第二十九話:SHOPPING
9月10日(SUN)
居間に下りてみると、カレンダーの日付に赤丸がついているのを見つけた。今日と、それから二日後、次に六日後…… 三角の印もついている。これも飛び飛びである。
自分の休みと夜勤の日を、それぞれ示していることに城山は気付いた。勿論城山がこんなしち面倒くさいことをするはずがない。無精ひげを指先でいじりながら考える。犯人の正体についてではない。城山でないのなら、この家には住んでいる家人はもう一人しか居ない。故に考えているのはその意図のほうである。自分がわかりやすいようにしてくれたのだろうか、それともこれ全てを妹の為に割くことになるのだろうか。答えは後ろからやって来た。
「おはよう。お兄ちゃん今日休みだよね?」
振り返ると、居間の入り口に奈々華が立っていた。城山はそうだねと頷く。
「そのカレンダーに書いているのは途中なんだ」
「途中?」
「うん。お兄ちゃんの希望とか、予定とか聞いて、わたしの買い物とか諸々に付き合ってもらえそうな日を割り出していくの」
なるほど、と城山が相槌。
「それで、その日が決まったら、また違う表記にしたり、丸の下に予定とかを書き込むの」
城山は妙に気恥ずかしくなった。妹はやはり兄の性質については熟知している。悪気はないが、時たま約束を忘れてしまうことがある。そういうのを防止するために、二人の共有の空間のカレンダーにこうして印をつけておいて釘をさすのだ。隙が無く無駄が無い。
「そういうことか」
うん、と笑う奈々華はほんの少しだけ茶目っ気があった。
「さしあたって今日なんだけど」
「うん」
「ちょっと食材が尽きかけてるんだ」
付き合えということだ。奈々華はこうして週に何度かの買い物で毎日をやりくりしている。有り体に言えば買い溜めというヤツである。城山が夜勤の日や、比較的道が空いていて往復に余裕がありそうな時などに買い物に付き合ってもらう、というやり方でこの一週間ほどを乗り切っていた。そして今日は城山の初の休日である。
「ごめんなさい。だけど、わたしも食べ物を食べないと死んじゃうから」
殊勝な様子でうな垂れて言う。
「謝ることなんて何もないよ。勿論付き合うよ」
本当は奈々華の方に差し迫った用向きがないのなら、パチンコ屋へ行こうかと思って早起きしていたのだが、先手を打たれてこのような態度、言葉でこられたら、嫌と言える筈もなかった。
「ありがとう。良かった。そろそろ秋口だし、服とかも欲しかったんだ」
またお伺いを立てるように語尾を上げる。ついでに期待を込めた眼差し。
「……うん。キミが良いのなら、今日は一日お供させていただくよ」
用立てがあったとして、午前中くらいで終わるようなら、パチンコ屋へという考えも粉砕しなければならなかった。
隣街までやってきた。駅前に広がるアウトレットモールで秋物を何点か買い込み、飯時となった頃にモール内のイタリアンで食事を済ませた。パスタが美味く、奈々華はレシピについて、ああでもないこうでもないと唸っていた。食事の後には、まだもう少しニットを見たいという奈々華の要望に従ってモール内を回った。帽子かと思ったがカーディガンの方だった。
随分振り回されて、城山は疲れた。まだ元気の有り余る奈々華には一人で行かせ、喫煙スペースで煙草をふかすことにした。同じ施設の中にいるのだから、そこまで張り付いている必要も無かった。それでも言い出しにくかったのは、彼女がとても楽しそうだったからである。久しぶりに兄妹で本格的に出かけるので、懐かしかったのかもしれない。そういえば、昔はお兄ちゃん子だったな、と紫煙を見ながら思う。
短くなった煙草をスタンド灰皿で揉み消すと、ぼんやり通りの方を見る。熱心な宗教勧誘が居るようで、通行人は迷惑そうに振り切っていた。
「あれ、ウチにも来たよ」
いつの間にか、城山の傍に奈々華が戻ってきていた。手にはクレープを二つ持っている。
「もういいのかい?」
差し出されたクレープを手に取る。甘いものが得意ではない彼の為に、ツナマヨネーズとソーセージが具材のものだった。
「うん。大体見たよ」
「そっか」
また通りに目を向ける。駅から真っ直ぐ伸びてきているその大通りを挟み込むようにして五年ほど前にモールは建設された。通りは西欧風を気取っているのか、黒いガス燈がポツポツとアーチのように湾曲しあっていた。
「ウチにも来たって?」
その一角に、中年の男女数人が居る。濃紺で統一した出で立ちで、ひょっとすると彼らの教義と関係しているのかもしれない、とぼんやり思った。
「うん。丁度同じような服装してたから多分」
「へえ」
「怖かった。何か話が通じないんだよ」
「宗教相手だとよくあることだね」
齧ったクレープの端からツナマヨネーズがはみ出して、慌てて顔を傾けた。横向きに見た奈々華の顔は少し不安げだった。
「……何て言ったかな。八角新宗とか」
「ふうん」
具の流出にカタを付けると、ガス燈の上の辺りにぼんやり視線を彷徨わせながら、城山は言った。
「帰りにホームセンターに行こうか?」
「え?」
「インターフォンにカメラが付いたヤツ、あるだろ?」
残りのクレープをぱくぱく胃に収めると、灰皿の下部についたくず入れに紙包みを放り込んだ。近くに置いた紙袋の取っ手を持ち上げる。中には妹の秋の装いが入っている。
「買って帰ろう?」
のんびり歩き出した兄の背に、妹は小さくありがとうと呟いた。