしばって耐えた。謝ってエドヴァルドの意識が戻るなら何度だって謝る。だけど、私が謝ったところで、過去は戻らない。彼らの気持ちもそんなことくらいじゃ収まらないだろう。


 …ダルシウスが言った通りになった。

私は、用無しどころか、本当にこの国に災いをもたらしてしまったんだ…って。



*****



 そして、3日が経った。

 

 ダルシウス、フェイゼンら反逆者たちは捕えられ、牢に入れられた。公爵位、並びに領地は没収され、エルセン家は事実上消滅、そして事件は公にされ、国民全てが知ることとなった。


 ジェラルドも脅されていたとはいえダルシウスの謀反に加担したと見なされ、捕えられた。本人の意向で彼が亡国の皇子だということは伏せられている。この事実が明らかになれば外交問題に発展するのは確実で、だからこそ関係者は墓場まで持っていく覚悟で皆口を(つぐ)んだ。ユフィは事件の被害者として詳細を調べるために城に滞在し、引き続きエドヴァルドの治癒に当たっている。全てが終わったら、神殿に保護されることになるようだった。


 そして、意外な事に、国王陛下(アルノルド)が私に頭を下げた。

どうやら陛下はダルシウスの陰謀に早くから気付いていて、私を囮にして罪を暴こうとしていたらしい。まさかこんなに早くしかも大胆にダルシウスが行動を起こすとは微塵も思わず、そしてエドヴァルドが動くとは思っていなかった、すまぬ、と謝罪した。

 私はそれを見て、申し訳なさで一杯だった。私のせいで国王の大事な息子が、今まさに意識不明で死の境を彷徨っているのだから。



 相変わらずエドヴァルドは死んだように寝たまま目を覚まさない。目を閉じていてもにじみ出る高貴さを持つその人の顔は紙よりも白く、呼吸が止まっているんじゃないかという不安に胸が押し潰されそうになり、何度も儚い脈を確かめずにはいられない。

 城の、そして国中の人々は絶えずルトラス神に祈りを捧げていたけれど、私は教会へは行かなかった。


 代わりに起きている間はずっと意識の無いエドヴァルドの傍に張りつき、夜になると部屋に戻ってまんじりともせずに夜が開けるのを待つ、という生活を送った。不思議と眠くならないし、お腹も空かない。

今となってはあの飽食の日々が嘘のように思える。


 私の願いはたった一つ。その願いを込めて、彼の手を握り続けた。


「ミユウ様、少しはお食べになられた方がよろしいですわ」


「…ごめん、エヴァ。あまり食欲無いんだ」


「でも…このままではミユウ様まで倒れてしまいますわ…」


 エヴァがまた泣きそうな声を出す。城に帰還した日、エヴァは私の満身創痍の姿を見て泣き崩れた。無事を喜びたいのに、王子殿下の悲報で喜べない、そんな複雑な感情が発露を求めて涙として一気に吹き出したのだ。

 それ以来、ちょっとしたことですぐに涙を零すようになった。エヴァも、限界を迎えていた。私たちだけじゃない、城の全員が極限状態だった。いつぷつりと切れてもおかしくない、そんな細い線の上に居た。


 ごめん、エヴァ。やっぱり少しだけ貰おうかな。

そう言うと、エヴァは涙を止め、すぐに準備します、と足早に掛けて行った。きっと私の世話をすることで気が紛れるのだろう。…もっと早く気付いてあげればよかった。


 そして、ちっとも味のしないスープを何とか胃に流し込んだ。煮込まれた野菜はもちろんエドヴァルドが品種改良した奇抜な色のもの。私はそれをじっと見つめた。


 …そういえば、畑はどうなっているんだろう。以前から園丁のおじさんが管理してくれているから大丈夫だとは思うけど…。

 思い出すともう、我慢出来なかった。私は野良着に着替えると、久々に――外へ出た。



 畑には誰も居なかった。朝日を浴びて、葉が生命力に溢れた輝きを放つ。毎日通っていた場所なのに、何故か違和感を感じる。どこか余所余所しい雰囲気だった。…あの人が居ないだけで。植物(あんた)たちにも分かるんだね、あの人の不在が。


「何をしているんだ、野良猫」


 後ろから声を掛けられ、振り返るとそこには同じく野良着を着たレオナルドが立っていた。

 畑の様子が気になって、そう告げると、何も言わずに並々と水が注がれた桶を差し出す。


「畑の世話、してくれてたんだ?」


「兄上の目が覚めた時、畑が荒れていたらショックでまた寝込むかもしれないからな。ほら、さっさと水を撒け」


 そんな憎まれ口を聞きながら、レオナルドは畑の雑草を抜き始めた。今までは私が世話をするのを服が汚れると言って遠くから見ていただけだったのに。

 レオナルドは、エドヴァルドが助かると心の底から信じている。

私も、信じなきゃ。きっとエドヴァルドは目を覚ます。きっと今、彼は全力で戦っている。だから私は、私の出来る事をやろう。


 それでいいんだよね、エド?


 やっと視界がクリアになった。レオナルドのおかげだ。

今も、そっぽを向きながらも私の体調を気にしているのが気配で分かる。

私は瞳に光を取り戻し、よし、と気合を入れると水を撒き始めた。




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