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伏魔殿の常識は  作者: ポンカス
第一章:城山仁とその周囲についての簡単な考察
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第三十五話:SECOND DEVIL

ビッグキャットを追っている城山を追っているところで、三好の携帯がぶるぶると震えた。こんな忙しいときに誰だ。舌打ちを堪えながら、胸のポケットからそれを取り出した。猫のストラップが激しく揺れる。走りながらというのは無理だと判断して、立ち止まった。

「もしもし?」

「三好か」

音邑の声である。三好は気が立っていたこともあって、苦言をぶつけることにする。

「音邑さん? 貴方、あれほど言っていたのに。五分以上前に妖魔が現れましたよ? 遅いのは良いけれど早いのは……」

「それどころではない」

音邑は冷静なトーンでそれを遮る。

「なんですか?」

「もう一体そっちに現れる」

「なんですって!?」

「場所はさっきより少し離れた場所、だろう。二丁目の方へ進んだところ、だろう」

「いつですか?」

「もう後一分とない。いや、今日の俺の調子は悪いようだから、若干誤差があるかもしれん」

「な! どうしてもっと早く予知できなかったんですか!?」

「落ち着け。調子が悪いと言っただろう。とにかく、早く城山と合流しろ。まずいぞ」

言葉が終わらないうちに、三好の背筋が寒くなる。背後に何か居る。巨大で、恐ろしく、獰猛な、獣の気配。


土地鑑もない場所で、妖魔を袋小路に追い詰めることが出来たのは、城山にとっては僥倖ぎょうこう以外の何者でもなかった。これも俺の日頃の行いが良いからだな、などとうそぶくくらいの余裕を見せられたのも、ビッグキャットが観念したように尻尾をしょぼんと力なく垂れさせている様に、悦に入ったからである。

「へへ。観念しろよ。畜生が人間様をおちょくると、こうなるんだ」

ミャーと妙に可愛らしい声で鳴くのは、媚びて同情を引こうという作戦だろう。

「貴様ら猫は、そうやって世を渡るんだろうが、お前は自分が気色の悪い猫モドキであることを失念している。大体俺は猫もあまり好かん。つまりはゲームオーバーだ」

飛び掛る。前足に爪のない猫など、正面きってぶつかっていても恐るるに足らず。城山は勝利を確信した。とっ捕まえたらどうしてくれようか。そんな皮算用も頭に浮かんだ時、猫の顔がにやりと人間染みた不敵な笑いをした気がした。

視界から一瞬消えたような錯覚。跳んだのだ。そう考え付くまで、そこまでの時間を費やしたわけでもないが、野生動物さながらの俊敏性を持つこの妖魔にとって、一瞬でも相手の動きを止められたのなら、それは十分なアドバンテージだった。

ポーンと跳躍したビッグキャットは、城山の肩を踏んづけ、その背後に華麗に着地する。ビタンとやはり手の平を思いっきりアスファルトに着いた音がして、城山が振り返ったときには、すっかり走り出す姿勢で、反転した時にはもう数メートル離れてしまっていた。

「この野郎、こけにしやが……」

言いかけた城山の耳に、甲高い女性の声が聞こえる。城山さん、と自分を呼ぶ声には聞き覚えがある。というより、今この場で自分を呼ぶ人間など、一人しか居ようがない。

声からは恐ろしい緊迫感、もっと言えば命の危機に瀕した人間が上げるような緊急性があった。城山は途端に顔が青くなるような錯覚を覚え、声のした方へ全速力で走っていく。ビッグキャットが逃げた方とは逆だが、今は査定どうこうの話でも、ましてとっ捕まえてお仕置きどうこうの事態ではない。

駆ける。走る。急ぐ。城山は最速の足の回転で、現場へと直行した。


声に興奮するでもなく、グルルと一つ威嚇のように鳴いただけだった。やはりこの妖魔は獣タイプに似つかわしくない賢さを持っている。ゆっくりと三好の周りを回る。それはまるで、自分の一番美味い箇所を吟味するような動きに見えて、三好は口を動かすこともかなわなくなった。喉の奥が自分のものとは思えないほどに熱く、乾くのを感じた。そのくせ、体は夏風邪にでも罹ったように、打ち震えていた。

ダメだ。殺される。城山が悲鳴を聞きつけてやって来てくれるのは、いつ頃になるだろう。まだか。まだか。早くしないと間に合わない。死にたくない。助けて。怖い。本能だけが雄弁で、喉の奥からは何の言葉も出てこない。打ち合わされる歯がガチガチと音を奏でるだけ。腰などとうに抜けている。ペタペタと体を引き摺るように手と腰だけで後ずさっている。今自分の脳がそれを命じているのかさえもわからない。まだ生きている、という感覚が恐ろしく希薄だ。もう既に自分の体は自分の制御下から離れてしまったのではないか。

獣の目を見る。いや、それも見ているのかどうかもわからない。視覚情報がキチンと頭に回っているのか。もしキチンと機能しているのなら、何か生き残るための可能性を模索するために回転してもいいのではないか。恐怖しか伝わってこない。狡猾と凶暴が同居したような瞳が、ただただ恐ろしい。

獣の、その瞳が、一段と強い色を帯びたような気がした。前足がグッと縮まる。飛び掛る。本能がそう告げた。そしてその体が跳躍する。

死のビジョンが強く見えたような気がした。目の前が真っ暗になる。ガコンと鈍い音が耳に届いた。


目を開けるのが、とても勇気の要る作業だった。いつかパラシュートで降下した時でも、これほどまでに踏ん切りがつかなかったことはない。あの時は、いざ目を開けてみると、そこには今まで見たこともない光景が広がっていたが。空と大地が同時に見下ろせたあの感覚は、やがて恐怖など取り去って、爽快感とカタルシスのような感慨をくれたが、今回はダメだ。ダメだという実感がある。根拠などない。だが、本能的にそれを悟っていた。閻魔がいるのか、悪魔がいるのか。なんにせよ、人に命じて生き物を殺生してきた自分が神や天使の御許へ招かれるとはとても思えなかった。開けたくない。嫌だ。怖い……

「三好さん」

え?

「三好さん」

よく聞いた声。記憶が正しければ、いつもバカみたいな軽口ばかりを叩いている……

目を開ける。

「大丈夫ですか?」

城山だ。胸のうちに何か奔流が流れ込んだ気がした。だがそれが何の奔流なのか、今の三好には見当もつかない。安堵か、恐怖か、不可解か。助かったのか、まだ妖魔は生きていて自分を油断なく見つめているのか、どうして城山がここに居るのか。

「あの、正気に戻ってください」

城山が屈みこんで、顔の前で手を振る。さっきまで視界が開けるのが怖かったくせに、今度は視界を遮られるのが、怖かった。

「……」

「え?」

パクパクと口を動かしている感覚はあるのだが、如何せん耳の方には自分の声は聞こえない。城山は、ほんの少し眉を動かした。

「……ちょっと待っててください。トドメを刺してきますから」

城山が一歩、離れていく。手が勝手に動いた。城山のズボンの裾を掴んでいる。丁度半パンを履いていたものだから、掴み易かったが、そういった計算があったわけではなかった。

「ちょ、ちょっとやめてくださいよ。こんなところで。それにこっちにも心の準備って物があるんですから」

城山が何か慌てたようにズボンを引き上げる。腰パンをしていたので、少し引っ張られただけで、トランクスが見えている。しばらく上げたり引っ張られたりしていた二人だが、城山の方が諦めたように笑んで折れた。

「はあ。見えますか? もう妖魔は虫の息ですよ?」

城山が指差すと、三好は初めて彼以外の物を見るような目で、その先を見た。彼の言葉通り、腹を見せて速獅子と言った妖魔が倒れていた。

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