第六話:接触
9月4日(SUN)
まずいな、とは思っていても、何ら良い方策が浮かんでくるわけでもなく、城山は頭を抱えたい気分だった。職のことである。求人情報誌を手当たり次第漁り、インターネットも駆使して探してみてはいるものの、如何せん条件が厳しすぎるのだ。城山の見立てでは当座をしのぐだけでも月20万程度の収入は欲しい。バイトを掛け持ちして月30日くらい働けば何とかなるかもしれないが、それにしても来年以降の二人の学費を出そうと思えば月々いくら貯金しなければいけないことか。そもそもそんなに働いていたら城山は発狂しかねない。
「ああ。はねられるしかないのか? 月2回くらいはねられたらいけるか? 現行犯以外では立証されにくいって聞いたこともあるし……」
左腕を見る。消毒とかゆみ止めを塗布して包帯を巻きつけただけの応急処置だが、病院にも行かないで快方に向かっている。無駄遣いしたくないというのもあるが、実際明らかに肉食獣に噛み付かれたような傷痕を見せるわけにもいかなかった。奈々華は幾度か病院を勧めたが。
「ああ。ひょっとして煙草もやめなきゃならんか? つーかパチ屋なんて行ってる暇なくなるのか?」
げっそりした顔をする。言ってる端から煙草へと手が伸び、ラスト二本になっているのに気付く。ふいーと息を吐いて立ち上がる。はたと気付く。今履いている短パンは一昨日血潮を浴びてそのまま洗濯もしていない。なにやら生臭い匂いがしだしたので、外に一日干しておいたのだが、今度は何と表現していいのかわからない匂いを放ちだしたので回収して芳香剤を掛けたら何とかなるかもしれないレベルに落ち着いた。城山は普段コインランドリーを利用しているのだが、ものぐさがたたって週に一度くらいしか行かない。
「まあ、いいだろう。コンビニ行くだけだし」
一つ伸びをして、部屋を出る。奈々華と廊下で鉢合わせた。
「あ、おはよう」
「う、うん。おはよう」
「あのね、今から朝ごはん作るけど、良かったら……」
「いや、悪いし。俺は外で済ませるつもりだから」
「……うん、わかった。ごめんね」
こっちこそ、悪いねと互いに謝り合ってから、城山は階段を下りて行く。一昨日は夕飯も共にしたのだが、それ以来奈々華はこうしてちょくちょく飯に誘う。城山はこう思っている。ありがたいことだが、甘えすぎちゃいけない。自分が彼女を守るのは、義務なんだ、と。
今年の夏はしつこい。コンビニへと歩くだけでベットリと汗をかき、それをシャツが吸って重たくなって余計に足運びを悪くする。頭がじりじりと焼かれているのがわかり、城山は帽子でも被ってれば良かった、いやあれを被ると蒸れるんだ、なんて取りとめもないことを考えながら歩いていた。
「そういや、飯も食ってなかったな」
奈々華は朝飯だが、城山のは夕飯である。時刻は午前8時半。城山は帰ったらシャワーを浴びて眠りに就く頃合だ。コンビニで済ますか、どこかファミレスでも行くか、牛丼屋は遠いな、などと頭の中で地図を巡っていると、
「すいません」
女声がした。城山は自慢ではないが、人によく声を掛けられる。道を歩けば外国人や不案内なよそ者に道を尋ねられ、パチンコ屋に行けばお年寄りに目押しを頼まれたりする。慣れたもので、小間使いのようにはいはいと振り返る。随分若い女性、というより少女だった。歳の頃は奈々華とさして変わらないように映る。やや短めの髪を横で結んでいて、猫の髪飾りで前髪を左右に分けて留めている。目元がすっきりしていて、唇が薄く、小顔だった。美人と分類して良いような顔立ちだった。城山はちょっと顎を触ってから用件を聞いた。
「道をお尋ねしたいんですが?」
「ええ。どちらに行かれるんですか?」
駅前のファミリーレストランの名を少女は告げた。城山は簡潔に道を示した。それじゃあと立ち去ろうとすると、
「ごめんなさい。もしよろしければ案内していただけませんか? 何しろここら辺は初めて来たものですから……」
「すいません。僕はお腹が空いていて、眠たくて、煙草が吸いたいんです。ズボンも臭いんです」
「は? ズボン?」
「あ、いや。なんでもありません。兎に角そういうわけですから」
今度こそ去ろうと思ったところで、少女にシャツの裾を引っ張られる。城山は億劫そうに振り返った。
「あの、お腹が空いてるんなら、わたしと一緒に行きませんか? お礼にご馳走しますよ?」
「……」
城山は黙考する。だがすぐに頭を振って悪いからと断る。それでも少女は誘う。ファミレスの気分じゃないとも言ってみた。それでもご馳走しますから、と押し返してくる。あんまりしつこくて城山の方が折れてしまう。何より道端ですったもんだしている時間にも汗が噴出しているのが大きかった。わかりました、と溜息混じりに答える。まあ美人局にしても宗教勧誘にしても、最終的には城山には一番原始的で確実な解決手段があった。
白い建物に赤い看板がトレードマークの全国展開のファミリーレストランに着いた。そこまで大きくないがいつも食事時は混み合っている。味がとても良いわけでもなく、接客に目を瞠るものがあるわけでもなく、料理が早く出てくるわけでもないが、立地の勝利というヤツである。
「ここですよ」
城山は立ち去ろうとするが、少女にまたしても裾をつままれる。
「望みどおりご案内差し上げたじゃないですか? これ以上何か?」
「ご馳走するとお約束したじゃないですか」
「いいですよ。うんこもしたくなってきたし、もう帰ります」
「う…… おトイレならここにもありますよ」
飯を控えた相手に汚い話題を振れば怒って帰してくれるかと考えたのだが、どうも相手はそれ以上にしつこいらしく、城山はあからさまに嫌な顔をする。
「貴方なんですか? ストーカーですか? 遠くからコソコソ見ていたり、逆ナンみたいな真似してうんこをさせないようにしたり……」
「う…… おトイレはどうぞご自由に!」
コホンと咳払いする。
「それより、気付いてらっしゃったんですね? お人が悪い」
「……」
「そうです。わたしは一昨日の貴方の圧倒的な力を見込んで是非お願いしたいことがありまして、このような形を取らせていただきました。ご不快になられたのであれば謝ります」
そう言って少女は頭を下げてみせた。城山はその頭の天辺にある渦巻きを思いきり突っついてやりたい衝動に駆られた。
「お断りします。失礼ですが随分図々しいお話だと思います」
「勿論タダでとは申しません。見合う報酬をご用意させていただきます」
少女が顔を上げて瞳を輝かせる。
「……」
「失礼ながら貴方のご近況は調べさせていただきました。ご入用でしょう?」
城山の顔からついに貼り付けていただけの愛想笑いすら消えた。少女は怯んで半歩後ずさりかけた。かけたが、どうにか踏みとどまって城山の目を真正面から見据える。
「悪いようには致しません。お話を聞いてくださるだけでも良いんです!」