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伏魔殿の常識は  作者: ポンカス
第一章:城山仁とその周囲についての簡単な考察
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第五話:GIRL’S PARANOIAC

「アレ、何だったんだろうね?」

家に入るとポツリ奈々華がこぼした。アレ。動物と呼んでいいのかすらわからないのだから、そういう表現に落ち着くのだろう。さあ、と城山。

「なんだったんだろうね」

言いながら黒いチェックのシャツを脱ぐと、下に着たTシャツまでジワリと赤黒い血がついていた。シャツの方はリビングの床に置くことも躊躇われた。綺麗に磨かれていて、汚れ一つない。それをしているのは他ならぬ目の前の妹だった。

「着替えてくる」

シャツをくるんと翻して肩に掛ける。その背に奈々華、

「ご飯、作るから一緒に食べよう」

城山は少し黙った後、じゃあご相伴に与ろうかなと答えて、階段を上って行った。

兄が風呂に入って着替えている間に、妹は即席で朝食とも昼食ともつかない時間帯の食事を用意していた。シーザーサラダになめこの味噌汁、ハンバーグは昨日の残り物だと言っていた。マイタケをバター醤油で炒めたもの。五目御飯も市販のパックを使ったものだと申し訳なさそうに言った。

「いや、十分だよ。ありがとう」

二人同時にいただきますをして、城山は早速味噌汁に口をつけた。味噌汁自体随分久しぶりに飲む。彼の食生活は良い感じに荒んでいる。即席の味噌汁すら作るのが面倒くさいなどと言い出す男である以上仕方のないことかも知れない。何年ぶりかに口にする奈々華の味噌汁は彼の知る味と寸分の違いもなかった。

「ああ。おいしいなあ」

ありがとうと返す奈々華は寂しそうに笑っていた。しばらく二人は黙々と箸を進めていた。観るともなくつけたテレビから、今日も残暑が厳しいというアナウンサーの声が聞こえてきた。

「ねえ、アレの仲間っているのかな?」

「……」

箸でハンバーグを四つに切り分けながら、城山はどうだろうね、とつまらなさそうに言う。

「アレについては俺にもわからないから」

そっか、と返した奈々華のトーンは明らかに元気がなかった。

「エアコン、随分汚れてる」

「え、うん。ごめん。ちょっと上の方は届かなくて」

城山がぼんやり見つめる先には今も稼働中のエアコンの上部。奈々華の返答を聞いて恐縮したような顔をした城山が対面に目を向ける。

「嫌味のつもりなんかじゃないんだ。こっちこそ気付かなくてごめん。後で掃除しておくよ」

奈々華はコクンと頷いた。リビングは二人の共同生活空間。掃除は分担と決まっている。とはいえ城山の方はリビングで過ごす時間というのは一日に一時間とない。自室にいることが大半で、生活家具に加え、電子レンジや小型冷蔵庫なんかも運び込んでいて、さながら一人暮らしの様相だった。必然リビングの様子などには疎い。奈々華もそれは重々知っていて、たまにカップ焼きそばの湯を捨てているくらいでしか、リビングで見かけることはない。そして挨拶もそこそこに自室へと戻っていくのだ。

「でも、悪いことって重なるものだね」

どういうこと? という顔で城山が片眉を下げる。

「お金が大変なのに、よくわからない生き物まで出てくるなんて……」

「大変というほどの相手でもなかったんだが……」

言いかけて奈々華が自分の体をかき抱くようにしているのに気付いた。指先が小さく震えいてる。

城山の胸に様々な感情が去来する。それらが入り乱れる様は、正しく迷いといえた。城山は知っている。人が何かに迷う時、大抵答えはわかっている。それを十全するにあたって、障害があることが原因なのだ。心理的であったり物理的であったり。

「……ご馳走様」

箸を置いた城山。その音にピクリと体を震わせた奈々華が立ち上がった城山を見る。あ、と小さく奈々華は呼び止めかけた。けど結局彼女の頭にあった言葉は露となって、代わりにお粗末さまでしたとだけ口にした。俯いてしまう。その様子は城山にとって耐えられるものではなかった。

「キミが嫌じゃなければ……」

「え?」

「キミが嫌じゃなければ、俺が守るよ」

城山はまるっきり事務的な口調で言った。自分の分の食器を重ねて持ち上げ、最後に照れたような、申し訳ないような、気弱な笑顔を浮かべた。

「あんなのにまた襲われても大丈夫だから」

それだけ言って流しへと向かいかけた背へ遅れて声が掛かる。

「お兄ちゃん!」

「へ?」

「いやじゃない! いやな…… わけがないから」

お願いしますと頭を下げた奈々華の声は少しかすれていた。



「アレを誘うですって?」

十河が大きな声を出した。対して三好は随分落ち着いた調子で、そうよと返した。西日の差す室内に居るのは十河と三好だけ。誰かに聞かれる心配はないのだが、それとは別で三好は煩そうに、なおも縋る十河を三白眼で見つめた。

「聞き分けない子ですね。だから一度接触してみてからと、言ったでしょう」

「その接触自体が危険だと言っているのです!」

新調した畳に十河がドンと拳を置いた。三好に割り当てられた部屋は、彼女の趣味から和装である。漆喰の壁には浮ついた装飾はなく、カレンダーが画鋲で留めてあるだけで、小窓も簡素なものだった。

「そうは言うけど、流石に相手も野獣ではないのだから、真昼間から荒事になるわけはないでしょう」

落ち着いてはいるが、それは自己に暗示を掛けているかのように、さっきから繰り返された言葉だった。すっと目を細めて三好はちゃぶ台を挟んで対面する十河を見るが、納得した様子は微塵もなかった。信楽焼きの茶碗のへりに目を落とす少女からは反駁の言葉を探している空気しか感じられなかった。

「今は少しでも戦力を強化しておく必要があるのは、貴方もわかっているでしょう?」

先に言葉を重ねたのは三好で、それは正論で、十河も額に手を当てて渋々頷いた。

「ですが、アレの目を見たでしょう? わたしは今まで生きてきてあんな目をする人間を見たことがありません」

それは三好にしてもそうだった。だが何となく、本当に何となくではあるのだが、アレが酷薄さだけでああいう目をしているわけではないような気がしていた。

「とにかく、わたしは反対です」

三好はこれ見よがしに溜息をついてから、

「貴方がわたしを心配してくれるのは嬉しいのだけど、人事の最終決定はわたしにあるのですよ?」

いささか卑怯ではある、とは自覚していた。是非を話しているのであって、権能の話をしているのではない。だがこう言ってしまっては、十河としては黙るしかなく、果たしてその通りになった。

「……無茶はしない。危ないと思えばすぐに身を退くから」

「はい……」

お気をつけてとだけ蚊の鳴くような声で残すと、十河は部屋を辞して行った。ごめんなさいと見送った三好は、膝元に置いたクリアファイルを取り上げる。渦中の人物の来歴が仔細に載っている。

「城山仁…… 吉と出るか凶と出るか」

それを胸に置いて、パタンと仰向けに引っくり返った。天井の木目が、あの感情の全く見えない瞳に見えてきて、くるりと寝返りを打った。

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