第二十五話:DONT BE DOWN
早めに夜勤も経験しておくのがいいだろうという三好の意向が半分。十河の出勤状況から振り当てるべき夜勤が今日だったというのが半分。その二つの理由から、城山の二日目は夜の十時から勤務ということになった。
エレベーターの篭室から出ると、七階の広間の襖を開ける。エレベーター側の壁に設置されたカードリーダに、急ピッチで作成された社員証を通す。出退勤の情報はこれを通して三好のパソコンへ送られる。腕時計を確認すると十時五分前だった。遅刻はなるべくしないようにしようと考えている。真面目に勤め上げようという殊勝な気持ちからではなく、単にこれ以上勤務時間を減らすのは得策とは思えなかったから。ただでさえ人より一時間少ない給料になるのだ。社員証を財布にしまい、部屋を後にしようとしたところで、反対側の襖が開いた。相手の顔を見ると、城山は軽く会釈した。相手は流石に昨日のように舌打ちのような音は出さなかったが、小さな声でおはようと言っただけだった。ここに居ても仕方ないので、城山は自室に向かうべく足を踏み出した。
「ちょっと待て」
「はい」
くるりとまたその場で反転。
「今日の予定表だ」
十河は自分が居る方の壁を親指でさす。
「へえ。そんなところに」
城山は近づいていく。十河は用は済んだのだからどこかへ行くかと思ったが、城山が来るのを待つようにその場から動かなかった。
予定表を見る。今日は面白いように空白だった。見ればもう一組出てきている者たちが居るようで、城山十河両名の他に、寺本。それから榎木、柏原と読める。
「真田さんは、一体どこを案内したのか」
壁から目を離すと、十河が渋い顔で口を引き結んでいた。城山は苦笑する。あの男、城山ほどではないが、適度にちゃらんぽらんな空気もあった。うっかり、ということなのだろう。
「十河さんは覚えていてくれたんですね」
城山が昨日、予定を尋ねたのを覚えていて、それで真田から案内を受けなかった可能性に思い至り、こうして今日の出勤の際に教えてくれたという経緯だろう。
「ところで、もう一組いるようですが」
「ああ。夜勤はスケジュール合わせみたいなものだからな。あまり昼間の勤務ばかり…… 実戦ばかりでは気が滅入ってしまうというところで、息抜きというか、休憩回しのような側面もあるらしいな」
苦々しそうに言うあたり、十河はそういった側面をあまり良く思っていないことが推し量れた。仕事に真摯な態度は城山も昨日だけで嫌というほど理解していたので、色々察せた。
「なるほど。じゃあ夜勤で実戦、なんて場合はないんですか?」
「当然ある。だが、大抵の人はツイていないと考えるようだ」
また苦い顔。
「ふうむ。ではこのもう一組は、どうして三人居るんですか。ここら辺も調整のためですか?」
名前の書き方として、組み分けのように、一団で書かれているのだった。
「ああ、そういう場合もあるが、そうやって一括りに名前が連なっているのは普通はチームだ。だからその人たちは、昼間の勤務であってもその三人で組んでいる。ちなみに組み分けは力量などによって、それぞれ人数が違う」
「へえ。じゃあ僕と十河さんと、この三人だと力量差があったり、その他の事情が違ったりということですか?」
「……ああ、そうなるな」
「なるほど」
ありがとうと締め括ろうとして、十河がまだ何か言いたそうにしているのに気付いた。伝えなければいけないこと、例えば今さっき話してくれたような業務上必要な情報ではなく、ごく個人的なことではないか。言いにくそうにしている様子から、城山はそうあたりをつけた。別に放っておいて、礼だけ言ってさっさと立ち去ることも出来たが、気まぐれに待ってみることにした。三十秒ほど待ってみると、やっと十河は口を開いた。
「多分…… わたしではなく、アンタの力量だろう」
「え?」
「二人組というのはあまりない。今は真田さんと乃木さんという人が二人で組んでいるのだけだ」
「へえ。そのお二方と、僕等だけということですか?」
首肯する。
「わたしも最初聞いた時は驚いた。わたしに二人組なんて務まらないだろうと思った」
二人で組むというのは、それだけ評価されているということだ。
「相手を聞かされて、なるほどと思ったよ。三好さんが随分高く買っているのは知っていたし、わたしも実際見て、昨日も見たが……」
そこで言葉は途切れた。見れば握った拳が震えていた。城山は励まそうとは思わなかった。貶そうとも思わなかった。ただ純粋に思ったことを口にした。
「そうじゃないと思いますよ?」
「気休めは」
「いえ。別にそういうつもりはありません」
まあ聞いてください、と城山は語り始めた。
「貴方の特性として、バックアップに優れている点が挙げられます」
「それしか出来ないとも言えるな」
自嘲気味に口を挟んだ十河に、城山は仕方なさそうに笑った。駄々っ子を見る父親のような少し優しい目だった。十河はそんな彼の顔を初めて見た。
「僕にはそれが出来ません。誰かの支援なんて、とてもじゃないが無理だ。その代わり、直接の戦闘になれば盾にも剣にもなれます」
クスリと笑った。また優しい表情で、十河は泡食ったまま、その顔を見つめていた。
「それしか出来ないとも言えるな」
そっくりそのまま城山は彼女の言葉を返した。はっと鉛を飲まされたような気持ちになったのは十河。色んな理由から驚かされてばかりである。
「僕は昨日貴方と一緒に戦いましたが、別段軽蔑したり、それこそ嗤ったりしようなどという気持ちはありませんよ? 自分の方が優れているとも思わない。元々求められる、担うべき役割が違います」
昨日は逸って近接戦闘などをしていたが、それで結果が出なかったことにしても、城山は彼女に対してそういった念は抱かなかった。土俵が違うのである。サッカー選手が野球場にやって来て、バットを振ってみて三振したとして、下手糞などと野次る者が居るだろうか。もし嗤うとすれば、そういった役割分担もろくに考えず、私情に流されて、その違う土俵に上がっていった浅はかさだろうか。城山は、だがそれを指摘することはなく、締め括ることにした。そろそろ話を切り上げて部屋でくつろぎたくなってきていた。
「三好さんが言った、互いの足りない部分を補い合える、という言葉に集約されているんじゃないですかね」
城山は言われた時にはピンとこなかったが、実際昨日共闘してみて、なるほどそういうことか、とわかった。膂力だけが頼りの、超のつくインファイターと、正確無比なコントロールで以って援護射撃を旨とするバックアッパー。少し癪な部分もあるが、城山は三好の言葉にはある程度、理があると感じた。
「……」
十河は深く何かを考えいるようだった。城山は結果励ましたことになっているのだろうか、と思わないでもないが、あまり興味がなく、それではとだけ挨拶して広間を、エレベータの方へ戻って行った。
「城山」
と、その背に十河。
「なんですか?」
振り返った城山に、口をパクパクさせるだけだった。しばらくそうしていたが、やがて諦めたように瞑目してかぶりを振った。
「いや…… やっぱりなんでもない」
城山は訝りながらも、今度こそ広間を後にした。