第七話:COULD YOU HELP ME?
人間は溺れれば藁をも掴むというのは本当なのだな、と城山は思う。常識で考えて、どう見ても城山より年下の少女に彼を満足させられるような報酬を用意できる資力があるというのはかなりレアケースである。考えられるとすれば余程の金持ち。そういう一回転でフリーズをひくような幸運を夢見てしまう。
「信じられないです。一体どれほどトイレに居るんですか」
「いえ、僕が本気を出せばこんなものではありませんよ?」
「どんだけ溜め込んでるんですか!」
額に手を当てて首を大きく振る少女。
「写メールがありますが?」
「見ません!」
城山は座ったはしから腰を浮かしてポケットに手を突っ込みかけて、残念そうな顔をして座りなおした。少女はまたコホンとわざとらしい咳払いをする。先程も感じたが、城山はそこに随分芝居がかった雰囲気を感じていた。無理に威厳のようなものを出そうとしているかのような。
「自己紹介が随分遅れてしまいました。わたしこういう者です」
テーブルの対面からすっと名刺が伸びてくる。
<国家公安委員会 異質犯罪対策部 部長 三好ハル>
下の方には携帯の番号が載っている。
「イタズラ電話をしても良いですか? 毎日」
「やめてください! というか他に着目する点が幾つもあるでしょう!」
「良い名前ですね。ハルさん」
「え? そ、そうですか。ありがとうございます」
「まあ今は夏ですけどね」
「……」
城山の前に料理が運ばれてくる。ロースカツ定食だ。盛り合わせのキャベツに胡麻ドレッシングを掛けながら言う。
「聞いたこともない部署ですね。まあもっとも公安の部署なんて一つも知りませんが」
「テキトーですね」
「異質犯罪ってのは、あの妙ちくりんな生き物が起こす害悪のことですか?」
「妙ちくりんという言葉を久しぶりに聞きました…… そうです、よくわかりましたね」
「犯罪、ねえ」
「何か?」
「いえね、あれと対峙してみたんですけど、確かに多少は知恵はあるでしょうけど、そこまで自律した意思があるようには思えませんでした。犯罪というには……」
「食べながら喋るなと教わりませんでしたか? ご飯粒が飛んで来たんですけど?」
「あ、すいませーん。ドリンクバー追加お願いします」
「聞いてください」
三好は溜息を吐いて、先に頼んだドリンクバーで持ってきた珈琲を啜る。しかしすぐ口を離してやや顔を顰めてガムシロップをあけて注いだ。これで三つ目だ。
「最近この辺りで変死体が見つかる事件が多発しているのはご存知ですか?」
「ええ。ミイラになった女子大生、バラバラにされたサラリーマン、首だけ見つからない小学生……」
「そう。そういった事件の真相は…… 全部貴方が対峙したような異形のものたちの仕業、異質犯罪というくくりになります」
「へえ」
興味なさそうに城山は呟く。カツの配分を間違えたのか、ご飯が多くあまってしまっていて箸を宙に彷徨わせていた。
「まさかあんな化け物、わたしたちは妖魔と呼んでいますが、あんなのの仕業ですと公表するわけにもいきませんでしょう?」
「そうですね」
「聞いていますか?」
「はい。チョリソー頼んで良いですか?」
「……どうぞ。続けます」
近くに居た店員にチョリソーと生ビールの追加を頼む。注文を繰り返してウェイトレスが去っていくのを待ってから三好は話を続ける。
「これは追々話すつもりだったんですが、貴方が仕留めたものの他にも多くの妖魔が居ます。当然中には高い知能を有するものも居ます。また貴方が仕留めた獣染みたものでも、実際に獲物を呼び込むという意思を持って行動しています。ですからわたしたちとしては犯罪と呼称するにあまり抵抗はありませんね」
「なるほど」
「そしてわたし達はそういった多種多様な妖魔たちの魔の手から一般人を守ることを目的に結成された組織です」
「なるほど」
「わたし達は力を欲しています。人々を守る力。いくらあってもありすぎるということはありません」
「なるほど」
「ですからわたし達に貴方の力を貸して欲しいんです」
「チョリソー食べますか?」
「いりません。わたしの話信じていただけましたか? お力添えを願えますか?」
ふむ、と城山は小さく頷いてから、ややあって口を開いた。
「貴方のお話はどこまで本当かは知りませんが、一応信じるに足るものはあるでしょう。僕はその妖魔だか羊羹だかを見て退治したわけですし、貴方の話には筋が通っている。またこんな手の込んだ嘘を言って貴方へのメリットがない。愉快犯にしては現状で高くついている」
伝票を持ち上げてひらひら振った。
「では……」
「まあ待ってください。助力は条件次第ですね」
これは失念していたという風に、三好は神妙な顔つきになる。
「大体幾らくらい貰えるんですか?」
「一番稼いでいる者で月に300万ほどでしょうか」
「……随分安いですね」
「……」
「命を懸けて民草を守っているにしては、そこらの野球選手よりも薄給だ。白球を追うより薄給だ」
「……」
「白球を追うより……」
「聞きましたから! 正直に言って我々はあまりお金がありません。まだ部署自体の歴史が浅く、地位もない。わたしだってもっと多く得て然るべきだとは思います」
そう言うとぐっと下唇を噛んだ。
「なるほど、そっちにも色々あるというわけですか」
「……お恥ずかしながら」
「妖魔、でしたっけ? それが出るようになったのはそんなに最近なのですか?」
「正確にはそうだと判明したのが最近、ということでしょうか」
「どういうことです?」
「ある意味幸運だったのです」
珈琲カップを包むように持って三好は言った。喜んで良いのかどうなのか、判断しかねるというような顔をした。
「妖魔は昔から居続けたのだと思います。もっともそれも確証を持って言えるものではありませんが…… 人が妖魔を見つけられるというのは矢張り偶然以外の何者でもありません」
「……俺みたいに?」
コクンと三好が頷いた。つまりはそういうことだった。
「それほどまでに生存率は低いのですか?」
「え?」
「あまり強くはないと思ったのですが、まあ一般人には無理か」
「……」
「それで俺のようにあのけったいな世界から生還した人間が最近になって現れたと?」
「ええ。しかも幸運なことに、二人もです。そしてその二人ともが政府の高官だったことも幸いしました」
それは考えてみればそうかもしれない。例え一般人が生きて戻ってきたとして、どこに話せば信用してもらえるか。それなりに立場ある人間が、秘密裏に人を動かして調べさせて初めて意味を成す。
「それではそのお二人が発起人というわけですか」
「そうなります。今まで変質者や残酷犯の仕業と断定されていた事件も、実は冤罪が幾つかあるのかもしれませんね」
「一応公権力側の人間としてその発言はどうなんですか?」
三好は苦笑する。
「それで、お返事をお聞かせ願いたいのですが?」
もう少し給与の詳細を教えて欲しいと城山が頼むと、本当はダメなのですけどと断った上で、鞄の中から査定書を引きずり出した。城山はゆっくりと目を通すと、はいとだけ言った。
「それは了承の意ですか?」
「一つ、僕が公務に当たって何か物を壊したりしても罪に問われたりしませんよね?」
「はい。身柄の保障については通常の公務員、いえそれ以上の待遇をお約束します」
城山はスッと右手を差し出す。先程頼んだチョリソーの付け合せのポテトを素手で食べたせいでヌルヌル光っていた。なんとも言えない表情でその手を掴んだ三好は、宜しくお願いしますと言ってすぐに放した。