第22話 囚われの戦乙女
最初はエドヴァルド視点です。
今回、宗教に関する記述があります。
物語の脚色上用いただけであって、特定の宗教を示唆及び否定するものではありません。何卒ご了承ください。
―――雨が降り始めた。強い風が木々を揺らし、濃い霧が視界を奪う。
薄暗い空の下、雨音に紛れてエドヴァルドらはダルシウス・エルセン公爵の別邸に潜入を果たした。
貴族の屋敷だというのに、装飾の類が全く無く、床は絨毯も敷かれていない石造りのままだった。そして掃除する者すらいないのか、床には無数の泥が付いた足跡がある。縄や手袋、そして何に使うか分からない金具のような物も隠す事もなく散乱している。
どう見ても貴族の住居ではなく、犯罪組織の基地だった。
「うっ…!」
小さく呻き声を上げて、黒ずくめの男が倒れる。
これで5人目、察するに敵はあまり大所帯では無いようだ。陰謀自体が秘するものだからだろう。相手は傭兵崩れ風で、統制は取れているが所詮は寄せ集め。シャルル、ルークの3人で難なく倒していく。
ルークはかすかに鼻歌を歌いながら剣を振るっている。まるでダンスでも踊っているかのように軽やかな動きだが、その分無駄が多く、にもかかわらずその剛腕と大剣から来る衝撃はひどく重い。
シャルルは型に則った正統派な剣を遣う。武官ではなく文官のため、そこまで剣術が達者な訳ではない。が、その辺の傭兵崩れに劣るはずもない。隙なく流れるように、涼しげな顔で敵を倒していく。
敵は皮の鎧を装着していたが、エドヴァルドらの剣は鎧の向こうにある肉体にまで達していた。殺してはいないものの戦意を喪失させるには十分。打ちどころが悪ければ今後傭兵として身を立てる事は出来ないだろう。
迷路のような屋敷の中を進み、曲がり角の向こうに敵の気配を感じて、エドヴァルドは足を止めた。残る二人も剣を構え身を潜める。
目視すると黒ずくめの男が二人、頑丈そうな扉の前で立っている。だが、片足に重心をかけたその姿勢はどこかだらしない印象を受ける。やはり寄せ集めの傭兵くずれなのか、城の警備兵らとは雲泥の差だ。
だが、ここからでは距離がありすぎる。近づく前に気付かれてしまっては元も子もない。
どうする。エドヴァルドが思案していると、シャルルが肩を押さえた。
―――大丈夫、私に任せてください。
とでも言うかのように自信満々に頷き、上着の内ポケットからおもむろに何かを取りだした。
エドヴァルドとルークが見守る中、シャルルは身を屈めると取りだした何かを床に置き、えいっとばかりに前に押し出した。
そしてそれが何であるかを理解した時、エドヴァルドはあまりの衝撃で目を見開いて絶句した。逆にルークは喜色を露わにして事の成り行きを見守った。
コロコロコロコロ…グルグルグルングルン……チャリーン!
石造りの床に硬質な音が響く。音の先には銀色に鈍く光るダリル硬貨。
お前、こんな時に何を馬鹿な真似を。
予想外のシャルルの行動を目で責めようとすると、
「ん?何か向こうから音がしなかったか?」
と黒ずくめの男二人の内、小柄な方が顔を上げた。
「そうか?俺は聞こえなかったけど」
「いーや、確かに聞こえたぞ。あれは絶対に50ダリル硬貨の音だった!俺は金の音だけは間違えないからな」
50ダリルは数種類ある硬貨の中では一番高額で、平民であれば4人家族が半月近くは暮らせるほどの価値がある。
小柄な男は〝見つけた者勝ちだからな、ちょっと見てくる!〟と言って相方の制止の声を無視してこちらに弾むような足取りで進んできた。そして思った通りの額の硬貨を見つけて満足げに拾い上げ、視線を感じて横を見た所で―――エドヴァルドらと目が合った。
「なっ…!? ふぐぅっ!」
シャルルが手を伸ばして無防備な男の腕を一気に引っ張り、首を強く叩きつけると男は白眼を向いて崩れ落ちた。
「おい、どうした?」
突然姿を消した事を不審に思って相方が呼びかけるが、当然返事は無い。まったく、サボるんじゃねーよ、というため息と共にこちらにやって来るのが気配で分かる。
あと5歩…4歩…3、2、1!
「げふぉおっ!」
今度はエドヴァルドが陰から飛び出し、後ずさった男の腹に容赦のない一撃を加えて失神させる。その際、相手の男が泡を吹き、エドヴァルドの手を汚した。エドヴァルドは眉をひそめ手巾で手を拭くと、すぐにそれを足元に捨てた。
「シャルル。何だ、さっきのは!」
倒れている二人を暗がりに押し込むと、エドヴァルドは怒気を孕んだ声で叱責した。それでも小声に留めているはさすがと言うべきか、当たり前と言うべきか。
「まーまー。うまくいったからいいじゃないですか~」
「いや、中々面白い作戦だったぜ?こんど騎士団でも全員にやらせるか。上手な硬貨の転がし方、ってな」
渋面を作るエドヴァルドを余所に、盛り上がる臣下達。
「…こんなことをしてる場合ではないだろう。先へ進むぞ」
早く助けないと、美優の身が危ない。
三人は再び気を引き締め、男達の立っていた扉へと進む。その向こうには数人の気配がした。
今度は俺の番だぜ、とばかりにルークが目配せをして、二度、扉をノックする。
「何だ?まだ交代の時間じゃないはずだろ。今取り込み中なんだ…」
ドアの内側から屈強そうな大男が顔を覗かせる。
ルークが扉の陰から大男の胸倉を掴み部屋から引っ張り出す。そして首を腕で掴んで抱き寄せると、一気に締め上げた。ゴキリ、と嫌な音がして悶絶した大男の背中を思いっきり蹴って床に転がす。
「一丁上がり、と!」
パン、パン、と両手を叩いてルークが満足げに白い歯をこぼした。すると、わずかばかり開いた扉の向こうから鋭い声が飛んできた。
「誰だ、そこにいるのは!」
*****
―――時は少し遡る。
頬を殴られた美優は、目の前に立つダルシウスを睨みつけた。
怒りと軽蔑で頬の痛みが麻痺してくる。
「異世界の人間は、同じ人間じゃないって言うの?だから、殺してもいいって?」
「いかにも」
「…神様は他者に救いの手を伸ばせって言ってなかったっけ?」
「ルトラス神は異世界の者を救済せよとはおっしゃっていない」
ルトラス神とは、ダンフィオールだけではなく近隣諸国でも信仰されている宗教の唯一神の名だ。
只人であったルトラスは、他者を愛し助けを求める者に惜しみなくその身を捧げた。その死後、彼の死を悼んだ多くの人々の祈りによって、神として復活したと言われている。この国のほとんどの人はルトラス教を信仰していて、食事の際には感謝の祈りを捧げ、休日には教会で永遠の安寧を祈る。
美優はクリスマスを祝って正月には神社へ初詣でに行き、葬式はお経を唱えるという日本人の典型だったが、食事の際は見よう見まねで一緒に祈りを捧げていた。郷に入っては郷に従え、というわけだ。
先程美優が神の事を持ち出したのもダルシウスの良心を引き出そうとしての発言だったが、この男の良心はすでに失われているようだった。いや、最初から無かったのか。
「…あんたの神様は、皆が信じてる神様とは違うみたいだね」
「ふっ、まだ殴られ足りないと見える」
ダルシウスは残忍な表情を浮かべると美優の顎を持ち上げた。
…この手さえ縛られていなければ。
激昂させると分かっていても言わずにはいられなかった。もちろん、信仰なんて人々の自由だ。困った時だけ頼るのも良いだろう。だけどこの男の考えを肯定する事は出来ない。
シャルルにこの国の歴史を習っていた時に聞いた事がある。
その昔、この世界に戦争があった頃、戦いに赴いた男達は神の名の下に敵を殺したそうだ。
―――お互い、同じ神の名を叫びながら。
何という皮肉なんだろう。異教徒ならばそれぞれの信仰を盾に戦いを正当化出来たかもしれない。だが、敵対する国は同じ神を神として崇めていた。
そこには何の意義も正当性も無く、ただの殺し合いに過ぎなかった。
もし本当に神という者が存在するならば、その目には人間同士が争う姿がどのように映ったのだろう。
きっとたった一握りの人間――ダルシウスのような――が戦争を引き起こした。
脅しに屈しない美優にダルシウスは怒気を漲らせ、再び美優の頬を殴り飛ばした。再び口元から血が流れる。それでもなお、衝撃で逸れた顔を戻し、射抜くように睨み続けた。
不思議と痛みは感じなかった。感じるのは、目の前にいる男への憤りだけ。
「忌々しい女だ」
ダルシウスが吐き捨てるように言った時、扉が二度ノックされた。黒ずくめの大男が扉の向こうに消え、呻き声だけが聞こえてきた。
「誰だ、そこにいるのは!」
ダルシウスが大声で誰何をした途端に大きな音を立てて扉を開いた。
「お前の悪事は全て露見した。今すぐ降伏して頭を垂れよ。ダルシウス・エルセン」
「エド!」
エドヴァルド・クラウディアス・ダンフィオール。
この国の第一王子にして次期王位を継承する男。
その後ろには、その貴い男を守る様に立つ、二つの影があった。
どうしてここに。助けに来てくれるなんて、思いもしなかったのに。
「―――これはこれはお揃いで。ようこそいらしゃいました。招待状は出していなかったはずですがね?」
ダルシウスは胸に手を当てて、冷笑を浮かべたまま恭しくお辞儀をした。
まるで舞台上で演者や演出家が観客にして見せる、カーテンコールのように。
補足:エドヴァルド・クラウディアス・ダンフィオール
個人名・家族名・国名の順です。国名は直系の王族のみ名乗ることを許されます。




