第二十四話:ゲスにはゲスの願いがある
9月6日(WED)
昼間よく寝たものだから、眠れる気がせず、城山は川瀬と会うことにした。ファミリーレストランで落ち合うと、グダグダと居座った。日付が変わっても一向に立ち去ろうとしない二人に、店員もそろそろあからさまになってきた。モップがけの際にも「失礼します」の一声もなかった時には、そろそろ限界かとも思ったが、川瀬の方は特に気にした風でもなかった。人なんて人に迷惑掛けるために生きてるんだよ、といつか講釈垂れていた。彼以外が言えば、それはどことなく含蓄のある言葉に聞こえたかもしれないが、城山は彼の人間性についてよく知っているので、単なる甘えにしか聞こえなかった。
「それでどうなんだよ?」
一通りギャンブルの話が終わると、必然というか、城山の仕事の話になっていた。仕事が決まった。何とか生活はいけそうだ。そういうことは話した。勿論業務内容は話していなかった。
「まあ、続けるしかないだろう」
「へえ。人間関係はどうなんだ?」
川瀬の方も今まで働いたことがない、というわけでもなく、高校の時にコンビニのアルバイトをしていたことがある。そして、働く上で一番ネックになりうるのが、この人間関係だと考えていた。
「続けられそうか?」
「ううん。どうだろうな」
もう何度もらったか知らないお冷が入ったグラスを傾ける。喉をひんやりした液体が通り過ぎる。
「実際人間関係もクソもないよ。まだ今日、まあもう昨日だけど、初日だったんだし」
「それもそうか」
「ただ、まああまり歓迎はされていないかな」
怪訝な顔をする川瀬に、城山はかいつまんで説明する。十河のことだ。ツーマンセルを組むことになった年下の女に、妙に邪険にされている。大体そんな説明をした。
「ああ、それは多分お前からゲスの匂いを嗅ぎ取ったんだろう」
「なんだよ、それ」
「いや。普通に臭いよ、お前。ゲス以下の匂いがぷんぷんするよ?」
「なんだよ、それ」
「お前はいつだってそうだよな」
「何がだよ」
「俺やお前クラスになると、もう見た目からしてゲスいんだよ。そういうところに無自覚だって言ってるんだ、お前は」
「そうなのか?」
「驚くよな。自分が一般人と同列だと思ってる節があるんだもん。こっちが恥ずかしくなってくる」
川瀬もグラスを傾ける。備え付けのナプキンに垂らして遊ぶ。
「ゲス、ゲスラ、ゲスナズンってあったら、俺やお前はもうゲスラくらいまではいってるからね?」
「なんだよ。攻撃魔法か」
「はた迷惑魔法だよ。たまに怒りの状態異常も付加する。あと前科でもつけば、ゲスナズンまでいくよ」
「……」
「んあ?」
今度は飲もうと、グラスを口元まで持っていって、川瀬は城山の様子に手を止めた。
「もしさ、俺が人を殺したことがあるって言ったら、お前はどう思う?」
「んん? まあ状況にもよるだろうな。相手にもよるし」
短絡的に肯定も否定もしない。こういうところが、内心城山は好ましかった。多分、同じ立場に立ったら、城山も同じように答えるだろう。
「義憤っていうか、糾弾するような気持ちは湧かないか?」
「なんだよそれ。つまんねえ。大体ああいうのって嘘くさくて嫌いなんだよ」
どうやら城山が酔狂で言っているわけではないのが、川瀬にはわかった。
「まあ仮にお前がそんなゲスナズンだったとしてもだ。本当に相手や状況による。例えば相手に襲い掛かられて已む無くとかなら、仕方ないべ。相手が友達とか家族とかだとするなら、結構ひく」
「そっか」
「……まあ、お前とは二年くらいの付き合いだけど、実際友達とか家族とかに手を上げる奴だとは思ってないけど」
「ありがとう」
「やめろよ、気持ち悪い」
川瀬はぷいとそっぽを向いてしまう。軽く沈黙が流れる。
「まあ、とにかく。あんまり俺らみたいな奴の精神性なんて理解されないんだから、気張るなよ。嫌だったら辞めて他の仕事探しても良いんじゃないか。俺が無責任に言えることじゃないけどさ」
それが簡単には辞められない。城山が黙っているのを見て、出るか、と声を掛けて川瀬は伝票を持って立ち上がった。
城山が帰宅したのは、朝の六時頃だった。暇つぶしに二十四時間のゲームセンターに行ったり、ビリヤードをしたりして川瀬と遊び尽くした。途中からアクビ混じりだった川瀬だが、眠たいとも言わずに付き合ってくれた。
ただいま、とは言ってみたが、返事があるとは思わなかった。リビングの扉を少し開けて、奈々華が顔を覗かせた。おかえり、と返してくる妹に、城山は言葉を探した。
「随分早いんだね?」
「うん。お弁当作らなきゃいけないし」
そこまで言って、何かに気付いたように、奈々華が声を上げる。
「あ、そうだ。お兄ちゃんの分、良かったら作ろうか?」
城山は苦笑した。
「いや、今日は俺夜勤だよ?」
「あ、そうなんだ。でもお昼、外に行って食べるのも面倒じゃない? 私の方は気にしないでもいいよ? 一人分作るのも二人分作るのも一緒だから……」
「え、でも…… いや、まあそこまで言ってくれるなら、断るのも悪いし、お願いしようかな」
それから、城山は部屋にはこもらず、リビングに入った。奈々華が意外そうな顔で見る。料理や支度の邪魔にならないかと、心苦しい気持ちもあったが、奈々華に用があったものだから、そうした。リビングのソファーに腰掛けると、ポケットからクシャクシャになった紙を取り出した。二つのソファーに挟み込まれたテーブルの上に置いた。
「これ、置いておくから、よかったら後で見てくれない?」
奈々華はキッチンの手を止めて、すぐにやってくる。後で良いと言っている城山としては、こうなるのが嫌だったのだが。
「えっと、出勤表?」
奈々華が覗き込む。
「そう。まあ俺の勤務なんて興味ないだろうけど、キミの生活にも関わることになるから、一応」
城山は貰った当初、前半の理由から見せる気はなかった。というよりそういう発想に至らなかった。だが川瀬とプラプラしているうちに、後半の事情を思い返した。正確には川瀬は関係なく、時間が経って、考えを改めたということである。しかし仕事が終わって家に直帰していたら、思いも付かなくて言い出すキッカケもなかったかもしれない。そういう意味では彼に感謝しなければならない、とも思っていた。
「うん。後でコピー取っておく」
まじまじ見つめる。
「あのね」
「うん?」
「この、夜勤の日とか、お休みの日とかに、わたしの買い物に付き合ってもらったりは出来たりする?」
遠慮がちな奈々華の質問。
「えっと」
一拍置いてから。
「それは勿論。いつでも言って欲しい」
城山は自分の責任ではないとはわかっていても、何か、彼女を不当に縛り付けているような錯覚を持っていた。実際過剰ではないかとも思っている。何も外出の際にその全てに同行して目を光らせる、なんてことが本当に必要なのか。必要というのは、彼女がそこまで望んでいるのかということだった。城山自身が気まずいから、とかそういうことではなく。守るとは言った。それを望まれていたのも恐らくは事実。だがここまでのことを想定して、そう願ったのか。優しい彼女のこと、自分から守って欲しいというような雰囲気を出した手前、やりすぎだと感じていても、鬱陶しいと思っていても、言い出しにくいのではないか。そういう疑念が拭えない。
奈々華は心底嬉しそうに微笑んで、ありがとうと礼を言った。城山はその笑顔に、裏などないと信じたかった。