第28話 結界、崩壊ス
「なぁ、エドヴァルド」
「何だ」
「結界石割ったものの、結界が解けたかどうか、俺達じゃ分かんねぇな」
「…」
「一応、全部壊しとくか」
ルークは誰にともなく呟くと、全ての結界石を壊し始めた。確かに二人とも魔力を持たないので結界がどうなったのか目で見る事も感じる事も出来ない。ジェラールがここに入って来る事が出来て、初めて解けた事が分かる。
「これで良し、っと」
粉々になった透明な石の残骸を剣で払うと、鞘に収める。
チャキ、と音がした瞬間に風が吹き、目の前にジェラールが現れた。相変わらず風のように身軽でその顔だけでなく所作までも美しい。言葉の発音と言い、どう見ても不遇な子供時代を過ごしていたとは思えない。
「ありがとう、助かったよ」
「おぉ、結界が解けたんだな。良かった良かった」
「気を抜くな、今からが本番だ」
エドヴァルドが忠告すると、二人は表情を引き締め頷いた。
ジェラールは頭に巻いていた包帯を取り、床に投げ捨てる。
血に染まったそれは、風もないのにふわりと舞い上がり、そしてゆっくりと落ちた。
*****
「これを」
メタスが差し出したのは、白いタオルのような布だった。
「何これ?」
「腕に巻け」
「腕?」
布を手にしたままポカンとしていると、メタスが歩み寄り、手首の辺りに巻いた。縄を解いた事に気付いての処置かと焦ったが、布の締め具合は絶妙で見た目ほど痛くは無い。力を入れればすぐにでも解けそうだった。
何?何のつもりなんだろう?美優の頭の中にはてなマークが浮かぶ。
「結界が、揺れた」
「揺れた?」
「来るぞ、お前の迎えが」
「!」
もしかして、エド達が来たって言ってる?それじゃあ、私を部屋から連れ出したのは一緒にどこかへ連れていくため?それともエド達を牽制するために?
階段を昇って最上階へ行くと、ダルシウスがイライラした様子で部屋の中をうろついていた。そしてメタスと美優の姿を見ると、ぎょっとして目を見開いた。
「なっ、メタス、何故その女を連れて来たんだ!準備が出来るまで閉じ込めておくように言っただろう!」
唾を飛ばさんばかりに糾弾するところを見ると、メタスの一連の行動は彼の指示ではないようだ。美優は横に立つ褐色の肌を持つ男の意図が分からずに困惑して顔を仰ぎ見た。相変わらず被りもののせいで顔の下半分しか見えず、その表情は読めない。
「用意は出来た」
「何っ、それを早く言わんか!ではさっそく行くぞ。そうだな、まずは隣国のアルベナへと飛ぼう。内通者が居る、きっと手助けしてくれるだろう」
「ここに残った者たちは?」
「捨て置け。どうせ金で集めた者たちだ。路頭に迷おうが野垂れ死のうが、構わない」
うわ。
何てひどいやつなんだ。
「そうか」
メタスはやはり何の感情も無い声でそう言うと、美優をダルシウスの前に突き出した。予告なしの行動に、美優はバランスを崩して床に倒れてしまう。それをダルシウスが冷徹な目で見下した。
「そうだな、今となってはもう用無しだが、異国へ跳ぶのはこの忌々しい女を始末してからでも遅くないだろう。さんざん私の計画の邪魔をしおって。お前はやはりこの国に災いをもたらす悪魔だ」
なんつー曲解!ってか責任転嫁!
こいつ、自分の実力の無さを棚上げして部下に当たり散らしたりミスを他人に押し付けたり、本当の俺はこんなんじゃないんだ、とか女に言い訳するタイプだ。
そんで学生の時はマラソン大会でドベになって「昨日足挫いちゃったからなー」とか言うタイプだ、絶対。間違い無い。つまり何が言いたいかっていうと、嫌な男ってこと!
それにしても、こんな下衆男にさえも〝用無し〟って言われるとちょっと、いやかなりヘコむわ~…。
ダルシウスは部屋の隅に控えていた手下の剣を取り上げると、悠然と笑って近付いて来る。相変わらず醜い笑顔だった。野望を打ち砕かれ、瞳孔が開いたその顔はやや黒ずんでいる。
「神に代わって悪魔払いをしてやろう」
ダルシウスが剣を振り上げ、それが降り降ろされようとした瞬間に―――美優は動いた。
手首に巻かれた布は、左右に開くといとも簡単に解ける。素早く腿に固定された鞘から短剣を抜くと、ダルシウスの剣を受け止めた。
ガキイィイン、と硬質な音が響く。思った通り、ダルシウスは剣が得手では無い。日々ルークやエドヴァルド、そして近衛騎士団の剣を受けて来た美優にとって、ダルシウスの剣は軽すぎた。
「何っ!?」
想像では、床に美優の首が転がっているはずだったのだろう。
思っても見なかった反撃を受け、ダルシウスは咄嗟の判断が遅れた。
―――遅い!!
美優はダルシウスの剣を押し返し、跳ね飛ばした。空を飛んで剣は離れた床に転がった。俊敏な動きで丸腰になったダルシウスの背後に回り込むと、首に腕を回して短剣を突きつける。たっぷりの肉が付いていて非常に掴みにくく、力を込めるとダルシウスは潰れたカエルのような声を出した。
「おのれ…!誰でもいい、この女を殺してしまえ!」
「動かないで!動いたらこの男を殺すから!」
ダルシウスの命令ではっとして動き始めた黒ずくめの男が、美優の大声にその動きを止めた。メタスは微動だにせずに美優とダルシウスを眺めている。
何なの、この男。主が命の危険に晒されてるっているのに!
美優がダルシウスを殺せば、メタスに復讐されるかもしれない。だが、チャンスは今しかない。この男はいつかエドヴァルド、ひいてはダンフィオール国に害をなす。きっと、成功するまで何度でも。今ここでトドメを差さなければ。
だが、美優は躊躇った。
殺人は無期懲役、下手すれば即死刑の重罪だ。そんな常識が邪魔をする。
正直、ジェラールの時も本気で殺すつもりは無かった。身の危険を感じて相手が怯めば、そしてその隙に逃げられればいいと思っていた。
だめ、私には殺せない…!
唇を強く噛む。不甲斐ない自分に。そして、この後起こるであろう現実に。きっと私はメタスに殺される。そしてその体をダルシウスに腹いせとばかりに蹴飛ばされたり殴られたりされちゃうんだ。その予想通り、メタスがゆらりと一歩近付いてきた、その時。
「―――そこまでだ!」
扉が壊れるくらいの勢いで開いた。一番先に思っても見なかった人物を見て、美優はあんぐりと口を開けた。
先頭にジェラルド、そしてエドヴァルドとルーク。何でジェラルドが味方側に居るの?
「ぐぅ、ジェラール、お前裏切ったな…!妹がどうなってもいいのか!?」
ダルシウスが苦しげに呻きながらもジェラールを罵倒する。
「お前の命令はもう聞かない。妹は返してもらう!」
ジェラルドはそう叫ぶと、見る見る左目を金色に変えて行く。
「ミユウ、目を閉じて」
あの夜と同じ、妖しくも美しい男。あの目を見たら動きを奪われてしまう。美優はジェラルドの指示通りにすぐさま目を瞑った。
「うぐ…かはっ…!」
ダルシウスは露骨に見てしまい、その体が硬直するのを美優は身を持って理解した。どうやらダルシウスはジェラルドの能力を知らなかったらしい。他の手下達も呻き声を漏らして硬直したまま床に倒れて行った。ジェラルドの力にエドヴァルドとルークは驚きを隠せない。剣を構えたまま次々と倒れる敵を目視する。
美優が恐る恐る目を開くと、敵は全て地を這い、その中で、メタスだけがジェラルドを見つめたままその場に立ち続けていた。
「やはり、君には効かないようだね、漆黒の魔導士」
「……」
メタスは何も答えず、じっとジェラルドの蒼と金に光る瞳を見つめていた。その左目が徐々に蒼に戻っていく。
「ジェラール、もういい。下がれ」
エドヴァルドがジェラールの肩を引き、メタスとの間に割り入った。魔導士はその力を使うと体力が大幅に削られると聞き及んでいる。大勢にその力を使ったジェラールは疲労困憊だろう。おまけに漆黒の魔導士にはジェラールの魔術が及ばないらしい。今まで幾人もの剣士とは戦ってきたが、魔導士と戦った経験は無い。どこまで通用するか分からないが、エドヴァルドは魔導士相手に剣で戦うつもりだった。
いざ参らん。
柄を強く握り進撃しようとすると、唐突に漆黒の魔導士が膝を地に着けた。
そして、頭を垂れたメタスは、こう言った。
「お待ちしていました―――気が遠くなるくらいの長い間、あなたを」




