真田くんの冒険(1)
~8月27日~
真田啓が立てた計画は、第一段階の大詰めに差し掛かっていた。予定より時間が掛かってしまったのは悔やまれるところではあるが、ともあれこの計画の第一歩が今日で完了すると思うと、真田の心にはほんの少しの安堵と達成感が去来していた。だが気を緩めてばかりもいられない。何せこれは第一歩、ただの一歩目なのだ。まだまだ先は長い。
計画の発端は、丁度二週間前にまで遡る。まず、目的地に近づいてみた真田は、その外周に等間隔で設置された監視カメラの存在を疎んだ。壁の頂点につけられたそれは、建物の前の道路中央、外壁の下、と遠近を映すように、角度が異なるものが交互に設置されていた。これでは死角を探すのは難しい。そう判断した真田は夜間に出直した。昼間やって来た時に離れた所から遠視モードでカメラの形状をデジタルカメラにおさめ、型番を調べた。夜間は赤外線暗視に切り替わるカメラのようだった。一台あたりに吃驚するような値がついていた。
赤外線スコープを被り、その流れを追ってみたが、どうやら鋭角の、つまり外壁の下の方を探るカメラの方がお休みのようだ。よくよく眺めていると、道の中央を映している方が、一定の時間を置いて下側を映し出すようだ。カメラのフィルムも無尽蔵ではない。これだけの台数のカメラ全部を二十四時間稼動させているのは機械のスペックとしても費用としてもバカにならないのかもしれない。
真田は周囲を見回した。少し古い街で、若者が多く住んでいる場所ではない。深夜には猫一匹見当たらない。加えて夜間に忍び込もうなどと考える人間は自分か、泥棒くらいだろう。テロ染みたキチガイの襲撃はあるかも知れないが、わざわざ夜間を狙う分別が残っていれば、そもそもそんな行動に移るとも思えない。また泥棒もこんな場所へ忍び込むとも考えにくい。ここに盗られて困るようなものがあるとも思えない。
真田はその日は、それだけの収穫で帰ることにした。
翌日、真田はある一軒の民家に忍び込むことにした。目的の建物が遠望できる位置に建っているという条件に合致したからだ。ブロック塀が高く張り巡らされていて、一旦敷地内に入ってしまえば、外から見られることが少ないというのも侵入の好条件である。また時間帯を選べば、この周辺は人通りが全くと言っていいほど途絶えることがある。お年寄りの一人暮らしや、寡数存在する世帯持ちも、核家族が多いようで、父親が仕事に出かけ、子供が学校に出かけると、専業主婦の母親は、家にこもって朝の連続テレビ小説なり、昼間のサスペンス劇場なり鑑賞するのか、つまり朝の十時くらいが狙い目だった。
油断なく周囲を警戒しながら塀の中へと体を滑り込ませる。腰を屈めて小走りに庭を抜けると、裏手に回り、勝手口の前に片膝をついた。持っていた鞄から強化プラスチック板を取り出す。鍵の輪郭に合わせて細長く切り出されたものだった。鍵穴に差し込んで二、三度捻る。当然鍵が開くはずもない。それが目的ではない。引き抜いたプラスチックには、細かい傷がついている。ここから鍵穴の形にやすりで削り、合鍵を作るのだ。
真田はそれを収穫とし、今日のところは撤退することにした。家の人間と出くわさないように、また忍者のような姿勢で庭先を駆けると、注意深く塀の影から外の通りの様子を窺い、無人であることを確かめてからするりと抜け出た。急いで帰って、夜勤に備えて仮眠を取っておくことにした。
更に数日が過ぎた。この数日間は家の人間の動向を窺うことに費やした。一度主人が家を空けた時に例の合鍵を使って侵入し、各所に盗撮用のカメラを仕掛けた。目に付きにくい場所を真剣に吟味して選定したおかげで、現状不審に思われた様子もない。
邸宅には小高英というおばあさんが一人で暮らしている。この英さん、今年で御歳七十七を数え、めでたく喜寿を迎える。息子夫婦との同居の申し出もあるが、どうにも嫁入りから長らく暮らしたこの家に愛着があり、ここで最期を迎えるつもりでいた。数年前に亡くした夫と同じように。
英さんは、朝の五時ごろに起床し、朝刊を読んだり、テレビを観たりして過ごした後、九時ごろに外出する。駅前の碁会所へえっちらおっちら歩いて向かう。そこで昼や夕方まで囲碁を楽しんだ後、スーパーで買い物をして帰る。夕飯を七時きっかりに摂ると、九時ごろにはもう就寝の準備をはじめ、同三十分ころには大抵、夢の世界へと旅立つ。大抵このサイクルから逸脱するようなことはなく、ほとんど毎日同じことを繰り返す、という感じだった。
真田は思う。毎日新しい刺激や、命の危機を掻い潜りながら生きる自分とは正反対の生活である。どちらが良いのだろう、とふと疑問が浮かぶのだ。妖魔を屠るたび、自分は生きているんだ、生き残ったのだと本能から出る喜びに打ち震える生活は、果たして幸せなのか。毎日同じようなことを繰り返し、新しい人間関係も、新しい娯楽もなく、ただ機械のように日々を送る生活は、果たして幸せなのか。考えても詮無きことだとはわかっていても、英さんを見ていると、時々このような思考に支配されることがある。
だがとにかく、こんな空き巣のようなことも、今日で終わりである。この家屋に忍び込んだのは、例の施設の監視カメラの動きを詳細に観察するためであった。今日で一週間、来る日も来る日も、仕事帰りの疲れた体に鞭打って、英さんの家の二階に忍び込み、窓から観察を続けた。根気の要る作業だった。動きの少ないカメラを追っているうちに、抗し難いほどの眠気に襲われて、自分で自分の腿の辺りをつねることもあった。一週間全く同じ動きをするカメラに、休日と平日それぞれ一日ずつのサンプルで良かったのではないかなとど甘えた考えが浮かぶこともあったが、振り払った。
今日がそういった努力の結実の日である。カメラは今日も、いつもと全く同じ動きをする。これはもう確定情報と見て良いだろう。
カメラは深夜の二時以降、過日見た飛び飛びの稼働状況へ移行する。二時以降も稼動を続ける、道の中央を映すカメラは、きっかり三十秒ごとに、下を向いたり上を向いたりする。これも一台ごとに交互で、丁度振り子のように動く。例えばある一台が、首を下にすると、その隣の台は、今まで下を向いていた首を上げる。規則正しいその動きを見ていると、階下で眠るこの家の主人と重なって、また哲学めいた考えが浮かぶ。やめよう。首を大きく振って、観測を終了する。望遠鏡をたたんで、畳の上に静かに置いた。
なんにせよ、これで欲しかった情報は手に入った。もうここへ侵入することもないだろう。