第20話 すべて奪っちゃ、や、です
後半、ジェラルドとエドヴァルド視点になっています。
万策尽きた、そう思った。
ジェラルドの唇によって、痛みと共にその痕跡が肌に植え付けられていく。
その拍子に胸元からこの男に貰ったポプリが零れ落ちる。舞踏会ではリラックスさせてくれたが、今となっては忌々しい物だった。
まだ持ってくれいていたんだ、とジェラルドは呟いた。
美優が抵抗を止めたのを確認すると、上着を脱いで均整のとれた美しい肢体を晒した。そしてドレスをたくし上げると、腿の間に膝で割り入ってくる。
「泣いたり喚いたりしないんだね」
「そんなことしても止めてくれないんでしょ?やるなら、さっさとして」
こんな男のような貧相な体を抱くなんて、酔狂だとさえ思った。
このくらい、なんてことない。そう自分に言い聞かせる。体は奪われても、心は奪えない。私は決してこの男に屈しはしない。
「私は負けない。こんなこと、大したことじゃない」
強い眼差しで睨みつけると、ジェラルドは美優の言葉に驚いたような表情を浮かべ、その動きを止めた。
―――どうして、そんな哀しそうな目をするの?
哀しいのは、泣きたいのは、こっちだ。
正体の分からない男に連れ去られ、訳も分からぬまま犯されようとしているのは私の方だというのに。
何故、そんな顔をするの?
美優は無意識に手を伸ばしてジェラルドの頬に触れた。ジェラルドの体がびくりと跳ねる。
「触るな。のうのうと暮らしてきたお前に僕の気持ちが分かるものか」
ジェラルドはその態度を豹変させた。伸ばした手を振り払われる。
「お前に分かるか?僕がどんな気持ちで今まで生きて来たか」
言葉遣いまで違う。限界まで膨らんだ風船が、小さな針が刺さって破裂したかのようだった。その時、不思議な現象が起きた。脳の中に現れては消える、数々の断片的な映像。
豪邸のドアから出てくる召使らしき人に追い払われる様子。馬車から身を乗り出した裕福な身なりの女性が値踏みしてくる様子。道に投げ捨てられた小銭を拾い、自らのつぎはぎだらけの膝を握りしめる様子。
何?この映像…。これは…もしかして、ジェラルドの記憶…?
「金になるなら、ドブさらいでもやった。路上でありとあらゆるものを売った。成長するに従って、自分が売り物になると分かってからは、自分さえも売った。毎晩抱きたくもない女を抱かなければならない苦しみが、お前に分かるか?」
僕は負けない、こんなこと大したことじゃない、何としてでも生き抜いてやる。何度そう自分に言い聞かせたか。そう感情を吐露しながらジェラルドが美優の首を絞める。
「う…っ」
苦しい。気管を圧迫され、顔が熱く、鬱血してくる。
そして、最後に小さな少女の映像が浮かんでくる。頭に花冠を載せた少女が、全幅の信頼を寄せる笑顔で微笑み、こちらに手を伸ばしてくる。金の髪に水色の瞳を持つ少女は、ジェラルドによく似ている。その少女が口にした言葉を、美優は呟いた。
「お…にいさ…ま…?」
その言葉にジェラルドは目を見開いて絶句し、首を絞める手を緩めた。その途端、美優の喉から咳が漏れる。
その時、ジェラルドは身を起して外の気配を探った。小屋の外がにわかに騒がしくなった。数人の足音が聞こえる。
「な、なに!?」
「シッ! よく聞いて。誰かに何かを問われたら、『私はもう巫女では無くなった』と言うんだ。いいね?」
ジェラルドは憑き物が取れたように口調を戻し、美優を黙らせると急いで自らの服装を整え、そしてドレスの背中のリボンを器用に結い始めた。
どういうこと?外に居るのは誰?
その言葉を発する前に、小屋の入口のドアが乱暴に叩かれる。
ジェラルドは安心させるように美優の頭を数度撫でると、身形を整えてゆっくりとドアへ近寄った。
「何?」
「ジェラール。守備はどうだ」
ドアの向こうには黒ずくめの男が数人立っており、その中の一人が高圧的な口調で尋ねた。
―――ジェラール?ジェラルドじゃないの?
「終わってるよ、とっくにね」
「そうか。巫女を連れて来いと命じられている」
「もう、巫女じゃない」
「そうだったな」
相手の男が意味ありげに含み笑いをする。
そのまま小屋の中に侵入してきた男は、美優の胸元に刻まれた情事の名残を見て下卑た笑いを浮かべる。
「元・巫女姫様。我が主があなたを招待したいとのこと。ご同行お願いします」
口調は丁寧だが、有無を言わせぬ態度で黒ずくめの男が美優にじりじりとにじり寄ってきた。
「頼む。彼女に危害を加えないでくれないかな」
「うるさい。まさかこの小娘にのぼせ上ったのか?お前は指示に従うだけでいいんだ」
この男娼が、と吐き捨てられた言葉と共にガツッと鈍い音がして、ジェラルドがその場に崩れ落ちた。途端に周囲に血の匂いが広がる。
ジェラルド!
美優が叫ぶ事は叶わなかった。猿轡を噛まされ、目隠しをされる。そして乱暴に引きずられて行った。
―――美優が連れ去られた後。
暗い部屋の中で、ジェラルドは痛みを堪えながら立ち上がった。左目の上から流血している。殴られるのは想定内だったが、出血は想定外だった。シーツを引きちぎると止血のために頭に巻きつけた。
「こんな出会いでは無かったら、と思うよ。君が毎日楽しそうに笑っているのを見て、どれだけ僕の心が救われたかしれない。だけど、―――君は僕には眩しすぎる」
自分が言えた義理ではないけれど…どうか、無事で。
ジェラルドの独白にも似た呟きを聞いた者は誰も居なかった。
*****
小屋のドアを開けるとむせ返るような鉄臭い匂いが鼻を突いた。エドヴァルドとルークと表情に緊張が走る。シャルルに下がる様に指示すると、抜き身の剣を構えながらゆっくりと室内に侵入する。
室内は無人だった。入ってすぐの床に、血痕が残っていた。まだそう時間が経ってないようでその色は濡れたように紅い。
火が消えた暖炉、乱れたシーツ。想像が悪い方へと行きそうになるのを必死で押さえる。焦りは禁物だ。短慮は大きなミスを起こす危険性がある。
「…誰も居ないみてぇだな」
ルークが早々と大剣を鞘に収めると、シーツに触れた。
「まだ若干温もりが残ってやがる。さっきまでここに居たんじゃねぇか?くそっ、どこに連れて行かれたっていうんだ?」
エドヴァルドはそれに答えず、無言で周囲に手掛かりが無いか探った。
「これは…」
ベッド脇に何か小さな袋のようなものが落ちていた。自分も剣を収め、拾い上げて確認すると、美優の胸元から香っていたものと同じ匂いがした。やはりここに居たのは美優に間違い無かったか。
「この匂いどこかで…」
確かに嗅いだ事がある。美優からではなく、別の場所で。
束の間眉間に皺を寄せたまま思案し、記憶の糸をたぐる。
そして答えに思い至った時、エドヴァルドは自分の失態に気付いた。
舞踏会での出来事だ。
レオナルドと踊り終わった美優がテラスの方へと出て行くのが目に入り、エドヴァルドは「また勝手な行動を…」と眉をひそめてその後を追った。
しかしテラスにはすでにその姿は無く、庭園へ降りて行ったのだと気付いた。今宵は新月のため視界が悪く、どこにいるか目視出来なかった。
「こちらに黒い髪と瞳を持つ令嬢は来なかっただろうか?」
エドヴァルドは近くに居た警備兵に尋ねた。やたらと見目の良い男だった。その男から、これと同じ花の香りがして来ていた気がする。男は、ミユウ様ならあちらにいらっしゃいます、と庭園の奥の方を指さした。
その時何かの違和感を感じながらも、エドヴァルドは美優を探し当てる事を優先した。
今ならその時感じた違和感の正体が分かる。男の発音が綺麗すぎたのだ。
一般的に貴族というものは、社交界シーズン以外は地方にある己の領地で過ごす。そのため、一握りの上級貴族でなければ多少なりとも語尾に訛りが出てくるものだ。貴族ですらそうなのだから、警備兵など平民出身ばかりの職業ならば尚更その傾向が強い。しかし、男にはそれが無かった。
あの男が犯人か。…もっと早く気付いていれば。
「第二王子はお留守番か。賢明な判断かもね」
後ろから若い男の声が聞こえて、エドヴァルドは振り返った。
予想した通り、あの眉目秀麗な警備兵が立っていた。テラスで会った時とは違い、その頭には赤く染まった布を巻いている。床の血はこの男のものか。安堵しつつも素早く剣を抜いて対峙する。ルークも補佐をするように並び立った。
「お前ェ、誰だ?」
ルークの問いに、男は薄く笑ってジェラール、と答えた。
「それにしても、ちょっと遅いんじゃない?待ちくたびれたよ。目印は残しておいたはずなんだけどね?」
「…あれはお前だったのか」
エドヴァルドらがこの場所を探しあてられたのは、ある道しるべのおかげだった。
馬の蹄の形をした、白く光る痕跡。
自分が品種改良した城壁の内側をぐるりと取り囲むように植えた植物の蛍光塗料だった。
葉をすり潰し、抽出すれば結構な光を放つが、単純に葉を擦りつけるだけでもわずかに光らせる事が出来る。月の無い夜に、目を凝らさねば分からない程度だったそれを、エドヴァルドが見つけたのだった。
この男が馬の蹄に塗りつけたようだ。誘拐犯が、何故。
「美優はどこだ? 何故攫った?」
身代金の要求か、それとも見世物として異国で売り払うつもりか。返答次第ではただじゃおかない。だが、この男だけが美優の足取りを知っている。何としてでも吐かせなければ。
「まぁ、こう興奮せずに。―――ついて来て。案内するよ、ミユウの居る場所にね」
ジェラルドが悠然と微笑んだ。




