第五十六話:膠着の三日間
10月7日(SAT)
黒いビッグスクーターが、危険運転気味に二台、城山の車の脇を駆け抜けて行った。蛇行しながら遠ざかるそのバックナンバーをぼんやり眺めながら、城山は考える。
三日経った。事件には何ら進展のないまま、三日が過ぎた。その間、昼夜が逆転したような生活を送った。三好は妖魔の出現傾向が変わったと断定、戦闘能力の高い城山や真田、乃木などの人員もまたそれに沿うように、主に夜間に配備されることになった。少し前から増え続けた夜間の妖魔は、一日あたり十体前後というところまで来ていた。そして止まった。頭打ちという感じだ。短絡的に、ほっと胸を撫で下ろすことは出来ない。常に最悪のケースを予測しておくのが、基本である。現状が小康状態に過ぎず、また少ししたら、増加の一途を辿っていくのかもしれない。もしこれから先、二十体も三十体も出るようだと、こちらの頭数が圧倒的に足りない。
城山は直感していた。二つの事柄は、別件に見えて、どこかで連関しているのではないかと思えてならない。つまり、夜間の妖魔の活発化と、大量相殺事件。相殺事件というのは、城山が勝手に造語した。殺人事件と呼ぶのは違和感があった。相殺という言葉は普通、字面の割りには剣呑なシーンで使われないことが多いが、今回は読んで字の如く使っていた。
土用波のように、全然関係なさそうな場所で起こったことが、二次的な波紋を起こすイメージがあった。どちらが元凶なのかはやはり判然としない。けれど、どこかで二つは繋がっているのではないか。証明は難しい。あくまでも彼の勘だった。しかしその勘が当たっていると前提するなら、二つとも妖魔が関係しているということになるだろう。他の妖魔の動きを活発にするような影響をもたらす妖魔。もしくは逆に妖魔の活発化によって、呼び起こされるように現れた大量相殺のトリガーを引く妖魔。もしそういう妖魔が居るのだとしたら……
携帯電話が着信を伝える。開くと三好からだった。
「お疲れ様です」
「はい。お疲れ様です。どうかされましたか?」
夜勤を終えて、城山は帰路についていた。
「今日はこれからお休みですよね?」
「はい」
休日だった。これが過ぎると怒涛の八連勤という、とんでもないスケジュールになっている。今月は特別措置として既に二枚目の確定シフトが出されていたが、城山は真田と比肩しうる程のお馬さんだった。生活費というニンジンを目前に垂らされて駆け抜けるしかない、哀れな駄馬の貴重な休みである。
「もし都合がつくようだったら、わたしの用事に付き合って……」
「無理です」
「ええっと。少し行きたいところがあるのですが、一人で行くのは」
「無理です」
ハンドルを握る肩が張っているのが感じられる。足もパンパンである。今日は奈々華の方にも差し迫った用件はなく、大半の時間を睡眠に当てようと考えていた。
「女性からの誘いに、そこまですげない対応を普通するものでしょうか」
「つーか、本気で疲れてるんですよ」
「それはわかっているんですが」
「用事って何ですか?」
「……柏原さんという休職中の職員をご存知ですよね?」
城山は少し考える。ああ、と口から漏れるのと、思い出すのは同時だった。いつか、妖魔との戦いで負傷し、今は療養という名分で休職扱いになっている男だ。榎木や寺本とチームを組んでいたか。
「彼のお見舞いというか」
「へえ。そんなことまで三好さんの仕事なんですか」
「いえ。わたしも今日は休日なんです」
へえ、と城山。彼女にもキチンと休みがあるらしい。
「どうかしたんですか?」
「いえ。貴方にも休みがあると聞いて安心しました」
電話口の向こうで、何か考えるような間があった。ややあって、ぼそぼそと聞こえてきた言葉を要約すると、心配してくれてありがとうというような内容だった。
「それで、折角の休日をお見舞いに費やしてしまうんですか」
三好が疲れた溜息を漏らす。
「わたしに責任が全くないわけでもないですからね。彼の見舞いはいつか行こうと思っていたんです」
声の調子から、城山はつい色々と邪推をしてしまう。彼女の言葉が百パーセント建前というわけでもないだろうが、もしかしたら下からの突き上げがあったのかもしれない。具体的に言うと、彼とチームを組んでいた榎木だろうか。事件当日の彼の様子を見るに、二人が友誼を育んでいたのは想像に難くない。友人の怪我に、責任者として見舞いの一つもないというのはどういうことか。そういうことを言っても可笑しくないタイプだ、とも同時に城山は思っていた。
そして、もう一つ。何故城山を誘うのかという点についてだが、これは単に不安だからではないかと考える。直接的ではないにせよ、柏原の入院について全く責がないわけではない。そんな彼女が、単身で彼に会いに行くというのは、それなりに勇気が要ることなのではないか。冷たい態度を取られるかもしれない。ひょっとしたら罵声を浴びせられるかも知れない。それくらいで済めば良いが、乱暴な手段に打って出るかもしれない。彼の気性については、城山は知らないが、少なくとも馬があって友人関係であろう榎木は興奮すると周りが見えなくなる様子だったし、そういう観点から考えるに、前出のような危険性というものを鼻で笑うこともできない。
城山はなんだか可哀想になってきた。
「そういう事情でしたら、付き合いますよ」
自分でも思ったより優しい声音になって、自分で気恥ずかしくなる。向こうにも伝わったらしく、少し息が詰まったような様子があった。
「……ありがとうございます。本当に」
城山は決まり悪い気持ちも一瞬忘れ、相手の気持ちを慮る。
「僕が聞いた限りの事情では、三好さんが悪いとはどうしても思えませんでした」
何か逼迫した事態になってしまったときには、味方をする。そういう意思表示だった。
「……そう、言っていただけると、その、嬉しいです」
「ええ。それでは、三好さんの準備が出来たらまた連絡を下さい」
そろそろ住宅街を走るので、あまり集中を欠いた状態で運転をしたくなかった城山は、話を切り上げようとする。
「あの、城山さん!」
そこを少し大きめの三好の声で止められて、気おされたようにはいと返事した。
「城山さんは……」
「はい」
「……」
「何ですか?」
「城山さんは、ずっとそんな感じだったら、言うことがないです」
「え?」
「ありがとうございました。それではお昼頃にお電話します。お疲れ様でした」
言いたいことだけ言って、ぷつんと切れる。
城山は狐につままれたような顔で通話時間と料金の表示画面を見ていた。